デビィ スカルノ ブログ。 デヴィ・スカルノ

デヴィ夫人と娘カリナの確執の理由は?不仲解消は孫がきっかけ!顔画像は似てる?

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【目 次】• デヴィ夫人の、これまでのすべてを見せます。 私が最初にデヴィ夫人の記事を書いたのが昨年2013年7月でした。 あれから1年と2ヶ月が経ち、最初はわからなかった事が今では色々な新事実が見えてきました。 よって書籍で言うなら初版から第二版の発行を真似して、第二記事を投稿することにしました。 日本名: 根本 七保子 ねもと なおこ インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ 生年月日: 1940年2月6日 74歳 出身地: 東京都港区西麻布 旧、東京府東京市麻布区 子供: 一人娘の「カリナ」がいます。 今回、デヴィ夫人の記事を書く上で可能な限りに事実に近い物を書きたく何回も精査して読み返して書いたつもりですが、中には事実と相違する点が有りましたら何卒にご了承くださいませ。 デヴィ夫人の生まれてから、これまでの人生を振り返って見ました。 デヴィ夫人の年表です。 西暦 年齢 出来事 1940年 2月6日 0 根本奈保子 ねもとなおこ として生まれる。 ?? ?? 弟の八曾男 やそお? がいるが、生まれ年月日は不明です。 大東亜戦争 太平洋戦争 期間中 ? 母・姉・弟の3人で福島県に疎開してた。 1955年3月 15 東京都港区立高陵中学校 卒業 1955年4月 15 旧、千代田生命保険会社 ジブラルタ生命保険 に入社 東京都立三田高等学校 定時制部 入学 1956年?月 16 父の兵七郎が亡くなる 1956年?月 16 高校を中退して生活費の為に休日などにアルバイトを始める。 1957年?月 17 七保子が17歳の時、知人の女性に日本で宝石商を営むジェイムズ・ベッカーを紹介される。 ジェイムズはあっという間に七保子に心を奪われ、毎日のように七保子の知らない世界を色々と見せてくれた。 その大人の世界の中に赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」がありました。 1957年?月 17 ジェイムズ・ベッカーから何回もコパカバーナに連れて貰っている時に、コパカバーナのオーナーの長尾久子から、七奈保子ちゃんここのお店で働いてみないと誘われここで働くことを決心してコパカバーナで働き始めます。 1958年?月 18 お店で東日貿易の社長の久保正雄氏と知り合う。 この久保氏はインドネシアと深く関わる事業を行っていた。 そしてある日のこと、彼が突然「コパは辞めなさい。 お金が必要なら僕がサポートする。 七保子ちゃんに紹介したい人がいる」と言う。 1959年 6月16日 19 七保子は久保と映画を観る約束をしていた。 するとそこへ現れたのが外国の軍人「根本七保子さんですか?ミスター久保から頼まれてきました」案内された場所にいたのが、スカルノ大統だったんです。 1958年?月 19 東日貿易の秘書という触れ込みでインドネシアに行きます。 要は愛人としてですが。 1962年?月 22 当時のスカルノ大統領と結婚をして第3夫人になります。 正式にインドネシア政府から大統領夫人として認定されたのが1965年だったと思います。 1962年?月 22 世間では根本家の娘が日本を捨てたと誹謗中傷が続き、母親は心労の為に亡くなります。 その二日後に実の弟も自ら命を絶ちます。 1965年 9月30日 25 インドネシアで軍事クーデターが起きてスカルノ大統領は失脚して、代わって新しくスハルトが大統領になる。 デヴィ夫人は日本に亡命を希望したが国際的立場上の理由で亡命を断られた。 やむなくフランスに亡命します。 1967年?月 27 人道的配慮により、日本への帰国を許され、慶応病院で長女カリナを出産しました。 カリナはスカルノ元大統領の8番目の子供となります。 