トリオ 漫才。 レツゴー三匹・じゅん追悼とトリオ漫才の歩み (全文) [お笑い・バラエティ] All About

レツゴー三匹・じゅん追悼とトリオ漫才の歩み (全文) [お笑い・バラエティ] All About

トリオ 漫才

漫才 「漫才」は 主に二人組(コンビ)で披露する話芸。 ボケとツッコミに分かれ、滑稽な掛け合いをすることで笑わせます。 「笑い飯」のようにダブルボケ、「オードリー」のようにダブルツッコミもあり、漫才の形式も多岐にわたる時代です。 正統派の漫才というのは減っていて、コントのような前振りがなく、王道の漫才をするので代表的なのが「ナイツ」。 塙さんの方が一方的にボケ、土屋さんが適度にツッコミを入れるため、漫談に近いという人もいます。 (一人でする話芸のことを漫談と呼びます。 ) また、3人(トリオ)でする漫才は トリオ漫才になります。 3人組はコントをすることが多く、トリオ漫才は少ないです。 最近人気上昇中の四千頭身は珍しくトリオ漫才。 ちなみに、 センターマイクがあるのが基本ですが、即興でやる場合はない場合もあります。 コント 「コント」は 笑いを目的とする寸劇のこと。 キャラクターの設定があり、役になりきって笑わせます。 キャラクター自身(見た目や動き)や服装、メイク、小道具、音響など様々なものを使って笑いをとることが可能。 「コント」は2人~3人でやることが多いですが、幅を利かせやすいトリオの方が有利です。 また、「コント」芸人で有名なのはジャングルポケットやコロコロチキチキペッパーズなど。 ちなみに、コントは5分~20分程度が一般的。 時間がそれ以上のものや出演者がたくさんいる場合は「軽演劇」や「喜劇」と呼びます。 コント漫才 「コント漫才」は 漫才の途中でコントをする漫才のこと。 漫才のようにセンターマイクの前に立ち、自己紹介などを終わらせてから役に入って笑いをとります。 最近はこの漫才が主流で、「M-1優勝者」のアンタッチャブルやサンドウィッチマン、霜降り明星などもコント漫才。 「コント漫才」はコントのように幅を利かせやすく、漫才のようにキャラなどへのツッコミも入れられるため、ただの漫才よりも笑いを取りやすいです。 ただ、「コント漫才」を嫌がる芸人や一般人も少なからずいて、芸人の場合は漫才なら「漫才師」、コントなら「コント師」を名乗る場合もあります。 「漫才」と「コント」の違いとは? 大きいくくりでいうと、 「漫才」は話芸、「コント」は寸劇です。 会話や間などをうまく使って笑わせるのが「漫才」で、キャラクターや小道具、音響、設定などで笑わせるのが「コント」。 また、それらの中間が「コント漫才」になります。 いかがでしたか? 今回は「漫才」と「コント」の違いについてお伝えしました。 「コント漫才」の登場により、正統派漫才をするコンビやトリオは減っています。 ぜひ参考にしてみてください。

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面白いトリオ芸人ランキング2018!若手の勢いがスゴイ!

トリオ 漫才

歴史 [ ] 漫才の発祥と言われる萬歳(まんざい)は、から始まった芸能で、新年を言祝ぐ(ことほぐ)歌舞である。 2人一組で家々を訪れ、新年を祝う口上を述べた後に、1人片方が打つ鼓に合わせてもう1人が舞う。 江戸時代には、全国各地でその地名を冠した、、その後、大和万歳などが興り、歌舞のみでなく言葉の掛け合い噺や謎かけ問答を芸に加えて滑稽味を増し発展していった。 しかし、後にはほとんど行われなくなっていき今では保存会などの復興・継承がされている。 から行われた大阪の演芸である万才(まんざい)は、この萬歳のうち三曲萬歳をベースにしたとされる。 三曲萬歳は・・で囃したてる賑やかな萬歳で、初期の万才もこれに倣って楽器伴奏を伴っていた。 初期の万才の芸人には、万才という分野を切り開いたパイオニアである、や、のコンビなどがある。 現在の上方漫才は、玉子屋円辰や砂川捨丸ら、大阪の取り芸人たちが、巡業先で訪れた当時の万歳の本場であった尾張の万歳師からこの音曲万歳を習ったのが始まりであり、尾張万歳から派生したものとされている。 また彼らの門流が活躍、の論文によれば、玉子屋円辰がを歌った時の、代役の太鼓敲きとのやり取りがボケとツッコミの始まりで、ここから今日の近代漫才が始まった。 