コロナ禍 誰が言い出した。 【コロナ禍が心を蝕む その実態と対処法】「コロナ不眠症」どうしたらいい? 専門家「10分でいいから日光を浴びてセロトニンの分泌を」 (1/2ページ)

コロナ禍でも好調な◎◎事業とは 攻める社長戦士インタビュー

コロナ禍 誰が言い出した

コロナ禍と社会の変化 「密になる場を避けるべき」という根本的ではあるが問題の先送り的な解決策を取ることによって、色んな物事がこれまた根本的にひっくり返されまくっている。 教育も、企業も、変化せざるを得ない状況に追いやられており、これまでにもやろうと思えば出来たはずのテレワーク化が驚く程のスピードで進んでいる。 コスト面や人の意識も含めた『変化への』に穴が空いたのだ。 ただ、そもそも何故出来るはずのことが危機的状況に陥らないと出来なかったのか? 答えは簡単で「誰かが不利益を被るから」である。 例えば原料コストのれ値が上がれば、販売値を上げなければ不利益を被る。 下請けの企業もコストを上げざるを得ない。 当然販売元もコストを上げざるを得ないので最終的な消費者にしわ寄せが来る。 大体下請けにめちゃくちゃ大きなしわは出来ちゃってるんだけど 一見企業も消費者もと思えるようなことも、実装のための現場の労力が大きく上がってしまうならばその物事は進まない。 長い目で見れば全員が全員得をするということは目に見えている事柄でも、一時の痛みを誰かが伴ない犠牲になるのならばそこが『変化への』となる。 誰も一時的とはいえ損はしたくないのだ。 余談だが、一時的な損を長期的視点で取り戻すのが投資の本質だと考えてるのだが、投資という言葉自体の意味合いが変わってきている気がする。 都会が便利になるための不利益は人件費と土地代の安い地方へ押し付けてきた。 地方の抱える不利益は海外へ。 押し付けた国が発展しだすと、今度は人件費がもっと安い国へと不利益を押し付けていたのが現状である。 「会に度はない」と人は口を揃えて言うが、この資本主義社会は見方を変えればただただ世界規模に構築された度だ。 社会の形は大きく変わったのにも関わらず、教育や企業の姿はほとんど変化していないのだから当然である。 企業は不利益の部分を子会社に出し、下請け会社に出し、海外に出し、それでも残ったしわ寄せを体力のある20~30代の若手に強いてきた。 寿命は着実に伸び、で経済は圧迫されている。 教育も頑なに変化は無く、社会が形成するしわ寄せの影響は結果として致命的に育児に影響を及ぼしてきた。 昭和の時代、家長と専業主婦により形成されてきた、あるべきとされる「家庭」の形を、現代に共働きでまともに形成するのはほぼ不可能と言ってもいい。 必ず新たに発生したしわ寄せが保育や介護にのしかかる。 この辺を解決するには各種リモートワークの導入は必然の課題ではあったはずだが、企業や教育はそのしわ寄せの引き受けを拒否し続けてきた。 いわゆる 「社会問題」はこういったしわ寄せにより極端にしわの寄った部分の顕在化である。 全人類に対して比較的フラットに襲い来るコロナ禍によりしわが寄ったのはどこか 驚くべきことに教育と企業である。 ただ、私は正確には教育と企業にしわが寄ったわけではないと考えている。 これまでより比較的平らに「しわが均された」結果、教育と企業にしわが寄ったように見えているだけである。 弱者が持つ要素とは何か? さて、前置きが長くなってしまった。 タイトルにもなっている「弱者とは何者か?」という話だ。 