いし はら みやび。 【あつ森】みやびのレシピ家具と来ない時の招待方法と注意点【あつまれどうぶつの森】

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いし はら みやび

「国宝とは何者ぞ、宝とは道心なリ。 道心ある人を名づけて国宝と為 な す。 」これは伝教大師(最 澄》の著した『山家学生式 さんげがくしょうしき 』の冒頭部分です。 国宝とは何でしょうか。 ここにいう宝とは、仏道を求め、道を修めようとする心です。 その心ある人を国宝と名づけています。 同様に斉の威王は「径寸十枚(直径が一寸もある宝石が十個)は国宝とは言えません。 一隅を照らす人こそ国宝です」 と言っています。 さらに伝教大師は、釈迦の教えの中に、僧侶には「小乗の類」と「大乗の類」の 二種類あると言い、「道心ある仏、弟子、即ちこれは大乗の類なり」と言われました。 また、『末灯鈔 まっとうしょう 』には、「浄土真宗は大乗の中の至極なり」と、我々の宗祖である親鸞聖人のお言葉が記されています。 親鸞聖人は一一八一(養和元)年九歳で得度されています。 それは道を求めるという出発点です。 その頃は大変な飢饉が起こったそうで、京都の加茂川が死体でいっばいに溢れたそうです。 その時の様子を『方丈記 ほうじょうき 』には、「親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先たちける。 又母の命つきたるを不知(しらず)して、いとけなき子の、なほ乳をすひつゝ臥せるなどもありけり。 (中略)すべて四万二千三百余りなんありける(『方丈記』鴨長明 著 と、当時の悲惨な光景が如実に記されています。 普通、食べ物が無い時でしたら、小さな弱い子どもから先に死んでいくものだと思いますが、「親ぞ先立ちける」とありますから、子供よりも先に親が死んで行ったのです。 それは、親は自分が食べるよりも先に、子どもに食べさせたからです。 そして自分は飢え死にする。 子どもに何とか生き伸びてほしいから、自分は食べずに子どもに全部与える。 だから親が先に死んでしまうのです。 そして、幼児は、お母さんが死んでしまったことも知らず、けなげにもなお、お母さんの乳を吸っているというのです。 その数、「四万二千三百余り」です。 これは一ケ月間のことだとあります。 四万二千三百人余り」が亡くなっているのです。 実は、親鸞聖人が得度した頃は、こういう世の中だったのです。 まさに地獄そのものです。 親鸞聖人の道を求める出発点には、こういう情景が、その幼い眼 まなこ に、しっかりと焼き付けられていたのだと思います。 「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」 これは、親鸞聖人が『唯信鈔 ゆいしんしょう 文意 もんい 』に書かれたお言葉です。 「いし・かわら・つぶて」とは、その日の生活もままならない、当時の身分制度のうえで最下層とされたような人々や、善根を積むどころか、生きるためには、悪事さえもあえてしなくてはならない一般民衆の人たちのことです。 親鸞聖人はそういう人たちと共に「われら」として生きられたのです。 親鸞聖人は、自分一人の努力で親鸞聖人になられたのではなく、「いし・かわら・つぶてのごとくなる」人たち、そのような親鸞聖人をとりまく無数の人たちが浄土を課題とする親鸞聖人という人を生んでくださったのだと思います。 国宝とは、まさにこのような人たちをいうのではないでしょうか。 そのことが、私に、仏道を求めようとする心を起こさせ、歩むべき道を照らし示してくださっているのだと思います。 證大寺 森林公園支坊 佐治敬順.

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鮨処いし原

いし はら みやび

万葉集 巻二 (1) 巻二 85〜140 萬葉集 巻第二 相聞 さうもん 難波 なには の 高津 たかつ の 宮 みや に 天 あめ の 下 した 知 し らしめす 天皇 すめらみこと の 代 みよ 大鷦鷯天皇 おほさざきのすめらみこと 、 諡 おくりな して 仁徳天皇 にんとくてんわう といふ 磐姫皇后 いはのひめのおほきさき 、 天皇 すめらみこと を 思 しの ひて作らす歌四首 85 君が行き 日 け 長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ 右の一首は、山上臣憶良が 類 るい 聚 じう 歌 か 林 りん に 載 の す。 86 かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐 いは 根 ね し 枕 ま きて 死なましものを 87 ありつつも 君をば待たむ うち 靡 なび く 我が 黒髪 くろかみ に 霜の置くまでに 88 秋の田の 穂 ほ の 上 へ に 霧 き らふ 朝 あさ 霞 かすみ いつへの 方 かた に 我が恋やまむ 或本の歌に 曰 い はく 89 居 ゐ 明 あ かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも 右の一首は、古歌集の 中 うち に出づ。 古事記に曰はく 軽太子 かるのひつぎのみこ 、 軽太郎女 かるのおほいらつめ に たは く。 この 故 ゆゑ にその太子を伊予の湯に流す。 