再度インドネシアへ帰国を試みますが、許されず、やむなく母子でフランスに渡り、フランス社交界にデビューしました。 1970年?月 30 スカルノ元大統領が亡くなった際には、インドネシア政府から財産の相続権やスカルノ一族としての地位をはく奪されてしまいました 後にインドネシア政府は、第三夫人としてのデヴィ夫人に遺産を分与していますが金額は不明です。 1970年?月 30 芸能活動のようなことを始める様になります。 1974年?月 34 小学館の総合男性誌GORO創刊号にヌード写真を載せます。 1980年?月 40 幼いカリナをフランスに残し単身でインドネシアに帰国します。 このことが13歳のカリナの心に深い傷を残し、カリナとデヴィ夫人の間に溝が生まれていきます。 1990年?月 50 日本で肌を露わにした写真集を出版して話題になります。 しかしこのことが、敬虔なイスラム教徒の多いインドネシア国内で、大きな問題となり、それまで比較的に同情的だった、インドネシア国民のデヴィ夫人に対する態度が一変します。 この写真集はすぐに、インドネシア国内では販売禁止となりました。 これ以降、デヴィ夫人は、インドネシアに足を踏み入れることはなくなってしまいました。 1991年?月 51 ボストンの大学に学んでいたカリナの卒業を機に、アメリカニューヨークでの同居を決意、新居を購入します。 ところが、『母と自分とは別人格』と言い放ち、母親の生き方に批判的だったカリナは、これに同意せず、一時的に失踪してしまいます。 2005年?月 65 カリナとは、その後も長い間に渡り確執が続き、2005年に行われた、カリナとシティバンクのCEOとの結婚式には、母親としてでなく、単なるゲストとして出席を許されただけでした。 デヴィ夫人の知られざる裏の裏を見せます。 デヴィ夫人は、運良くインドネシアのスカルノ大統領に見初められ結婚します。 しかし、インドネシアで軍事クーデターが起きてスカルノ大統領は失脚します。 デヴィ夫人の家族構成は、両親と弟の4人家族だが・・・・? デヴィ夫人の経歴詐称疑惑か? デヴィ夫人が公にしているのに、デヴィ夫人の家族は、両親に弟一人と本人(七保子)長女という 家族構成であり、 この三人が亡くなったことで「日本に身内はいない」と語っていますが。 ところが、彼女の戸籍を調査すると、驚くべき事実が浮かんできたのです。 デヴィ夫人の戸籍には、『父母との続柄変更につき、昭和33年2月14日、筆頭者及ぴ父母との 統柄長女と訂正』と記載されているのです。 これってどう言うことだ? 実は、義理の兄と姉の二人がいるからですよ。 それを隠すために戸籍を変更したようで すね。 根本家の家系図を見ると、デヴィの母親は妻をなくした父に嫁いだ後妻で、異母兄姉が いるのだ。 もちろん、テレビやインタビューの経歴で、この事実が載ることはない。 ある 意味では経歴詐称と言っていいだろう。 だが、間題はそう単純ではなかった。 デヴィが戸籍を抜いた昭和33年(58年)は、スカルノと出会う1年も前だ。 当時、デ ヴィは18歳。 まるで、スカルノと結婚するために事前に「身辺整理」をしたとしか思えな いのだ。 「この『生贄』は、1967年、徳間書店から出版された小説。 『アサヒ芸能』に連載中から、 デヴィ夫人をモデルにしていると、話題になってました。 作者の梶山は、週刊誌でデヴィ関連のスクープも飛ばすほど精 力的に取材をしていただけに、信憑性は高いと評判だった」(某出版社編集者) そこまでデヴィ夫人が、この小説を世に出したくなかったのは、中身を見れば分かる。 主人公の名前は笹倉佐保子。 金ど名誉に執着した女性が、自らの肉体を最大限に利用 し、アルネシア連邦の第3夫人、ビデ夫人(笑)に収まるまでの経緯を描いたものだ。 興味深いでしょう。 スポンサーリンク デヴィ夫人は16歳の時に歯を全部抜いて総入れ歯にしてた。 ? もしこれが本当に事実なら、普通に考えてもまず信じられない事です。 16歳の少女が歯を全部抜いて総入れ歯にしますか? この入れ歯にも、二つの説が有ります。 全部の歯を抜いて総入れ歯にした。 前歯だけ抜いて入れ歯にした。 