小いんしん 左右非対称。 東京工芸大/工/基礎セ/物理/實方研究室

小陰唇肥大・・で悩んでます

小いんしん 左右非対称

当研究室のホームページは、現在作成中です。 空を見るとせいせいするから 崖へ出て空を見るのだ。 太陽を見るとうれしくなるから 盥(たらい)のようなまつかな日輪を林中に見るのだ。 山へ行くと清潔になるから 山や谷の木魂(こだま)と口をきくのだ。 海へ出ると永遠をまのあたり見るから 船の上で巨大な星座に驚くのだ。 河の流れは悠然としてゐるから 岸辺に立っていつまでも見てゐるのだ。 雷はとほうもない脅迫だから 雷がなると小さくなるのだ。 嵐がはれるといい匂だから 雫(しづく)を浴びて青葉の下を逍遥するのだ。 鳥が鳴くのはおのれ以上のおのれの声のやうだから 桜の枝の頬白の高鳴きにきき惚れるのだ。 死んだ母が恋しいから 母のまぼろしを真昼の街にもよろこぶのだ。 女は花よりもうるわしく温暖だから どんな女にも心を開いて傾倒するのだ。 人間のからだはさんぜんとして魂を奪ふから 裸という裸をむさぼって惑溺するのだ。 人を危めるのがいやだから 人殺しに手をかさないのだ。 わたくし事はけちくさいから 一生を棒にふつて道に向かふのだ。 みんなと合図したいから 手を上げるのだ。 五臓六腑のどさくさとあこがれとが訴へたいから 中身だけつまんで出せる詩を書くのだ。 詩が生きた言葉を求めるから 文ある借衣(かりぎ)を敬遠するのだ。 愛はぢみな熱情だから ただ空気のやうに身に満てよと思ふのだ。 正しさ、美しさに引かれるから 磁石の針にも化身するのだ。 あたりまへな事だから 平気でやる事をやらうとするのだ。 読後感:このところ取りまとめること叶わない茫々たる読後録をかかえながらも、 久しくこの録をほったらかしにしておりました。 高村光太郎のこの詩に私のココロはぐゎしッと鷲づかみにされた感ありまして、久々にこの録を更新することにしてみました。 最近、地球や自然環境のことも、人の関わるさまざまな出来事についても、 少し前まで当たり前であった多くのコトが急激に当たり前でなくなって来ているような気がしてなりません (脚下照顧、まずは自分自身が当たり前かどうかもあやし・・・)。 当たり前がずっと当たり前であり続ける(あり続けられる)ことのもの凄さを、 高村光太郎はありったけの力を振りしぼって人々に伝えようとしている。 歯が痛くなったときになってはじめて、いつも当たり前のように甘いお菓子を食べることができていたのをうらやましく思う。 風邪で高熱を出し前後不覚の状態で家で寝ているとき、 いつも当たり前のように外出してショッピングを楽しめていたことをうらやましく思う。 腰を痛めてはじめて、いつも当たり前のように不自由なく階段を上り下りできていたとことをうらやましく思う。 のどが渇いて自販機でミネラルウォーターを買おうとしてたまたま10円玉一枚の持ち合わせが足りなかったとき、 いつも当たり前のように自販機でミネラルウォーターを買えていたことをうらやましく思う。 私たちの共有する当たり前は、いつまで当たり前たりうるのだろうか? まずは、ストレートにものを見てみる。 そうすれば、光太郎のように少しはその当たり前の本質に気づくこと、叶うのでしょうか。 「おばさん」的• 霜層の流れ• マザーシップ• 机上の議論で「不敗」の思想は、一歩表にでると「ボロ負け」の思想• 「そこそこ使い物になる」思想• 「雪かき仕事」のような即効性のうすい努力を、サボらず、意識せず、繰り返してゆくこと• 未知の考想• 知的無政府状態• 知的肺活量• 知的酸欠• 知性の腕力• 論理の背筋• としての他者• ルンペン資本家• 消費、蕩尽、創造、生産、退蔵• 価値変動• 貧乏、飢餓感• アドレッセンス(青年期)• 触れてほしくない過去• 落語『水屋の富』• サラリーマン的エートス• 植木等『ニッポン無責任時代』• 出発点において、ぼくたちに「何ができないか」を知るほうが面白そうだ• 五十歳を過ぎてのバイクは予想外に面白くて、何のけれんも無くただただ、エンジンの軋む音と風と匂いを楽しんでいます。 ラカンの「前未来形で語られる過去」• 語り口のパフォーマティブ(行為逐行的)とコンスタティブ(事実確認的)• 記憶の二段階効果• アントン・チエホフ「胃が悪いということは、他の器官が健康であることをしめしている」• 「額に汗して働く」ことが「崇高」であると信じられた時代• 収穫逓減の法則• レバレッジドモデル(梃子のモデル)• チューリップバブル事件(17世紀オランダ、球根ひとつが労働者の平均収入の10倍になったといわれる)• 過去はまだ去っておらず、未来はもう来ている。 これがぼくがフィジカルに感じ取っている「時間感覚」です。 コーナーリングの要諦• クリッピングポイント• 気の感応• 体術、杖術• 気の練磨• 身体のアラインメント(立て付け)• クラフトマン・シップ(職人の熟練)• 手沢(しゅたく)• ポストモダンは「プレ・モダン」への回帰というより、「太古的なもの」の甦りではないだろうか• 「文学」、「武道」、「経済」• 独特だけどまとも• 頑固床屋政談• 居着き• 養老毅「逆さメガネ」• 大学とビジネス• アントレプレナー(起業家)• MBAホルダー、MOTホルダー• コストカットコンサルティング• 日本の教育機関や大学が作り出せる競争力のある差異とは何か• どう考えたって、世界の趨勢に従って実学優先なんていう結論にはならないでしょうが• 一発逆転• むかしもいまも、起業家は自立の物語の語り手で、修羅場とリスクが退屈しのぎになるよなメンタリティの持ち主に違いありません• リスクヘッジ(自らのポジションは安全なところに身を置きながら、得だけをとろうということ)• 人間の本源的なネーチャーと齟齬をきたす• つまり大切なのはゴールではなく、プロセスだと• ショートカットビジネス(これが金融の本質でしょ)• ショートカットするなよ、途中が面白いんだぜ• トランザクション(取引)サイクル• マインドセット• パブリック・スペースでほっこりくつろぐ• リナックス・カフェのスタッフたちは、許容度高くて、よかったですね• 