この時に、 衣通王 そとほりのおほきみ 、 恋 し 慕 の ひ 堪 あ へずして追ひ 往 ゆ く時に、歌ひて曰はく 90 君が行き 日 け 長くなりぬ 山 やま たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ ここに山たづといふは、今の 造木 みやつこぎ をいふ 右の一首の歌は、古事記と 類 るい 聚 じう 歌 か 林 りん と 説 い ふ所同じくあらず、歌の 主 ぬし もまた 異 こと なり。 よりて日本紀に 検 ただ すに、曰はく、「難波の高津の宮に天の下知らしめす 大鷦鷯天皇 おほさざきのすめらみこと の二十二年の春の正月に天皇、 皇后 おほきさき に語りて、 八田皇 やたのひめみこ 女を 納 めしい れて妃とせむとしたまふ。 時に、皇后 聴 うけうる さず。 ここに天皇 歌 みうた よみして皇后に乞ひたまふ 云々 しかじか。 三十年の秋の九月 乙卯 きのとう の 朔 つきたち の 乙丑 きのとうし に、皇后 紀伊 き の国に 遊行 いでま して熊野の岬に到りてその処の 御綱葉 みつなかしは を取りて 還 まゐかへ る。 ここに天皇、皇后の 在 いま さぬを 伺 うかか ひて 八田皇女 やたのひめみこ を 娶 め して 宮 おほみや の中に 納 めしい れたまふ。 時に、皇后 難波 なには の 済 わたり に到りて、天皇の八田皇女を 合 め しつと聞きて大きに恨みたまふ云々」といふ。 また曰はく、「遠つ飛鳥の宮に天の下知らしめす 雄朝嬬稚子宿禰天皇 をあさづまわくごのすくねのすめらみこと の二十三年の春の三月 甲午 きのえうま の 朔 つきたち の 庚子 かのえね に、 木梨軽皇子 きなしのかるのみこ を太子となす。 容姿 かたち 佳麗 きらきら しく見る 者 ひと おのづからに 感 め づ。 同母妹 いろも 軽太娘皇女 かるのおほいらつめのひめみこ もまた 艶妙 かほよ し云々。 つひに 竊 ひそ かに 通 あ ふ。 すなはち 悒懐 いきどほり 少しく 息 や む。 二十四年の夏の六月に、 御羹 みあつもの の汁 凝 こ りて 氷 ひ となる。 天皇 異 あや しびてその 所由 よし を 卜 うら へしめたまふ。 卜 うら 者 へ の曰さく、『内の 乱 みだれ 有り。 けだしくは 親々相 はらがらどちたは けたるか云々』とまをす。 よりて、太娘皇女を伊予に移す」といふ。 今 案 かむが ふるに、二代二時にこの歌を見ず。 近江 あふみ の 大津 おほつ の 宮 みや に 天 あめ の 下 した 知らしめす天皇の代 天命開別天皇 あめみことひらかすわけのすめらみこと 、 諡 おくりな して 天智 てんじ 天皇 てんわう といふ 天皇、 鏡王女 かがみのおほきみ に賜ふ御歌一首 91 妹が家も 継ぎて見ましを 大和 やまと なる 大島の 嶺 ね に 家もあらましを 鏡王女 かがみのおほきみ 、 和 こた へ 奉 まつ る御歌一首 92 秋山の 木 こ の 下 した 隠 がく り 行く水の 我れこそ増さめ 思ほすよりは 内大臣 うちのおほまへつきみ 藤原卿 ふぢはらのまへつきみ 、 鏡王女 かがみのおほきみ を 娉 つまど ふ時に、鏡王女が内大臣に贈る歌一首 93 玉 たま 櫛 くし 笥 げ 覆 おほ ひを 易 やす み 明けていなば 君が名はあれど 我が名し惜しも 内大臣 うちのおほまへつきみ 藤原卿 ふぢはらのまへつきみ 、 鏡王女 かがみのおほきみ に 報 こた へ贈る歌一首 94 玉 たま 櫛 くし 笥 げ みもろの山の さな 葛 かづら さ 寝 ね ずはつひに 有りかつましじ 内大臣 うちのおほまへつきみ 藤原卿 ふぢはらのまへつきみ 、 采女 うねめ 安見児 やすみこ を 娶 めと る時に作る歌一首 95 我れはもや 安 やす 見 み 児 こ 得たり 皆 みな 人 ひと の 得かてにすといふ 安見児得たり 久米禅師 くめのぜんじ 、 石川郎女 いしかはのいらつめ を 娉 つまど ふ時の歌五首 96 み 薦 こも 刈 か る 信濃 しなの の 真弓 まゆみ 我が引かば 貴 うま 人 ひと さびて いなと言はむかも 禅師 97 み薦刈る 信濃の 真弓 まゆみ 引かずして 弦 を はくるわざを 知ると言はなくに 郎女 98 梓 あづさ 弓 ゆみ 引かばまにまに 寄らめども 後 のち の心を 知りかてぬかも 郎女 99 梓 あずさ 弓 ゆみ 弦緒 つらを 取りはけ 引く人は 後 のち の心を 知る人ぞ引く 禅師 100 東 あずま 人 ひと の 荷 の 前 さき の箱の 荷 に の 緒 を にも 妹 いも は心に 乗りにけるかも 禅師 大伴宿禰 おほとものすくね 、 巨勢郎女 こせのいらつめ を 娉 つまど ふ時の歌一首 大伴宿禰、 諱 いみな を 安麻呂 やすまろ といふ。 難波 なには の 朝 みかど の 右大臣 みぎのおほまへつきみ 大紫 だいし 大伴長徳卿 おほとものながとこのまへつきみ が第六子、 平城 なら の 朝 みかど に大納言兼大将軍に 任 ま けらえて 薨 こう ず 101 玉 たま 葛 かづら 実 み ならぬ木には ちはやぶる 神ぞつくとふ ならぬ木ごとに 巨勢郎女 こせのいらつめ 、 報 こた へ贈る歌一首 すなはち 近江 あふみ の 朝 みかど の大納言 巨勢人卿 こせのひとのまへつきみ が 女 むすめ なり 102 玉 たま 葛 かづら 花のみ咲きて ならざるは 誰 た が恋ならめ 我は恋ひ思ふを 明日香 あすか の 清 きよ 御 み 原 はら の 宮 みや に 天 あめ の 下 した 知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇 あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと 、 諡 おくりな して 天武天皇 てんむてんわう といふ 天皇、 藤原夫人 ふぢはらのぶにん に賜ふ御歌一首 103 我が里に 大雪 おほゆき 降れり 大原 おほはら の 古 ふ りにし里に 降らまくは 後 のち 藤原夫人、 和 こた へ 奉 まつ る歌一首 104 我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけ む 藤原 ふぢはら の 宮 みや に 天 あめ の 下 した 知らしめす天皇の代 高天原広野姫天皇 たかまのはらひろのひめのすめらみこと 、 諡 おくりな して持統天皇といふ。 