さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号。 さいたま市役所

身近な交番・駐在所案内

さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号

更新日:2018年6月1日 身近な交番・駐在所案内 浦和警察署には9ヶ所の交番があります。 事件事故などの取扱いのため不在になる場合がありますので、その場合には警察署までご連絡ください。 身近な交番・駐在所案内 交番等名称 連絡先 担当区域 場所 浦和駅前交番 浦和区高砂1丁目16番10号 電話番号:048-822-3504• 岸町1~7丁目• 東高砂町• 東仲町• 東岸町• 白幡1、2丁目• 前地1~3丁目• 本太1~5丁目• 高砂1~4丁目• 常盤1、2丁目• 常盤4~8丁目• 仲町1~4丁目• 別所1、3、4丁目 南浦和駅東口交番 南区南浦和2丁目37番3号 電話番号:048-882-4075• 大谷場1、2丁目• 太田窪2、4、5丁目• 南浦和1~4丁目• 大字円正寺• 大字大谷口 2943番地1~2986番地1を除く• 大字太田窪• 大字広ヶ谷戸 南浦和駅西口交番 南区南本町2丁目26番2号 電話番号:048-866-3003• 南区神明1丁目 1~6番10~17番• 南区神明2丁目 1~4番• 浦和区神明1丁目 1~6番10~17番除く• 浦和区神明2丁目 1~4番除く• 根岸1、2丁目• 文蔵1~5丁目• 南本町1、2丁目 領家交番 浦和区領家6丁目27番9号 電話番号:048-832-1005• 木崎1~5丁目• 大東1~3丁目• 大字三崎• 領家4~7丁目 北浦和駅東口交番 浦和区北浦和3丁目3番3号 電話番号:048-831-2207• 北浦和1~3丁目• 駒場1、2丁目• 瀬ケ崎1~5丁目• 元町1~3丁目• 領家1~3丁目 北浦和駅西口交番 浦和区北浦和4丁目4番1号 電話番号:048-833-1274• 北浦和4、5丁目• 常盤3丁目• 常盤9、10丁目• 針ケ谷4丁目 六辻交番 南区辻3丁目2番30号 電話番号:048-861-1283• 辻1~8丁目• 根岸3~5丁目 上木崎交番 浦和区上木崎3-2-15 電話番号:048-824-4117• 大原1~5丁目• 針ケ谷1~3丁目• 上木崎2~8丁目• 皇山町 武蔵浦和駅前交番 南区別所7丁目13番5号 電話番号:048-865-3196• 鹿手袋1~7丁目• 白幡3~6丁目• 関1、2丁目• 沼影1~3丁目• 別所2丁目• 内谷1~7丁目• 別所5~7丁目• 四谷1~3丁目• 松本1~4丁目• 大字堤外• 曲本1~5丁目.

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さいたま市

さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号

沿革 [ ] かつては役所の庁舎であった。 旧浦和市役所は現在の・の場所にあった。 (明治22年) - 浦和町成立とともに仲町2丁目(現ロイヤルパインズホテル)に町役場を設置。 (明治33年) - がから現市役所所在地(常盤)に移転。 (明治44年) - 仲町に木造2階建ての新庁舎が完成。 1976年まで65年間使用される。 次第に狭隘化し、岸町庁舎(現在のの場所)や旧浦和市公会堂なども使用した。 (9年) - 市制施行、市庁舎となる。 (昭和24年) - 師範学校が教育学部に引き継がれる。 (昭和40年) - 埼玉大学がに移転。 (昭和46年) - 埼玉大学旧校舎を改造、プレハブ庁舎を建設し、仲町の市庁舎が現在地へ移転する。 旧庁舎は仲町庁舎として残存。 (等は旧庁舎のまま)• (昭和51年) - 現在の庁舎が完成(地上11階、地下2階建て)。 3月に移転作業を実施し、分散が解消。 (13年) - 浦和市・・が合併しさいたま市となり、浦和市役所の庁舎がさいたま市役所の庁舎となる。 さいたま市役所内には(旧浦和市域を担当する統括支所)が併設される。 (平成15年) -さいたま市の移行に伴い区制が施行。 浦和総合行政センターは廃止され、浦和区役所が併設される。 (平成18年) - 優勝パレードの優勝報告会場となり巨大な垂れ幕がかけられ、紙吹雪が舞った。 (平成27年) - 昭和29年に大学の施設として建設された敷地北側の第二別館が、耐震化工事に伴う仮配置棟設置のため解体された。 本庁舎本館 [ ] 階 概 要 11F 建設局・土木部(土木総務課、道路環境課、道路計画課、河川課)・下水道部(下水道総務課、下水道財務課、下水道維持管理課、下水道計画課) 10F 建設局・建築部(建築総務課、建築行政課、住宅課、営繕課、保全管理課、設備課)、教育委員会・学校教育部(教職員課、健康教育課)・生涯学習部(生涯学習振興課、人権教育推進室) 9F 教育委員会・管理部(教育総務課、教育財務課、学校施設課)・学校教育部(学事課、指導1課、指導2課)・生涯学習部(文化財保護課) 8F 技監室、都市局・都市計画部(都市総務課、都市計画課、都市交通課、都市公園課、みどり推進課、開発調整課)・まちづくり推進部(まちづくり総務課、市街地整備課) 7F 市民・スポーツ文化局・市民生活部(市民総務課、交通防犯課、コミュニティ課、男女共同参画課)・スポーツ文化部(スポーツ企画課、スポーツ振興課、文化振興課)・区政推進室、財政局・税務部(税制課、固定資産税課)・契約管理部(入札企画課、契約課、技術管理課、工事検査課) 6F 政策局・政策企画部(情報政策課) 5F 政策局(IT統括課)・政策企画部(企画調整課、新都心整備対策室、地下鉄7号線延伸対策課)・都市経営戦略室、財政局・財政部(財政課)、市長公室(広報課、広聴課)、子ども未来局(保育環境整備室) 4F 市長室、副市長室、市長公室(秘書課) 3F 総務局・総務部(総務課、法制課、行政透明推進課、人権政策推進課)・人事部(人事課、給与課、厚生課)、行財政改革推進本部、財政局・財政部(庁舎管理課)、議会局・総務部(秘書課、総務課)・議事調査部(議事課、調査法制課)、議員室、議場 2F 保健福祉局・保健部(健康増進課、病院経営企画課、地域医療課、生活衛生課、食品安全推進課)・福祉部(福祉総務課、監査指導課、高齢福祉課、介護保険課、障害福祉課)・子ども未来局・子ども育成部(子育て企画課、子育て支援課、青少年育成課)・保育部(保育課)、環境局・環境共生部(環境総務課、地球温暖対策課、環境対策課、交通環境政策課、次世代自動車普及推進室)・資源循環推進部(資源循環政策課、廃棄物対策課)、経済局・経済部(経済政策課、労働政策課、農業政策課、農業環境整備課) 1F 出納室(出納課、審査課)• 浦和区役所・くらし応援室・区民生活部(総務課、地域商工室、コミュニティ課、区民課、課税課、収納課)・健康福祉部(福祉課、支援課、高齢介護課、保険年金課) B1F 夜間・休日受付窓口、ランチルーム、売店、健康相談室、職員組合事務室、厚生室、警備員室、防災センター、清掃管理事務室 耐震化・建替・移転問題 [ ] 市役所の庁舎建替及び移転問題は、主として旧市域別で最大の人口を有し県庁が所在する旧浦和市と、新幹線列車が停車する経済都市である旧大宮市の間での地域間・政治的対立と関係し、市政の大きな課題になっている。 現在の庁舎である旧浦和市役所本庁舎は、旧・浦和市時代にはの建替構想が持ち上がった際、県庁建替後の余った跡地に浦和市役所を移転する構想もあったが、埼玉県庁の建替は行われなかったため実現には至らなかった。 1976年に現庁舎が建築されてから40年ほどが経過し、に実施した耐震診断によってランク2と診断されたことから、12月から2月にかけて約50億円をかけ耐震工事を行った。 (昭和29年)建築の第二別館を解体して、跡地に仮庁舎をに建設し、浦和区役所の窓口業務の部署以外を仮庁舎に移転させてから庁舎の耐震工事を行った。 耐震化後は建物の耐用年数は50~60年程度伸びるとされているが、建築物としての耐用年数ではなく税法上の耐用年数から20年程度(ごろまで)現在の庁舎を使用する方針としており、その後に現在地での庁舎建替をするか移転による建替をするかを巡って、度々議論が起こっている。 浦和市・大宮市・与野市の3市合併を促すために3市の市議会が議決した合併促進決議において、「浦和市は新市の『行政の中心』、大宮市は『経済の中心』、与野市は『情報発信の中心』」と記載されていたが、その後の任意合併協議会で市名を決定する際に浦和市及び与野市側が「さいたま市」、大宮市側が「大宮市」を推し、大宮側は市名を「さいたま市」にすることに同意する交換条件として、新市の市役所を「周辺」への建築を主張した。 これは、3市で最大の人口を有する浦和側の猛反発を受け、大宮側の主張する「将来の市役所の位置はさいたま新都心周辺とする」という文面は採択されず、に調印した合併協定書には、「新市の事務所の位置は、当分の間、現在の浦和市役所の位置とする」として浦和側に市役所本庁舎の位置を決定した一方で、「将来の市役所本庁舎の位置」に関して、「『さいたま新都心周辺が望ましい』という意見を踏まえ、新市成立後、新市は、交通の事情や他の公官署との関係など、市民の利便性を考慮し、将来の新市の事務所の位置について検討するものとする」とされた。 