ただし当時の寄席演芸は落語が中心であり、万才は添え物的な立場に置かれていた。 その後、や、俄から転化し2人でを演じる形式の、の要素が混ざり合い、大正末期には吉本興業の芸人である・のコンビが画期的な「しゃべくり漫才」で絶大な人気を博した。 彼らの漫才は従来の、、の萬歳・万才とは全く異なり姿で会話のみという、一線を画す形式だった。 このスタイルが以後の漫才に踏襲されていき、日本古来の太鼓で唄う萬歳・万才は廃れていった。 「しゃべくり漫才」は、の話芸にも影響を受けているとされる。 は漫才の直接的なルーツはアメリカにあるとしている。 アメリカのほか、、、などの国々にも似たような2人組の話芸があって、日本の漫才のように空気を読んだボケ、ツッコミも見られる。 初期までは基本的に「 萬才」「 萬歳」の表記が使われることが多かったが、は一般公募で呼び方を募集。 「滑稽コント」「ユーモア万歳」「モダン万歳」「ニコニコ問答」などの公募があったが(後の同社社長)が納得するのがなく自ら「漫才」と漢字表記だけを変えた。 (昭和8年)1月に吉本興業内に宣伝部が創設され、この宣伝部が発行した「吉本演藝通信」の中で「 漫才」と表記を改称することが宣言されたことから、現在では当時同社の宣伝部門を統括していた橋本を「漫才」の名付け親とするのが通説となっている。 しかしこの前年の(昭和7年)3月に吉本興業が「吉本興業」として改組された際に、営業品目の一つとして「漫才」の表記が既に使われていること(なお、橋本の吉本興業入社は合名会社への改組後である)などから、「漫才」の名付け親は橋本ではなく、当時同社の総支配人だったであるとする説もある。 正之助は橋本が勇退してからは「わしが考案した」「わしが橋本に提案した」など自慢していたという。 長らく・文芸部所属でエンタツ・アチャコと接してきたは正之助の名付け親説を否定している。 は橋本説をとりつつ、「漫才」の表記が広まり、定着したきっかけを、(昭和9年)から3日間、東京・で開催された「特選漫才大会」の宣伝物や紹介記事としている。 当時東京吉本の責任者だったが小島に語ったところによると、弘高が演芸愛好家である作家のの相談をあおぎ、同興行の開催をきっかけに表記の本格的な統一を決めたとしている。 当初、「漫才」の表記にはなど芸人の間で批判があった。 エンタツ・アチャコ以降、漫才は急速に普及して他のスター漫才師を生みだし、などの漫才作家も活躍した。 東京ではエンタツ・アチャコと懇意にしていたが触発されて、一門の梧楼と緑朗に高座で掛け合いを演じさせ、これが今日の東京漫才の祖とされるに繋がった。 一方、や東京のなど、を取り入れた古典的なスタイルを崩さなかった漫才師もいた。 の中で、漫才師たちは、相方の戦死・病死・消息不明などに見舞われる。 吉本興業は映画会社へ転身を図り、ほとんどの専属芸人を解雇した。 また、同社と専属契約していなかった漫才師たちは大阪に結集し、仕事の受注やマネージメントをするを立ち上げた。 が交通の便などがよかったために山王で芸人を集めたため、山王は『芸人横丁』と呼ばれ地元の人に親しまれた。 その後、交通機関の発達で山王を離れての活動が容易になり、多くの芸人はや、そして演芸興行を再開した吉本興業と契約するようになった。 1950 - 1960年代、上方では、・、、、、、、・、、などが、東京では前述の千太・万吉のほか、、、、、、、などがラジオ・テレビで活躍した。 1970年代、上方ではや、、、などが台頭して新たな笑いを築いた。 東京はに笑いの主流が移っていく中で、、、などが賞レースを賑わせた。 1980年には、の番組『』や、の番組『』からが起こり、、、、、、、、、などの中堅や若手漫才師が人気を集めた。 彼らの中には現在でも芸能文化活動の第一線で活躍している者が多い。 2001年に漫才のコンテスト『』がの発案によって創設された。 、、、、、などが優勝した。 、、など、本大会をきっかけにブレイクしたコンビも多い。 『M-1グランプリ』の登場は漫才を大きく変えたとされ、M-1のネタ時間に合わせてネタを作る若手芸人も増えた。 NON STYLEのは「僕らの時代は、10分用のネタをM-1用に半分以上に削っていた。 もしくは、まったく別につくっていました。 でも今の若手は10分の出番だったら5分のネタを2本やるのが当たり前になっています。 『もうええわ』って1本目を締めて、『そんなことよりな』って2本目のネタに入る。 