杜撰 類語。 experience-ccra-in.ctb.com: 講談社『類語大辞典』の研究―辞書がこんなに杜撰でいいかしら: 西山 里見: 本

「杜撰」の意味とは?読み方や使い方をご紹介

杜撰 類語

「杜撰」の語源 「杜撰」の語源ですが、昔中国に杜黙 「ともく」という詩人がいました。 杜黙 「ともく」が作る詩は、内容がないわけでも、駄作なわけでもなかったのですが、当時の定型詩の規則に則っていなかったため、いい加減で雑だと世には認められませんでした。 どの時代も先取ったものや型破りな事をすると毛嫌いしたり、受け入れてもらえない場合が多いものですが、その事から杜黙 「ともく」の 「杜」と、詩文を作るという意味の 「撰」 せん を取り 「杜撰」という言葉と意味が生まれました。 ですが、なぜ杜黙 「ともく」の 「杜」を 「と」と読まず 「ず」と読んだかは分かっていません。 また同じ意味の四文字熟語で 「杜撰」を使ったものに 「杜黙詩撰」 ともくしさん というものがあります。 「杜撰」な事をするデメリット 「杜撰」になるということは、きちんとする事が面倒臭いと感じたり、ちょっとくらいならいいだろうという甘え考えがあるからです。 自分の事に関してならともかく、周りを巻き混んで 「杜撰」な事をするのは、他人への配慮などハナから考えておらず自分の事しか頭にないからでしょう。 何かあったらその時に考えればいいと思っていたり、適当に行き当たりばったりで対応すればいいと思っているので、目先の事しか考えておらず、また更に杜撰な方法で隠したり対処する事を繰り返す事になります。 基本的に保身が強いため自分の現状や今後の立場などについては考える事があるかもしれませんが、物事を深く考えたり 「計算」するといった脳はないかもしれません。 そしてこれが個人レベルではなく威力を持って大きくなると、現在問題になっているブラック企業などによるモラハラ・パワハラ問題に発展していきます。 最初は小さな事だったのに、誤魔化していくうちにカバーが出来なくなってしまい、部下や目下の立場の相手に無茶苦茶な命令や指示を出したり、売り上げを改ざんするようになってしまいます。 またそれを管理しなければいけない上層部ですら、丸投げにして見て見ぬ振りをする為、益々暴走は止まらなくなり、杜撰な経営になってしまうのです。 物事は一つがいい加減になるとバランスを崩してしまいます。 つまり少しでも 「杜撰」な箇所があるていう事は、必ず何かが足りず欠けているというサインになるのです。

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「杜撰」の意味とは?読み方は?由来や類語、英語表現から使い方まで

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「杜撰」の由来 「杜撰」はよく使う表現ですが、意外と知られていないのが言葉の由来。 「杜」も「撰」も単体ではあまり見かけないので文字から推測することはできないでしょう。 そもそも 「杜撰」は中国の故事由来の言葉。 故事を知らないと意味がわかりません。 「杜撰」の由来となった故事 中国の宋の時代に「杜黙(ともく)」という詩人がいました。 彼が「杜撰」の由来です。 「撰」には「詩を作る」という意味があり、つまり 「杜黙が詩を作る」=「杜撰(いい加減)」。 さぞかし「 杜黙」の詩は酷かったんだろうと思いますよね。 しかし、そうではなかったようです。 「 杜黙」の詩は当時の詩の形式にはまらない新しい作品だったといわれています。 革新的な詩を作っただけなのに、このような不名誉な形で後世に名を残してしまうなんて「 杜黙」の気持ちを思うとやりきれません。 とはいえ、「杜撰」は当初は「型破り」という意味で使われていたようです。 それが時代を経て現在の意味に。 「ともく」と「ずさん」読みが違うのは? 「杜黙(ともく)」は「と」なのに「杜撰(ずさん)」が「ず」なのは違和感があるかもしれません。 「杜撰(ずさん)」は中国語読み由来だと推測できます。 読みを合わせないのはそれこそ「杜撰」だなぁと感じちゃいますよね。

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「杜撰」の意味とは?類語、英語や対義語、使い方や例文を紹介!

