なきにしもあらず 例文。 「なきにしもあらず」の意味は?使い方を例文で紹介!類語や英語も

【なきにしもあら】の例文集・使い方辞典

なきにしもあらず 例文

6ですが、この例文で、「また」againを使うとどうして違和感があるかを補足します。 「また類似の事件があるかもしれない」と「よく確認しておいたつもりだが、またどこかに間違いがあるかもしれない。 」とは状況がちがうからです。 また別に起こるのではなく、もう書類はできており、紙の字が勝手に変化することはありません。 書面の内容は人が変えない限りかわりません。 そういう意味で「また、ある」というのはおかしいですね。 「また、見つかる、発見する」ならわかりますが。 言い方をかえると、「またこのような事件があるかもしれない」の「ある」というのは「起こる、発生する」という意味です。 でも書面の間違いはもうすでに起きていることであり、あとは「見つかるか見つからないか」という問題だからです。 この課長は「また間違いが発生するかもしれない」という意味では決して言っていません。 同じ書面において、「また間違いが見つかる」という意味で言っています。 」が適切です。 おっしゃるように、 『よく確認しておいたつもりだが、まだ どこかに間違いがあるかもしれない。 』 と表現する必要があります。 例文が不自然なのは、 「また」が「ある」という存在動詞に掛かっているから。 「もう一度存在する?」 なんのこっちゃ? 劇画のワンシーンで神でも降臨したのかな? といった違和感を覚えるのが通常のネイティブの感覚。 ・よく確認しておいたつもりだが、再びどこかに間違いがあるかもしれない。 「再び 間違いがある」というのは、かなり特殊なシチュエーションにおける認識と言えるでしょう。 「まだ 間違いがある」が一般的な認識。 入力ミス、または、杜撰な表現に気づいていないかの、どちらかでしょう。 この会話から考えられるのは、たとえばですが 女性部下「課長、こちらに誤りがありますので、修正していただけますか?」 課長「ああ、申し訳ない」・・修正する・・ 「はい、修正したよ、よく確認しておいたつもりだが、またどこかに間違いがあるかもしれない。 」 などとという会話があると推察されます。 「また」は英語でいうとagain、「まだ」はstill で全然別のシチュエーションで使われる言葉です。 ですから間違ってはいません。 しかし 「よく確認しておいたつもりだが、またどこかに間違いがあるかもしれない。 」よりも 「よく確認しておいたつもりだが、まだどこかに間違いがあるかもしれない。 」のほうが、おっしゃるとおり明らかに適切です。 質問者様の違和感わかります。 外国人のかただとしたら、かなりするどいですね。 この例文では「まだ、ある」のほうが確かに自然です。 「また」againを使うなら 「よく確認しておいたつもりだが、またどこかに間違いがあるかもしれない。 」ではなく、もし 「よく確認しておいたつもりだが、またどこか に 間違いが見つかるかもしれない。 」であれば、「また」でOKのはずです。 そういう意味で入力ミスという可能性もなきにしもあらずです。 またはよく考えずにテキストのこの文を作ってしまったか。 さらっとこの文を聞いておかしいと気づく日本人はなかなかいないと思います。