5分ネタなら無駄を削って4分にするのは簡単ですから。 これは完全にM-1の影響だと思います」と語っている。 ボケとツッコミ [ ] 漫才やコントのコンビは基本的に、 ボケと ツッコミと呼ばれる二つの役割に分けることができる。 萬歳の太夫と才蔵にあたる。 ボケは、話題の中で面白い事を言うことが期待される役割である。 話題の中に明らかな間違いや勘違いなどを織り込んで笑いを誘う所作を行ったり、冗談などを主に言う。 ツッコミは、ボケの間違いを要所で指摘し、笑いどころを提示する役割を担う。 この時、口頭での指摘の他に、ボケの頭や肩や胸の当たりを、平手や手の甲や小道具で叩いたり、腰や太腿、尻などを蹴る場合がある。 もともとボケは、その とぼける行為によって笑いを誘うことが多かったことから とぼけ役と呼称されていた。 『』によれば、ツッコミは「漫才で、ぼけに対して、主に話の筋を進める役」とされているが、ボケが話の進行役を担当するコンビも少なくない。 またその役割分担も必ずしも固定的ではなく、流れによって自然にボケとツッコミが入れ替わる展開も用いられる。 そのため、ボケとツッコミは厳密には固定化された役割とは限らず、やり取りの様を概念化したものと考えるのが妥当である。 ツッコミが進行するコンビは、、、、、等がいる。 ボケが進行するコンビとして、、、、、、、、等がいる。 役割分担が固定的ではない漫才師には、、、、、、、、、、、などが該当する。 また、、のように双方ボケ・ツッコミのコンビもいる。 またのようにボケが振った冗談にツッコミが乗って体現しながらボケを繰り返しツッコミを入れず、ネタの最後にツッコミを入れてオチを付ける芸風もある。 トリオ漫才においては、ボケ2人に対してツッコミ1人のパターンが多い。 ネタの役割分担によって大きいボケをする者を大ボケ、小さいボケを小ボケと区別することもある。 表現の様式 [ ] 漫才は主に2名で演じられるが、3名以上のグループが演じる漫才もある。 BGMなどを使用する場合や、演者がを演奏する場合もある。 は、男性の場合、伝統的にはペアあるいはそれに類するスーツ着用が主流で、原色のラメなどで派手に彩られるものが多かった。 しかし、1980年代の以降は、カジュアルなで演じられることが多くなっていった 最初にジーパンで行ったのは。 キャラ作りや自らのトレードマークの誇示のために片方、もしくは双方が特徴的な衣装や髪型をすることもある(片方は()、()、山本しろう()、()、()など。 双方はや若手時代の、、など)。 また、のように、一種の「記号」としてあえてスーツを着用するケースもある。 近年では、、など、舞台上でキャラを演じる「キャラ漫才」も多くみられる。 小道具は用いないか、用いたとしても点数はごく僅かである。 衣装・小道具に関しての制約は少ない。 音楽や照明の効果には頼らないことが多いが、やなどの一部の漫才師は使用する。 なお必須ではないがスタンドマイク(正式名称は)が置かれることが多く、舞台の中央に置かれることから「センターマイク」と呼ばれる。 近年はより効率よく音を拾えるピンマイクもつけて演じることが多いが、通電していないスタンドマイクをシンボル的に置くことがテレビ番組や舞台ではよく行われている。 主な漫才の種類 [ ] は自著において、漫才を、以下の4類10種に分類した。 漫才師の芸およびネタは、これら10種の要素を、どれかひとつ特化させているか、または組み合わせている。 音曲漫才• 俗曲漫才 、の類を主とするもの。 、、・などが該当する。 語りもの漫才 、、語りの類を主とするもの。 、、、中期におけるの諸グループなどが該当する。 歌謡漫才 ・の類を主とするもの。 、、などが該当する。 曲弾き漫才 楽器の曲芸的演奏を主とするもの。 、、などが該当する。 踊り漫才 本格的舞踊を滑稽にくずして見せるもの。 しぐさ漫才• 寸劇漫才 舞台劇、劇映画などの断片を模写するもの。 などが該当する。 身振り漫才 身振り、表情を主とするもの。 、、、などが該当する。 仮装漫才 仮装を見せるもの。 などが該当する。 しゃべくり漫才• 掛け合い漫才 掛け合いでしゃべるもの。 詳細は「」の項目を参照。 ぼやき漫才 片方がしゃべり続けるもの。 本質的にはである。 、などが該当する。 