独創性と学術性• 『ため倫』• 「オリジナルであること」、「説得力を持つこと」、「独特であること」、「他者の理解と承認を取りつけられること」• 認識論的なフレームワーク(言語やイデオロギーや宗教やコスモロジー)• 「私の経験」や「私の確認」だけでは私の知見の汎通性は担保できないわけです• 知解可能性(真理)• 「追試可能」、「反証可能」• 可動域のひろい共同的な知• 科学的信認• 「学術的である」=「永久不変の真理の審級」• そのつど揺れ動き、時代とともに変化してゆく「共同的な知」のパラダイムに(それがマジョリティに支持されている「物語」で あることを知りつつ)あえて踏みとどまる「節度」のこと• 「マッド・サイエンティスト」• 自立している人(他の人たちから、ことあるごとに頼られたり、忠告を求められたり、決定権を委ねられたり、責任を背負わされる人)• 諄々と説く• 「腑に落とす」• その論文の理非にかかわる理解と承認• 自分が読者に想定されていないテクスト• 三行読んだだけでわかる• 文章の「息遣い」というか「温感」というか「肌理」• 「体感を信号的に送受信する」ということは、べつに相手の身体に触れていなくても可能だ、ということは武道の修行をながくやってくると だんだんわかってきます。 「居着き」• 体術の場合、たいせつなのは技を「かけ終えた」ときの体感(骨や筋肉の状態、呼吸の伸び、気の通り、 相手が畳に身体を打ちつける受身の音まで)をリアルかつクリアカットに「想起」すること• 身体が「現在」に居着いていると者と、「未来」を先取りしている者とが接触• 活殺自在• この「時間的な居着き」を「未来の感覚」によってコントロールするということ• アポリア(難問)• 危機的状況に際会したとき、人間のとる行動は二つに分かれる。 ひとつは「身体感受性を最小化して、身体を石化し、嵐が過ぎるのをやりすごす こと」、いわば「時間を止める」やりかた。 ひとつは「身体感受性を最大化し、身体を液状化し、嵐に乗じること」、 言い換えれば「時計を先に進める」やりかた。 正しい生存戦略• 「外傷的現在」、「まだ来ない未来」• 「変わらない自己」という物語• 「凡人とは、進歩するけれども、進歩する仕方がいつも同じ人」=「つねに同じ仕方で答える人間」• 「天才とは、進化する仕方そのものが進化する人」=「そのつど答え方が変わる人間」• 「自己同一性」の神話=「凡人でありたい」との言明• 一億人の「自分探し」=一億人の「凡庸」• 「危険」、「risk(統御できる危険、既知の危険)」「danger(統御できない危険、未知の危険)」• ある国の指導者たちがMBA的な知性によって占められ「デインジャー」に真剣に対処できる知性を涵養することの重要性を忘れつつある• 大学人で「実学」ということをお題目に掲げる人間には。 「半ビジネスマン」みたいな感じの人間が多いのです• 半チクな説教• 大学が「実学」として教えるような知的リソースの大半はその定義からして現実に対する「絶対的な遅れ」をキャッチアップできず、 つねに「後手に回る」ほかないのです。 大学が教えるべきなのは、目先の「実学」ではなく、ながいスパンでの「汎用性」だと僕は思っています。 哲学だって、歴史学だって、文学だって、人間はそれなしでは生きてゆけない幻想と物語についての学なんですから、 最強の「知的ウェポン(武器)」だと思います。 でも、学生や親たちがとりあえず望んでいるのは、「実用的な専門知識」と「就職に役立つ資格」なんですよね。 悲しいけれど、それが日本人が大学に期待している「最大限」なんですよね。 ぼくは基本的に「戦略」的思考が嫌いなんです。 なんか下品というか「美学」がないんだな。 「ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ」• 古代的なものの甦り• けだし、名言• 好天型の経済モデルは、雨天のときに役立たない• 必要は供給の培地• 欲望は他者の欲望を欲望する• 無間地獄的• 一万円は蕩尽のための「機会」の価格• 「欲望に点火するようなサプライサイド」=「お洒落なライフスタイル」、「究極の贅沢」、「できる男」、「自立した女」• 他者からのリスペクト• ステイタスの象徴• リスペクトのイコン• 羨望のイコン• 「敬意」の「力の象徴」による計測• 「競争」原理• ディベートで相手を論駁するのではなく、双方で譲るということを考えるというような「知」のあり方• 「貧の意地」(太宰治『新釈諸国噺』)• 未来を現在の中に絶えず繰り込んでゆく• 時間の外延を現在の中に持つ• バイパス形成能力• 消費主体の「数的拡大」による総需要の拡大• お上、お頭、片腕、懐刀、腹心、股肱の臣、手下• 「頭が望むもの」と「手が望むもの」• 致命的な趨勢を糊塗する弥縫策にすぎません• 袖触り合うも多生の縁• 縁は異なもの味なもの• 会社を「軍隊」のアナロジーで語り、「戦略」と「戦術」で競合を出し抜くといったゲームを好むものにとっては、 会社はひとつの収益機関であり、その機能の最大効率化だけが問題となります。 タブル・ミーニング(今わかっている意味以外の「もう一つの意味」を読み出そうとする志向)• ラカン「子どものディスクール(言説)」(「あなたはそう言うことによって、何を言いたいのか?」