しかし、日本語の「踏まえる」に「考慮に入れる」から「前提とする」までの幅広い解釈が可能である故に、協定書の文面はもとより玉虫色の解釈が可能なものとされていた。 この文面を、浦和側は「当時、現在地での建て替え、さいたま新都心周辺への移転双方の意見が上がった中で、協議の中で出た一つの意見を考慮すべき参考意見として記載しているが、将来の市役所本庁舎の位置については、記載されている通り合併後の検討議題である」と解釈し、旧市域の住民に説明してきた。 一方大宮側は、「将来の市役所をさいたま新都心周辺に置くことを、決定事項として明記した」と解釈し、旧市域の住民に説明しており、合併後に大宮側のさいたま市議らが、「市役所本庁舎が未だ浦和にあるのは、浦和が合併時に新都心に移すとした約束を破ったからだ」と主張して、浦和側が合併時の約束を破ったとする世論の形成を目指して旧市域の住民に説明しているため、この問題に関して中立的な与野・岩槻側を巻き込む混乱を招いており、当該地区住民同士の不信にも繋がっている。 前述のように、合併協議のはじめに決議された「合併促進決議」において、新市の「行政の中心」と明記された浦和側は、「市役所本庁舎を旧浦和市域から移転することは、この決議に反する」との意見が浦和側のさいたま市議らから出ており、大宮市が合併前に構想していた大宮市役所の移転建替のためにプールしていた資金が、合併後にの建設促進など大宮側の観光開発に使われてなくなったことも、浦和側がさいたま市の予算を用いての移転に強硬に反対する一つの理由となっている。 一方旧大宮市内では、旧大宮市時代に将来の大宮市役所の移転建替先の用地として確保していた北区の跡地(現在、などが立地)が、旧浦和市長から引き続きさいたま市長に就任したが在任時に、大半が民間に売却されて新市庁舎の建設候補地として使用できなくなったことに対する反感も根強い(ただし、この富士重工跡地は、現在のさいたま市役所本庁舎と比べても、さいたま新都心から見て遠方に当たるために「さいたま新都心周辺地区」にさえ当たらない。 当該の用地一帯は「ノーザンハートきたまち」の愛称で呼ばれ、「日進・宮原地区副都心」の一つとしてを行なっている)。 にさいたま市が発足すると、将来の市役所の位置についてどこ建設するかの議論は久しく進まなかった。 仮に、浦和駅から1km程度離れた現在地より地価の高いさいたま新都心駅至近の商業地に立地した場合、大幅な税収減につながり、同時に県・市の各種行政機関が集まる行政センターとしての浦和駅周辺の都心機能を損壊すること、さらに浦和駅周辺に集積しているメディアや政党の支部にとっても、県政と市政の拠点が大きく引き離される事で利便性が損なわれることも懸念されている。 また100年来の歴史的経緯から、市役所を移転すれば次に大宮側が県庁舎の移転を要求するのではないかという浦和側の大宮側に対する根強い不信感もある(その場合、浦和にある県・国の多くの機関との連携の問題も生じる)。 これら旧市間の利害とは別に、を中心に新たな市役所用地を取得するための税負担に反発する声もある。 また何より議論が進んで来なかった直接の原因として、で最大多数を占めていた市議団が主に浦和側の政治勢力を中心に政策決定されており、に市長に就任した大宮側を地盤として旧系を支持基盤とするとの間で、ねじれ議会を構成していたという事情が大きい。 そんな中、市議会の一般質問で、議員が合併協定書の文言の解釈について質しても、清水は合併協定書の文言をそのまま朗読して答弁するなど、清水自身が市役所移転に関してや、旧3市間で合意のないともされる合併協定書の文言の解釈に対するスタンスを明確にすることを避けていた。 その結果、市内の人口比とは逆に大宮側の利益を主張する勢力が議会の多数を占めるようになり、これ以降それまで全く動きのなかった市役所本庁舎の移転論議が急速に進んでいる。 本庁舎整備審議会では、3市の合併協議時に新市の市名に「大宮市」の採択させる運動や採択されない場合の合併協議のボイコットなどを鶴崎敏康(現・自民真政市議団長)らと主導した任意合併協議会の大宮市議代表の一人であった元さいたま市議の松本俊雄が中心となり、「さいたま新都心への市役所新設は、合併時の合意事項である」という大宮側の持論を展開、浦和側の代表者の多くが欠席する中で位置の議論が行われ、に「新庁舎の規模については約4万㎡必要、建設地についてはさいたま新都心駅周辺が望ましい」の答申が出された(答申のため法的拘束力は無く、実際には条例の改正が必要となる)。 現実的には、さいたま新都心周辺で住宅建設などの民間転用が決定していない4万㎡の遊休地はないが、これを受けて2019年12月には、市当局より3ヶ所を移転候補地とする報告が出されており、これらの候補地は全て大宮区内となっている。 こうした中、市議会においては浦和側の自民党の重鎮市議である青羽健仁が「浦和は行政政治の中心というプライドを持っている。 市長がそれと違うことをすれば、市民の先頭に立って行動する」と詰め寄る など清水と浦和・岩槻地区を地盤とする自民党との対立関係がこれまで以上に先鋭化し、市政の大きな課題となっている。 浦和・岩槻側を中心とする自民党との対立が深まる中、清水はに入ってから岩槻側の懸案である延伸を積極的に行う旨の発言を重ねたが、2020年2月定例会で青羽に埼玉高速鉄道延伸に際しての課題と今後のスケジュールを問われると、「実際には鉄道延伸に関する何一つの具体的な予定がない」ことを認めた。 また、これまでの市役所移転論議のプロセスで「合併協定書に定められた『幅広い市民の参加』を経ていない」と青羽に指摘され、一旦は都市戦略本部長が「審議会のメンバーには市民公募によるメンバーが含まれている」と答弁したものの、実際の名簿にそうしたメンバーが含まれていないことを青羽に指摘された直後に撤回し(公募自体実際に行われていない)、最終的に清水も「今後市役所の移転先を決定し跡地利用に際しても決定するまで『幅広い市民の意見』を聞く予定はない」ことを繰り返し答弁するなど、混迷を深めている。 予算委員会でも、浦和地区の自民党市議が市庁舎移転に関する質問を清水に答弁指名したものの、清水はこれを無視する事実上の答弁拒否を行っており、清水と自民党、ひいては浦和側の対立構造が顕在化している。 清水や大宮側のさいたま市議としては、自民党が分裂した自民真政、旧民進党系、公明党の市長与党が力を持つこの機会に大宮側の積年の願望である市役所の大宮側への設置を進めたいという姿勢を示しており、この問題に関する住民投票の実施を求める浦和・岩槻側の自民党との対立が深刻化している。 なお、で誕生した他の自治体の例と比べて特異な点として、さいたま市では旧浦和市役所の庁舎であった現在の市庁舎は、条例上の「仮庁舎」ではなくあくまで正式な「本庁舎」と定めており、合併協定書で「場所について検討する」とされている「将来の市役所本庁舎」は条例に定められているものではない。 よって、庁舎の移転は第4条の規定により、議会の同意を要することになる。 つまり、庁舎の位置を変更する場合は、議会において出席議員の3分の2以上の議員の賛成(同意)が必要とされており、反対(不同意)が上回れば移転はできない。 先述の通り、2017年には現在地に市役所を置くことを主張する自民党から大宮区内への移転を要望する大宮・与野側の自民党市議を中心とする自民真政が分裂しているが、その勢力は自民党が14人(浦和側が10人、大宮側が2人、岩槻側が2人)、自民真政が9人(大宮側が7人、与野側が2人)と大宮側の自民党の党籍を持つ市議が全員自民真政に参加していない現実がある。 一方、・・を中心とする「民主改革」においても、政党別では立憲民主党が11人、国民民主党が3人、社会民主党が1人、合流前は「改革フォーラム」と言う独立会派で活動していた無所属が2人の合計17人で構成されているが、大宮・与野側の所属議員は全員(大宮側が7人、与野側が1人)が党の代表である立憲民主党に参加しているのに対し、浦和側では2人が立憲民主党、3人が浦和区を拠点とする国民民主党に参加し、これに無所属の2人が会派に参加する形になっている。 岩槻側は立憲民主党・社会民主党が各1人に分かれるなどの隔たりがあり、さいたま市においては政党・党派と同様に、旧市間の利害の違いが政治的勢力の分立に大きな影響を及ぼしている。 アクセス [ ]• (JR東日本)・()・・・西口徒歩約15分。 業務時間 [ ]• からの8時30分から17時15分(・・・を除く) 周辺 [ ]• ・重複区間() - 庁舎の東側を通る。 (市役所通り) - 庁舎の南側を通る。 東日本旅客鉄道大宮支線(・間) - 主に貨物列車が通り、定期旅客列車では「」と「」が通る。 ・市消防本部・指令センター - 市庁舎と接続している。 南部水道営業所• ひなぎく幼稚園• 関連項目 [ ]• - 現市庁舎が存在する場所に、教育学部のキャンパス(旧)があった。 - 現市庁舎が存在する場所で開校した。 - 毎年市役所周辺で開催されるイベント。 脚注 [ ].