しゃべくり漫才、コント漫才について [ ] この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2015年12月) 現在では、主にこの2つが「漫才」の一般的な形として認識されている。 しゃべくり漫才 楽器、歌唱を用いず、しゃべくり(=会話)のみで展開する漫才。 現代において最もオーソドックスな形態であり、歴史の浅いコント漫才と比較して、正統派漫才と言われる。 以降においては、、、、、、、、、、、などが該当する。 コント漫才 ボケ、ツッコミ共に、衣装や立ち位置もそのままで設定した役になりきり、ボケとツッコミの応酬をする漫才を、と呼ぶ。 しゃべくり漫才のネタをコント漫才として流用する場合や、コントのネタをコント漫才として演じる場合もある。 と違い、数多くのボケ、あるいはコント用のがないことを逆手に取ったボケを入れられるのが特徴である。 平成以降においては、、、、、、、、、などが該当する。 、など片方のみが役になりきる場合や、、など同じシチュエーションを繰り返す場合も多くみられる。 脚注 [ ] []• 90 - 91• 『上方芸能・笑いの放送史』(著、、(平成6年))pp. 30 - 33• 『漫才世相史 改訂新版』 、1978年 pp. 112-114「『漫才』に統一」• 『上方まんざい八百年史』、1975年 関連項目 [ ]• - 中国の対口相声は二人での漫才に形態が類似している。

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「漫才」と「コント」の違いとは?

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歴史 [ ] 漫才の発祥と言われる萬歳(まんざい)は、から始まった芸能で、新年を言祝ぐ(ことほぐ)歌舞である。 2人一組で家々を訪れ、新年を祝う口上を述べた後に、1人片方が打つ鼓に合わせてもう1人が舞う。 江戸時代には、全国各地でその地名を冠した、、その後、大和万歳などが興り、歌舞のみでなく言葉の掛け合い噺や謎かけ問答を芸に加えて滑稽味を増し発展していった。 しかし、後にはほとんど行われなくなっていき今では保存会などの復興・継承がされている。 から行われた大阪の演芸である万才(まんざい)は、この萬歳のうち三曲萬歳をベースにしたとされる。 三曲萬歳は・・で囃したてる賑やかな萬歳で、初期の万才もこれに倣って楽器伴奏を伴っていた。 初期の万才の芸人には、万才という分野を切り開いたパイオニアである、や、のコンビなどがある。 現在の上方漫才は、玉子屋円辰や砂川捨丸ら、大阪の取り芸人たちが、巡業先で訪れた当時の万歳の本場であった尾張の万歳師からこの音曲万歳を習ったのが始まりであり、尾張万歳から派生したものとされている。 また彼らの門流が活躍、の論文によれば、玉子屋円辰がを歌った時の、代役の太鼓敲きとのやり取りがボケとツッコミの始まりで、ここから今日の近代漫才が始まった。 ただし当時の寄席演芸は落語が中心であり、万才は添え物的な立場に置かれていた。 その後、や、俄から転化し2人でを演じる形式の、の要素が混ざり合い、大正末期には吉本興業の芸人である・のコンビが画期的な「しゃべくり漫才」で絶大な人気を博した。 彼らの漫才は従来の、、の萬歳・万才とは全く異なり姿で会話のみという、一線を画す形式だった。 このスタイルが以後の漫才に踏襲されていき、日本古来の太鼓で唄う萬歳・万才は廃れていった。 「しゃべくり漫才」は、の話芸にも影響を受けているとされる。 は漫才の直接的なルーツはアメリカにあるとしている。 アメリカのほか、、、などの国々にも似たような2人組の話芸があって、日本の漫才のように空気を読んだボケ、ツッコミも見られる。 初期までは基本的に「 萬才」「 萬歳」の表記が使われることが多かったが、は一般公募で呼び方を募集。 「滑稽コント」「ユーモア万歳」「モダン万歳」「ニコニコ問答」などの公募があったが(後の同社社長)が納得するのがなく自ら「漫才」と漢字表記だけを変えた。 (昭和8年)1月に吉本興業内に宣伝部が創設され、この宣伝部が発行した「吉本演藝通信」の中で「 漫才」と表記を改称することが宣言されたことから、現在では当時同社の宣伝部門を統括していた橋本を「漫才」の名付け親とするのが通説となっている。 しかしこの前年の(昭和7年)3月に吉本興業が「吉本興業」として改組された際に、営業品目の一つとして「漫才」の表記が既に使われていること(なお、橋本の吉本興業入社は合名会社への改組後である)などから、「漫才」の名付け親は橋本ではなく、当時同社の総支配人だったであるとする説もある。 