入れ歯の他に、その後に身体中をいたるところを、父親が大工の職人だけあって本人自身も大工・工事をしたとか。 では、何で16歳の少女が総入れ歯をしたのか? もう、この理由がおわかりの方もいると思いますが。 世間で良く言われてる理由が、 殿方を喜ばせる「お・も・て・な・し」の為らしいです。 まぁ、真相はわかりませんが、 どっちにせよ入れ歯は間違いないでしょう。 赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」ってどんなお店? 在日本大韓民国民団中央本部顧問の町井久之が経営してた店の一つに『コパカバーナ』が有ります。 オーナーは長尾久子さんです。 このコパカバーナは、水割り1杯で大卒の初任給が吹っ飛ぶと言われた高級店なので、海外の要人の接待とか政界人や財界人が頻繁に使っていました。 しかし、後に、財政界の接待の場所を料亭に移行したので経営が・・・・・ ここのお店は水割り1杯で大卒の初任給が吹っ飛ぶと言われる高級店なので、ホステスさんの収入も桁外れに多いです。 その代わり、このお店で働く条件としてお客様と夜のお付き合いが出来るのが条件です。 デヴィ夫人が元スカルノ大統領の第3夫人になった経緯は これには、いくつかの説があります。 元スカルノ大統領がコパカバーナで働くデヴィ夫人こと根本七保子を一目見て気に入ったので愛人として強く要望した。 日本側から根本七保子をある目的に利用するために元スカルノ大統領に紹介した。 元スカルノ大統領が、今度、誰か愛人として女性を紹介してくれと東日貿易社長の久保正雄氏に頼んで根本七保子を元スカルノ大統領に紹介した。 2番より3番の方が有力な説ですかね。 こんな話があります、スカルノは根本を気に入り、インドネシアへ呼ぼうとし、久保は根本に現金500万円と等々力の土地百坪を渡し説得し行かせた。 その後、東日貿易は、インドネシアの戦後賠償ビジネスに食い込み巨額のコミッションを得た。 当時、日本は830億円もの国家賠償をインドネシアに支払いインドネシアはそれで日本から船舶を購入する予定だった為、そうした利権に群がった連中が、この手、あの手と考えていた見たいです。 ここで根本七保子は、したたかさを見せます。 元スカルノ大統領の愛人としてインドネシアに行く条件として幾つかの条件を出します。 大統領側には、愛人で終わるのでは無く、先々で正式な大統領夫人にすること。 日本側には、自らが日本からの賠償金事業の窓口となること。 賠償金ビジネスの窓口での収入は莫大なもので、日本政府や利権事業商社や大手企業とインドネシア政府の連絡担当のような役割を果たし、デヴィ夫人がその時に築いた資産は、数十億を下らないとも言われています。 スカルノ政権末期には、デヴィ夫人を通さずには、日本企業は何のビジネスも進まないという状況だったようです。 因みにデヴィ夫人の弟の八曾男さんが自らガスによる命を絶った原因は二つほどあります。 先に母が亡くなり姉はインドネシアに居るので、独りぼっちになった気持ちが強くなり、世間から毎日の様に姉のことで誹謗中傷されることに精神的に追い詰められ疲れてガスで命を絶つ。 悪い人間に騙されて全財産を騙し取られます。 尚且つ多額の借金が出来たため。 まぁ、どっちかでしょうね。 ? デヴィ夫人の浮気 1963年に、俳優の本郷功次郎と浮気をします。 チョット待ってくださいよ1963年と言えば、元スカルノ大統領は、まだ在任中でデヴィ夫人は第3夫人の頃ですよ。 一体どう言うこと? 1969年に、同じく俳優の津川雅彦と不倫します。 こっちの方はスカルノ大統領が失脚後ですけどね。 この浮気の事実は、ご本人の著書『デヴィ・スカルノ自伝』にデヴィ本人が赤裸々に描いてますので間違い無いでしょう。 デヴィ夫人が暴力沙汰を起こして刑務所に入る。 1992年(平成4年)1月2日にアメリカ合衆国のスキー・リゾート地、コロラド州アスペンで、セルヒオ・オスメニャ第4代フィリピン大統領の孫娘のミニー・オスメニャ(Minnie Osmena)の顔をシャンパングラスで殴打し37針縫う大けがを負わせて傷害罪で逮捕され、禁固60日・罰金700ドルの実刑判決が出て34日間収監される。 