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埼玉県庁・さいたま市役所

さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号

地理 [ ] 位置 [ ] さいたま市は、の中央部に位置し、政令指定都市で唯一に位置する。 埼玉県内においては南部東寄りに位置するが、県内で用いられる地域区分では「中央地域」に区分されることが多い。 また、日本のであるの都心部からは、北に約20 kmの距離にあり、県庁所在都市としては東京に最も近い。 さいたま市の市域は東西19. 6 km、南北19. 9kmにわたり、面積は217. 49である。 日本の政令指定都市としては、に次いで3番目に狭い一方、埼玉県内の市町村としてはに次いで2番目に広い。 また、隣接市町村数も秩父市(15市町村)に次いで2番目に多い(12市)。 地形 [ ] の中央部に位置するさいたま市には・といえる場所は存在せず、全域がおよびからなる。 全域にわたって標高が低く、最も低い地点で1. 1m()、最も高い地点でも海抜20. 5m()である。 市の西境あるいはその近くに 、東寄りにが、それぞれ北西から南東に流れており、これらの河川に近い市の西側、南側、東側の3方をで囲まれる。 一方、市の北西側から南東に向かって、主にによって形成されたが伸びており、市の中央部を貫いている。 この台地の中にも、、などの中小河川が流れている。 このような中小河川に沿ってやなどの低地が形成されているため、台地はいくつかの「支台」に区切られている。 これらの低地にはやなどがあったが、に干拓された。 :・(旧荒川)・・・・・・・・など。 そのほかの河川は各区の記事も参照のこと。 湖沼: ・・・・・(消滅)・(消滅) 土地利用 [ ] さいたま市周辺における人口集中地区 DID の推移(1960年 - 2010年)。 1960年には既に浦和・大宮・与野3市のDIDは一体化しており、他市町のDIDと接続したのはその後のことである。 岩槻区のDIDは春日部市のDIDと連続するが、市内他区のDIDとは連続しない。 東京都心からおおむね20km - 35km圏に位置するさいたま市は、におけるとしての性質の強い都市である。 その一方で、(63年)に旧浦和市・旧大宮市がに指定され、(12年)にが街開きをして各中央官庁のが東京より移転してくるなど、業務機能の集積も進んでいる。 東京の北郊に位置するさいたま市は、広域的に見れば、より東京に近い市南部のほうが、市北部に比べて人口密度が高い傾向にある。 行政・商業・業務などの都市機能の集積は、、、といった主要駅周辺において顕著であり、これらが旧浦和市・旧大宮市時代からのを形成している(旧与野市の中心は)。 またの周辺にも、旧岩槻市の中心市街地が形成されている。 現さいたま市域の大部分はまで農地が広がっていたが、(大正12年)のや前半のなどを契機として、などからの大規模な人口流入が生じ、本格的に宅地化が進むようになった。 このような宅地化は、まず中心市街地に近い台地上の鉄道駅付近、すなわちからにかけての沿線で先行した。 浦和市・大宮市・与野市の各中心部は、このような地域において互いに近接していたことから、市街地の一体化は早期に進行した。 において初めて が定義された(昭和35年)の時点で、この3市の人口集中地区は既に連続していた。 一方、1960年時点では、、、といった他市町村の人口集中地区とは連続していなかった。 その後、首都圏への大規模な人口流入と郊外化の影響はさらに強まり、現さいたま市域の都市化は急速に進んだ。 鉄道路線の沿線においては、さいたま市の人口集中地区と他市や東京の人口集中地区とが連続するようになっただけでなく、低地や鉄道駅から離れた場所にも宅地が及ぶようになり、周辺の市街地も拡大した。 2015年時点で、10区のうち、、、、の5区では、区のほぼ全域が人口集中地区に組み込まれている。 しかしながら、現在もなお、鉄道駅から離れた場所には比較的大規模な農地が存在するほか、住宅地の中にも小規模な農地が点在している。 またの度重なるを契機とした治水対策として広大なが設けられている周辺(・)や、として保全された周辺(・・・・)では、開発が厳しく制限されており、人口がほとんどいない地域も存在している。 と他区(・)との境界付近を流れるの両岸にも農地が多く、ここで市街地が途切れている。 その結果、さいたま市の人口集中地区は、岩槻区以外の9区においてはほぼ一体化しているのに対し、岩槻区の人口集中地区と他区の人口集中地区は連続していない。 岩槻区の人口集中地区は、東側に位置するの人口集中地区に接している。 市内の住宅地のの上位1位から5位の地点は浦和区に所在し、1位の二丁目は東京23区内以外では最も高い住宅地地価となっている。 また、商業地の公示地価では、上位1位から4位が大宮区の地点、5位が浦和区の地点である。 気候 [ ] さいたま市の気候は、に基づけば Cfa に属するが、の太平洋側に一般的にみられるように夏季に比べて冬季の降水量が少ない。 冬季の降水量の少なさと最低気温の低さは、()や、といった近隣の沿岸部の諸都市と比べ、より顕著である。 1月の平均最低気温は-1. 2018年1月24日には-8. のさいたま観測点(大字)における平年値(1981年 - 2010年の観測結果による)は、年平均気温は14. 0mmである。 7 65. 7 25. 5 77. 9 26. 9 80. 4 31. 2 88. 2 33. 3 91. 9 35. 9 96. 6 39. 3 102. 7 38. 7 101. 7 37. 4 99. 3 33. 1 91. 6 25. 6 78. 1 25. 1 77. 2 39. 3 102. 2 48. 6 9. 9 49. 8 13. 1 55. 6 19. 0 66. 2 23. 2 73. 8 26. 0 78. 8 29. 8 85. 6 31. 5 88. 7 27. 1 80. 8 21. 6 70. 9 16. 2 61. 2 11. 7 53. 1 19. 9 67. 6 38. 5 4. 4 39. 9 7. 8 46 13. 4 56. 1 18. 0 64. 4 21. 5 70. 7 25. 1 77. 2 26. 6 79. 9 22. 7 72. 9 16. 9 62. 4 11. 0 51. 8 5. 9 42. 6 14. 8 58. 5 29. 6 30. 9 2. 8 37 8. 1 46. 6 13. 4 56. 1 17. 7 63. 9 21. 5 70. 7 22. 9 73. 2 19. 2 66. 6 12. 8 55 6. 2 43. 2 0. 8 33. 4 10. 3 50. 8 14. 8 16. 0 28. 4 4. 8 40. 6 11. 5 52. 7 14. 7 58. 5 16. 3 61. 3 9. 5 49. 1 3. 6 38. 4 27. 7 19. 8 14. 4 mm inch 37. 4 1. 472 43. 1 1. 697 90. 9 3. 579 102. 3 4. 028 117. 3 4. 618 142. 4 5. 606 148. 1 5. 831 176. 3 6. 941 201. 8 7. 945 164. 9 6. 492 75. 7 2. 98 41. 1 1. 618 1,346 52. 0 mm 3. 9 5. 2 9. 5 9. 8 10. 3 11. 6 12. 1 8. 7 11. 5 9. 6 6. 7 3. 9 103. 5 平均月間 193. 3 179. 9 177. 8 185. 7 174. 7 128. 2 145. 5 173. 0 128. 1 137. 0 154. 5 182. 9 1,960. 9 出典: 平均値:1981年-2010年、極値:1977年-現在 行政区 [ ] この項目ではを扱っています。 閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 合併前の旧4市域と現さいたま市の区域との比較。 であるさいたま市には、10の行政区が設置されている。 おおむね、市町村合併前の旧域に・・・の4区が、旧域に・・・の4区が、旧域にが、旧域にがある。 ただし、わずかに旧浦和市内や大宮市内で中央区に編入された地区 や、旧浦和市内で大宮区に編入された地区 もある。 10区のうち、岩槻区を除く9区は、の政令指定都市への移行に伴って設置された。 この9区の区域は、浦和・大宮・与野の旧3市の合併協議において盛り込まれた『旧浦和市域・大宮市域はそれぞれ4つの行政区に区分することが適当』、『旧与野市域は(当時の)市域を基本として1つの行政区に区分することが適当』などの合意事項がさいたま市に引き継がれるかたちで設定されたものである。 一方での区域は、に旧がさいたま市に編入される際に、旧市域がそのまま岩槻区に移行する形で設定された。 さいたま市の10行政区には、それぞれ「区の色 」および「区の花 」が制定されている。 さいたま市の行政区 区名 団体コード 設置日 位置 面積 人口 世帯数 昼夜間人口比率 区の色 区の花 11101-5 2003年4月1日 旧西部 29. 12 km 2 92,355人 40,981世帯 86. 86 km 2 148,257人 68,648世帯 91. 80 km 2 118,563人 57,733世帯 138. 69 km 2 163,606人 74,200世帯 80. 39 km 2 102,163人 48,405世帯 98. 64 km 2 95,920人 46,051世帯 84. 51 km 2 165,167人 75,446世帯 102. 82 km 2 191,781人 89,055世帯 75. 44 km 2 127,896人 54,793世帯 79. 17 km 2 112,655人 51,170世帯 101. 1920年当時の人口が約12. 3万人であったのに対して、2015年国勢調査ではその10倍以上の約126. 4万人にのぼり、また9月には、住民基本台帳による人口が130万人を突破した。 特に日本の期における人口急増が著しく、1960年国勢調査では約42. 0万人であった現さいたま市域の人口は、1975年国勢調査では約81. 4万人となり、この15年間で2倍近くに増加した。 旧4市域の合併直前と現在の人口は、浦和市が約49万人(現・約58. 2万人)、大宮市が約46万人(現・約52. 4万人)、与野市が約8万人(現・約10万人)、岩槻市が約11万人(現・約11万人)である。 近年では、日本全体の状況と同様、人口の高齢化による死亡数の増加がみられる。 死亡数の増加により、さいたま市の人口の自然増(出生数から死亡数を差し引いた数)は急速に減少しており、2017年にはほぼ0となった。 現在のさいたま市の人口の緩やかな増加は、ほとんどが社会増(転入数から転出数を差し引いた数)によるものである。 人口の転入超過は、20歳代・30歳代によるものが多く、2017年には、転入超過数8,234人のうち20歳代・30歳代が5,396人を占めた。 の『日本の地域別将来推計人口』(平成30(2018)年推計)によれば、さいたま市の人口は2030年の131. 