正之助は橋本が勇退してからは「わしが考案した」「わしが橋本に提案した」など自慢していたという。 長らく・文芸部所属でエンタツ・アチャコと接してきたは正之助の名付け親説を否定している。 は橋本説をとりつつ、「漫才」の表記が広まり、定着したきっかけを、(昭和9年)から3日間、東京・で開催された「特選漫才大会」の宣伝物や紹介記事としている。 当時東京吉本の責任者だったが小島に語ったところによると、弘高が演芸愛好家である作家のの相談をあおぎ、同興行の開催をきっかけに表記の本格的な統一を決めたとしている。 当初、「漫才」の表記にはなど芸人の間で批判があった。 エンタツ・アチャコ以降、漫才は急速に普及して他のスター漫才師を生みだし、などの漫才作家も活躍した。 東京ではエンタツ・アチャコと懇意にしていたが触発されて、一門の梧楼と緑朗に高座で掛け合いを演じさせ、これが今日の東京漫才の祖とされるに繋がった。 一方、や東京のなど、を取り入れた古典的なスタイルを崩さなかった漫才師もいた。 の中で、漫才師たちは、相方の戦死・病死・消息不明などに見舞われる。 吉本興業は映画会社へ転身を図り、ほとんどの専属芸人を解雇した。 また、同社と専属契約していなかった漫才師たちは大阪に結集し、仕事の受注やマネージメントをするを立ち上げた。 が交通の便などがよかったために山王で芸人を集めたため、山王は『芸人横丁』と呼ばれ地元の人に親しまれた。 その後、交通機関の発達で山王を離れての活動が容易になり、多くの芸人はや、そして演芸興行を再開した吉本興業と契約するようになった。 1950 - 1960年代、上方では、・、、、、、、・、、などが、東京では前述の千太・万吉のほか、、、、、、、などがラジオ・テレビで活躍した。 1970年代、上方ではや、、、などが台頭して新たな笑いを築いた。 東京はに笑いの主流が移っていく中で、、、などが賞レースを賑わせた。 1980年には、の番組『』や、の番組『』からが起こり、、、、、、、、、などの中堅や若手漫才師が人気を集めた。 彼らの中には現在でも芸能文化活動の第一線で活躍している者が多い。 2001年に漫才のコンテスト『』がの発案によって創設された。 、、、、、などが優勝した。 、、など、本大会をきっかけにブレイクしたコンビも多い。 『M-1グランプリ』の登場は漫才を大きく変えたとされ、M-1のネタ時間に合わせてネタを作る若手芸人も増えた。 NON STYLEのは「僕らの時代は、10分用のネタをM-1用に半分以上に削っていた。 もしくは、まったく別につくっていました。 でも今の若手は10分の出番だったら5分のネタを2本やるのが当たり前になっています。 『もうええわ』って1本目を締めて、『そんなことよりな』って2本目のネタに入る。 5分ネタなら無駄を削って4分にするのは簡単ですから。 これは完全にM-1の影響だと思います」と語っている。 ボケとツッコミ [ ] 漫才やコントのコンビは基本的に、 ボケと ツッコミと呼ばれる二つの役割に分けることができる。 萬歳の太夫と才蔵にあたる。 ボケは、話題の中で面白い事を言うことが期待される役割である。 話題の中に明らかな間違いや勘違いなどを織り込んで笑いを誘う所作を行ったり、冗談などを主に言う。 ツッコミは、ボケの間違いを要所で指摘し、笑いどころを提示する役割を担う。 この時、口頭での指摘の他に、ボケの頭や肩や胸の当たりを、平手や手の甲や小道具で叩いたり、腰や太腿、尻などを蹴る場合がある。 もともとボケは、その とぼける行為によって笑いを誘うことが多かったことから とぼけ役と呼称されていた。 『』によれば、ツッコミは「漫才で、ぼけに対して、主に話の筋を進める役」とされているが、ボケが話の進行役を担当するコンビも少なくない。 またその役割分担も必ずしも固定的ではなく、流れによって自然にボケとツッコミが入れ替わる展開も用いられる。 そのため、ボケとツッコミは厳密には固定化された役割とは限らず、やり取りの様を概念化したものと考えるのが妥当である。 ツッコミが進行するコンビは、、、、、等がいる。 ボケが進行するコンビとして、、、、、、、、等がいる。 役割分担が固定的ではない漫才師には、、、、、、、、、、、などが該当する。 