という「子どもの問い」を つねに他人に差し向けることを「知的なふるまい」だと思っている)• 相手を出し抜いたつもりの人間はつねに出し抜かれる• 「人間はつねに本当に言いたいこととは逆のことを言う」と思い込んでいるこの疑り深い「子ども」に多少でも知恵があれば、 彼に問われた相手が「本当のことを言って人を騙す可能性」にもただちに思い至るはず• 「子ども」とは、実は人間が「未知のもの」に向き合うときに踐むべき「適切な作法」のこと• パリ=ダカール・ラリーでミネラル・ウォーターにマジックで自分の名前を書いてしまう日本人• アメリカ発「デオドラント」運動• 「私有主義」イデオロギー• 排除のディスクール• 「脳を割る」• 「盲信」と「疑いながら信用すること」• われは傷口にしてナイフ(ボードレール)• アンビヴァレント(両義的)• オブセッション(とりつかれ)• 「まあ、かたいこといわんと、お茶でも飲もうや」• ローマクラブのレポート『成長の限界』• デルメディコのダブル・スタンダード(「知的訓練を受けた賢者」と「受けていない大衆」の峻別し、形而上学的な宗教批判は「知的訓練」を受けていない大衆に ゆるされない」)• 賢者の作法• 思考枠組みを固定化し、「オブセッションを強化するような『ディベート』やら『戦略』を語る人間のことを、ディメルコはきっぱりと 似而非哲学者」と呼んでいた• Crispな悪口• 賢者とは、「世界の無根拠性を看破した上で、それでもなお世界に意味があるとすれば、 それは私たちが創造しなければならない」と考える人のこと• 大衆とは、「世界には意味があり、それは自分ではない『誰か』が担保している」と考える人のこと• 似而非哲学者とは、「世界には根拠がなく、人間の行動を律するどのような超越的規範も存在しない」と考える人のこと• 有責性• 有責性の先取• 情理を尽くす• 人間の言葉とか知性といったものが鍛えられるのは、言葉が通じないという経験や、 知性が及ばない集団や共同体との交流ということの中にしかない• 「お金で買ったり」「力で強奪したり」「機略でだましたり」といったことがあまりに日常的になったために、 この基本的なマナー(「情理を尽くす」)が忘れ去られているように思える• 自らの太古的な身体が発している言葉を聞く能力が退化してきている• 「部分最適、全体不適合」• 「ベストプラクティス」なんていうのも、非常に部分的な知性の使い方• 居心地の悪さ• 「わたしの身体は、わたしの頭よりあたまがいい」(何の戦略も奇策もなく、ただただ生存への脅威となっているかもしれないものに対して、 身体の方がアラームを発する)• 行政改革の圧力という外圧• 大学のマーケットの急激な縮小という内圧• アメリカングローバリズムの急激な進展という風圧• こちら側の身体性になじまない• 大学あるいは教育機関の場というものは、経済合理性を超越した場でなければ、 経済合理性そのものを批判したり検証したりすることはついにできないだろうと考えられる• 11世紀ヨーロッパの大学の発生自体が、世俗法から免除された特権的なポジションで法を研究するものであったという歴史• とはいえ、大学もまた世俗の渡世を生き抜いていかなければなりません。 まさに、自己責任で自助努力で世俗に生き延びながら 同時に世俗を超越するというアポリアを生きてゆかなければならないわけです。 受験者パイの縮小、大学淘汰、大学生き残り、大学の変革• 大学とは、世俗と超世俗、経済合理性と超経済合理性、ビジネスと超ビジネスの境界に位置しているまさにアンビヴァレントな「場」• 大学独自の創発的な知• マーケティングなんてやったことのない大学が、まるで、落ち目の自動車教習所がやったような売れるサービス、商品の開発をあわててやろうと するもんだから、実学優先の学科が優遇されて、世間におもねるようなあたふたぶりをしめしている• いや、大学で実践的なものなんて本当は教えられないじゃないの、というのが僕の素直な最初の直感なのです。 「プチ偉人」• 強い「反対給付義務感」• 反対給付(countre-prestation。 人類学の概念のひとつ。 「何かを贈与されたら、それを別の誰かに贈与しないと、気持ちが片づかない」という感覚)• レヴィ=ストロースの反対給付の感覚の三つの水準(財貨・サービスの交換=経済、言葉の交換=言語、女の交換=親族)• 自分が何かを達成したときに、それを「獲得」であると感じず、「贈与」であると感じることができる能力、それをレヴィ=ストロース は「人間性」と名づけた• その意味ではいまのぼくたちの社会に蔓延している「サクセス志向のイデオロギー」というのは、人間がだんだん「人間でなくなる」プロセス と言えるのかも知れません• 一宿一飯の恩義• 古典派侠客• 不快な隣人• 不快な隣人と共生すること• だんだんといろいろなことが億劫になってきて、まあ自然に定まってくるような習慣にはそのまま乗っかるのが楽でよいね。 フラッパー(おてんば娘)• スチューデント・アパシー• 「知に働けば角が立ち、情に棹させば流される」• 大学の役割は「知を作る研究」と「知を伝える教育」と「知の活用の道を開く社会貢献」である(江崎玲於奈氏)• 「あたたかい風とあたたかい家はたいせつだ」(吉本隆明)• 「ひともいえもくらいうちはほろびはせぬ」(太宰が描いた実朝)• アジール(逃れの町)としての大学• 疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)• 知とは本質的に自己否定な契機を内包している• 「自分のバカさの検出を、自分の正しさの証明よりも、優先的に配慮すること」が知性の個人的な定義ですが、• 「鉄棒曳き」的な嫌われ者セクション• 自己点検・自己評価というのは、いわば自動車の仕業点検のようなもの• いまの大学教員たちは、総じて、「知識」はあるけれど「知性」はないというきびしい社会的評価をもうむっています• 「三日やったらやめられない」大学教員の既得権にあぐらをかいて、• 査定と逸脱• ピア・レビュー(同業専門家による査定)• 真正性、引用の適切性• 査定可能な主題• ある時代の学術的パラダイムを転覆させるような革命的知見は、 つねにその時代の学術的パラダイムにおいては「査定不能」なかたちでしか登場しません。 大学に残って好きな研究をするためには、とりあえず「査定可能な研究」をしなければならない。 「査定不能」の研究主題に 取り組むためにのポストを得るためには、まず「査定可能」な研究主題で成果をあげなければならないんです。 この矛盾が研究者の「淘汰圧」として機能しています。 ユニークな研究者は構造的に研究の場にはなかなか残れません。 ほんとうに個性的な人というのは、たいていな場合、自分が「変わり者」であることにさえ気づいていないものですから。 