8万人でピークを迎え、その後減少に転じると推計されている(なお2020年時点で人口は132万人を超えてる)。 一方、日本全体の人口が既に減少に転じ、大半の都市も人口減少が見込まれていることもあり、さいたま市の日本国内における人口順位(東京特別区部を除いて第9位)は、2045年においても維持されるものと推計されている。 2万人)、(16. 5万人)、(16. 4万人)、が高い区は、浦和区(14,219. 市内に常住する・者74万7000人の23. その一方で、埼玉県内の他の市町村からさいたま市への通勤・通学者も16万8000人にのぼり(さいたま市から埼玉県内の他の市町村への通勤・通学者は10万人)、昼夜間人口比率も1990年(平成2年)の89. 地区 [ ] 合併前の旧4市 [ ] さいたま市は、人口40万人以上(2001年当時)の複数の市どうしが合併した、2020年時点において日本で唯一の例である。 当初に合併した浦和・大宮・与野の旧3市の市街地は地理的に連続しているが、旧岩槻市は3市の市街地とは連続しない。 旧4市のうち、旧浦和市と旧大宮市は、東西方向に細長い市域と2019年時点で50万人台の人口を有すること、中央部にの(・)を起源とする中心市街地があり、東西に住宅地や農地が多いという土地利用構成となっていること、に所属するプロサッカークラブがあることなどの共通点がある。 旧 浦和市は、古くはやのであったが、現在の街は旧中山道のが設けられたことに端を発する。 県庁、市役所をはじめや等県、市の行政機関の集積と共に、県であるの本店や各種の支部、各種メディアの支局など県都としての機能が集積し、浦和・大宮・与野の旧3市が速やかに合併協議に入ることを促した合併促進決議やさいたま市発足時の都市計画マスタープランで「行政の中心」として位置付けられている。 また、にと、に(現・)が設置され、として知られるゆえんとなった。 以降、などからの移住者で人口が急増し、周辺にがしたことから「に」という言葉が生まれ画家の街として知られる。 明治期に(現・埼玉大学)での指導が始められると、隣接していた旧制浦和中学と共に「埼玉発祥の地」とされ、サッカーが盛んな地域として全国的に名を馳せ、1993年のJリーグ発足時には が浦和市をホームタウンとして活動して現在に至っている。 市域で最もに近く、通勤電車の本数も多いことから、1995年にはを抜き県内最大の人口を擁する都市となり、2019年現在でもさいたま市を構成する旧4市で最大の人口を擁する。 浦和市時代から世帯所得は全国的にみても高く、西側の台地上(・・・・など)はとしても知られる。 旧 大宮市は、かつての水神をまつったとも云われるの門前町であったが、現在の街は、(19年)にとの間にあった馬継場に宿駅が設けられたことに起源を発する。 開通時において駅の設置はなかったため、 - 間への熱心な駅誘致活動により(18年)3月にを開設。 その後も大宮工場(現・JR東日本)やなどの鉄道施設を誘致し、「」として知られるようになった。 (昭和15年)に・・・・が合併し、大宮市が誕生。 埼玉県内では浦和市に次ぐ市制施行であった。 大宮駅の周辺に商業施設が集積し、戦後に市街地が拡大。 合併前の人口は県内で浦和・川口に次ぐ3位に成長した。 の一つであるの本店でもある。 先述の合併促進決議などで「経済の中心」として位置付けられている。 また日本初のサッカー専用スタジアムである(内に所在)を本拠地とし、が発足した1999年にJリーグに加盟した が大宮市をホームタウンとして活動して現在に至っている。 なお、さいたま市を構成する旧4市の中で面積は最大であった。 旧 与野市は、旧浦和市と旧大宮市の間に挟まれた位置にあり、他の3市に比べて面積が小さく、ほぼ全域にわたって市街化されている。 (昭和33年)に市制施行。 市域の狭さや市内のほぼ全域が鉄道駅至近に位置することもあり、市全域がに含まれ、人口密度は合併前の旧4市の中で最も高い。 また、さいたまスーパーアリーナと彩の国さいたま芸術劇場を擁するため、先述の合併促進決議などで「情報発信の中心」として位置付けられている。 合併直前に整備されたのうち、東北本線西側の主要な地域は旧3市の市域に跨っていたが、政令指定都市移行時に、地域の大半を占めていた旧与野市である中央区に旧浦和市部分・旧大宮市部分を編入して「新都心」という町名を新設した。 旧 岩槻市は、南北方向に細長い市域にのを起源とする中心市街地があり、南北にや農地が多いという市街配置・土地利用構成となっていること、には大部分が領であったこと(他の3市は主になど)、(昭和29年)の施行前の所属郡がであったこと(他の3市は)などの歴史的経緯において、他の旧3市とは異なった特徴を有する。 であるの産地で、人形店が集積し、「人形のまち」として全国的に知られるようになった。 一方で、近代以降の歴史を振り返ると、1889年の市制町村制施行当時の旧4市の中心自治体は、全て『町』であった。 浦和町は、浦和宿単独による町制施行で設置されて以降、常に周辺の村々を編入(吸収)合併したものの、1934年の市制施行は周辺の村々を合併せず、単独で市制を施行している。 一方、大宮町は、大宮宿と周辺の4村による新設(合体)合併によって町制を施行し、1940年の市制施行も大宮町と周辺の4村との新設合併によって大宮市を設置している。 また与野町は、旧与野町と周辺の9村との新設合併によって町制を施行し、1958年の市制施行は単独で市制を施行している。 岩槻町は、旧岩槻町と隣接する1村との新設合併によって町制を施行し、1954年に市制施行を前提とする岩槻町と周辺の6村との新設合併によって新しい岩槻町を設置した後、同年に単独で市制を施行している。 浦和にとって、これまで経験した自治体合併は、すべて浦和への編入合併であったため、さいたま市設置が初めての新設合併であったのに対して、大宮・岩槻は2度、与野も1度新設合併を経験し、その度に「大宮」・「与野」・「岩槻」の名を後継の新設自治体に引き継がせてきた経緯がある。 市域にかつて存在した市町村 [ ] 現さいたま市域の昭和初期における町村• - (大字北袋はに、その他の地域は浦和町に分割編入)• - (に編入の後、境界変更で旧美谷本村の内谷・曲本・松本と堤外の一部が浦和市に編入)• - (と合併して美笹村となる)• - (旧大門村差間・を除く地域と旧野田村が浦和市に、旧大門村差間・行衛と旧戸塚村がに分割編入)• - (、野田村と合併して美園村となる)• - (戸塚村、大門村と合併して美園村となる)• 木崎村 - (大字北袋)• - (岩槻市への編入後、境界変更で川島および馬込の一部が蓮田町〈現・〉へ編入)• 行政区と町名・大字名 [ ]• 歴史 [ ] (13年)以前の歴史については、・・・も参照。 地名についてはも参照。 先史時代 [ ] 現さいたま市域には、より人が居住しており、大宮台地のから大古里(おぶさと、緑区)遺跡、明花向(みょうばなむかい、南区)遺跡などのから、旧石器時代の遺物が出土している。 前期には、世界的なの進行により海面上昇が進み()、やの下流域は海面下に没した(。 このうち、の西側の水域は「古入間湾」とも呼ばれる )。 このため、内陸県であるやでもこの時代のが発見されており、さいたま市内においても、当時の海岸線に近い大宮台地の縁辺部に貝塚()、貝塚(南区)、貝塚()、貝塚()等の貝塚が残されている。 寒冷化の進んだ縄文時代の後期・晩期の遺跡は少なくなるものの、(岩槻区、国の史跡)、(緑区、埼玉県の史跡)、南鴻沼遺跡(中央区)などの遺跡がある。 、に入ると、本格的な水稲耕作が行われるようになる中で、低地をのぞむ台地の縁辺部や、低地のに多くの集落が形成されるようになった。 は、・(西区)、・(桜区)など古入間川沿いの台地縁辺部や低地に多く見られる。 古代 [ ] に体制が整備されると、現さいたま市のうち岩槻区はに、それ以外の9区はに含まれるようになった。 には足立郡に7つの郷が所載されており、そのうち堀津(ほっつ)、殖田(うえた)、郡家(ぐうけ)、発度(はっと)、大里(おおさと)の5郷を現さいたま市域内に比定する説があるが、堀津郷や発度郡はさいたま市外に比定する説もあり、定かではない。 には、現さいたま市域では、、の3座が所載されている()。 に足立郡のがあったと推定されている。 中頃にに抵抗する群盗の蜂起が続発して、治安が悪化したでは、地方豪族や荘園管理者などが農民などを集めて武装化するようになり、やがてそのような武装集団がとなっていった。 元年()、足立郡司として現在の浦和や大宮を含む足立郡一帯を支配していたと考えられると、武蔵権守の・武蔵介のとの対立が生じた。 これがやがての契機となったが、乱に巻き込まれる中で武蔵武芝は失脚し、以降などが足立郡司として登場した。 中世 [ ] (元年)のの際、に従って破れたは、その後足立郡に逼塞していたと考えられているが、4年()に挙兵して入りしたから足立郡の郡郷領掌を安堵され、以後有力として重用された。 足立遠元の屋敷は現のに比定する説と、現さいたま市西区の植田谷に比定する説とがある。 この他、に現さいたま市域に勢力を有した武士として、髙鼻和氏、麻弥屋氏、箕勾氏、渋江氏、柏崎氏などがある。 現西部からさいたま市南区西部にまたがるは、6年()から4度に分けて鎌倉のにされたが、元年()以降、鶴岡八幡宮による支配に抵抗する農民の闘争がたびたび生じた。 の関東地方では幾度にわたる戦乱が生じ、現さいたま市域もその戦乱の場となった。 においては、元年()に羽祢蔵(現:桜区)にて合戦が行われ、方のが方のらを破っている。 また、3年()にが勃発すると、現さいたま市一帯は方と方との対峙の場となった。 2年()には、古河公方のの家臣であるが足立郡に討ち入ってその大半を押領した。 または、方の()の家臣である・(道灌)父子による築城であるとする説と、古河公方方のによる築城であるとする説とがあり、築城後も太田氏が城主となった時期について複数の説があるなど、両勢力の角逐が続いた。 その後、( - )における長期間にわたるととの抗争を経て、関東地方における上杉氏の力は消耗し、かわっての勢力が次第に拡大することとなった。 4年()にはの勢力がすでにに及んでおり、この頃から現さいたま市域一帯は岩付太田氏の勢力と後北条氏の勢力の接点となったが、やがて15年()のにて軍が勝利すると、武蔵国における後北条氏の勢力拡大はさらに本格化した。 そのような状況下で、やがて7年()にはがその父であるを追放して北条氏康に内応し、その結果、一帯は後北条氏の支配体制下におかれることとなった。 しかし、(18年()には、によるの過程で岩付城も陥落した。 これにより後北条氏による支配は終わり、かわって豊臣秀吉の命で関東地方を与えられたが関東入りした。 近世 [ ] 徳川家康は、関東における支配を固める過程で、の近隣にや、を多く配置した。 の下で現さいたま市域におかれた藩としては、を藩庁とするがある。 現さいたま市域のうち、岩槻区域の大部分はこのの所領であった。 一方、他の9区の区域は幕府領や旗本領を中心に、さらにや岩槻藩領が入りまじり、さらにも多いという、複雑で細分化された支配体系下にあった。 江戸時代に、現さいたま市域において街が形成されていたのは、、、、およびの5か所であった。 このうち、岩槻町が唯一のであり、またこの岩槻町と大門宿が、将軍の日光参詣や岩槻藩のの経路として用いられたのである。 