皆さん「弱者」と聞いたらどういう人を想像するだろうか? パっと考えるとケンカが弱い人やゲームが弱い人といった身体的・能力的な弱者だろうか? お金が単純に無い経済的な弱者だろうか? それとも社会的弱者と呼ばれるようなや老人・子供だろうか? それともや性的少数派のような制度整っておらず、権利がハッキリとしない人達のことだろうか? 多分、全て合っている。 この人達の共通項は「出来ないことがあったり、持ってない権利がある」ということである。 では全ての老人は弱者だろうか? もう1年も前のことだが、池袋での自動車暴走死傷事故を起こした老人のことを皆は「上級国民」と呼んだ。 弱者のことを「上級国民」等と言うだろうか? 80歳を超えてもなお彼は強者として世間に扱われていたのである。 このことから言えるのは、たとえ身体的・年齢的に弱者と呼ばれる部類であろうが、金銭的・権威的に強者であればそれは弱者ではないと共通認識を持っていることだ。 と、いうことは 弱者とは先にあげた「弱者の要素」を全て満たす必要はあるのか? 経済的に恵まれず身体的に恵まれず、若くて性的多数派な弱者もいるだろう。 しかし、その弱者が「私は弱者だ!!」と看板を掲げて暴れ回っていてはどうだろう。 私にはその人は強者側にいるように見える。 少なくとも同じ境遇の人でも弱者とそうでない人がいる。 状況によって大きく変わってくるのである。 弱者とは何者か? では弱者とは一体何者なのか? 私は「選択肢を持っていない者」が弱者だと考えている。 一般的に弱者とされている人の例を挙げてみよう。 例えばいわゆるで働かされている者である。 労働力を低賃金で搾取され、生かさず殺さずギリギリの生活を強いられる。 金が無いから貯金が出来ない。 貯金が出来ないから引越し・転職資金が貯まらない。 働くことを辞めると生活費を捻出することができず、すぐに破たんしてしまうような状態。 的な資金繰りしか出来ない状態は他の選択肢を選ぶことが出来ない。 少々不利な条件が提示されたとしても選択肢が無ければ選ばざるを得ない。 そうしてスパイラルに陥っていく。 各種生活支援を駆使すれば脱出は可能であるが、それを知らない、あるいは自尊心から選択出来ない。 そういう状態の人が弱者ではないのだろうか? 例えばDVを受けている子供である。 日常的に暴力を受け、罵詈雑言を浴びせられる。 しかし相手は父親ないし母親であり、家は一か所である。 頼りになるような親戚もいないし、学校も相談することはできない。 働ける年齢ではなく、家出したとしても家族に連絡されてしまうような状態。 「子供」が「夫」や「妻」になっても同じようなもんである。 収入が無いから出ていけない。 子供がいるから出ていけない。 やはり各種支援を使用すれば脱出は可能であるが、それを知らない、あるいは恐怖心から選択出来ない。 と、こういう2例を挙げれば 「やはり金が無いのが弱者なのではないか!?」と考えそうだが、9割合ってるが1割間違ってると思う。 何故なら「金」は選択肢を増やす上で最も効果の高い要素ではあるが決して万能ではないからだ。 金があれば確かに新しい土地にも行けるし、新事業を敢行するようなチャレンジもできる。 しかしそんな便利要素を手放さざるを得ない状態に直面してしまうと枷となってしまう。 金がある弱者ってどんな状態か?と言われればそれは弱味がある場合である。 例えば不正取引の現場を押さえられた。 不貞の現場を押さえられた。 社会的地位を落とし損失を被りたくないあまり、選択の余地が無くなった状態は弱者そのものである。 先に挙げた夫が家庭内DVを受けるケースでも夫側に収入がある場合がほとんどであろう。 離婚という自身の社会的イメージの損失に恐怖する。 