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「なきにしもあらず」「なきにはあらず」

なきにしもあらず 例文

「やんごとなき」の語源は古語「止む事無し」 「やんごとなき」の語源は古語「止む事無し(やむごとなし)」です。 「止む」の「続いていたことを終わる」という意味から、 「止む事無し」の原義は「おわることがない」つまり「捨てておくことができない。 放置することができない」です。 古語「止む事無し」にはこの意味もありましたが、現代ではこの意味では使いません。 大変重要だ。 並々ではない。 一通りではない という2つの意味が生まれ、現代ではこの2つの意味が使われています。 また、中世以降、助動詞と語中の「む」の音は「ん」と表記されるようになり、「止む事無し」は「やんごとなし」となりました。 「やんごとなき」は「やんごとなし」の連体形 「やんごとなき」は形容詞「やんごとなし」の連体形です。 連体形とは「体言に連なる」という意味です。 「体言」とは「名詞」を指します。 つまり、「やんごとなき」は名詞を修飾するときに使用します。 「やんごとなし」の連体形には「やんごとなき」の他にも「やんごとない」があります。 「やんごとなき」は主に文語で使用するのに対して、「やんごとない」は口語で使用します。 「やんごとなき」の使い方と例文 「やんごとなきお方」「やんごとなき人」で「身分の高い人」を指す 「やんごとなきお方」「やんごとなき人」で「身分の高い人」を指します。 ちなみに「やんごとなき身分」は二重表現なので誤用となります。 「やんごとなき」が「身分が高い」という意味なので、身分をという言葉を修飾するなら「やんごとなき」を使うのではなく「高い身分」「尊い身分」とする必要があります。 例文 ・今日はやんごとなきお方が見えるとのことで、社内全体に緊張が走っています。 ・こんな私がやんごとなき人とお話出来るのは光栄なことだ。 ・やんごとなき人たちのパーティーは、やっぱり質がぜんぜん違うね。 「やんごとなき事情」「やんごとなき理由」で「特別な事情/理由」を指す 「やんごとなき事情」「やんごとなき理由」で「特別な事情/理由」を指します。 この場合は「身分が高い」といった意味は含まれません。 大切なこと、重要なことなどが意味として含まれます。 また「ただ事ではない」といった意味合いも含まれます。 何かが起きた際に事情や理由を説明する時に使っています。 例文 ・彼はやんごとなき事情があり、今回は欠席となります。 ・やんごとなき理由があると騒いでいたから何かと思ったが、大したことがなくて呆気にとられた。 ・私を差し置いてまで行かなきゃいけないやんごとなき理由があるっていうの!? 「やんごとなき一族」は漫画タイトル 「やんごとなき一族」とは、漫画のタイトルです。 日常的には「やんごとなき一族」とはあまり使われていません。 意味としては「高貴な一族」となるので合っていますが、現代の日本では「一族」という言葉自体がそこまで用いられていません。 ちなみに漫画の内容は、一般庶民の娘が大富豪の次男にプロポーズをされるお話です。 庶民だったヒロインは大富豪一家の父に門前払いに遭うもその「やんごとなき一族」のいち員となり厳しい教育を受けていくという物語です。 昼ドラチックでドロドロの人間関係に巻き込まれていく内容となっています。 「やんごとなきマンゴー」はセブンイレブンのスムージージュース 「やんごとなきマンゴー」は、セブンイレブン限定で販売されているイノセントのスムージージュースの商品名です。 ちなみにこのシリーズ3つの味があるのですが、全部名前が可愛いんです。 「おおまじめストロベリー」「ゴージャスグリーン」、そして「やんごとなきマンゴー」の3つです。 マンゴーの王様と言われている「アルフォンソ」を使っていること、そしてボトル1本で南国気分が味わえてしまうことを「贅沢」であることから、「やんごとなき」を使っています。 「やんごとなき様」は飲み会でのコール 「やんごとなき様」は飲み会でのコールです。 そんなコール知らないんだけど?と思っている方もいるかもしれません。 というのもこれ、元々使われているコールなのではなく、2019年のM-1グランプリにてお笑いコンビ「すゑひろがりず」がネタの中で披露したコールなんです。 江戸時代の格好と言葉遣いで現代の合コンを舞台にしたネタでした。 コールのタイトルは「めっせめっせコール」です。 