また、浦和宿と大宮宿は、の1つとして整備されたの宿場町であり、与野町はと日光御成街道を結ぶである奥州道中岩槻道のとして成立した街である。 しかし、大門宿の規模はきわめて小さく、また浦和宿や大宮宿も中山道の宿場町の中では比較的小規模であって、与野町の方が規模の大きい街であった。 江戸時代は、・流域において、多数のの付け替えやのが行われた時代であり、現さいたま市域もその影響を大きく受けることとなった。 まず6年()には、のらが、の一環として、それまで現在のへと流れていた荒川の河道を、現在の久下付近で締め切り、・を経由して筋に流す河川改修を実施した。 この河川の付け替えにより、元荒川筋ではが減少して新田開発が盛んに行われるようになった反面、入間川筋ではより一層洪水の危険性にさらされることとなった。 同じく1629年には、灌漑用水の確保を目的として、現在の南東側付近のをせきとめるも築堤され、その上流側にが形成された。 (13年)には、の一環としてを進めていたの命を受けたが、八丁堤を切り開いて見沼溜井を干拓して新田()とし、それにかわる水源としてから(現さいたま市域はとに分流)を開削させた。 (享保16年)には、もとの八丁堤があった付近に日本で最古級のであるが開削され、見沼代用水東縁・見沼代用水西縁と芝川をつなぐ内陸水運路となった。 享保17年()には、見沼代用水西縁から分水するかたちでが開削され、見沼に続いてが干拓された。 また、江戸時代には現上尾市域から現南区域にかけての広い範囲が、やのとなっていた。 近代 [ ] の過程において、の地方行政に関わる制度が(4年・元年〈1868年〉)、(明治2年〈〉)、(明治4年〈〉)と移行してゆく中で、現さいたま市域では明治2年1月28日(1869年)に大宮県が設置されたが、大宮県の実質的な県庁機能はに置かれた。 同年9月には県庁が(現:浦和区)に移転し、県名も へと変更された。 一方、は1871年(明治4年)の廃藩置県により 岩槻県となった。 その後、同年11月に、浦和県、岩槻県、が合併して が誕生、県庁は旧浦和県庁に置かれた。 ( - 横浜駅〈現:〉間)から11年後の(明治16年)には、の - 間(現:・)が開通し、現さいたま市域では初のであるが開業した。 市域西部を流れるは、(明治40年)8月と(明治43年)8月に水害を起こし、特に1910年の水害はとして知られる。 荒川をはじめ埼玉県内の多数の河川が大雨により氾濫し、埼玉県やの広い範囲が浸水するなど、大規模なものとなった。 これらの水害を契機に、荒川では「荒川下流改修計画」・「荒川上流改修計画」が策定され、一体的な治水対策や河川改修工事が行われるようになった。 しかしながら、を含む当時の日本の経済・社会情勢の影響を受け、工事は当初予定よりも大幅に時間を要することとなった。 現さいたま市域は、荒川上流改修計画に含まれているが、これによる河川改修工事は、開始年が(7年)、付帯工事も含めた終了年は(29年)のことである。 これにより、さいたま市付近の荒川は、幅2km弱にわたるを有することとなった。 (大正12年)のは現在のさいたま市域、なかでも浦和と大宮の発展に大きな影響を及ぼすことになる。 この時期埼玉県では主要都市中心部で「耕地整理事業」の名による区画整理が始まっていたが、中でも早期に耕地整理事業が進み、震災の時点ですでに中心部付近に整備された碁盤状の街区を設けていた旧浦和町は震災被害も軽微であった(死者は3名 )。 このため、壊滅した東京や横浜から人口が流入し、特にの周辺の浦和駅西側地域には画家をはじめとしたや文化人が移住した。 彼らは「」と呼ばれる文化人コミュニティーを形成し、文教都市浦和の発展に寄与した。 一方大宮では、やはり震災を契機として、大宮町・大砂土村境界部に東京・小石川から盆栽業者が集団移転し、盆栽村組合が設立されて厳格な景観に対する取り決めを行い、盆栽村が形成された。 これら関東大震災後に浦和・大宮に花開いた文化は、現在でも文化的遺産となっている。 (昭和2年)にが埼玉県知事に就任。 宮脇は、県庁のある浦和の単独市制もしくは浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏実現を構想した。 宮脇は在任わずかで他県に転出して実現しなかったが 、(昭和6年)に宮脇が再び埼玉県知事に就任。 自論を再び展開し、日進を加えて三町三村の合併による「 大埼玉市構想」を強く提唱した。 しかし大宮町の負債総額が浦和町を大幅に上回っていたことから浦和町が合併に消極的であったといわれ 、合併は実現しなかった。 (昭和9年)、市制施行により 浦和市が発足。 これは都道府県庁所在地として最も遅い市制施行であった。 また、浦和・大宮・与野・六辻・三橋の1市2町2村の上水道を取り扱う「 埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団、現:)が設立され、「大埼玉市」構想の一部が実現した。 (昭和14年)には浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨などの一市三町六村での合併を呼びかけ。 大宮町も、浦和市・与野町との独自の合併案を提示した。 翌年の(昭和15年)、埼玉県が仲介して大宮案での合併交渉に入り、六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意にこぎつけたが、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなった。 大宮町は、交渉不調に備えて別個に合併交渉を進めていた日進・三橋・宮原・大砂土の4村と11月に合併し、同時に市制施行により 大宮市が発足。 (昭和18年)には、埼玉県知事のが浦和・大宮・与野との二市一町で埼玉市を設立する合併構想を打ち出すも、戦争の激化により立ち消えとなった。 中は、埼玉県内を管轄する司令部が置かれ、戦争末期の(昭和20年)には、浦和にが置かれた。 市域では4月14日に浦和と大宮が、5月26日に再び浦和がを受け死傷者が生じ、また浦和への爆撃予告ビラが投下されるなどしたが、県内最大の空襲であるのような大規模空襲に遭うことはなかった。 終戦後の占領下になるとに埼玉軍政部が置かれた。 現代 [ ] みそのウイングシティ 2001年に戦前()から数度浮上した合併構想が結実し、浦和・大宮・与野の合併によりさいたま市が発足した。 には岩槻を編入し現在に至っている(下記)。 、旧浦和市域を東西に走る()、浦和市・大宮市・与野市をまたがってや(、大宮駅以北の開業は)が開業し、、、などインフラ整備が行われた結果、至近の現市域も人口流入が進んだ。 特に浦和市は県庁所在地として、大宮市は商業の中心としてそれぞれ発展した。 平坦な地形から住宅開発が進み、旧4市域の人口は1990年代に100万人を超え、合併後には130万人となり、に次ぐ国内9位の都市となった(参照)。 現在も複数の区画整理事業()が進められており、今後も市街地の拡大が見込まれる。 を中心としたは、計画人口3万人以上の市内最大規模の開発事業となった。 また、主要駅周辺部では事業()が活発化し、高層建築物が増加した。 市内で最も高さがある建物はにある(168m)、最も階数が高い建物は(38階)となっている。 合併に関する経過と合併後の沿革。 旧市に関する詳細な歴史は各4市の項目を参照。 浦和市・大宮市・与野市の合併• (28年) - 9月、町村合併促進法が制定される。 いわゆる「」の始まり。 (昭和29年) - 2月、埼玉県が県内323市町村を81市町村にまで合併再編する合併試案を示し、浦和市・大宮市周辺では浦和市・大宮市・与野町・大久保村・土合村の2市1町2村による合併試案が示される。 しかし浦和市は大久保村・土合村を編入する合併、大宮市は周辺6村を編入する合併を構想し、この枠組みでの合併は実現せず。 11月、与野町が大久保村に合併を申し込むも、実現せず。 (昭和30年) - 1月、浦和市が大久保村・土合村を編入、大宮市が周辺6村(指扇村・馬宮村・植水村・片柳村・七里村・春岡村)を編入。 2月、与野町議会に北部を大宮市、南部を浦和市に編入させ、中央部を残存させる案が提出されるも、反対議員や町民が議場を取り囲んで開会できず、与野町はそのまま残る。 (昭和33年) - 市制施行により 与野市が発足。 (昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。 第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をするというものだった。 (昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。 また、の合併推進派の理論的支柱となった都市社会学者のが、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。 (昭和55年) - 10月、県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市、大宮市、与野市、、の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。 (昭和57年) - 4月、従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。 9月、「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。 (昭和60年) - 12月、「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。 (2年) - 7月、「政令指定都市化」を公約にして、が大宮市長に就任。 だが、単独での実現は現実的には不可能であり、合併による政令指定都市化を目指すものだった。 これには与野市長のも同調した。 (平成3年) - 4月、「政令指定都市化」を公約にして、が浦和市長に就任。 これに難色を示した現職のを破っての就任であった。 (平成4年) - 4月、が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域基本構想」として承認。 (平成5年) - 6月、跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。 12月、4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。 以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。 (平成7年)• 3月 - 「合併促進決議」が浦和市議会、大宮市議会で可決、与野市議会も6月に決議を可決。 この決議において 「浦和を行政の中心、大宮を経済の中心、与野を文化の中心とする」という新市における三地区の位置づけが確認された。 - 上尾市が浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。 (平成9年) - 任意協議会「浦和市・大宮市・与野市 合併推進協議会」が設置される。 (平成10年)• - 新市の名称の議論を付託された「 第2小委員会」が設置される。 - 大宮市の提案に基づき、3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成される「浦和市・大宮市・与野市 新市名検討委員会」が設置される(会長:学長)。 - 第2小委員会開催。 新市名検討委員会から、「 新市の市名は公募することが望ましい」との報告を受ける。 大宮市は公募方式に対し態度を保留するも、同月10日に新市名検討委員会は国内外からの公募を再確認。 その後、上尾市・伊奈町を同時に合併しないことを理由に大宮市が審議をし、合併推進協議会の協議が停滞(上尾市・伊奈町を含めた合併は、旧大宮市が強く求めていたもので、両市町は彩の国YOU And Iプランに含まれる領域であるとともに、旧大宮市にとって自身を新市の地理的な中央部に置くためには両市町を組み込むことが死活問題であった)。 浦和市は審議正常化を求め、逆に・蕨市も合併に加えることを提案(1962年に打ち出した合併構想案を基にしたものであった)。 (平成11年)• - 3市先行合併、合併後に上尾市・伊奈町の意向確認を行う旨の合意が行われ(いわゆる「 6・25合意」)、審議が正常化する。 - 19日、大宮市議会の再反対で公募を先送り。 28日、公募実施要項に「6・25合意」を盛り込むことで公募の実施を合意。 31日、第14回第2小委員会で市名の公募の実施を合意。 (平成12年)• - 市名の公募を実施。 期限のまでに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。 その結果は、『 埼玉市』が1位(7117票)、『 さいたま市』が2位(3821票)というものであった。 また合併を構成する各市の名称を用いる案は『 大宮市』が3位(3008票)、『 浦和市』が6位(1821票)となったが、大宮市以外の地域からの『大宮市』への応募は24. また、『与野市』は100位以内に入らなかった。 - 新市名検討委員会での検討の結果、『 埼玉市』(公募1位)・『 さいたま市』(2位)・『 彩都市』(5位2495票)・『 さきたま市』(7位1374票)・『 関東市』(37位217票)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。 - 第22回第2小委員会が開催。 浦和市・与野市から『 さいたま市』、大宮市から『大宮市』の2つの市名案が提案される。 なお、『大宮市』の名称は、大宮市の提案で設置された新市名検討案が提出した市名候補5案にはないものだった。 - 第23回第2小委員会が開催。 『埼玉』などの名称を使用しないでほしいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・地区自治会連合会会長が招聘される。 - 第25回第2小委員会が開催。 大宮市側は新市の市役所をさいたま新都心周辺地区に置くよう要求し、合併促進決議以来「行政の中心」と位置付けられている浦和市側の猛反発を受ける。 最終的に「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨 を合併協議書に盛り込むことで、新市名を『 さいたま市』とすることに合意した が、合併後は「将来の市役所の位置」に関する合併協定書の文言に関する解釈を巡って対立が見られる(当時から域内最大の人口を有し市の中心となる浦和市側の反発により、新市役所をさいたま新都心に設置すると明記されておらず、「意見を踏まえ…位置を検討する」という玉虫色の文章にされているため)。 - 第21回合併推進協議会が開催。 新市名を 『 さいたま市』とする旨委員長報告があり、議案が提出。 即日議決される。 なお、さいたまの 「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体( 「ち」の鏡文字)を正式としたが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。 - 浦和市・大宮市・与野市の市境域の旧国鉄操車場跡地にて、がまちびらき。 なお、この「さいたま新都心」という名称は、1999年4月に決まっていたものであり、市名「さいたま市」との直接の関係はない。 - 合併協定調印式。 合併、政令指定都市へ• 2001年(平成13年)• 3月28日 - 大規模開発「」(計画人口31,200人)の開発に先駆け、およびが開業。 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。 - 上尾市が「さいたま市との合併の是非を問う住民投票」を実施。 「反対 58. - 伊奈町が合併協議を断念する旨を表明。 には、上尾市が住民投票の結果を受け、合併協議を辞退する旨を正式に表明。 (平成14年)• - の準決勝(対戦)など4試合が埼玉スタジアム2002で開催。 - 市議会が「政令指定都市関連議案(区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例案)」を可決。 (平成15年)• - 岩槻市が「岩槻市の合併に関する住民投票」を実施。 「さいたま市との合併 52. - 住民投票の結果を受け、岩槻市がさいたま市に対し合併協議の申し入れを行う。 さいたま市は、にこの申し入れを受け入れる。 - さいたま市がに移行し、9つの行政区が発足。 - 任意協議会「さいたま市・岩槻市任意合併協議会」設置。 (平成16年)• - 法定協議会「さいたま市・岩槻市合併協議会」設置。 - 合併協定調印式。 岩槻市を編入、現在のさいたま市が成立• (平成17年) - 、さいたま市がを編入合併し、旧岩槻市の市域を区域とする が発足。 (平成18年) - みそのウイングシティ(緑区・岩槻区)が街開き(区画整理事業は現在も継続している)。 (平成19年) - (浦和区・を併設)が開館。 (平成21年) - - 間に(西区)が開業。 (平成25年) - が初開催。 (平成27年)• 4月1日 - 「文化財産等取得基金」を編入し、「文化芸術都市創造基金」が創設。 この基金をもとにトリエンナーレなどのイベント開催、浦和区の「」を「さいたま市立美術館」(仮称)に発展的に開設する構想がある。 11月 - が初開催。 (平成28年)9月 - 12月 - 開催(後に「さいたま国際芸術祭」と改称される)。 (平成30年) - さいたま市の総人口が130万人を突破。 (2年)• - 旧岩槻区役所跡に「」を開館(岩槻区)。 6月1日 - 与野本町小学校内に「さいたま市与野郷土資料館」を開館(中央区)。 (令和3年) - (当初は2020年に開催予定)が開催、埼玉スタジアム2002(サッカー)およびさいたまスーパーアリーナ(バスケットボール)が競技会場となる(予定)。 2020年以降• みそのウイングシティ内に医学部附属病院の新病院が開院、同時に大学院の新キャンパスも開学(予定)。 政治 [ ] 市長 [ ] 現職市長 [ ]• - ( しみず はやと ) (平成21年)初当選、5月27日就任。 現在3期目で、任期満了日は(令和3年)5月26日。 - 日野 徹 ( ひの とおる ) 2016年(平成28年)6月17日選任、6月30日就任。 副市長 - 高橋 篤 ( たかはし あつし ) 2017年(平成29年)10月20日選任、10月23日就任。 副市長 - 阪口 進一 ( さかぐち しんいち ) 2019年(令和元年)6月28日選任、7月1日就任。 歴代市長 [ ] さいたま市は、の完全時代の到来以降に成立(〈平成13年〉)した地方公共団体である。 従って、さいたま市長はによって選出されている(2001年〈平成13年〉に第1回市長を執行)ため、によって選出された市長は存在しない。 の代数(歴代)の数え方は何種類もあるが、本節では a, b を添える形で書き分けながら解説する。 表示欄では「代a」「代b」という名で2種類を記載した。 a は就任のあるたびにカウントする方式に基づく代数(就任代)であり、b は同一人物による連続就任をカウントしない方式に基づく代数(人数代)である。 さいたま市は a の方式を採っているが(他の例:、、)、b の方式を採る自治体も多く(例:、)、a と b の違いを認識しないまま単純に比較すると誤解が生まれる。 なお、返り咲きがあろうとも同一人物を1カウントとする方式もあるが、現在のところ、さいたま市は該当していない。 代a 代b 氏名 就任年月日 退任年月日 備考 公 選 市 長 - - ( いはら いさむ ) (平成13年) 2001年(平成13年)5月27日 によるさいたま市の発足に伴い、合併前の自治体の一つであるの市長を5期在任 した井原が、失職による退任と同時にさいたま市のとなる。 1 1 ( あいかわ そういち ) 2001年(平成13年)5月27日 (平成17年)5月26日 2001年(平成13年)5月27日、初当選。 さいたま市の発足前の自治体の一つであるの市長を3期在任 したが、失職による退任後、同じくの市長を3期在任 して、失職により退任したなどと第1回市長選挙を戦い、勝利して即日就任。 浦和市長時代から通算4期目となる。 1期目4年を満了。 2 2005年(平成17年)5月27日 (平成21年)5月26日 2005年(平成17年)5月15日、再選。 2期目4年を満了。 3選を目指すも落選。 事由の一つには、健康面等もさることながら、浦和市長時代から通算5期目を数えており、さいたま市長に3選となれば通算で6選となるため、多選との批判があった。 3 2 ( しみず はやと ) 2009年(平成21年)5月27日 (平成25年)5月26日 埼玉県議を2期途中で辞任して、2009年(平成25年)5月24日、初当選。 1期目4年を満了。 4 2013年(平成25年)5月27日 (平成29年)5月26日 2013年(平成25年)5月19日、再選。 2期目4年を満了。 5 2017年(平成29年)5月27日 ( 現 職 ) 2017年(平成29年)5月21日、3選。 現在3期目で、任期満了日は(令和3年)5月26日。 過去の市長選挙 [ ] 2017年(平成29年)5月21日 さいたま市長選挙 投票率 31. 2001年(平成13年)5月27日 - 初の市長選挙。 前浦和市長の相川宗一(推薦)が当選。 2003年(平成15年)4月13日 - 初の議員一般選挙。 議員定数を64に削減。 2004年(平成16年)12月26日 - 南区選出議員の市議会議員補欠選挙。 2005年(平成17年)5月15日 - 市長選挙。 岩槻区選出議員の市議会議員増員選挙。 浦和区選出議員の市議会議員補欠選挙。 議員定数を71に増加。 2007年(平成19年)4月8日 - 市議会議員一般選挙。 議員定数を64に削減。 2009年(平成21年)5月24日 - 市長選挙。 西区・北区選出議員の市議会議員補欠選挙。 2011年(平成23年)4月10日 - 市議会議員一般選挙。 議員定数を60に削減。 2013年(平成25年)5月19日 - 市長選挙。 見沼区選出議員の市議会議員補欠選挙。 2015年(平成27年)4月12日 - 市議会議員一般選挙。 2017年(平成29年)5月21日 - 市長選挙。 