あるいは子供の生活が保てなくなることも予見出来てしまう。 抵抗を試みることも可能だが、それを起因として裁判を起こされると会では妻の方が圧倒的に有利である。 となると、やはり自身の選択肢を増やす要素である「金」や「社会的地位」を失ってしまう。 そういう状態に追い込まれ、身動きが取れなくなってしまった夫は弱者であろう。 やはり収入の如何は弱者かどうかの判定において大きな要素を担うが、決定するものではない。 結局選択肢が一つしか取れなくなった状態が「弱者」の姿そのものである。 しかし、たとえ選択肢が多い者でも選択肢の一つとして持つためには一定の基準が存在する。 その基準は「自らが傷つかないこと」で、究極的には社会的な死も含めて「死なないこと」である。 死んだら元も子も無いので、普通の人は死ぬ要素が見えることは極力避ける。 ここで面白いのは、散歩することもドライブすることも極論的には死ぬ要素のあることなのだが、可能性として極めて低いので無意識に除外してしまっている。 自分が今この瞬間死ぬ可能性があるということを認識していないのだ。 仮に車に乗ることで死を感じてしまう場合は避けるだろう。 飛行機を避ける人も多くは墜落した時のことを想像してしまうからだという。 死を実感出来る程高い確率のものは避けようとするのだ。 今回のコロナ禍でも一定層「特に恐怖心を持ってない人」が存在する。 そういう人は単純な話で自分が死なないと本気で信じている人、あるいは日常的に死が周囲に蔓延ってるのを確信しており、今回のコロナ禍で死、あるいは社会的な死のリスクが大して上がっていないと確信している人である。 選択肢が豊富にある状態ならば傷つかずに新たな選択肢を増やすことも可能かもしれないが、下降曲線を描き出した後から選択肢を増やしていくには傷つくことを認める以外に基本的に手段は無い。 下降曲線を描く原因は年齢的な要因や身体的な要因や環境的な要因等、人それぞれだろう。 傷つく可能性が高くても、選択肢が増えるという実利は非常に重要である。 傷つく恐怖とリターンを正しく天秤にかけ、実行することさえ出来れば一つずつ着実に強くなっていくのである。 その辺のことも含めて以前概念を文書で書いたので暇な時に読んでみていただきたい。 グーしか持っていなくても最強のグーを持てればそれは大きな価値となるかもしれない。 その領域を目指す行為は非常に尊く否定はしないが、いつかは最強のグーはいつしか衰えたり、通用しない世界がやってくるのは間違いない。 その時にチョキやパーを持っていなければ驚く程急激に弱者の域に入っていってしまうそのことは覚悟しておくべきである。 おわりに 子供は無敵である。 その本質は恐怖心が無いからである。 大人は弱い。 何故ならこれまでの経験から恐怖に支配されているからである。 恐怖を持つには知見が要る。 恐怖に打ち勝つにも知見が要る。 人は火を取り扱う上で初めは必ず火傷をするだろう。 しかし、その経験を通して火との適切な距離感や対処法を学んだのなら恐怖を払拭することが可能だ。 『弱者』には必ず誰しもが一度はなる。 それはいつになるかは分からない。 死ぬ寸前に初めて弱者になる人もいるだろう。 この文章は弱者にならないと理解の及ばない話かもしれない。 しかし、もしも貴方が弱者になってしまったのなら、この文章が指針になれば幸いである。 mekasue.

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コロナ禍って何て読んでどんな意味?コロナ渦間違いでコロナ鍋でもない!