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権威を叩きたいという、ただそれだけで書かれたようなしょうもない本でした。 批判の内容は、まあ納得できる内容ではあります。 でも、西山里見という人物に、辞書批判以外の著書が見当たらないのはどういうわけでしょう? 同じ辞書批判本の著者でも、「広辞苑を読む」の柳瀬尚紀は、翻訳者として確かな実績があります(この本は面白くなかったのですが)。 しかし、本書の著者はどうでしょう? 西山里見にまともな著書があれば納得しますが、他人の褌で相撲を取るだけなら、出版界の寄生虫としか言いようがありません。 最後に一点、指摘しておきます。 「なお、インターネット上の情報では、『新明解』の「マンション」が今見るような形の記述になったのは、(良識派?穏健派?知性派?)の柴田武氏が代表を務めるようになった第五版以降と信じている人が多いようだが」との記述ですが、私の調べたところ、そんな事を書いているのは1つのサイトしか見つかりませんでした。 「多いようだが」と断定した以上、根拠があるのでしょう。 どこをどう調べたのか、その検索のコツを是非教えて頂きたいものです。 辞書のいくつかの項目について、好事家や辞書好きの文学者が、その使い勝手や記述の良否について非分析的印象を興味本位に書くことはこれまでもしばしばあった。 が、辞書の発展のために1冊の辞書を徹底分析し、それに忌憚のない学問的(=辞書学的)論評を加えることは、これまで皆無だった。 辞書分析の能力を持っている人は、たいてい自分で編集(または、執筆)した辞書を持っているから、他の辞書を論評することは、学界出版界内で何らかの支障が生じる。 世の通弊として、仲間内はいたわりあわねばならぬという美しい倫理もあった。 臭いものには蓋という守旧主義もあった。 在野の辞書研究家、西山里見氏は高齢にもかかわらず、「講談社『類語大辞典』の研究」において、その編集の杜撰、辞書作りの方法論の無自覚による数々の失態、実用に堪えない索引作り、意味用法表記用例等の頓珍漢を学問的に徹底的に暴き立てる。 論旨は周密明快、文体は激越華麗、説得力は卓絶圧倒、切込みは犀利炯眼、読後感は痛快無比。 本書は著者の第2作目という。 土壌はすでにできた。 他の勇気ある筆者による同趣の評論の出現を心から期待したい。 一般向きの本だが、専門家も教えられるところが多い。 特に意味記述の方法論とその果敢な実践論において、また、シソーラスのあるべき姿の真摯な探求において。 そこには、講談社『類語大辞典』の2人の編者をはるかに凌ぐ西山里見翁の叡智がある。 講談社『類語大辞典』という、ズッコケ辞書が生まれる背景について、やりきれない気持ちで語る本書の「あとがき」は、情理相伴って学界並びに出版文化の頽廃と危機を説き、辞書論だけでなく、人生論、現代日本文化論にさえなっている。 老若2人の編者と大講談社は、本書の指摘に従って、新たに1項目1項目の再検討を余儀なくされるだろう。 彼らは謙虚に反省して誠意ある対応をとることができるだろうか。 そうならば、まだ日本には救いがある。 そうでなければ、日本は一度滅びて、もう一度アメーバーからやりなおすがいいだろう。 中身はある程度興味を惹くものですが、私には文体が合わなかった。 なので3点です。 一人称が「老生」で、文末が「〜じゃ」などという風にずっと続くので、読んでいて相当ぐったりしました。 「読んでいて」といっても通読をしておらず、3分の1くらいまででダウンしてしまったのですが。 その残り3分の2くらいは拾い読み程度で読みましたが、確かに、講談社類語新辞典のもっている問題点についての鋭い指摘はあります。 (中身がないのをおちゃらけ文体でカバーしようとする本はありますが、そういう意図は著者にはないのでしょうから。 ) そもそも、批判という性質上、礼儀をいささかも欠くことなく書くというのは難しいのでしょうが、ふざけて書いていると思われるような文章ではどうも揚げ足取りとの区別が怪しくなってきます。 普通に論述したらいいのになぁと思います。 詳しいいきさつは知りませんから、講談社・編者側からこの本についての反応があるのかどうかはわかりませんが、無視されても、無視する側にそれだけの言い分を与えてしまう形式で述べられていると感じます。 講談社の類語大辞典の杜撰な実態を批判した書物である。 確かに、あの類語大辞典に氏が指摘されるような問題点が多々あることについては異論がない。 実際私も使ってみて、シソーラスとして非常に使いにくいことや、案外に収録語彙の幅が狭いのを実感している。 ただ、それでは如何なる類語辞典を作ればよいのであろうか。 日本語は無数の語彙をもち、それぞれの語彙は多かれ少なかれ多義的である。 それらのひとつひとつに包含関係を樹立し、適切な用例を付して実際に使えるようにするのは、言うは易くも非常な困難を伴う。 この本の執拗な問題点指摘をせめて3割カットして、その代わりにどのようにシソーラスを作れば良いのか、その方向性だけでも論じてほしかった。 そうすれば、「単に叩きたいから叩いている」などと思われずに済んだだろう。 この本自体の言葉遣いだってとても褒められたものではなく、それこそ用法の誤謬だって散見する 例:239頁末行の「不信」は「不審」の方が適切)。 もう少し足元を固めてほしいものだ。 本書は、2002年11月に発売された、講談社の「類語大辞典」に ついて、その類語辞典としての構成、編者の柴田武氏が序文で 「類義語辞典と国語辞典を兼ね備えたものであり、日本語の辞典 としてこれ一冊で十分」とまで言っている国語辞典の部分の 語釈について、徹底的にメスを入れたものです。 その結果、講談社の販売力でそれなりに売れ、井上ひさしや 俵万智が推薦文を書いているこの辞書が、いかに杜撰に作られ ていて、類語辞典として使いにくく、かつ構成も破綻しているか ということが、多数の証拠を挙げて明解に論証されています。 筆者のユーモア と辛辣さ あふれる文章で、最初は面白さに はまってしまうのですが、やがて、天下の大出版社が出し、東大 名誉教授が編集した辞書が、ここまでひどいということがわかって、 日本という国の先行きを案じて悲しくなってしまう、そういう 本です。 日本語に関心がある方には、その柴田氏の「常識として知っておき たい日本語」のような駄本よりも、是非とも本書の一読をお勧め する次第です。

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