ぼくが大学で教えていることのは、「まっとうに生きること」とか「分をわきまえること」とか「筋目を通すこと」とか 「ディセント decent であること」といった基本的なマナーだけです。 岩井克人『貨幣論』、『ヴェニスの商人の資本論』• 起源にかかわる問い(「貨幣とはなにか?」、「資本となにか?」、「市場とはなにか?」、「交換とはなにか?」)• なぜアメリカは「反知性主義」の風土を作り上げてきたのか• 200X年劈頭から• 帯状疱疹• 「雨の日もあるさ」という認識があればこそ、「学ぶ」ということも、意味を持つのだということだと思うわけです。 無聊をかこっている光景• 時間が止まったようなカフェ• 白皙の青年が嘆息し、• 町から退廃が消え、物語が消え、機能的なだけのオフィス• もはや大学には、無為と倦怠の中で思想や文学に惑溺する学生に場を与えてくれるなんていう猶予は許されない。 荒っぽい言い方をすれば、現実的で、ショートタイムに結果を出せる、喫緊の課題に対して大学は成果を出さなくてはならない。 ひとつの「目的」を持ち、ひとつの「役割」を演ずることが要請されるようになった。 まあ、ひとことでいえば、ビジネス系、理科系、実学優先で行くぞ、「大学の自治」とか「学の独立」などというお題目の下で 遊んでいるひまはねーぞ、というビジネスの論理が大学に導入されたということだ。 アメリカン・グローバリズムが世界を席巻し、「知」の役割、「商」の倫理、「人」のふるまいを、世界レべルで比較可能、 交換可能なものに書き換えようとしている。 「理解可能」、「比較可能」、「交換可能」• 「反知性主義」=「世界競争力」、「競争優位」、「産学の連携」など• 「知性」そのものが「知性」の脆弱性を超えてゆく、つまり知性の再定義が必要になる• 知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与した人間には価値があり、なみはずれて関与したものは、 なみはずれて価値があるというようにひとびとが幻想することは、自然なことであるが、これはあくまでも幻想の領域に属していることだ。 市井の片隅に生き死にした人間のほうが、判断の蓄積や体験の重さに関して単純でも劣っているわけでもない。 千年に一度しか あらわれない巨匠と、市井の片隅で生き死にする無数の大衆のこの「等しさ」を歴史はひとつの時代性として描き出す。 幻想論• 「たいしたもんだね」は、簡単に「偉そうなこと言ったて、それが何の役に立つんだ」といった知への侮蔑に転化する可能性を残している• どんな崇高なビジネス哲学も、結局は「で、儲かるの?」というような身もふたも無い結論に集約され、その結果に責任を持たなくては何も 発言することはできないのが、ビジネスの世界です。 「自己否定の契機」、「自己の知性の限界への配慮」(「知性は、知性そのものの限界を知るという場所で最も指南力を発揮できる」 「現実は、その背後に起源に対する考察や、採用されなかった理論や、 運動を捉えようとする努力というものがただひとつの歴史として表出される他はない」)• 言葉というものは、言葉が通じないところでしか鍛えることができない• 知性が鍛えられるのは、知性を必要としない人々の間で孤立するしかないような場所であり、知性とは無縁の功利性や、 逐行性を問題にしなければならなら場所でしかない• 経済活動って、本質的にゼロサムなんじゃない• 誰かががんばって資産を形成するたびに、どこかで誰かがその分だけ貧弱化している。 代償行為• 人間は変わります• 定点観測点• 「宝島」に出発する人間と、港で見送る人間• 人外魔境• 「どこにも出発しない人間」たちの社会を「冷たい社会」と名づけた(レヴィー=ストロース)• 野生の思考• マルクスって「勉強する」ものじゃなくて、「思考に活気を与える」もの(レヴィー=ストロース)• 知的なtour de force(力業)• 「計量できる」とはどういうことか• 机上の思想は、一歩表にでると「ボロ負け」の思想• 街頭でも、「そこそこ使い物になる」ような思想• 学校という場所の本来の機能は、「家庭という想像界」と「市場社会という象徴界」のあいだを架橋する「中途半端な場所」• 対旋律• 美は乱調にあり• インプロゼーショナル(即興的)• 快刀乱麻を断つといった風情• 「髭を剃りなさい。 男の本質はマザーシップだよ」(太宰治から吉本隆明への言)• 「無学の人」• アメリカ文化の特色は、きわだって「父性的」な社会であって、「マザーシップ」の価値が非常に低くしか評価されていない• 「マザーシップ」=「母船」• 「母性」=「マザーフッド」• ホスピタリティ(飢えている人に自分の口にあるパンを与え、渇いている人に自分がのみかけている水を与えること)• 底知れぬ「マザーシップの人」(男性的な哲学を語るレヴィナス老師と秋霜烈日のすさまじさを発する多田先生)• 90年代以降のハリウッド映画のヒーロー(「眉をひそめ、口をへの字にまげ、烈火のごとく怒り、ドアをばたんと閉め、 電話をがちゃんと切り、男をはり倒す」というふるまいを「自己表現」の仕方とする)• 「ゲイ」と「じいや」(アメリカでのマザーシップの担い手)• アメリカでは、「美術関係」と「現代詩関係」者はまず例外なく「ゲイ」だということになっている• 劣等男子• グローバリズムが「アメリカによるアメリカの否定」だと思うのは、アメリカの魅力は徹底的なローカリズムであったはずだから• 管見の及ぶかぎり• IT成金やVCの跋扈するメロンパーク• 欣喜雀躍• 久闊を叙した• 秩序紊乱• 困惑と逡巡• 多様性に対する不寛容、増殖する異教徒に対する不寛容の前景化• 「ルイジアナ」(ルイ14世に由来)• 南部に多い「なんとかヴィル」(フランス語のville(街))• 「ハリー・サナダ」「デューク・サナダ」「ヘンリー・サナダ」(真田広之のハリウッド名)• アメリカの上下院議員の14%しかパスポートを持っていない• 「外国になんか行かない」=(米国の)政治家としての見識の高さ• アメリカ諸国連合(アメリカ「合衆国(合州国)」は、誤訳)• 学齢期• ステートごとに法律が違い、ステートごとに軍隊を持つ• 「テキサス国軍」• 「掟破り」、「怖いもの知らず」、「われらが範とすべき偉大なる悪童の先輩」=養老毅• 成功体験• 読売ジャイアンツが「常勝」というオブリゲーションを背負い、 人事、戦略、戦術のすべてがこの「常識」というオブリゲーションに呪縛されている• 仰木監督「ゲームってのは、勝ったり負けたり、負けたり勝ったり、勝ったり、勝ったり、勝ったり、負けたり、負けたりでいいんだよ」• 仰木は、選手たちを勝ち負けという桎梏から開放し、居つかず、こだわらず、白球に向かう、という身体性に立ち戻ろうとした• あえて脱線• 人間は死ぬから「生きる」ということの意味やありがたみや愉悦がわかるわけです。 