元年 丁亥 ひのとい の十一年に位を 軽太子 かるのひつぎのみこ に譲り、尊号を 太上天皇 おほきすめらみこと といふ 大津皇子 おほつのみこ 、 竊 ひそ かに 伊勢の神宮に 下 くだ りて、 上 のぼ り 来 く る時に、 大伯皇女 おほくのひめみこ の作らす歌二首 105 我が 背 せ 子 こ を 大和 やまと へ 遣 や ると さ 夜 よ 更 ふ けて 暁露 あかときつゆ に 我が立ち 濡 ぬ れし 106 ふたり 行 ゆ けど 行き過ぎかたき 秋山を いかにか君が ひとり 越 こ ゆらむ 大津皇子 おほつのみこ 、 石川郎女 いしかはのいらつめ に贈る御歌一首 107 あしひきの 山のしづくに 妹 いも 待つと 我れ立ち 濡 ぬ れぬ 山のしづくに 石川郎女 いしかはのいらつめ 、 和 こた へ 奉 まつ る歌一首 108 我 あ を待つと 君が 濡 ぬ れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを 大津皇子 おほつのみこ 、 竊 ひそ かに 石川郎女 いしかはのいらつめ に 婚 あ ふ時、 津守連通 つもりのむらじとほる その事を 占 うら へ 露 あら はすに、皇子の作りましし御歌一首 109 大船 おほぶね の 津 つ 守 もり が 占 うら に 告 の らむとは まさしに知りて 我がふたり寝し 日並皇子尊 ひなみしのみこのみこと 、 石川郎女 いしかはのいらつめ に贈り賜ふ御歌一首 女郎、 字 あざな を 大名児 おおなこ といふ 110 大名児 おほなこ を 彼方 をちかた 野辺 のへ に 刈る 草 かや の 束 つか の 間 あひだ も 我れ忘れめや 吉野の宮に 幸 いで す時に、 弓削皇子 ゆげのみこ が 額田王 ぬかたのおほきみ に 贈与 おく る歌一首 111 いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉 ゆづるは の 御 み 井 ゐ の 上 うへ より 鳴き渡り行く 額田王、 和 こた へ 奉 まつ る歌一首 倭 やまと の京より 進 たてまつ り入る 112 いにしへに 恋 こ ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が 恋 こ ふるごと 吉野より 蘿 こけ 生 む す松が 枝 え を折り取りて 遺 おく る時に、 額田王 ぬかたのおほきみ が 奉 たてまつ り入るる歌一首 113 み吉野の 玉 松 まつ が 枝 え は はしきかも 君が 御 み 言 こと を 持ちて 通 かよ はく 但馬皇女 たぢまのひめみこ 、 高市皇子 たけちのみこ の宮に 在 いま す時に、 穂積皇子 ほづみのみこ を 思 しの ひて作らす歌一首 114 秋の田の 穂 ほ 向 む きの寄れる 片 かた 寄 よ りに 君に寄りなな 言痛 こちた くありとも 穂積皇子 ほづみのみこ に 勅 みことのり して、 近江 あふみ の 志賀の山寺に 遣 つか はす時に、 但馬皇女 たぢまのひめみこ の作らす歌一首 115 後 おく れ 居 ゐ て 恋ひつつあらずは 追ひ 及 し かむ 道の 隈 くま みに 標 しめ 結 ゆ へ我が 背 せ 但馬皇女 たぢまのにめみこ 、 高市皇子 たけちのみこ の宮に 在 いま す時に、 竊 ひそ かに 穂積皇子 ほづみのみこ に 接 あ ひ、事すでに 形 あら はれて作らす歌一首 116 人 ひと 言 ごと を 繁 しげ み 言痛 こちた み おのが世に いまだ渡らぬ 朝 あさ 川 かは 渡る 舎人皇子 とねりのみこ の御歌一首 117 ますらをや 片恋 かたこひ せむと 嘆けども 醜 しこ のますらを なほ恋ひにけり 舎人娘子 とねりのをとめ 、 和 こた へ 奉 まつ る歌一首 118 嘆きつつ ますらをのこの 恋 こ ふれこそ 我が 結 ゆ ふ髪の 漬 ひ ちてぬれけれ 弓削皇子 ゆげのみこ 、 紀皇女 きのひめみこ を 思 しの ふ御歌四首 119 吉野 よしの 川 かは 行く瀬を早み しましくも 淀 よど むことなく ありこせぬかも 120 我妹子 わぎもこ に 恋ひつつあらずは 秋 あき 萩 はぎ の 咲きて散りぬる 花にあらましを 121 夕 ゆう さらば 潮 しお 満 み ち 来 き なむ 住吉 すみよし の 浅 あさ 香 か の 浦 うら に 玉 たま 藻 も 刈 か りてな 122 大船 おほぶね の 泊 は つる 泊 とま りの たゆたひに 物 思 も ひ 瘠 や せぬ 人の子 故 ゆゑ に 三方沙弥 みかたのさみ 、 園臣生羽 そののおみいくは が 女 むすめ を 娶 めと りて、 幾 いく 時 だ も経ねば、病に 臥 ふ して作る歌三首 123 たけばぬれ たかねば長き 妹 いも が 髪 かみ このころ見ぬに 掻 か き入れつらむか 三方沙弥 124 人 皆 みな は 今は長しと たけと言へど 君が見し 髪 かみ 乱れたりとも 娘子 125 橘 たちばな の 蔭 かげ 踏 ふ む道の 八衢 やちまた に 物をぞ思ふ 妹 いも に逢はずして 三方沙弥 石川郎女 いしかはのいらつめ 、 大伴宿禰田主 おほとものすくねたぬし に贈る歌一首 すなはち 佐保 さほ 大納言大伴卿の第二子、母を 巨勢朝臣 こせのあそみ といふ 126 風流士 みやびを と 我れは聞けるを やど貸さず 我れを帰せり おその 風流士 みやびを 大伴田主 おほとものたぬし 、 字 あざな を 仲郎 ちうらう といふ。 