「めっせ」とは「召す」のことです。 江戸時代の言葉遣いで「飲んで飲んで飲んで」を「召っせ召っせ召っせ」としています。 はい!その方 ほう の!やんごとなき様 さま みてみたし! それめっせめっせめせ! めっせめっせめせ! めっせめっせめせ!めっせ! 結構なお点前でしたが聞・こ・え・ぬ・ぞ! 結構なお点前でしたが聞・こ・え・ぬ・ぞ! はい!めっせめっせめせ! それめっせめっせめせ! 何ゆえ持っておる? 何ゆえ持っておる? 召し足りぬゆえに持っておる! あなしつこし! 「ヤンごとなき!」は新潟のローカル番組 「ヤンごとなき!」は新潟テレビで放送されているローカル番組のタイトルです。 「ヤン」とカタカナになっているのはヤンさんという新潟県出身のタレントさんの番組だからです。 YouTubeに動画がアップされていましたので、新潟に興味のある方はぜひご覧ください。 「やんごとなき」の類語 高貴 「高貴」の意味は「身分が家格などが高く貴いこと、人柄などが気高く、気品があること」「値打ちのあること、高価」です。 「高貴な生まれ」「高貴の出」と使うことが多く、「身分の高い家の出身」といった意味になります。 「高貴な香り」「高貴な色」などと「上品な」「高そう」といった意味合いで使われることもあります。 例文 ・彼はひと目見て高貴な方だと分かるような服装とふるまいをしていた。 ・あそこのバラ園は高貴な香りが広がっていて、お嬢様になった気分になれる。 恐れ多い 「恐れ多い」の意味は「目上の人に対して礼を失していて、大変申し訳ないこと」「自分に身にはとてもありがたく、もったいないこと」です。 謝罪・お詫びや感謝・お礼の意味になります。 基本的に「恐れ多い」は、目上の人に対して使います。 目下の人や同等には使いません。 目上の人に何かをお願いしたり、意見を言いたい場合にクッション言葉として用いることもあります。 ・恐れ多くも社長からお褒めの言葉を賜りました。 貴重 「貴重」の意味は「非常に大切なさま」「値打ちがあり価値のあること」です。 実際に高価なものやレアなものに対しても使いますし、自分にとって大切な事柄にも使います。 例文 ・このような貴重な経験が出来て、本当に嬉しい。 ・貴重品はしっかりと自分で管理しましょう。 格別 「格別」の意味は「物事や事柄の程度が他の物より特に優れていること」「特別であること」です。 地位や身分、程度を表す時に、「格上」「格下」と言い表すとがあると思いますが、この「格」と「別」を組み合わせることで、「格が他のものとは別」という意味で「格別」という言葉を使用します。 他の物と比べて「とても良い」という状態など、とりたてて優れていると感じるものに対して、「格別」という言葉を使います。 例文 ・他人の子でも可愛いのに自分の子となれば格別にかわいいだろう。 ・やっぱり母の作る料理は格別に美味しいです。 「止む」や「無き」を含む慣用句 止むに止まれぬ 「止むに止まれぬ」の意味は「やめようとしてもやめられないこと」です。 また「そうるよりほかない」といった意味でも使われています。 ちなみに「止むに止まれぬ」は「やむにやまれぬ」と読みます。 例文 ・どうしても行きたかったが、止むに止まれぬ事情で断らざるを得なかった。 ・止むに止まれぬ理由があれば許されるとでも思ったのか。 止むを得ず 「止むを得ず」は「やむをえず」と読みます。 意味は「仕方がなく、しょうがなく」となります。 例文 ・台風接近のため、イベントは止むを得ず中止した。 ・生活のために止むを得ず2つの仕事を掛け持ちし、休みなく働いている。 無きにしも非ず 「無きにしも非ず」は「なきにしもあらず」と読みます。 意味は、「無いわけではない」「無いということもない」「必ず無いとは限らない」となります。 ビジネスシーンで使うにはやや曖昧な表現となりますが、日常的によく用いられている言葉です。 「絶対にある」とは言えないけど「無いことはない」ということを念押しする形で用いられることもあります。 例文 ・正直その計画だと、大失敗は無きにしも非ずじゃない? ・自信ないかもしれないけど、君が彼女と付き合う可能性は無きにしも非ずだよ! 無きになす 「無きになす」の意味は「ないものとする」「数のうちには入れない」です。 古文であるため、現代ではほとんど使われていません。 「我が身を無きにしても」と使った場合「自分自身をないものとしても」といった意味になります。 焼きなすではありません。

