浜野 製作所。 浜野慶一社長の出生生い立ちやその後今現在!火事の過去も

【アンビリバボー】「浜野製作所」(墨田区の下町工場)の奇跡の逆転物語!何を作ってる工場?ファクトリーロボの通販は?

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浜野慶一 (はまのけいいち) 1962年11月12日生まれ (57歳:2020年3月現在) 東京都墨田区出身 浜野社長は東京下町の墨田区の生まれです。 大学卒業後、東京都板橋区にある精密板金加工メーカーに就職します。 いわゆる丁稚奉公というやつで、浜野社長のお父さん(浜野製作所創業者)は 給料は一番安くてよいから折り曲げの加工、溶接、プログラミングなどいろいろな技術を学ばせてほしいと頼んだそうです。 もともとお父さんの工場を継ぐつもりは全くなかったそう。 両親はいやいや工場を経営しているんだと感じていたそうです。 ですが、就職活動をしている時に、お父さんから誇りを持って仕事をしているんだと聞かされ衝撃を受けたそうですよ。 1993年にお父さんが急逝。 浜野さんは工場を急遽継ぐことになったのです。 このとき30〜31歳です。 工場を受け継いだ当時は、従業員2名、取引先4社の4次・5次下請でした。 しかし、現在は取引先4800社、毎年トップレベルの大学から新卒者を採用できる独立企業に成長したのです。 ここまでくるのには、大変な苦労があったかと思います。 なんと2000年には近隣のもらい火事によって、工場が全焼してしまったそうです。 そんな逆境にも負けず、墨田区をものづくりの聖地にすべく、日々活動をしていらっしゃいます。 近年は、産学官連携・異業種連携・若者のスタートアップ支援等の活動を積極的に行っているそうです。 産学官連携では、電気自動車「HOKUSAI」や深海探査艇「江戸っ子1号」の製作、異業種連携では、工場廃材を再利用し新しい価値を創出する「配財プロジェクト」、下町文化と伝統の技を体感する職人体験プログラム「アウトオブキッザニア in すみだ」、日本テレビ開局60周年を記念した特別番組「日本一テレビ」の「リアルロボットバトル日本一決定戦!」などに携わっています。 この活動を視察に、天皇陛下もいらっしゃったんですね。 後半にニュース動画がありますよ。 浜野慶一社長の出身高校と大学はどこ? 浜野慶一社長の出身高校と大学はどこなのでしょうか? 出身高校は、東京都港区にある。 東海大学高輪台高等学校です。 東海大学高輪台高等学校は、さま〜ずや坂上忍さんの出身高校でもあるようですよ。 中高一貫校でもあるので、もしかしたら、中学から入学しているかもしれませんね。 東海大学の付属高校と言うこともあってか、浜野さんは大学は東海大学に進学します。 1985年に東海大学政治経済学部経営学科卒業し、板橋区の工場に就職しました。 大学でもしっかり経営を学んでいたんですね。 浜野慶一社長は結婚して嫁と子供がいる? 浜野慶一社長は結婚しているのでしょうか? 結婚していて、奥様と3人のお子さんがいらっしゃいます。 息子さんが2人と娘さんが1人です。 奥様の家系はお医者一家だそうです。 奥様のお父様もお医者さんだそう。 そして、浜野さん自身の弟さんもお医者さんで、長男は医学部、次男も歯学部に進学しています。 すごいですね! 娘さんも医学系に進んでいるのかは確認できませんでした。 娘さんに継いで欲しいと言う風に考えているわけでは無いが、誰かに次いで欲しいという気持ちがあるそうです。 お待たせしました。 天皇陛下(上皇様)が視察にいらしたときのニュース動画です.

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浜野慶一社長のプロフ!出身高校と大学はどこ?結婚して嫁と子供がいる?

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大やけどをして死の間際まで行ったことは、僕の人生にとってよかったです。 あのまま何もなくて、のほほんと生きていたら、ちょっと耐えられなかったでしょう 山本昌作 HILLTOP副社長 僕自身はこのまま廃人になっても仕方がないと思っていましたが、何とか立ち直れたのは、僕の席をずっと守ってくれていた社員たちがいてくれて、僕にラブコールを送ってくれたためです。 特に元暴走族の社員3人は、火事場泥棒が出ないように、焼け跡にビニールシートを張って、年末の寒い晩でも現場に寝泊まりしながら会社を守ってくれました。 機械メーカーとの交渉も、すべて彼らがやってくれました。 そういう姿に接していると、「もう駄目だ」と思っていた自分が恥ずかしくなりましたね。 私たちは後発中の後発の会社じゃないですか。 2週間と言われて2週間で持っていっても、何らインパクトはない。 半分の1週間で持っていったんです 浜野慶一 浜野製作所社長 「なかなか浜野さんのところに仕事は出せない」と言われ、でも、そこしか行くところがなくて、何度も何度も足を運びました。 それでもめげずに通い続けていたところ、私の前で罰点をした人がある時、手招きするんです。 不思議に思って近づくと「浜野君、これができるか」と単品の試作部品を2個だけ、しかも2週間という短納期で発注してくれました。 もちろん「ぜひやらせてください」と二つ返事で喜んでお引き受けしましたが、私たちは後発中の後発の会社じゃないですか。 2週間と言われて2週間で持っていっても、何らインパクトはないと思いましてね。 半分の1週間で持っていったんです。

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墨田区の町工場・浜野製作所が「ものづくり」に込める思い

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スタートアップの駆け込み寺になっている東京都墨田区の浜野製作所。 「天皇陛下行幸記念」の碑がある 筆者が手掛けている仕事は、DIYやハードウエアスタートアップ、ハードウエアの研究開発に関連するものが多い。 そうするとよく「製造業なんですね」と言われる。 ところが、製造業のビジネスモデルと、ハードウエアスタートアップのビジネスモデルは大きく違う。 製造業は「製造」で利益を上げる。 1万個つくったものを次のロットで10万個つくるとき、品質を向上させてもっと安くつくるにはどうすればいいか。 研究開発ももちろん重要だが、こうした「ものをつくる」部分での知見と改善が必要になってくる。 そして、日本には時間をかけて成長した巨大な製造業があり、膨大な蓄積がある。 ハードウエアスタートアップのビジネスモデルは巨大な製造業とは異なる。 成長した後はともかく、黎明(れいめい)期のスタートアップはそれほど量産をしない。 成長してシェアを確保し、大規模であることが利益につながるような存在まで大きくなれば別だが、黎明期に原価に左右されるような製品をつくっていては、規模の小さいスタートアップは苦しくなるばかりだ。 スタートアップの製品の多くは「これまで市場にないハードウエア」だ。 その製品で会社を成長させる利益を上げ続けなければならない。 そうした製品の研究開発とテストマーケティングを両立させながら会社を成長させるのがハードウエアスタートアップのビジネスモデルである。 大量生産には分業化してそれぞれの効率を最大限に追い求めることが向いているが、世の中にないものをつくって利益を出すためにはアイデアをすぐ形にでき、「ゼロイチ」の試行錯誤を繰り返すことができる体制が向いている。 ものづくりに関係する様々な専門職がひとまとめになっていて、かつ素人が相手でも話を聞いてくれて、連携して動いてくれることが望ましい。

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