容姿 ようし 佳艶 かえん 、風流秀絶、見る人聞く人、嘆息せずといふことなし。 時に、石川郎女といふひと有り。 みづから 雙栖 さうせい の 感 おもひ を成し、つねに 独守 どくしゆ の 難 かたき を悲しぶ。 意 こころ に書を寄せむと 欲 おも へども 良信 りやうしん に逢はず。 ここに 方便 はうべん を 作 な して、 賤 いや しき 嫗 おみな に似せ、おのれ 子 なべ を 提 さ げて 寝 ねや の 側 かたはら に到り、 哽音 かうおん? 足 ちやくそく し戸を叩きて 諮 はか りて曰はく、「東隣の貧しき女、火を取らむとして 来 きた る」といふ。 ここに、仲郎、暗き 裏 うち に 冒隠 ぼういん の形を 識 し らず、 慮 おもひ の 外 ほか に 拘接 こうせふ の 計 はかりごと に 堪 あ へず。 念 おもひ のまにまに火を取り、 跡 あと に就きて帰り去らしむ。 明けて 後 のち に、郎女、すでに 自媒 じばい の 愧 は づべきことを恥ぢ、また 心契 しんけい の 果 みの らぬことを恨む。 よりて、この歌を作りて 謔戯 きやくき を贈る。 大伴宿禰田主 おほとものすくねたぬし 、 報 こた へ贈る歌一首 127 風流士 みやびを に 我れはありけり やど貸さず 帰しし我れぞ 風流士にはある 同じ石川郎女 いしかはのいらつめ 、さらに 大伴田主仲郎 おほとものたぬしちうろう に贈る歌一首 128 我が聞きし 耳によく似る 葦 あし の 末 うれ の 足 あし ひく我が 背 せ つとめ 給 た ぶべし 右は、仲郎の 足 あし 疾 やまひ に依りて、この歌を贈りて 問訊 とぶら へるぞ。 大津皇子 おほつのみこ の宮の 侍 まかだち 石川郎女 いしかはのいらつめ 、 大伴宿禰宿奈麻呂 おほとものすくねすくなまろ に贈る歌一首 郎女、 字 あざな を山田郎女といふ。 宿奈麻呂宿禰は、大納言兼大将軍の卿が第三子なり 129 古 ふ りにし 嫗 おみな にしてや かくばかり 恋に沈まむ たわらはのごと 長皇子 ながのみこ 、皇弟に 与 おく る御歌一首 130 丹生 にふ の川 瀬は渡らずて ゆくゆくと 恋 こひ 痛 た し我が背 いで 通 かよ ひ 来 こ ね 柿本朝臣人麻呂、 石見 いはみ の国より妻に別れて 上 のぼ り来る時の歌二首并せて短歌 131 石見 いはみ の 海 うみ 角 つの の 浦 うら みを 浦なしと 人こそ見らめ 潟 かた なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟 かた はなくとも 鯨魚 いさな 取 と り 海辺 うみへ を指して 和田 にきた 津 づ の 荒磯 ありそ の 上 うへ に か 青 あを く 生 お ふる 玉 たま 藻 も 沖つ藻 朝 あさ 羽 は 振 ふ る 風こそ寄らめ 夕 ゆふ 羽振る 波こそ 来 き 寄れ 波の 共 むた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露 つゆ 霜 しも の 置きてし 来 く れば この道の 八十 やそ 隈 くま ごとに 万 よろづ たび かへり見すれど いや 遠 とほ に 里は 離 さか りぬ いや 高 たか に 山も越え来ぬ 夏草 なつくさ の 思ひ 萎 しな えて 偲 しの ふらむ 妹が 門 かど 見む 靡 なび けこの山 反歌二首 132 石 いは 見 み のや 高 たか 角 つの 山 やま の 木 こ の 間 ま より 我が振る袖を 妹 いも 見つらむか 133 笹 ささ の葉は み山もさやに さやけども 我れは妹思ふ 別れ 来 き ぬれば 或本の反歌に曰はく 134 石見 いはみ にある 高 たか 角 つの 山 やま の 木 こ の 間 ま ゆも 我が袖振るを 妹見けむかも 135 つのさはふ 石見 いはみ の海の 言 こと さへく 唐 から の崎なる 海石 いくり にぞ 深海松 ふかみる 生 お ふる 荒磯 ありそ にぞ 玉 たま 藻 も は生ふる 玉藻なす 靡 なび き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し 夜 よ は 幾時 いくだ もあらず 延 は ふ 蔦 つた の 別れし来れば 肝 きも 向 むか ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船 おおぶね の 渡 わたり の山の 黄葉 もみちば の 散りの 乱 まが ひに 妹 いも が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋 や 上 かみ の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠 かく らひ来れば 天 あま 伝 づた ふ 入日さしぬれ ますらをと 思へる我れも 敷 しき 栲 たへ の 衣 ころも の袖は 通りて濡れぬ 反歌二首 136 青 あを 駒 