また、、のように双方ボケ・ツッコミのコンビもいる。 またのようにボケが振った冗談にツッコミが乗って体現しながらボケを繰り返しツッコミを入れず、ネタの最後にツッコミを入れてオチを付ける芸風もある。 トリオ漫才においては、ボケ2人に対してツッコミ1人のパターンが多い。 ネタの役割分担によって大きいボケをする者を大ボケ、小さいボケを小ボケと区別することもある。 表現の様式 [ ] 漫才は主に2名で演じられるが、3名以上のグループが演じる漫才もある。 BGMなどを使用する場合や、演者がを演奏する場合もある。 は、男性の場合、伝統的にはペアあるいはそれに類するスーツ着用が主流で、原色のラメなどで派手に彩られるものが多かった。 しかし、1980年代の以降は、カジュアルなで演じられることが多くなっていった 最初にジーパンで行ったのは。 キャラ作りや自らのトレードマークの誇示のために片方、もしくは双方が特徴的な衣装や髪型をすることもある(片方は()、()、山本しろう()、()、()など。 双方はや若手時代の、、など)。 また、のように、一種の「記号」としてあえてスーツを着用するケースもある。 近年では、、など、舞台上でキャラを演じる「キャラ漫才」も多くみられる。 小道具は用いないか、用いたとしても点数はごく僅かである。 衣装・小道具に関しての制約は少ない。 音楽や照明の効果には頼らないことが多いが、やなどの一部の漫才師は使用する。 なお必須ではないがスタンドマイク(正式名称は)が置かれることが多く、舞台の中央に置かれることから「センターマイク」と呼ばれる。 近年はより効率よく音を拾えるピンマイクもつけて演じることが多いが、通電していないスタンドマイクをシンボル的に置くことがテレビ番組や舞台ではよく行われている。 主な漫才の種類 [ ] は自著において、漫才を、以下の4類10種に分類した。 漫才師の芸およびネタは、これら10種の要素を、どれかひとつ特化させているか、または組み合わせている。 音曲漫才• 俗曲漫才 、の類を主とするもの。 、、・などが該当する。 語りもの漫才 、、語りの類を主とするもの。 、、、中期におけるの諸グループなどが該当する。 歌謡漫才 ・の類を主とするもの。 、、などが該当する。 曲弾き漫才 楽器の曲芸的演奏を主とするもの。 、、などが該当する。 踊り漫才 本格的舞踊を滑稽にくずして見せるもの。 しぐさ漫才• 寸劇漫才 舞台劇、劇映画などの断片を模写するもの。 などが該当する。 身振り漫才 身振り、表情を主とするもの。 、、、などが該当する。 仮装漫才 仮装を見せるもの。 などが該当する。 しゃべくり漫才• 掛け合い漫才 掛け合いでしゃべるもの。 詳細は「」の項目を参照。 ぼやき漫才 片方がしゃべり続けるもの。 本質的にはである。 、などが該当する。 しゃべくり漫才、コント漫才について [ ] この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2015年12月) 現在では、主にこの2つが「漫才」の一般的な形として認識されている。 しゃべくり漫才 楽器、歌唱を用いず、しゃべくり(=会話)のみで展開する漫才。 現代において最もオーソドックスな形態であり、歴史の浅いコント漫才と比較して、正統派漫才と言われる。 以降においては、、、、、、、、、、、などが該当する。 コント漫才 ボケ、ツッコミ共に、衣装や立ち位置もそのままで設定した役になりきり、ボケとツッコミの応酬をする漫才を、と呼ぶ。 しゃべくり漫才のネタをコント漫才として流用する場合や、コントのネタをコント漫才として演じる場合もある。 と違い、数多くのボケ、あるいはコント用のがないことを逆手に取ったボケを入れられるのが特徴である。 平成以降においては、、、、、、、、、などが該当する。 、など片方のみが役になりきる場合や、、など同じシチュエーションを繰り返す場合も多くみられる。 脚注 [ ] []• 90 - 91• 『上方芸能・笑いの放送史』(著、、(平成6年))pp. 30 - 33• 『漫才世相史 改訂新版』 、1978年 pp. 112-114「『漫才』に統一」• 『上方まんざい八百年史』、1975年 関連項目 [ ]• - 中国の対口相声は二人での漫才に形態が類似している。

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