金スマの番組に出た時に、そのことを聞かれたデヴィ夫人は、次の様に答えてます。 喧嘩の仲裁に入って、たまたまシャンパングラスが顔に当たっただけよ、あれは事故でしたよとお仰っしゃいました。 もしそうだとしたら警察沙汰にならず済んでるハズが、ても実際は 傷害罪で逮捕されてますからね・・・・! これってどう言う事? しかも、その時にデヴィ夫人が依頼した弁護人の弁護費用が高かすぎるとして、その弁護人を告訴してます。 これも合わせてどう言う事? デヴィ夫人が詐欺騒動を起こす。 1993年に ホテルオークラで国連環境計画支援チャリティを開催。 収益金の10万ドルを寄付 したと出席者に手紙を出しながら、 出席者が国連に確認したところ、寄付していなかった ことが発覚、大騒動になった。 「大体、デヴィ夫人の動物保護の見識など、オスロットという豹の貴重種の毛皮を自慢そ うに着ていることで分かる。 このチャリティも主賓に国運環境計画北米局長が来るという のがウリだったのに、実際は呼んでもいなかった。 騒ぎにならなかったら着服する気だっ たと言われても仕方ない」(雑誌編集者) これに関連した画像として。 デヴィ夫人の『芸能界のご意見番』 そもそもデヴィ夫人がワイドショーに出演するようになったのは、96年、あの松田聖子 のヌード写真集騒動のときからだ。 「コーディネーター役を引き受けたデヴィ夫人が、写真集を出版せずトンズラこいた聖子 に向かって、『あんな三流タレント』とか『愛人と遊んでいた』とか、ケチョンケチョ ンにこき下ろしたでしょ。 それに目をつけた日テレのブロデューサーが、去年の末、芸能 ニュース特番に出演させたところ、これが喋る喋るで、予想以上の高視聴率になったんで す」(前出・ワイドショー関係者) デヴィ夫人の誰お構いなく、それこそ芸能界のご意見番の如くの発言には目に余るのがあります。 もうご高齢ですので、静かになさった方がよろしいかと存じます。 最後まで見ていただき、本当に、 本当に、ありがとうございます。

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デビィ夫人の子供はカリナさんで、イケメンの孫はキラン君!

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最近、マスコミがぬるま湯に浸かったようにつまらなくなり、ネットで面白い記事を探していたら、デビィ・スカルノ夫人のブログを見つけました。 三輪明宏さんの会話も面白いですが、夫人はもっと面白いというと失礼ですが、個性豊かな方のようです。 右翼の街宣車(?)がやかましいので、抗議するため口論になったが、警察が入り、傷害罪(花瓶を投げた?)にかかりそうになり、結局、事実はないので立件できずに終わった(?)ということの次第がブログで書かれていました。 北朝鮮に行ったことや、旧日本軍による残虐行為の写真がブログにも掲載されてあり、そのことが、右翼を刺激して、警察も刺激した(?)ようなのですが、テレビの飾りのような芸能人や、マスコミのレポーター・司会者とは一線を画する、一種の英傑なのでしょう。 もともと、世界的な知名度を有するスカルノ大統領の夫人なのですから、当然、日常人とは異なる感覚であるのでしょうが、言動が北朝鮮寄りであることは確かでしょう。 私は、拉致問題は、すでに国内問題になっているのではないかと思います。 というのは、つまり、北朝鮮と戦争をしてでも拉致被害者を救済しなければ問題は解決しないというようなところまで、世論は突き進んでいます。 外交問題であるよりも、国内でこれだけ問題がこじれていると、まともな外交交渉はできないでしょう。 戦前並みの外交水準というべきでしょう。 戦争をしなければどうしようもなかったというのが、あの論文の主張ですが、外交はもっと柔軟であるべきでしょう。

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デヴィ夫人の知られざる隠されてた!裏の裏の事実を見て見ませんか?