コロナ禍 誰が言い出した

コロナ禍と社会の変化 「密になる場を避けるべき」という根本的ではあるが問題の先送り的な解決策を取ることによって、色んな物事がこれまた根本的にひっくり返されまくっている。 教育も、企業も、変化せざるを得ない状況に追いやられており、これまでにもやろうと思えば出来たはずのテレワーク化が驚く程のスピードで進んでいる。 コスト面や人の意識も含めた『変化への』に穴が空いたのだ。 ただ、そもそも何故出来るはずのことが危機的状況に陥らないと出来なかったのか? 答えは簡単で「誰かが不利益を被るから」である。 例えば原料コストのれ値が上がれば、販売値を上げなければ不利益を被る。 下請けの企業もコストを上げざるを得ない。 当然販売元もコストを上げざるを得ないので最終的な消費者にしわ寄せが来る。 大体下請けにめちゃくちゃ大きなしわは出来ちゃってるんだけど 一見企業も消費者もと思えるようなことも、実装のための現場の労力が大きく上がってしまうならばその物事は進まない。 長い目で見れば全員が全員得をするということは目に見えている事柄でも、一時の痛みを誰かが伴ない犠牲になるのならばそこが『変化への』となる。 誰も一時的とはいえ損はしたくないのだ。 余談だが、一時的な損を長期的視点で取り戻すのが投資の本質だと考えてるのだが、投資という言葉自体の意味合いが変わってきている気がする。 都会が便利になるための不利益は人件費と土地代の安い地方へ押し付けてきた。 地方の抱える不利益は海外へ。 押し付けた国が発展しだすと、今度は人件費がもっと安い国へと不利益を押し付けていたのが現状である。 「会に度はない」と人は口を揃えて言うが、この資本主義社会は見方を変えればただただ世界規模に構築された度だ。 社会の形は大きく変わったのにも関わらず、教育や企業の姿はほとんど変化していないのだから当然である。 企業は不利益の部分を子会社に出し、下請け会社に出し、海外に出し、それでも残ったしわ寄せを体力のある20~30代の若手に強いてきた。 寿命は着実に伸び、で経済は圧迫されている。 教育も頑なに変化は無く、社会が形成するしわ寄せの影響は結果として致命的に育児に影響を及ぼしてきた。 昭和の時代、家長と専業主婦により形成されてきた、あるべきとされる「家庭」の形を、現代に共働きでまともに形成するのはほぼ不可能と言ってもいい。 必ず新たに発生したしわ寄せが保育や介護にのしかかる。 この辺を解決するには各種リモートワークの導入は必然の課題ではあったはずだが、企業や教育はそのしわ寄せの引き受けを拒否し続けてきた。 いわゆる 「社会問題」はこういったしわ寄せにより極端にしわの寄った部分の顕在化である。 全人類に対して比較的フラットに襲い来るコロナ禍によりしわが寄ったのはどこか 驚くべきことに教育と企業である。 ただ、私は正確には教育と企業にしわが寄ったわけではないと考えている。 これまでより比較的平らに「しわが均された」結果、教育と企業にしわが寄ったように見えているだけである。 弱者が持つ要素とは何か? さて、前置きが長くなってしまった。 タイトルにもなっている「弱者とは何者か?」という話だ。 皆さん「弱者」と聞いたらどういう人を想像するだろうか? パっと考えるとケンカが弱い人やゲームが弱い人といった身体的・能力的な弱者だろうか? お金が単純に無い経済的な弱者だろうか? それとも社会的弱者と呼ばれるようなや老人・子供だろうか? それともや性的少数派のような制度整っておらず、権利がハッキリとしない人達のことだろうか? 多分、全て合っている。 この人達の共通項は「出来ないことがあったり、持ってない権利がある」ということである。 では全ての老人は弱者だろうか? もう1年も前のことだが、池袋での自動車暴走死傷事故を起こした老人のことを皆は「上級国民」と呼んだ。 弱者のことを「上級国民」等と言うだろうか? 80歳を超えてもなお彼は強者として世間に扱われていたのである。 このことから言えるのは、たとえ身体的・年齢的に弱者と呼ばれる部類であろうが、金銭的・権威的に強者であればそれは弱者ではないと共通認識を持っていることだ。 と、いうことは 弱者とは先にあげた「弱者の要素」を全て満たす必要はあるのか? 