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三省堂

なきにしもあらず 例文

「なきにしもあらず」「なきにはあらず」 漢文の二重否定の句形に「非無A」というものがあります。 私の所持している参考書などには、これを「A無キニハ非ズ」或いは助詞を省いて「A無キニ非ズ」と読むように書かれています。 「強い肯定」か、場合によっては「消極的な肯定」を表現する形であると習いました。 ところで「無きにしも非ず」という言い回しがあったり、或いは「天勾践を空しうすること莫かれ、時に范蠡無きにしも非ず」という故事があったりするのを聞いて、先に挙げた訓読との違いに疑問を持ちました。 意味上の差異から読み分けているのでしょうか。 或いは訓読の流儀による違いでしょうか。 投稿日時 - 2012-09-17 11:54:22 こんばんは、長らくお待たせして申しわけありません。 先日の続きですが、『太平記』と原典の関係、否定形の構文形式、そして道春点と一斎点に観られる流儀の違い、の問題に関してお話しさせていただきます。 【太平記と原典の関係】 件の文言を太平記に求めた結果、手許にある2種類のテクストには以下のルビが振られていました。 但し「非時無范蠡」と「時非無范蠡」として「非」のかかる先が異なっています。 そして該当部分に関する典拠を調べてみましたところ、この文章自体は『史記』 世家所収の「越世家」 にも見えません。 小学館版のテクスト所収の頭注には故事の「会稽の恥」のプロットとして7つのポイントが挙げられています。 1 勾践が范蠡の換言を受け容れず敗北を喫した話 2 勾践が捕虜として呉に幽閉された話 3 勾践が帰国を許された話 4 勾践が呉王扶差に美女を贈った話 5 呉の忠臣伍子胥が扶差を諫めて怒りを買い自死に至る話 6 勾践が扶差を討って会稽の恥をそそいだ話 7 その後に范蠡は引退し遁世した話 の7つですが、このポイントは児島高徳のエピソードの次の段で綴られるものの、そのなかに当該の五言古詩は全く登場もしませんので、太平記の作者による改変と考えてもよいでしょう。 【否定形の構文形式】 手許にある『漢詩・漢文解釈講座』 漢詩・漢文教材研究会編 の「別巻 訓読百科」に次の記載を確認することができました。 「[3]部分否定の形」 否定詞と副詞の位置関係によって、次の形が生じる。 ・不常有 常には有らず =「不」は「常有」を否定。 として以下の15通りのパターンを例示しています。 「[4]二重否定の形」 否定詞で一度否定したものを、さらに否定詞によって否定する、という形。 多く強い肯定の意味になる。 むしろ「天 勾践を空しうする莫かれ 時に非ず范蠡無きか」として反語表現として読む可能性があるとはいえないでしょうか。 「無」はあくまでも動詞ですから「范蠡のような人物 忠臣 」の存在の有無を説明しているのか「今はその時ではないとのこと」を言っているのかは、非の位置によっても異なります。 中澤希男氏の理解は「無」を動詞として扱うとの部分で問題はありません。 漢文での「無し」は否定表現としても使用されますが、実際には物がある・ないとの動詞に重点が置かれています。 「人無遠慮、必有近憂 人遠き慮り無ければ、必ず近き憂へあり 」はその事例です。 投稿日時 - 2012-09-25 00:06:31 こんばんは夜分遅くに失礼します。 課題に示された二つの文例ですが「なきにしも非ず」が部分否定であり、「なきには非ず」も部分否定であること。 そしてこれが「無きに非ず」の場合のみが全否定であること。 この違いは既にご理解されていることと存じます。 しかしその参考書の記載ですが「非無A」を「A無きには非ず」と読んでも、助詞である「は」をなぜ省略して読めとの理由が記されていません。 であるならば、これを「A無きに非ず」と読まねばならないそして全否定であると解釈する根拠もないことになります。 類似の事例に韓愈の『雑説』があります。 これは部分否定の例ですが、質問者様の疑問と同じです。 「世有伯樂 然後有千里馬。 千里馬常有 而伯樂不常有。 」後半の部分には2つの「常」の文字が見え、「千里の馬は常にあれど、而して伯楽常には有らず」と読み下されます。 これは置き字としての「而」を読んだ場合の話です。 これが「千里馬常有 而伯樂常不有」だったなら「千里の馬は常に有り、而して伯楽常に有らず」となり、而の前後では文意を比較対照する意味はなくなり置き字の意味もなくなります。 こうした現象を突き詰めて考えるには原典にまで遡る必要もあります。 