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総入れ歯にした理由は、高級クラブに来るお客様の接待のため。 そう、コパカバーナというクラブは海外の政治家などいわゆるVIPが来る高級クラブでしたが、普通のクラブという側面を持ちながら、働いている女性が口や体を使ってサービスをするお店でもあったんですね。 そのため夫人はお客さんの体を傷つけないように、歯が悪いわけではないけれど全て入れ歯にしたんだそう。 当時はお父様も亡くなりお母さまは内職をしながら借金を返していたというので、どうしても高いお給料が頂ける高級なクラブで働く必要があったのかもしれませんね。 ちなみにコパカバーナでのお給料は、当時のサラリーマンの50~60倍であったというから驚きです。 海外への渡航がまだ自由化されていなかった1960年代当初、日本人で初めて遠く離れたインドネシアの大統領夫人となったデヴィ夫人は、マスコミを中心に世間から注目される存在となります。 そしてその注目はやがて夫人のご家族にも向けられることに。 かねてから病弱だった母・政子さんは相次ぐマスコミへの対応で心労が溜まるようになり、夫人が危篤の知らせを受けてから40日後に急死しました。 さらには悲しみに暮れる夫人に追い打ちをかけるようにして、その2日後に今度は弟の八曾男さんがガス自殺。 理由はセールスマンに全財産を騙しとられてしまったこと、そして母政子さんの死に目に会えなかったことでした。 姉であるデヴィ夫人に迷惑はかけられないと警察にも相談できず、一人思い詰められての発作的なことだったそうです。 後に夫人は「この2つの出来事は、いつまでも心を離れない悲しいトラウマになっている」と語っています。 それまでずっとご家族のために生きてきた夫人にとっては、他人には想像もできないような喪失感だったことでしょう。 デヴィ夫人は2017年初頭にあるテレビ番組の中で、多数の出演者が真逆の意見を言うのに関わらず、ハッキリと「北朝鮮が好きだ」という発言をしています。 理由としては、過去に大統領夫人とうい立場で北朝鮮を訪れたこと、北朝鮮が主催する式典に出席を重ねていることもあるよう。 国家の現状を自分の目で見た上で、日本のメディアは過激に報道し過ぎている、というのが彼女の意見。 日本人拉致事件や人工衛星のテスト問題には北朝鮮擁護の立場から発言を続けています。 しかし、非常に繊細な問題なので番組終了後には多くの視聴者から非難が殺到したと言います。 ただ、彼女によれば「拉致は許されないことでありこれを肯定したはことない。 そういったコメントをする人達はブログをきちんと読んでおらず、心外だ。 」ということ。 拉致に関しては傷ついた人が大勢いるので何とも言えませんが、国際感覚に優れている彼女だからこそ、人とは違ったものが見えているということでしょうか。 どちらにしても、自分の意見をはっきり言う姿勢は崩したことがないようですね。 また、2013年に行われた「朝鮮学校はずしにNO! すべての子どもたちに学ぶ権利を! 31全国集会&パレード」では、在日朝鮮人への安倍総理の政策に疑問と義憤の念で溢れていると発言しています。 北朝鮮に対しての発言では批判を浴びてしまった彼女ですが、ご自身が代表を務めるNPO法人・ESRTH AID SOCIETY アースエイドソサエティ では、「あらゆる命に思いやりを持ち、民族や宗教・歴史に関わらずに兄弟愛で結ばれる」というスローガンのもと、現在までに様々な活動をしています。 一例としては世界各国の団体への人道的支援、動物愛護、災害援助など。 個人的にも国際環境計画にも寄付を送っており、国家のことを語る背景にはその渦中にいる国民を思っての感情があるのかもしれません。

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