経済的に恵まれず身体的に恵まれず、若くて性的多数派な弱者もいるだろう。 しかし、その弱者が「私は弱者だ!!」と看板を掲げて暴れ回っていてはどうだろう。 私にはその人は強者側にいるように見える。 少なくとも同じ境遇の人でも弱者とそうでない人がいる。 状況によって大きく変わってくるのである。 弱者とは何者か? では弱者とは一体何者なのか? 私は「選択肢を持っていない者」が弱者だと考えている。 一般的に弱者とされている人の例を挙げてみよう。 例えばいわゆるで働かされている者である。 労働力を低賃金で搾取され、生かさず殺さずギリギリの生活を強いられる。 金が無いから貯金が出来ない。 貯金が出来ないから引越し・転職資金が貯まらない。 働くことを辞めると生活費を捻出することができず、すぐに破たんしてしまうような状態。 的な資金繰りしか出来ない状態は他の選択肢を選ぶことが出来ない。 少々不利な条件が提示されたとしても選択肢が無ければ選ばざるを得ない。 そうしてスパイラルに陥っていく。 各種生活支援を駆使すれば脱出は可能であるが、それを知らない、あるいは自尊心から選択出来ない。 そういう状態の人が弱者ではないのだろうか? 例えばDVを受けている子供である。 日常的に暴力を受け、罵詈雑言を浴びせられる。 しかし相手は父親ないし母親であり、家は一か所である。 頼りになるような親戚もいないし、学校も相談することはできない。 働ける年齢ではなく、家出したとしても家族に連絡されてしまうような状態。 「子供」が「夫」や「妻」になっても同じようなもんである。 収入が無いから出ていけない。 子供がいるから出ていけない。 やはり各種支援を使用すれば脱出は可能であるが、それを知らない、あるいは恐怖心から選択出来ない。 と、こういう2例を挙げれば 「やはり金が無いのが弱者なのではないか!?」と考えそうだが、9割合ってるが1割間違ってると思う。 何故なら「金」は選択肢を増やす上で最も効果の高い要素ではあるが決して万能ではないからだ。 金があれば確かに新しい土地にも行けるし、新事業を敢行するようなチャレンジもできる。 しかしそんな便利要素を手放さざるを得ない状態に直面してしまうと枷となってしまう。 金がある弱者ってどんな状態か?と言われればそれは弱味がある場合である。 例えば不正取引の現場を押さえられた。 不貞の現場を押さえられた。 社会的地位を落とし損失を被りたくないあまり、選択の余地が無くなった状態は弱者そのものである。 先に挙げた夫が家庭内DVを受けるケースでも夫側に収入がある場合がほとんどであろう。 離婚という自身の社会的イメージの損失に恐怖する。 あるいは子供の生活が保てなくなることも予見出来てしまう。 抵抗を試みることも可能だが、それを起因として裁判を起こされると会では妻の方が圧倒的に有利である。 となると、やはり自身の選択肢を増やす要素である「金」や「社会的地位」を失ってしまう。 そういう状態に追い込まれ、身動きが取れなくなってしまった夫は弱者であろう。 やはり収入の如何は弱者かどうかの判定において大きな要素を担うが、決定するものではない。 結局選択肢が一つしか取れなくなった状態が「弱者」の姿そのものである。 しかし、たとえ選択肢が多い者でも選択肢の一つとして持つためには一定の基準が存在する。 その基準は「自らが傷つかないこと」で、究極的には社会的な死も含めて「死なないこと」である。 死んだら元も子も無いので、普通の人は死ぬ要素が見えることは極力避ける。 ここで面白いのは、散歩することもドライブすることも極論的には死ぬ要素のあることなのだが、可能性として極めて低いので無意識に除外してしまっている。 自分が今この瞬間死ぬ可能性があるということを認識していないのだ。 仮に車に乗ることで死を感じてしまう場合は避けるだろう。 飛行機を避ける人も多くは墜落した時のことを想像してしまうからだという。 死を実感出来る程高い確率のものは避けようとするのだ。 今回のコロナ禍でも一定層「特に恐怖心を持ってない人」が存在する。 そういう人は単純な話で自分が死なないと本気で信じている人、あるいは日常的に死が周囲に蔓延ってるのを確信しており、今回のコロナ禍で死、あるいは社会的な死のリスクが大して上がっていないと確信している人である。 