否定を表現する「無・不・非・否・勿・莫」があったら「何に掛かっているのか」を考えてみることも大切です。 原典は白文ですから、部分としてはどの様にも読み下すことは可能です。 ですが文章全体との関係から見て齟齬を生じるようであるならば、その読み下しがオカシイことにもなります。 他の回答者様がご指摘の「しも」の問題ですが、これはこの文章の本質に関わる問題ですので「私の疑問とは異なる」として退けられる姿勢は些か早計と言わざるを得ません。 「無きにしも非ず」の典拠は『太平記』に引用された古代中国の越王勾踐の逸話ですからそれがオリジナルであるとはいえません。 さらに典拠を遡及して原典にまで立ちのぼり実際の表記を確認せねばなりません。 そうすることによって初めて「二重否定」であるか「部分否定」であるかを確定できることになります。 続 投稿日時 - 2012-09-18 02:25:29 ご回答賜りまして、ありがとうございます。 続きを頂く前にお礼を差し上げますがお許しください。 >>「なきにしも非ず」が部分否定であり、「なきには非ず」も部分否定であること。 そしてこれが「無きに非ず」の場合のみが全否定である これについては自分では漠然と理解していたつもりでいたのですが、改めて調べてみますと、どうもこれらすべての場合が「消極的な肯定」の意味を持つようです(これを部分否定呼ぶことができるのかどうかは分かりません)。 例えば、中澤希男「漢文訓読の基礎」(教育出版)では、「なきにあらず」と助詞なく読んだ上で「ないわけではない」と訓読しています。 すなわち、訓読の仕方に関わらず、そもそも「非無A」という形式自体が意味を決定しているようなのです。 これについては一応他の複数の漢文訓読の書籍を確認致しましたが、はっきりとは自信を持てませんので、もし誤りでしたら是非ご指摘頂ければと思います。 その上で、「無きに非ず」「無きには非ず」「無きにしも非ず」と読み分けをする判断の基準が、本当にNo. 3の方にご回答頂いたような非常に細やかな意味上の差異に着目してのことなのか、というのは自分では率直に申し上げて疑問ではあります。 なぜなら、「無きに非ず」と「無きには非ず」を目にすることが非常に多い一方、「無きにしも非ず」という訓点を振っている漢文は「時非無范蠡」以外に見たことがないということから、これらの三つを対照的な表現として評価できないように感じられるためです。 また、確かに「無きに非ず」と「無きには非ず」には訓読上の比較的明確な意味の差異があるように感じられますが、それを果たして訓点を振る側がはっきりと認識して振っているのか些か疑問でもあります。 恣意的に決定されているか、どちらか一方に統一してるようにも思われますし、そのような使い分けをしていることを記した参考書に出会ったこともありません。 少なくともそのように読み方を工夫しているテキストがあれば是非知りたいと思っています。 今は「無きにしも非ず」は道春点と一斎点のような流儀の違いから生じた読み方のようにも思われます。 そう考えますと太平記などは作者未詳ということですからよくどうにも調べようがありません。 ただ、No. 3の方に教えていただいた例文は太平記よりもずっと成立の古い「伊勢物語」のようですから、独り太平記のみによって人口に膾炙するに至った読みではなく、かなり古い時代の訓読の名残のようにも思われます。 この辺りの事情も詳しく知らないので分からないのですが。 投稿日時 - 2012-09-18 17:44:40 しも 順接的に下の句を強調する場合Aと、例外もあることを暗示する場合Bがあります。 逆説の場合は強調ではなく、その 逆説の)効果を弱めるということがあります。 Aとして 誰しも知るあたわず。 京に思ふひとなきにしもあらず(ないのではない)例 岩波国語辞典。 Bとして 必ずしも正しくはない。 必ず正しくはないとは普通言いませんが、意味は変わらないものの、例外として意味は弱まっています。 M なきにはあらず と N なきにしもあらず とを比べた場合の Nの しも は B の用例だと思います。 M ないことはない(消極的なあらっぽい全肯定) N ないこともない 大抵はある:微妙に消極的な肯定) 一般的にはここまでで、微妙な文句であり、やはり文脈全体でしっかりした意味をつかむべきでしょう。 投稿日時 - 2012-09-17 21:49:43.

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