こま が 足 あ 掻 が きを 速 はや み 雲 くも 居 ゐ にぞ 妹 いも があたりを 過ぎて来 にける 137 秋山に 散らふ 黄葉 もみちば しましくは な散り 乱 まが ひそ 妹 いも があたり見む 或本の歌一首 并 あは せて短歌 138 石見 いはみ の 海 うみ 津 つ の 浦 うら をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟 かた なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨 いさな 魚取り 海 うみ 辺 へ を指して 和田 にき 津 づ の 荒 あり 磯 そ の 上 うへ に か 青 あを く 生 お ふる 玉 たま 藻 も 沖つ藻 明け 来 く れば 波こそ来寄れ 夕 ゆふ されば 風こそ来寄れ 波の 共 むた か寄りかく寄る 玉藻なす 靡 なび き我が寝し 敷 しき 栲 たへ の 妹が 手本 たもと を 露 つゆ 霜 しも の 置きてし 来 く れば この道の 八十 やそ 隈 くま ごとに 万 よろづ たび かへり見すれど いや 遠 とほ に 里 離 さか り 来 き ぬ いや 高 たか に 山 や も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草 なつくさ の 思ひ 萎 しな えて 嘆くたむ 角 つの の里見む 靡けこの山 反歌一首 139 石見 いはみ の 海 うみ 打歌 うつた の山の 木 こ の 間 ま より 我が振る袖を 妹見つらむか 柿本朝臣人麻呂が妻 依羅娘子 よさみのをとめ 、人麻呂と相別るる歌一首 140 な思ひと 君は言へども 逢はむ時 いつと知りてか 我が恋ひずあらむ.

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いし はら みやび

万葉集 巻二 (1) 巻二 85〜140 萬葉集 巻第二 相聞 さうもん 難波 なには の 高津 たかつ の 宮 みや に 天 あめ の 下 した 知 し らしめす 天皇 すめらみこと の 代 みよ 大鷦鷯天皇 おほさざきのすめらみこと 、 諡 おくりな して 仁徳天皇 にんとくてんわう といふ 磐姫皇后 いはのひめのおほきさき 、 天皇 すめらみこと を 思 しの ひて作らす歌四首 85 君が行き 日 け 長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ 右の一首は、山上臣憶良が 類 るい 聚 じう 歌 か 林 りん に 載 の す。 86 かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐 いは 根 ね し 枕 ま きて 死なましものを 87 ありつつも 君をば待たむ うち 靡 なび く 我が 黒髪 くろかみ に 霜の置くまでに 88 秋の田の 穂 ほ の 上 へ に 霧 き らふ 朝 あさ 霞 かすみ いつへの 方 かた に 我が恋やまむ 或本の歌に 曰 い はく 89 居 ゐ 明 あ かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも 右の一首は、古歌集の 中 うち に出づ。 古事記に曰はく 軽太子 かるのひつぎのみこ 、 軽太郎女 かるのおほいらつめ に たは く。 この 故 ゆゑ にその太子を伊予の湯に流す。 この時に、 衣通王 そとほりのおほきみ 、 恋 し 慕 の ひ 堪 あ へずして追ひ 往 ゆ く時に、歌ひて曰はく 90 君が行き 日 け 長くなりぬ 山 やま たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ ここに山たづといふは、今の 造木 みやつこぎ をいふ 右の一首の歌は、古事記と 類 るい 聚 じう 歌 か 林 りん と 説 い ふ所同じくあらず、歌の 主 ぬし もまた 異 こと なり。 よりて日本紀に 検 ただ すに、曰はく、「難波の高津の宮に天の下知らしめす 大鷦鷯天皇 おほさざきのすめらみこと の二十二年の春の正月に天皇、 皇后 おほきさき に語りて、 八田皇 やたのひめみこ 女を 納 めしい れて妃とせむとしたまふ。 時に、皇后 聴 うけうる さず。 ここに天皇 歌 みうた よみして皇后に乞ひたまふ 云々 しかじか。 三十年の秋の九月 乙卯 きのとう の 朔 つきたち の 乙丑 きのとうし に、皇后 紀伊 き の国に 遊行 いでま して熊野の岬に到りてその処の 御綱葉 みつなかしは を取りて 還 まゐかへ る。 ここに天皇、皇后の 在 いま さぬを 伺 うかか ひて 八田皇女 やたのひめみこ を 娶 め して 宮 おほみや の中に 納 めしい れたまふ。 時に、皇后 難波 なには の 済 わたり に到りて、天皇の八田皇女を 合 め しつと聞きて大きに恨みたまふ云々」といふ。 また曰はく、「遠つ飛鳥の宮に天の下知らしめす 雄朝嬬稚子宿禰天皇 をあさづまわくごのすくねのすめらみこと の二十三年の春の三月 甲午 きのえうま の 朔 つきたち の 庚子 かのえね に、 木梨軽皇子 きなしのかるのみこ を太子となす。 容姿 かたち 佳麗 きらきら しく見る 者 ひと おのづからに 感 め づ。 同母妹 いろも 軽太娘皇女 かるのおほいらつめのひめみこ もまた 艶妙 かほよ し云々。 つひに 竊 ひそ かに 通 あ ふ。 すなはち 悒懐 いきどほり 少しく 息 や む。 二十四年の夏の六月に、 御羹 みあつもの の汁 凝 こ りて 氷 ひ となる。 