人間が人間であるのは、人間の世界の「外側」を「知らない」からであり、「知らない」ということを「知っている」限りにおいてです。 現代の日本も、アメリカも、けっこう「病んでいる」• アメリカン・グローバリズムに代表される「無時間モデル」の病症• 「資格志向」• 若い人たちがこういうデジタルに表示された資格や成績にこだわる最大の理由は、 「人事考課が機能しなくなっている」せいではないでしょうか• 暗黙の合意ができている場合は、学歴やら資格やら点数やらはもとより不要のものです• 誰にでもわかる「数値」を人間的価値の指標に取ることは推奨される時代というのは、人間の「中身」についての判定(それは久しく、 「その場にいる全員にとっての暗黙の了解」でした)が怪しくなってきた時代だということ• これまで、人間についての判断の根拠になってきたのは、「データ」ではなく、むしろ「逸話」です。 善意の大量発生、異常発生は、人が生きてゆくために必要な基本的な汚れ、弱さ、悪意といったものを破壊してしまう可能性がある• 「アメリカ人のように流暢な英語」と「小学生のような作文」• 「戦略思考」と「ゴール思考」というふたつの合理的、機械的な考え方が一種の思考停止であることを解き明かそうとする• 耕さない田んぼが環境を変える• 不耕起栽培(稲を野生化させて栽培する技術)• 冬季湛水• コンテンツ重視• 夏目漱石「『方丈記』の英訳」• 「理解」より「恭順」• 「理解」に先立つ「諾」の返答• 最先端のビジネスロジックと血液型信仰はじつは双生児• かれら(オタク)にとっての価値、つまり差異は、イデオロギーや階級や貧富といった誰の目にもわかるような大きな差異ではなく、 非常に微細な差異を見分けること• 寸毫も信じる気持ちはない• ビジネスとは、まずビジネスモデルという仮説をたてて、それを検証してゆくことがビジネス遂行の意味というやつですね。 欲望を充実させるためにお金があるのではありませんよね。 お金が欲望を喚起するというのが本当のところだろうと思います。 かくて、お金のためだけに働くひとが職場に蔓延することになります。 「よく分からない」というエージングプロセス(成熟過程)を許さない時代• 太古の問い• 人間の知性だけが持つ「何だか分からないもの」というカテゴリーを当の人間たちが廃棄しようとしている• これは、要するに「私はサルになりたい」と言っているのと同じじゃないか• 日本人の「常識」に登録された• 「こころ優しい日本人」• 自己責任論• 「エリートは偉い」という通俗的な価値観• 女性が「男性化」し、パワーエリートとして社会的なリソースを独占することを勧奨することのどこがすばらしい社会理論なのか、 ぼくには実はさっぱり腑に落ちないのです。 権力とか威信とか名誉とか、そんなものにいかほどの価値があるんでしょう• ぼくが誇れるのはほぼ唯一の社会的リソースは「誰に向かっても、好きなだけ悪口を言う自由」ですけれど、 それを多くの男性は所有していません。 ボーヴォワールは、この社会のすべて価値あるものには「男性性の印が刻印されている」と言い切りました。 ぼくはこれが現代フェミニズムの「最初のボタンの掛け違い」じゃないかと思っています。 女性には女性固有の「対抗文化」があり、それがこのばかばかしい男性中心主義社会のなかで人間たちが傷つき壊れてゆくのをなんとか 防止する人類学的に重要な役割を果たしているとぼくは考えています。 どんな組織においても、その組織の中で能力を認められ、出世を果たした人間は、その組織が「正しく機能していない」と言い切ることには 抵抗を覚えるはずです。 「私を入会させるようなクラブには入りたくない」と言い切ったのはグルーチョ・マルクスですが、 こんなことを言えるのはグルーチョだけです。 ふつうの人は「私を入会させるクラブこそが入るに値するクラブだ」というふうに考えてしまうものです。 「お母さん」的なエートス• 性役割が「内面化する」• 学界的サクセスの欲望• 「おじいちゃん」化しちゃった女性• 「女性がみんな男性化しちゃった社会」なんか、ぼくには少しも愉しいものには思えません。 グローバリゼーションは、多様な文化、多様な価値観の一元化の流れのこと• 傍目八目• ワーディング(言葉づかい)• コミュニケーテュイブ(交話的)よりコンペティティブ(敵対的)• 「戦略なしで挑んでいては損をする、ババをつかむ、馬鹿をみる」という信憑がいつのまにかこの国の人々の精神の中に棲み付いた。 戦略なんていらないよというビジネス論をぼくは寡聞にして知らない• バランスシート• アセット(信用)• インビジブルアセット(見えない資産)• いみじくも• 懇願、誇示、恫喝、詐術、呪詛、卑下、交換• 虫の好かないやつだけれど、筆は立つ• 採算不芳部門• 諧謔性• たたかう優雅な野蛮人• 寿ぎたくなる• 武道に通じたご両人• 武道というものは、「一瞬」の激しさにおいて詩に通じる。 読後感:今期、一番時間をかけて読んだ本です(ちょろちょろ読んでは、ひと休み。 またぞろ読んではひと休み、みたいにひと月ほど)。 非常に味わい深い本でした。 このような本を発見できたことは、実に実にうれしい限りでございます。 また、近いうちに(今度の夏休みあたりにもう一度、)読み返してみようと思います。 