選択肢が豊富にある状態ならば傷つかずに新たな選択肢を増やすことも可能かもしれないが、下降曲線を描き出した後から選択肢を増やしていくには傷つくことを認める以外に基本的に手段は無い。 下降曲線を描く原因は年齢的な要因や身体的な要因や環境的な要因等、人それぞれだろう。 傷つく可能性が高くても、選択肢が増えるという実利は非常に重要である。 傷つく恐怖とリターンを正しく天秤にかけ、実行することさえ出来れば一つずつ着実に強くなっていくのである。 その辺のことも含めて以前概念を文書で書いたので暇な時に読んでみていただきたい。 グーしか持っていなくても最強のグーを持てればそれは大きな価値となるかもしれない。 その領域を目指す行為は非常に尊く否定はしないが、いつかは最強のグーはいつしか衰えたり、通用しない世界がやってくるのは間違いない。 その時にチョキやパーを持っていなければ驚く程急激に弱者の域に入っていってしまうそのことは覚悟しておくべきである。 おわりに 子供は無敵である。 その本質は恐怖心が無いからである。 大人は弱い。 何故ならこれまでの経験から恐怖に支配されているからである。 恐怖を持つには知見が要る。 恐怖に打ち勝つにも知見が要る。 人は火を取り扱う上で初めは必ず火傷をするだろう。 しかし、その経験を通して火との適切な距離感や対処法を学んだのなら恐怖を払拭することが可能だ。 『弱者』には必ず誰しもが一度はなる。 それはいつになるかは分からない。 死ぬ寸前に初めて弱者になる人もいるだろう。 この文章は弱者にならないと理解の及ばない話かもしれない。 しかし、もしも貴方が弱者になってしまったのなら、この文章が指針になれば幸いである。 mekasue.

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コロナ禍って何て読んでどんな意味?コロナ渦間違いでコロナ鍋でもない!

コロナ禍 誰が言い出した

7月5日、ウォーレン・バフェットが率いるバークシャー・ハサウェイがドミニオン・エナジー社から天然ガスのパイプライン網を買収すると発表(97億ドル)、投資家に少なからぬ衝撃を与えた。 8月30日で90歳を迎える大投資家は、今後の世界について考え方を変えたのだろうか。 2014年以来、同社の株主総会に出席している独立系資産運用アドバイザーの尾藤峰男氏(今年はオンラインで参加)が、5月の総会でのバフェットの発言を引き合いに出しながら、バフェットの考え方を読み解く(文中敬称略)。 新型コロナで大失敗した投資の神様 時計の針を、いったん約2カ月前に戻そう。 今年もバフェット率いるバークシャー・ハサウェイのが、彼の本拠地である米ネブラスカ州オマハで5月2日に開催されたのは記憶に新しい。 今年はとにかく異例づくめだった。 ひな壇には、バフェットと非保険事業を統括する副会長のグレッグ・アベルの2人だけ。 いつもバフェットと一緒に出席する60年来のパートナー、チャーリー・マンガーは、ロサンゼルス在住。 空の旅を避けるため、今回は欠席(ちなみに至って健康だ)。 1万8000人がぎっしり入るアリーナも空っぽ。 ただひな壇に座る2人を映すカメラが前にあるだけだった。 すでにそうした報道もあり、世界の投資家たちは「投資の神様」が新型コロナウイルスで世界の株式市場が大きく揺れた第1四半期(2020年1月~3月)にどういう投資行動をとったか、直接聞きたかったはずだ。 そして明らかになったのは「ほとんど何も買っておらず、大量に保有していたエアライン株は全部損を出して、売ってしまった」という事実だった。 世界の投資コミュニティは驚いた。 また、ニューヨークダウが、今年の高値から一時38%以上も下がったにもかかわらず、17億ドルの自己株買いを行っただけで、あとは特に買っていなかった。 その背景には、何があったのだろうか。 彼の発言も引用しつつ、今後を読み解いてみよう。 まず、なぜアメリカの主要4社のエアライン株を、全部損切りして売ってしまったのか。

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