天皇 異 あや しびてその 所由 よし を 卜 うら へしめたまふ。 卜 うら 者 へ の曰さく、『内の 乱 みだれ 有り。 けだしくは 親々相 はらがらどちたは けたるか云々』とまをす。 よりて、太娘皇女を伊予に移す」といふ。 今 案 かむが ふるに、二代二時にこの歌を見ず。 近江 あふみ の 大津 おほつ の 宮 みや に 天 あめ の 下 した 知らしめす天皇の代 天命開別天皇 あめみことひらかすわけのすめらみこと 、 諡 おくりな して 天智 てんじ 天皇 てんわう といふ 天皇、 鏡王女 かがみのおほきみ に賜ふ御歌一首 91 妹が家も 継ぎて見ましを 大和 やまと なる 大島の 嶺 ね に 家もあらましを 鏡王女 かがみのおほきみ 、 和 こた へ 奉 まつ る御歌一首 92 秋山の 木 こ の 下 した 隠 がく り 行く水の 我れこそ増さめ 思ほすよりは 内大臣 うちのおほまへつきみ 藤原卿 ふぢはらのまへつきみ 、 鏡王女 かがみのおほきみ を 娉 つまど ふ時に、鏡王女が内大臣に贈る歌一首 93 玉 たま 櫛 くし 笥 げ 覆 おほ ひを 易 やす み 明けていなば 君が名はあれど 我が名し惜しも 内大臣 うちのおほまへつきみ 藤原卿 ふぢはらのまへつきみ 、 鏡王女 かがみのおほきみ に 報 こた へ贈る歌一首 94 玉 たま 櫛 くし 笥 げ みもろの山の さな 葛 かづら さ 寝 ね ずはつひに 有りかつましじ 内大臣 うちのおほまへつきみ 藤原卿 ふぢはらのまへつきみ 、 采女 うねめ 安見児 やすみこ を 娶 めと る時に作る歌一首 95 我れはもや 安 やす 見 み 児 こ 得たり 皆 みな 人 ひと の 得かてにすといふ 安見児得たり 久米禅師 くめのぜんじ 、 石川郎女 いしかはのいらつめ を 娉 つまど ふ時の歌五首 96 み 薦 こも 刈 か る 信濃 しなの の 真弓 まゆみ 我が引かば 貴 うま 人 ひと さびて いなと言はむかも 禅師 97 み薦刈る 信濃の 真弓 まゆみ 引かずして 弦 を はくるわざを 知ると言はなくに 郎女 98 梓 あづさ 弓 ゆみ 引かばまにまに 寄らめども 後 のち の心を 知りかてぬかも 郎女 99 梓 あずさ 弓 ゆみ 弦緒 つらを 取りはけ 引く人は 後 のち の心を 知る人ぞ引く 禅師 100 東 あずま 人 ひと の 荷 の 前 さき の箱の 荷 に の 緒 を にも 妹 いも は心に 乗りにけるかも 禅師 大伴宿禰 おほとものすくね 、 巨勢郎女 こせのいらつめ を 娉 つまど ふ時の歌一首 大伴宿禰、 諱 いみな を 安麻呂 やすまろ といふ。 難波 なには の 朝 みかど の 右大臣 みぎのおほまへつきみ 大紫 だいし 大伴長徳卿 おほとものながとこのまへつきみ が第六子、 平城 なら の 朝 みかど に大納言兼大将軍に 任 ま けらえて 薨 こう ず 101 玉 たま 葛 かづら 実 み ならぬ木には ちはやぶる 神ぞつくとふ ならぬ木ごとに 巨勢郎女 こせのいらつめ 、 報 こた へ贈る歌一首 すなはち 近江 あふみ の 朝 みかど の大納言 巨勢人卿 こせのひとのまへつきみ が 女 むすめ なり 102 玉 たま 葛 かづら 花のみ咲きて ならざるは 誰 た が恋ならめ 我は恋ひ思ふを 明日香 あすか の 清 きよ 御 み 原 はら の 宮 みや に 天 あめ の 下 した 知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇 あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと 、 諡 おくりな して 天武天皇 てんむてんわう といふ 天皇、 藤原夫人 ふぢはらのぶにん に賜ふ御歌一首 103 我が里に 大雪 おほゆき 降れり 大原 おほはら の 古 ふ りにし里に 降らまくは 後 のち 藤原夫人、 和 こた へ 奉 まつ る歌一首 104 我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけ む 藤原 ふぢはら の 宮 みや に 天 あめ の 下 した 知らしめす天皇の代 高天原広野姫天皇 たかまのはらひろのひめのすめらみこと 、 諡 おくりな して持統天皇といふ。 元年 丁亥 ひのとい の十一年に位を 軽太子 かるのひつぎのみこ に譲り、尊号を 太上天皇 おほきすめらみこと といふ 大津皇子 おほつのみこ 、 竊 ひそ かに 伊勢の神宮に 下 くだ りて、 上 のぼ り 来 く る時に、 大伯皇女 おほくのひめみこ の作らす歌二首 105 我が 背 せ 子 こ を 大和 やまと へ 遣 や ると さ 夜 よ 更 ふ けて 暁露 あかときつゆ に 我が立ち 濡 ぬ れし 106 ふたり 行 ゆ けど 行き過ぎかたき 秋山を いかにか君が ひとり 越 こ ゆらむ 大津皇子 おほつのみこ 、 石川郎女 いしかはのいらつめ に贈る御歌一首 107 あしひきの 山のしづくに 妹 いも 待つと 我れ立ち 濡 ぬ れぬ 山のしづくに 石川郎女 いしかはのいらつめ 、 和 こた へ 奉 まつ る歌一首 108 我 あ を待つと 君が 濡 ぬ れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを 大津皇子 おほつのみこ 、 竊 ひそ かに 石川郎女 いしかはのいらつめ に 婚 あ ふ時、 津守連通 つもりのむらじとほる その事を 占 うら へ 露 あら