2019年(平成31年)4月7日 - 市議会議員一般選挙。 さいたま市議会 [ ] を参照 国政選挙 [ ] 本市におけるのは、3つに区分されている。 :見沼区(5区に属しない地域)、浦和区、緑区、岩槻区 議員名 党派名 当選回数 備考 3• :西区、北区、大宮区、見沼区(1区に属しない地域)、中央区 議員名 党派名 当選回数 備考 9 自由民主党 4 比例復活• :桜区、南区、(〈に属しない地域〉、、) 議員名 党派名 当選回数 備考 自由民主党 4 県政選挙 [ ] 本市におけるの選挙区は、行政区ごとに区分して議員を選出している。 その総数は14である。 選挙区名 定数 議員名 会派 当選回数 南第3区 さいたま市西区 1 日下部伸三 自由民主党 3 南第4区 さいたま市北区 2 高木真理 埼玉民主フォーラム(立憲民主党) 3 関根信明 自由民主党 1 南第5区 さいたま市大宮区 1 藤井健志 自由民主党 2 南第6区 さいたま市見沼区 2 田村琢実 自由民主党 4 (欠員) 南第7区 さいたま市中央区 1 宮崎吾一 自由民主党 1 南第8区 さいたま市桜区 1 荒木裕介 自由民主党 3 南第9区 さいたま市浦和区 2 浅野目義英 無所属 4 高木功介 自由民主党 1 南第10区 さいたま市南区 2 宮崎栄治郎 自由民主党 5 木村勇夫 埼玉民主フォーラム(国民民主党) 4 南第11区 さいたま市緑区 1 高橋政雄 自由民主党 4 南第12区 さいたま市岩槻区 1 小島信昭 自由民主党 6 行政 [ ] の項目も参照。 広報活動 [ ] 市の一般的な広報活動は、広報課により行われている。 同課内には、一般的な広報活動の企画立案や各区ごとの広報活動の取りまとめを行う「広報係」のほか、行政情報のを推進することを主な業務とする「企画推進係」がある。 主な広報媒体として、広報誌『市報さいたま』(毎月1回発行、全戸配布)、テレビ番組『』(で放送)のほか、媒体によるもの(公式サイトおよび)などがあり、このうち『市報さいたま』については向けにカセットテープ版や版も制作されている。 また、この他にも市議会や市政の個別テーマ・部局・地域ごとの広報が多くなされている。 市のマスコットキャラクターとして、市内の(見沼田んぼ)に伝わるに因んだ「つなが竜ヌゥ」が2007年9月20日に制定された。 このキャラクターは一定の条件(要綱・マニュアルに記載)を満たせば営利目的を含めて誰でも使用することができるほか、の貸し出しも行われている。 また、埼玉県の自治体ので構成されるにも加盟している。 また、によるキャラクター「」がに任命されており、各種イベントにて「ヌゥ」や埼玉県のキャラクターである「」・「さいたまっち」と一緒に登場することが多い。 市歌として、「」が制作されている。 この楽曲の冒頭とエンディングに流れる風のエールは、浦和レッズと大宮アルディージャのサポーター有志によるものである。 また、このエールをアレンジしたものが市内の複数のJR駅でとしても使用されている。 市の機関 [ ] 消防局・危機管理センター 消防・防災• (浦和区)• 西消防署• 北消防署• 大宮消防署 - さいたま市防災センター(防災展示ホール)を併設• 見沼消防署• 中央消防署• 桜消防署• 浦和消防署 - を併設• 南消防署• 緑消防署• 岩槻消防署• 保健所• (中央区) 上下水道• (浦和区)• (見沼区) ごみ処理施設• (桜区)• (緑区)• 西部環境センター(西区)• 東部環境センター(見沼区) 斎場• (桜区)• (見沼区)• 思い出の里会館(見沼区・思い出の里市営霊園内)• ひかり会館(中央区) 観光案内所• 浦和観光案内所(アトレ浦和South Area内)• 大宮駅観光案内所(大宮駅構内)• さいたま新都心観光案内所(さいたま新都心駅東西自由通路)• 岩槻観光案内所(岩槻駅構内) 教育 [ ] 教育委員会• (浦和区) 教育研究所• (浦和区) 児童施設• あいぱれっと(・浦和区)• さいたま市• 図書館 [ ] を参照。 市内に25館設置されている。 ほかにが、閉館後内に設置。 地域拠点施設 [ ]• (浦和区)• さいたま市 市民活動サポートセンター• さいたま 国際交流センター• プラザノース(北区)• (桜区)• (南区)• (緑区) コミュニティセンター [ ]• 浦和コミュニティセンター• 武蔵浦和コミュニティセンター• 南浦和コミュニティセンター• 美園コミュニティセンター• 与野本町コミュニティセンター• 西与野コミュニティホール• 下落合コミュニティセンター• 上峰コミュニティホール• 高鼻コミュニティセンター• 東大宮コミュニティセンター• 七里コミュニティセンター• 片柳コミュニティセンター• 日進公園コミュニティセンター• 宮原コミュニティセンター• 西部文化センター• 馬宮コミュニティセンター• コミュニティセンターいわつき• 岩槻駅東口コミュニティセンター• ふれあいプラザいわつき 支所・市民の窓口 [ ] 西区• 三橋支所• 植水支所• 馬宮支所 北区• 宮原支所• 日進支所 大宮区• 大宮駅支所 見沼区• 片柳支所• 七里支所• 春岡支所• 東大宮支所 桜区• 西浦和駅市民の窓口• 土合支所• 大久保支所 浦和区• 浦和駅市民の窓口• 北浦和駅市民の窓口• 与野駅市民の窓口 南区• 南浦和駅市民の窓口• 谷田支所 緑区• 東浦和駅市民の窓口• 原山市民の窓口• 山崎市民の窓口• 三室支所• 美園支所 岩槻区• 府内市民の窓口• 東岩槻支所 県の出先機関 [ ] 北区• 埼玉県立• 埼玉県• 中央 大宮区• パスポートセンター• 競技事務所• 母子福祉センター• 自動車税事務所• 大宮公園事務所 中央区• 埼玉県消防学校救急救命士養成課程()• 埼玉県創業・ベンチャー支援センター• 埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouさいたま)• 食肉衛生検査センター• 支援センター埼玉• 総合支援センター(小児医療センター内) 桜区• 企業局• 企業局水道整備事務所• 埼玉県動物指導センター南支所 埼玉県庁 浦和区• 県民生活部交通安全課交通事故相談所(埼玉県庁内)• さいたま県税事務所(大宮県税事務所を浦和県税事務所に統合)• さいたま農林振興センター• 中央環境管理事務所• 南部教育事務所• 総合技術センター• 埼玉県労働相談センター• 県営競技事務所• 荒川左岸南部下水道事務所• 別所沼会館ヘリテイジ浦和• 防犯・交通安全課分室(ラムザタワー)• 就職支援サテライト ヤングキャリアセンター(ラムザタワー) 岩槻区• 児童養護施設いわつき 県の公社 [ ]• (浦和区)• (浦和区)• (大宮区)• (桜区) 警察 [ ]• 本部(浦和区)• (浦和区) - 第一方面本部、、交通管制センターを併設• (中央区)• (緑区)• (大宮区) - 鑑識科学捜査センターを併設• (西区)• (見沼区)• (岩槻区)(蓮田市も管轄する) その他主な警察施設• (西区)• 県(北区)• 岩槻分駐隊(岩槻区・東北自動車道岩槻インターチェンジ内)• (大宮区・大宮駅西口)• 大宮駅派遣所• さいたま新都心駅派遣所• 浦和美園駅派遣所• 機動センター(西区)• 少年サポートセンター(南区・)• 犯被害者支援室(南区・ラムザタワー)• 再交付・国外運転免許センター(大宮区・4階)• 運転管理課大宮分室(北区) 国の出先機関 [ ]• 関東事務局(新都心合同庁舎1号館)• (新都心合同庁舎2号館)• 埼玉県情報通信部(浦和区)• 岩槻高速道路管理室(岩槻区)• 関東(新都心合同庁舎1号館)• (浦和区)• (浦和区)• (大宮区)• (中央区)• 浦和公証センター• 大宮公証センター• さいたま公安調査事務所(浦和区)• (新都心合同庁舎2号館)• 関東(新都心合同庁舎2号館)• さいたま(浦和区)• さいたま拘置支所(浦和区)• さいたま(浦和区)• さいたま出張所(中央区)• (新都心合同庁舎1号館)• (新都心合同庁舎1号館)• 関東信越(新都心合同庁舎1号館)• 浦和(新都心合同庁舎1号館)• 大宮税務署(大宮区)• 埼玉方面事務所(浦和区)• (新都心合同庁舎1号館・浦和区)• 大宮公共職業安定所• さいたま• (緑区)• (新都心合同庁舎2号館)• 埼玉支局(新都心合同庁舎2号館)• (新都心合同庁舎1号館)• 関東東北(新都心合同庁舎1号館)• (新都心合同庁舎2号館)• 大宮国道事務所• 浦和出張所• 大宮出張所• 荒川上流河川事務所西浦和出張所• (西区)• (明治安田生命さいたま新都心ビル)• (新都心合同庁舎2号館)• (北区)• (大宮駐屯地) 広域行政 [ ]• : 飯能市、加須市、本庄市、東松山市、狭山市、春日部市、羽生市、鴻巣市、深谷市、上尾市、草加市、越谷市、入間市、朝霞市とともにでのの開催に関する事務を共同で行っている。 : 埼玉県とともに、でのの開催に関する事務を共同で行っている。 事務委託• : の運営を埼玉県に委託している。 司法 [ ] 裁判所 [ ]• 経済 [ ] 産業構成 [ ] 埼玉りそな銀行本部• (さいたま市の)本店• (さいたま市の)本店• 浦和支店、大宮支店、南浦和支店• 浦和支店、大宮支店、武蔵浦和支店• 浦和支店、大宮支店、武蔵浦和支店、南浦和支店• 浦和支店、大宮支店• 浦和支店、大宮支店、与野支店、武蔵浦和支店• 浦和支店、大宮支店• 浦和支店、大宮支店• さいたま支店 本社を置く主な企業• (大宮区)• (大宮区)• (中央区)• (中央区)• (浦和区)• (岩槻区)• (桜区)• (南区)• (浦和区)• (桜区)• (浦和区)• (浦和区)• (見沼区)• (中央区・桜区)• (浦和区)• (浦和区)• (南区)• (中央区)• (浦和区)• (中央区)• (緑区)• (南区)• (南区)• (大宮区)• (中央区)• (中央区)• (北区)• (中央区)• (浦和区)• (浦和区)• (浦和区)• (南区)• (南区)• (見沼区)• (南区)• (中央区)• (緑区)• (中央区)• (南区)• (南区)• (浦和区)• (浦和区)• (浦和区)• (大宮区)• (中央区)• (浦和区)• (大宮区)• (桜区)• (西区)• (南区)• (大宮区)• (南区)• (桜区)• (南区)• (北区)• (北区)• (大宮区)• (浦和区)• (浦和区)• (中央区)• (大宮区)• (浦和区)• (浦和区)• (緑区)• (北区)• (北区)• (北区)• (北区) 研究所など• 総合事務所(大宮区)• 中央研究所・浦和工場(南区)• 浦和開発研究所(南区)• 総合研究所・大宮工場(北区)• 浦和研究所・基礎研究所(桜区) 特殊法人• 北関東・信越ブロック本部(浦和区)• 浦和年金事務所(浦和区)• 大宮年金事務所(北区)• 埼玉支店(浦和区)• 北関東支社(大宮区)• さいたま支店(浦和区)• さいたま支店(大宮区)、浦和支店(浦和区)• 関東支社(中央区)• (浦和区)• 埼玉支所(浦和区)• 埼玉産業保健推進センター(浦和区)• 埼玉地域支社(南区)• 本部(中央区)• 総合技術センター(桜区)• さいたま支局(大宮区)• (中央区) 独立行政法人()• 農業技術革新工学研究センター(北区) 組合企業• (浦和区)• (南区)• (見沼区)• (南区) 主な商業施設 [ ] 埼玉大学 小中学校および高等学校、特別支援学校等はを参照。 