余剰次元• パッセージ(経路)• 準結晶(高次元の結晶構造の射影)• モデル構築(コンセプトとアイデア)• クラインの説(余剰次元は円状に巻かれている)• トーラス• 逆二乗則と重力• マルチバース(多重宇宙)• 慣性質量と重力質量の等価原理• パリティ対称性(空間反転対称性、p対称性)• 「ひも理論」のプリンストン大と「モデル構築(素粒子理論)」のハーバード大• M理論• Dブレーン(D=数学者ぺーター・ディクレルにちなむ)• ADDモデル(アルカニ=ハメド、ディモポーロス、デゥヴァリ)• 大きさが(ほぼ)1ミリメートルもある次元• 1mmに巻き上げられた円筒世界)• ADDが論文を書いた1998年には、ニュートンの逆二乗則がおよそ1ミリメートルの距離までしか検証されていなかった。 つまり、実際に余剰次元に1ミリメートル近くの大きさがあったとしても、誰もその証拠を見つけることはなかったろう。 1998年に時点では、1ミリメートルより短い距離で重力について何かを知ることは不可能だったわけだ。 階層性問題 読後感:「1ミリメートル以下の距離で万有引力の逆二乗則が成り立つかどうか、分からない」っていうのは衝撃的なくだりでした。 そしてまた、「いまだに誰もそれを測定できていない」というのも、僕にとってひときわ新鮮な事実の発見でした。 「そんなん、まじかよ」、みたいな。 「AFMの動作原理を全く知らなくたって、その測定なら誰でも行える」というコンビーニエントな今の時代でも、ですよ?!・・・。 AFM法や光干渉法などを用いて、微小ギャップ間の万有引力を測れないものでしょうか?、うーむ。 門外漢なので真価は分かりませんが、ADDモデルの行く末、何だかおもしろそうだ。 「オランダ共和国」と「スペイン領ネーデルランド」• コーへン(ユダヤ教司祭)• 隠しインキ• カネパリウス『インキについて』• 秘文字• 州数学監(ケプラー)• 地政学• 知遇を得る• 薔薇十字団(ローゼンクロイツ)• 肯じない(がえんじない)• 閲する• 経世の理 読後感:神聖ローマ帝国、ハプスブルク家、ユダヤ資本家の勃興、興亡を描いた近世西洋史の大作でした。 コーヘン家が実在したユダヤ資本家かどうか、浅学の私は存じておりませんが、 アムステルダムやロンドン、ドイツ各都市等での金融(銀行)、証券取引(所)の形成に深く関わった一族なら、 赤い盾一族ことロスチャイルド家が、まず真っ先に頭に浮かびます(あるいは、ロスチャイルド家をモデルにしたのかな)。 経済においても、学術においても、エンターテインメントにおいても、 世界各地に、いかなる時代にも、かくも卓抜した人材をひとつの民族が輩出し続けるられるのか、 これもまた不思議であり、歴史ロマンを感じずにはおれません。 以前、インターシティのコンパートメントでたまたま同席したドイツ人夫妻と車内の会話がはずみ、 終着のハンブルグでホテルを探してもらったり、ブラームス・ケラー(ハンブルグ大学の横手にあったかな)で、 食事をご馳走してもらったりしたことがありました(確か、奥方がハンブルク大学で心理学を学ばれた心理学療法士で、 ご主人の方が手作り家具職人の方でした)。 ご両人ともユダヤ系の方で、さまざまな歴史的なお話をお聞かせ下さり、 またハンブルグのシナゴーグ跡(第二次大戦時に焼失)を案内して頂いたりしました。 杉原千畝の功績から、 一般のユダヤ系の方々が、日本人に対して非常に好感を抱いて下さっていることを、 このとき身をもって体験することができ、非常にうれしかったことを覚えています。 鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン• シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)• ゲーテの描いた「色彩環」• 自分に命令しないものは、いつになっても、しもべにとどまる(『穏和なクセーニエ』より)• 自負しすぎない者は、自分で思っている以上の人間である(『格言と反省』より)• 井の中の蛙、大海を知らず• 豊かさは節度の中にだけある(「クリストフ・カイザーに宛てた手紙」より)• 不可能を欲する人間を私は愛する(『ファウスト』より)• 天才が天才としてなすことはすべて無意識になされる(「フリードリヒ・シラーに宛てた手紙」より)• 人間の過ちこそ人間をほんとうに愛すべきものにする(『格言と反省』より)• 重要なことはどこまでも、見知らぬもの、見知らぬ人に心をふれてみることだ(「アウグスト・フォン・ゲーテに宛てた手紙」より)• 同じ場所に三日以上は留まらない(『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』より)• 経験とは、人が経験することを望まないことを経験することにほかならない(『詩と真実』より)• ゲーテはどんな書物も学問の権威もまず疑ってかかり、知識を丸呑みすることはありませんでした• 「生きること」それ自体が何よりも美しい真実• 数人の人たちがそれぞれ満足している場合には、彼らが思い違いをしているのは間違いない(『格言と反省』より)• 人間を愛すべき存在にしているのは、その過ちや迷いである(『格言と反省』より)• 美しいものは、世界のなかで孤立していることがあるものだ(『格言と反省』より)• 無知な正直者が、しばしば、たくみなペテン師の悪事を見抜く(『格言と反省』より)• 自然のどんなに重大で顕著な現象でも、そこに立ち止まってはならない。 それに執着してそれだけを眺めるのではなく、 自然全体を見回して、似たものや親近性のあるものがどこにあるかを問わなければならない。 (『色彩論』より)• あらゆる技術をいかすのは最終的には精神だけだ(『色彩論』より)• 日々は迷いと失敗の連続だが、時間を積み重ねることが成果と成功をもらたす(『格言と反省』より)• 石の上にも三年(大きな目標は、そう簡単に達成できるものではない)• さしあたり必要なものが豊富にある地方では、今日あったものは明日もあるだろうとのんきに構え、のんびりと苦労もなくなっていけるような、 幸福な性格の人間を作る(『イタリア紀行』より)• 私たちに対して反論がなされるとき、その声の強さに圧倒されることを恐れる必要はない(『格言と反省』より)• 大声でものを言う人は中身が小さいのです• 世紀は進むが、人間は初めからやり直さなければならない(『格言と反省』より)• 外国語を知らない者は、自分の国の言葉についても何も知らない(『格言と反省』より)• 愚かな者も賢い者もどちらも害にはならない。 