はすに、皇子の作りましし御歌一首 109 大船 おほぶね の 津 つ 守 もり が 占 うら に 告 の らむとは まさしに知りて 我がふたり寝し 日並皇子尊 ひなみしのみこのみこと 、 石川郎女 いしかはのいらつめ に贈り賜ふ御歌一首 女郎、 字 あざな を 大名児 おおなこ といふ 110 大名児 おほなこ を 彼方 をちかた 野辺 のへ に 刈る 草 かや の 束 つか の 間 あひだ も 我れ忘れめや 吉野の宮に 幸 いで す時に、 弓削皇子 ゆげのみこ が 額田王 ぬかたのおほきみ に 贈与 おく る歌一首 111 いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉 ゆづるは の 御 み 井 ゐ の 上 うへ より 鳴き渡り行く 額田王、 和 こた へ 奉 まつ る歌一首 倭 やまと の京より 進 たてまつ り入る 112 いにしへに 恋 こ ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が 恋 こ ふるごと 吉野より 蘿 こけ 生 む す松が 枝 え を折り取りて 遺 おく る時に、 額田王 ぬかたのおほきみ が 奉 たてまつ り入るる歌一首 113 み吉野の 玉 松 まつ が 枝 え は はしきかも 君が 御 み 言 こと を 持ちて 通 かよ はく 但馬皇女 たぢまのひめみこ 、 高市皇子 たけちのみこ の宮に 在 いま す時に、 穂積皇子 ほづみのみこ を 思 しの ひて作らす歌一首 114 秋の田の 穂 ほ 向 む きの寄れる 片 かた 寄 よ りに 君に寄りなな 言痛 こちた くありとも 穂積皇子 ほづみのみこ に 勅 みことのり して、 近江 あふみ の 志賀の山寺に 遣 つか はす時に、 但馬皇女 たぢまのひめみこ の作らす歌一首 115 後 おく れ 居 ゐ て 恋ひつつあらずは 追ひ 及 し かむ 道の 隈 くま みに 標 しめ 結 ゆ へ我が 背 せ 但馬皇女 たぢまのにめみこ 、 高市皇子 たけちのみこ の宮に 在 いま す時に、 竊 ひそ かに 穂積皇子 ほづみのみこ に 接 あ ひ、事すでに 形 あら はれて作らす歌一首 116 人 ひと 言 ごと を 繁 しげ み 言痛 こちた み おのが世に いまだ渡らぬ 朝 あさ 川 かは 渡る 舎人皇子 とねりのみこ の御歌一首 117 ますらをや 片恋 かたこひ せむと 嘆けども 醜 しこ のますらを なほ恋ひにけり 舎人娘子 とねりのをとめ 、 和 こた へ 奉 まつ る歌一首 118 嘆きつつ ますらをのこの 恋 こ ふれこそ 我が 結 ゆ ふ髪の 漬 ひ ちてぬれけれ 弓削皇子 ゆげのみこ 、 紀皇女 きのひめみこ を 思 しの ふ御歌四首 119 吉野 よしの 川 かは 行く瀬を早み しましくも 淀 よど むことなく ありこせぬかも 120 我妹子 わぎもこ に 恋ひつつあらずは 秋 あき 萩 はぎ の 咲きて散りぬる 花にあらましを 121 夕 ゆう さらば 潮 しお 満 み ち 来 き なむ 住吉 すみよし の 浅 あさ 香 か の 浦 うら に 玉 たま 藻 も 刈 か りてな 122 大船 おほぶね の 泊 は つる 泊 とま りの たゆたひに 物 思 も ひ 瘠 や せぬ 人の子 故 ゆゑ に 三方沙弥 みかたのさみ 、 園臣生羽 そののおみいくは が 女 むすめ を 娶 めと りて、 幾 いく 時 だ も経ねば、病に 臥 ふ して作る歌三首 123 たけばぬれ たかねば長き 妹 いも が 髪 かみ このころ見ぬに 掻 か き入れつらむか 三方沙弥 124 人 皆 みな は 今は長しと たけと言へど 君が見し 髪 かみ 乱れたりとも 娘子 125 橘 たちばな の 蔭 かげ 踏 ふ む道の 八衢 やちまた に 物をぞ思ふ 妹 いも に逢はずして 三方沙弥 石川郎女 いしかはのいらつめ 、 大伴宿禰田主 おほとものすくねたぬし に贈る歌一首 すなはち 佐保 さほ 大納言大伴卿の第二子、母を 巨勢朝臣 こせのあそみ といふ 126 風流士 みやびを と 我れは聞けるを やど貸さず 我れを帰せり おその 風流士 みやびを 大伴田主 おほとものたぬし 、 字 あざな を 仲郎 ちうらう といふ。 容姿 ようし 佳艶 かえん 、風流秀絶、見る人聞く人、嘆息せずといふことなし。 時に、石川郎女といふひと有り。 みづから 雙栖 さうせい の 感 おもひ を成し、つねに 独守 どくしゆ の 難 かたき を悲しぶ。 意 こころ に書を寄せむと 欲 おも へども 良信 りやうしん に逢はず。 ここに 方便 はうべん を 作 な して、 賤 いや しき 嫗 おみな に似せ、おのれ 子 なべ を 提 さ げて 寝 ねや の 側 かたはら に到り、 哽音 かうおん? 足 ちやくそく し戸を叩きて 諮 はか りて曰はく、「東隣の貧しき女、火を取らむとして 来 きた る」といふ。 ここに、仲郎、暗き 裏 うち に 冒隠 ぼういん の形を 識 し らず、 慮 おもひ の 外 ほか に 拘接 こうせふ の 計 はかりごと に 堪 あ へず。 念 おもひ のまにまに火を取り、 跡 あと に就きて帰り去らしむ。 明けて 後 のち に、郎女、すでに 自媒 じばい の 愧 は づべきことを恥ぢ、また 心契 しんけい の 果 みの らぬことを恨む。 よりて、この歌を作りて 謔戯 きやくき を贈る。 