大学 国立大学法人• (桜区) 私立• (緑区、2020年以降に開校予定)• 薬学部浦和共立キャンパス(緑区、学部内のクラブ活動や学生の研修等のみに使われている。 キャンパス内に附属薬用植物園がある)• 大宮キャンパス(見沼区、工学部およびデザイン工学部1・2年生、システム理工学部全学年)• (緑区)• 岩槻キャンパス(岩槻区、キャンパス内に目白大学耳科学研究所クリニックがある)• 大宮グラウンド(見沼区、2009年3月に体育実技科目の一部を残して当キャンパスでの授業を廃止。 グラウンドのみが使われている)• 岩槻キャンパス・蓮田キャンパス(岩槻区、本部である蓮田キャンパスの所在地は、岩槻区内に属している)• さいたま看護学部大宮キャンパス(中央区)• 埼玉学習センター(大宮区)• (大宮区)• (緑区) その他 [ ] ホール [ ] 埼玉スタジアム2002 さいたま市は、旧浦和市域を中心としてが盛んな街でもある。 現在のさいたま市役所付近に置かれた(後の教育学部)がの全国中等学校蹴球大会(後の)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越えた(かつてはで全国大会が開かれていたため)。 以来、1950年代から1970年代にかけて・・・が次々と全国制覇し、やと共に「 サッカー御三家」と称された。 2017年現在、さいたま市内を本拠地とするプロサッカークラブとしては、1部(J1)に所属する、、女子サッカークラブとしてはに所属するがある。 特にを前身とする浦和レッドダイヤモンズは、で2度優勝(国内唯一)した強豪クラブとなっている。 浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャとの試合はと呼ばれている(2018 — 2020年は開催されない)。 また、J1規格以上のサッカースタジアムが3つある都市はさいたま市だけとなっている。 には、の埼玉会場として、日本代表の初戦や準決勝戦など4試合が緑区ので行われた。 においても使用される予定となっている。 (Jリーグ)• (なでしこリーグ)• (関東サッカーリーグ1部所属)• (関東サッカーリーグ2部所属)• (2部所属)• (なでしこリーグ参入を目指す女子サッカークラブ) 野球 [ ] 市内ではも盛んであり、県営・市営あわせ4つの野球場が所在する。 においては、に10回、に13回出場し、県内最多(合計23回)の大会出場回数のが所在しており、に浦和学院高校が、にが選抜高校野球大会で全国優勝を果たしている。 においても、実業団チームではが浦和市時代からに43回、に20回出場しており、に初の都市対抗野球大会優勝を果たし、には日本選手権に優勝を果たすなど南関東エリアの強豪として知られている。 また、ではがにの第1回大会から3連覇を果たしている。 戦前はに本拠に置いた「全大宮」がから都市対抗野球大会に5年連続で出場し、・と二年連続で準決勝に進出する活躍をした。 (参考:)• 下記の2チームは本拠地を地域内に置いている。 (との広域)• (2008年よりで試合あり)• (社会人野球)• バスケットボール [ ] については、所属ののである他、からまで、のファイナルラウンドがのにて行われた。 女子では現在は廃部となったが、にも参戦していたがに本拠を置いていた。 また、度よりの最終ラウンドをさいたまスーパーアリーナにて行われている。 (B3. LEAGUE)• (と共にホームタウンとしている) 卓球 [ ]• (Tプレミアリーグ・男子)• (埼玉県全域をホームタウンとするが、ホームタウン中心活動地域としている) スポーツ文学賞 [ ] さいたま市は、スポーツが盛んな都市というイメージを生かし、1994年に(開始時は「浦和スポーツ文学賞」。 現在は終了)を創設した。 スポーツを題材とする小説およびエッセイを全国から公募する文学賞で、2010年まで隔年で実施された。 また、受賞者の作品をまとめた作品集『SPORTS STORIES』を毎回刊行していた。 スポーツ施設 [ ] サッカー [ ]• (浦和レッズホームスタジアム)• (浦和レッズホームスタジアム)• (浦和レッズ専用練習場)• (大宮アルディージャホームスタジアム)• (大宮アルディージャ専用練習場 旧称は「さいたま市高木サッカー場」)• 野球 [ ]• (やまぶきスタジアム)• (千葉ロッテマリーンズ2軍本拠地球場) その他 [ ]• (さいたまブロンコス・T. T彩たまホームアリーナの1つ)• (さいたま場所を興行)• 与野体育館• 大宮体育館• 大宮武道館• (敷地の大半は岩槻区に所在する)• 観光 [ ] 主な文化財 [ ] 市指定のものはも参照。 (国の)• (国の)• (国の史跡)• (国の)• 展示棟:旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫(国の)• :旧家住宅主屋・門及び塀(国の登録有形文化財)• 細淵家住宅主屋・長屋門(国の登録有形文化財)• 東玉大正館:旧中井銀行岩槻支店(国の登録有形文化財)• :旧岩槻警察署本庁舎・付属庁舎及び演武場・付属掲示場(国の登録有形文化財)• 店舗兼主屋・離れ(国の登録有形文化財)• (国の)• 址()(県指定史跡)• 本陣表門(県指定史跡)• (県指定史跡)• (県指定史跡)• (県指定史跡)• (県指定有形文化財)• (県指定有形文化財)• 址(県指定旧跡)• の大サカキ(県指定天然記念物)• のフジ(県指定天然記念物)• (市指定有形文化財)• (市指定有形文化財)• (市指定有形文化財)• 大熊家表門(旧本陣表門)(市指定有形文化財)• (第12番札所)• 址 (緑区) 祭事・催事 [ ]• - 浦和・大宮・岩槻の3会場で開催される。 - 国際大会への女子マラソン代表選考を兼ね、新都心をスタート・ゴール地点とし埼玉スタジアムなどを経由する。 - 2016年に開催されたアートイベント。 次回は「さいたま国際芸術祭」として2020年3月 - 5月の開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の流行の影響により中止。 - 100回を記念してさいたま新都心で開催。 - 浦和駅東口市民広場で開催。 - (国の)に自生するにちなんで実施。 会場は(東側広場)および。 - 毎年7月浦和駅・南浦和駅周辺を会場とし、浦和よさこい、浦和おどり大会が開催される。 - 調神社で開催される熊手市。 例年15万人の人出と千店を超える露店が中山道沿いを埋める。 - 毎年5月、で開催。 閘門開閉実演 - 毎年8月、国の史跡・見沼通船堀の閘門が開閉し復元船で通航する。 北浦和阿波おどり大会• 大正時代まつり - 与野停車場通りで開催。 大湯祭(十日市) - 毎年12月10日にで開催される。 大宮夏まつり - 毎年8月、大宮駅周辺や日進七夕通り周辺を会場とし、やが披露される。 「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」センター会場正門(2011年10月15日)• - 毎年5月の第4土曜日にJR東日本(JR貨物も含む)、大宮駅構内・周辺を会場として開催される鉄道施設の一般公開イベント。 2014年から、さいたま市も主催者として開催されている。 与野夏祭り - 7月、本町通りで開催される。 コラボさいたま - 主催の。 岩槻城址公園桜まつり - 県内有数の桜の名所としてライトアップも行われる。 岩槻の古式土俵入り(国の)• 人形のまち岩槻まつり - 毎年8月岩槻駅東口周辺で開催。 伝統産業 [ ] 地域活性化、後世への継承を図るため(平成20年)に以下3つを市の伝統産業を指定した。 浦和(浦和は鰻の発祥の地とされており、江戸時代からの老舗店舗が多く残る。 が開催されている)• 大宮(北区には、関東大震災の際に盆栽業者が集団移住した通称「」がある)• ()(岩槻区の中心部は、古くから「人形の街」として有名。 ) 料理 [ ]• (総務庁統計局家計調査年報〈1998年 - 2000年の平均〉)によると、旧浦和市の1世帯当たりの年間ケーキ購入額が全国で1位となったため、埼玉中央(埼玉中央JC)が「 ケーキのまち・さいたま」を宣言し、ケーキで街おこしをしようと毎年ケーキにちなんだイベントを開催している。 )また、パスタの消費量も全国で1位である。 (は、木崎が発祥地)• (緑区と岩槻区は、国内有数の産地)• (岩槻区は「 岩槻ねぎ」の産地として知られ、の「」の中に登場している)• (豆腐とひき肉の餡がかかったラーメン。 埼玉県のご当地ラーメンとされる) 交通 [ ] 鉄道 [ ] 鉄道路線 や(都道府県代表駅の記号がない「東京時刻表」を除く)のにおける県・市の代表駅は、県庁・市役所の最寄駅であるとなっている。 現さいたま市域において初めてが開通したのは1883年(明治16年)で、現市域で唯一のとして浦和駅が開業した(の - 間)。 また、1885年(明治18年)3月16日にはが設置された。 その後、新たな鉄道路線の開通や新駅の開業により、現さいたま市域を通る路線や駅は次第に増加し、4つの事業者が運行する11の旅客鉄道路線 と、31の鉄道駅がある。 このうち大宮駅・浦和駅・・・・の6駅は、JR東日本の乗車人員ランキング上位100位内にランクインする。 新幹線以外の旅客鉄道路線の多くは南北方向に通じており、における放射状の路線をなしている。 特に大宮駅以南は、京浜東北線、宇都宮線・、の3複線となっており、多数の列車が運行されている。 大宮駅以北でも、宇都宮線・高崎線が都心へのアクセス路線という重要な役割を果たしている。 一方で、東京大都市圏における環状の路線をなす路線として、市の北部に(東武アーバンパークライン)とJR、南部にJRが、それぞれ東西方向に通じている。 JR貨物 大宮車両所 車両工場・ 1885年(明治18年)3月16日の大宮駅設置後、大規模な車両の点検整備や建造のための自社工場を持っていなかった日本鉄道が、上野駅 - 間の全通を機に、(明治27年)12月10日に大宮駅北側に設立した車両工場が、現在のおよびである。 開設から120年以上経った現在も現地で操業している、長い歴史を持つ車両工場で、 「鉄道の町」大宮の中心となった施設 であり、街の発展に大いに寄与した。 旧大宮市がさいたま市となった2001年以降もその異名は変わらず使われ続け、2014年からさいたま市が大宮総合車両センターとの共同主催で、「鉄道のまち大宮 鉄道ふれあいフェア」 を大宮車両所との共催で開催している。 また、上記の他さいたま市内にある車両基地は以下の通り。 東日本旅客鉄道(JR東日本) (本所、大宮駅北方) 〈宮オオ〉(宇都宮線土呂駅 - 東大宮駅間、東大宮操車場構内) 〈宮サイ〉(旧・浦和電車区〈宮ウラ〉、南浦和駅南方) (JR貨物) (大宮総合車両センター本所内に併設) 埼玉高速鉄道 (浦和美園駅北方) バス・乗合タクシー [ ] さいたま市コミュニティバスの車両(東武バスウエスト) 市内全域で民営バスによる運行が行われている。

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