半分ばかな者と半分賢い者がもっとも危険である。 (『親和力』より)• 自分自身の心を支配できないものにかぎって、他人の意志を支配したがるものだ(『ファウスト』より)• すぐれた人格を感じ取り、それを尊敬するためには、自分自身もまた、それなりの者でなければならない(『ゲーテとの対話』より) 読後感:ゲーテ先生は、愛すべきお茶目な人だったみたい。 完璧すぎず、堅物すぎず、されど「完全」となることを果敢に目指す、みたいな。 「カンペキー」なんて思った瞬間に、「はい、君は打ち止め」、みたいな。 ご用心、ご用心。 ニュートンの「時計仕掛けの宇宙」• パラダイムシフト• シュレーディンガーの哲学的論考• 経験批判論• マッハの哲学体系• 一部が水中に入っている鉛筆を考えてみよう。 折れているように見えるが、本当は真っ直ぐであることは、触ってみれば検証できる。 マッハはそうではないと言う。 水中の鉛筆と水から出ている鉛筆は、二つの異なる事実である。 水中の鉛筆は、見た目の事実に関する限り本当に折れ 曲がっているのであって、水中の鉛筆についてはそれがすべてである。 アインシュタイン「理論が、われわれが何を観測できるか決める!」• 彼(アインシュタイン)は、われわれの知覚している世界、現象化界がほとんどわれわれの心の産物であるという、 カントの発見を理解していた。 実在論と局所性が結びついた「局所実在論」• 機械論的な世界像• ボーアの相補性• 重い物体がゆっくり動いている場合、その「運動量」は軽い物体が速く動いている場合と等しいことがありうる• 観測過程にある量子系と孤立した量子系の関係• 存在論的観点(在ることに関わる)と認識論的観点(知ることに関わる)の違い• 存在論的解釈では、「この電子は正確な位置と正確な運動量を同時にはもたない」となる。 一方、認識論的解釈では、 「電子の位置と運動量の同時的な値を知ることはできない」ということになる。 「量子領域と日常世界の境界領域」、「量子系」か「通常物体」か• もの性• シュレーディンガーが挙げた成果は、ニ、三週間にわたり極度の集中力を維持できるという能力の賜物だった。 量子物理では、観測は創造的なのである。 ハイゼンベルグ「科学の根は会話にある」• アインシュタインを典型とする別のタイプ、孤高の物理学者もいる。 この独立独行タイプの人は、創造活動する時間の多くを 言葉から遠ざかり、思考の深みへと進んでいくことに費やしているようだ。 その本質は非言語的世界であって、 言葉はその創造過程を構成する要素になっていない。 言葉が使われるのは、非言語的思考の成果を表現し、伝達するときだけである。 ポール・ディラックは、そうした孤高の人であった。 ディラック方程式とスピノル• 内なる声が私に、これ(量子力学)は本当のヤコブではないと告げる。 (アインシュタイン)• 知的討論• 思想の深さ• ボーアとアインシュタインの論争の研究には、もう一つの特徴があった。 すなわち、知的論争につきものの、あのエゴがぶつかり合って感情が むき出しになる見苦しい光景を我慢しなくてすむのである。 リアリティーの要素(アインシュタイン)• EPRの思考実験(アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼン)• レオナルド・フィボナッチ(1202年にヨーロッパに十進表記法を持ち込む)• 隠れた変数の理論(フォン・ノイマン、デイヴィッド・ボーム)• 「ベルの定理」、「ベルの不等式」• 対立カップル症候群(あらゆる機会を捉えて相手の言うことを否定せずにはいられなくなっている状態)• 選好性• GHZの実験(グリーンバーガー、ホーン、ジーリンガー)• 量子状態の収縮• カバー・ストーリー• イメージが創られる脳の部位つまり視覚野を研究する神経学者たちは、感覚刺激から脳のこの部位にやってくるのは 情報のだいたい半分でしかないことを発見したのよ。 後の半分は脳の他の部位からやってくるんだって!• 客体化のプロセス• 視覚的イメージの私的世界• 「われわれは認識の主体を、われわれが理解したいと切に願っている自然という領域から排除します」(シュレーディンガー)• 客体の構築と自己の排除• 心身問題• 量子素事象• 量子観測は潜勢態から現実態への移行を引き起こす。 孤立した電子は「可能性の場」である• プラトン『ティマイオス』• 永遠的秩序と時間的秩序の関係、プラトンの「英知界」、イデアの世界における秩序• 不変的存在の世界、生成消滅の世界• 円環の創造• 収縮とは潜勢態から現実態への転移• アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド『プロセス哲学』• 英知の形相、バカの形相• 四次元連続体• ソクラテスがなったという「放心」• 一日中推論的論証を続ける、もっと「放心したようになる」• ときどきボーアはまるで阿呆みたいになって、そこに坐っていた。 彼の表情が消え、四肢はだらりと垂れ下がり、 この男の眼に何か映っているかさえ怪しいだろう。 こいつは阿呆に違いないと思うだろう。 生命のかけらも見当たらない。 ところが突然、 彼の中に輝きが立ち上り、それが火花を放つと、彼はこう言うのだった。 「よし、わかったぞ」• なぜ、収縮は起こるのか?• 自然が選択する• プロティノスの「自然は観想する」• 収縮のない世界に住んだらどういうことになるだろうか?• 収縮の目的は、(宇宙を)単純化することにある• ディラック・コスモロジー:Q「収縮はどのように起こるのでしょう?」、P. 「自然が選択するのです」、 Q「自然はいつ選択するんでしょう?」、P. 