大伴宿禰田主 おほとものすくねたぬし 、 報 こた へ贈る歌一首 127 風流士 みやびを に 我れはありけり やど貸さず 帰しし我れぞ 風流士にはある 同じ石川郎女 いしかはのいらつめ 、さらに 大伴田主仲郎 おほとものたぬしちうろう に贈る歌一首 128 我が聞きし 耳によく似る 葦 あし の 末 うれ の 足 あし ひく我が 背 せ つとめ 給 た ぶべし 右は、仲郎の 足 あし 疾 やまひ に依りて、この歌を贈りて 問訊 とぶら へるぞ。 大津皇子 おほつのみこ の宮の 侍 まかだち 石川郎女 いしかはのいらつめ 、 大伴宿禰宿奈麻呂 おほとものすくねすくなまろ に贈る歌一首 郎女、 字 あざな を山田郎女といふ。 宿奈麻呂宿禰は、大納言兼大将軍の卿が第三子なり 129 古 ふ りにし 嫗 おみな にしてや かくばかり 恋に沈まむ たわらはのごと 長皇子 ながのみこ 、皇弟に 与 おく る御歌一首 130 丹生 にふ の川 瀬は渡らずて ゆくゆくと 恋 こひ 痛 た し我が背 いで 通 かよ ひ 来 こ ね 柿本朝臣人麻呂、 石見 いはみ の国より妻に別れて 上 のぼ り来る時の歌二首并せて短歌 131 石見 いはみ の 海 うみ 角 つの の 浦 うら みを 浦なしと 人こそ見らめ 潟 かた なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟 かた はなくとも 鯨魚 いさな 取 と り 海辺 うみへ を指して 和田 にきた 津 づ の 荒磯 ありそ の 上 うへ に か 青 あを く 生 お ふる 玉 たま 藻 も 沖つ藻 朝 あさ 羽 は 振 ふ る 風こそ寄らめ 夕 ゆふ 羽振る 波こそ 来 き 寄れ 波の 共 むた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露 つゆ 霜 しも の 置きてし 来 く れば この道の 八十 やそ 隈 くま ごとに 万 よろづ たび かへり見すれど いや 遠 とほ に 里は 離 さか りぬ いや 高 たか に 山も越え来ぬ 夏草 なつくさ の 思ひ 萎 しな えて 偲 しの ふらむ 妹が 門 かど 見む 靡 なび けこの山 反歌二首 132 石 いは 見 み のや 高 たか 角 つの 山 やま の 木 こ の 間 ま より 我が振る袖を 妹 いも 見つらむか 133 笹 ささ の葉は み山もさやに さやけども 我れは妹思ふ 別れ 来 き ぬれば 或本の反歌に曰はく 134 石見 いはみ にある 高 たか 角 つの 山 やま の 木 こ の 間 ま ゆも 我が袖振るを 妹見けむかも 135 つのさはふ 石見 いはみ の海の 言 こと さへく 唐 から の崎なる 海石 いくり にぞ 深海松 ふかみる 生 お ふる 荒磯 ありそ にぞ 玉 たま 藻 も は生ふる 玉藻なす 靡 なび き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し 夜 よ は 幾時 いくだ もあらず 延 は ふ 蔦 つた の 別れし来れば 肝 きも 向 むか ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船 おおぶね の 渡 わたり の山の 黄葉 もみちば の 散りの 乱 まが ひに 妹 いも が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋 や 上 かみ の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠 かく らひ来れば 天 あま 伝 づた ふ 入日さしぬれ ますらをと 思へる我れも 敷 しき 栲 たへ の 衣 ころも の袖は 通りて濡れぬ 反歌二首 136 青 あを 駒 こま が 足 あ 掻 が きを 速 はや み 雲 くも 居 ゐ にぞ 妹 いも があたりを 過ぎて来 にける 137 秋山に 散らふ 黄葉 もみちば しましくは な散り 乱 まが ひそ 妹 いも があたり見む 或本の歌一首 并 あは せて短歌 138 石見 いはみ の 海 うみ 津 つ の 浦 うら をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟 かた なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨 いさな 魚取り 海 うみ 辺 へ を指して 和田 にき 津 づ の 荒 あり 磯 そ の 上 うへ に か 青 あを く 生 お ふる 玉 たま 藻 も 沖つ藻 明け 来 く れば 波こそ来寄れ 夕 ゆふ されば 風こそ来寄れ 波の 共 むた か寄りかく寄る 玉藻なす 靡 なび き我が寝し 敷 しき 栲 たへ の 妹が 手本 たもと を 露 つゆ 霜 しも の 置きてし 来 く れば この道の 八十 やそ 隈 くま ごとに 万 よろづ たび かへり見すれど いや 遠 とほ に 里 離 さか り 来 き ぬ いや 高 たか に 山 や も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草 なつくさ の 思ひ 萎 しな えて 嘆くたむ 角 つの の里見む 靡けこの山 反歌一首 139 石見 いはみ の 海 うみ 打歌 うつた の山の 木 こ の 間 ま より 我が振る袖を 妹見つらむか 柿本朝臣人麻呂が妻 依羅娘子 よさみのをとめ 、人麻呂と相別るる歌一首 140 な思ひと 君は言へども 逢はむ時 いつと知りてか 我が恋ひずあらむ.

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