「干渉の可能性がもはや存在しないときでしょうね」• コヒーレントな干渉を不可能にするほどの複雑さを生じさせる過程(デコヒーレンスに導く過程)• (シュレーディンガーの)客体化原理の適用限界• 収縮は量子力学の定式化の一部としては解明されていない。 なぜなら、自然は本質的に客体化しえないものなのだから• 記号的(シンボリック)知識と親密的(インティメント)知識• 「原始的」で「未開」な伝統• アインシュタインの六年生からの宗教に関する質問に答える手紙「科学の研究に真剣に取り組んでいる人々はみな、霊が宇宙の法則の内に 現れていることを確信するようになります。 この霊は人間の霊をはるかに越えているために、それに直面すると自分たちの力はちっぽけなものに感じざるを えなくなるのです」• 決定されているのは、現実的事実に対する確率の分布• 収縮が持ち込む不連続性• ヌーメナル(真の存在)• 我有化(把捉、プリヘンション)• デカルトの二分法• 階層化されたリアリティー• 何十億の銀河、銀河の中の何十億の恒星、その中の太陽、太陽系の中の地球、地球上の人間。 宇宙の中の人間の地位は、ほとんどとるに足らないものである。 (逆に、)ひじょうに小さな腺が人を生かしたり殺したりする。 また一つのウィルスが死をもたらしたり、 快方に向かわせたりすることができる。 一般的に言って、一人の個人のような比較的小さな存在が、社会や文明や惑星といった大きな存在に対して影響を与えることができる というのは、意識という存在があってのことなのである。 ターナー講演• 自我(エゴ)を自己(セルフ)と混同する• シラー「全体性のみが明晰へと導き 真理は深淵にとどまる」• 相補性の枠組みは、量子系への単一の記述を適用することの不可能性の発見である• 「ダーウィンの航海で出会ったフエゴ人は、小さなボートには驚いたのだが、 大きな船のほうは『どうということのないこと』とされた」という• 大統一理論• 多世界解釈• 波動とは、微細な「量子力」の作用によって粒子を導く「きょう導波(パイロット・ウェーブ)の一種であり、 その微細な力は「量子ポテンシャル」によって生じるのである(D・ボーム)• 局所性の破れ(光速度を越える)• GRWのアプローチ(ジラルディ、リミニ、ウェーバー) 読後感:量子力学もここまでくると、浅学の僕にはもはやそれは哲学の領域に思えてしまうほどに。 「波動関数の収縮はなぜ起こるのか」、またそれは「どのように定式化されるのか」、未開拓で魅惑的な研究領域は数あれど、 理論に向かない自分の鈍ら頭と日々のぐだぐだなお仕事は、それにかかずらうのを許さず、か。 こんな研究を日々の生業とし、またそれに「放心」することを許される人が、 この世界のどこかにいらしゃるのだとしたら、それは真にうらやましい限りです。 刀は武士の魂• 鎌倉時代の「兵の道」と江戸時代の「武士道」• 「夫兵法という事、武家の法なり」(五輪書)• 今の若士共は出会の咄、金銀の噂、損得や家計困窮、衣装、色欲の雑談ばかり、と嘆いている(『葉隠』)• 「勇」、「忠孝」、「質素」、「礼儀」、「清廉」、「忍耐」• 『米百俵』• 刀は伊達にささぬ• おんたましひ研所• 直刀と唐太刀• 『天逆鉾』• 『栄花物語』• 懐剣、隠剣• 『吾妻鏡』• 弓矢は京にて捌かせ、刀剣は本阿弥に究めさせ、馬は馬喰の言に任せ、甲冑は奈良岩井家に仕立てさせる事• 可然物(しかるべきもの)• 刀剣極め所(本阿弥二百七十石)• 阿弥衆• 蒔絵の幸阿弥、金工の正阿弥、申楽・田楽・能楽の喜阿弥、世阿弥、能阿弥、観阿弥• 金象嵌• 阿弥=時宗系の僧形の人• 本阿弥の元祖妙本は菅原姓で、松田名で相州鎌倉に住む• 刀剣の研磨「麁研麿一日。 焼ならびに中麿一日。 精麿一日。 (火火宝)一日。 「寝刃を合す」、「寝刃を引く」(切れ味の鈍った刀剣を研磨して鋭利にすること)• 「梅花を付けたるごとく」(刃文、鍛え肌の美しさ)• 「春のゆきのやうにかすみのかかりたるごとく」(地刃の境)• 蕨手刀、立鼓刀(蝦夷と呼ばれた人々の用いた刀)• 「断つ」から「切る」へ• 「古備前正恒」• 「備前国友成造」• 受領名• 「左衛門尉」「右兵衛尉」• 「正宗」(相州鎌倉、破天荒で魅力ある作風をもつ)• 「正宗抹殺論」(明治時代)• 「沸の美」「川のせせらぎの煌めき」「天空の星の輝き」• 天才の作は「一代限り」• 没骨法の表現法、曜変、油滴など天目茶碗の美、正宗の沸のはげしい作風• 北条時頼より、初め重光の名を賜った• 頓悟(修行の段階を経ずに一挙に悟りを開く)、漸悟(順序を追って修行し、悟りを開く)(禅の言葉)• 「雪のむらぎえ」「耳形刃の特色」• 松皮肌、板目肌• 藤原氏を藤、菅原氏を管、清原氏を清(清少納言)• 北国物• 刀鍛治とは別だった槍鍛治、野鍛治(鉈、鎌)、大工鍛治• 刀(tau、カタナ=片刃、偏刃から転ずる)• 剣(両刃)• 塚原ト伝、上泉伊勢守、伊藤一刀斎、柳生石舟斎• 刀狩り• 三所物(小柄、笄、目貫)• 鶺鴒差し、掴み差し、突っ込み差し、落とし差し、閂差し、からめ差し(戦さの時)• 長曽祢虎徹入道興里• 「よく斬れる刀」、「業物である」• 名刀の条件「折れず、曲がらず、よく切れる」• 「奈良刀」「奈良物」=「安物の鈍刀」• たたら製鉄• 本居宣長「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花」 読後感:購入後、積読していたのを忘れていて、二冊買ってしまった(また、やってしまった)。 惹かれてしまう本には、やはり何かの縁があるものだ。 「そこから産み出された鉄の純度は、近代西洋製鉄をはるかに凌ぐものであった」、 と以前放映されたNHKのスペシャル番組で観たことがある。 当然、たたらの鉄で鍛えられた日本刀の切れ味も人類史上最高の切れ味を誇る刃物であった(ある)、とのこと。 これもまた「縮み」文化を代表する日本の伝統工芸技術の一つです。 「工夫」、「改良」を重ねがさねる「踏襲」の上に、類まれなる「精緻」、「精巧」に至る。 「日本的」とは、まさに日本刀造りにみられること、そのものです。 この本を読んで、 永らく忘れかけていたけれど、 真綿みたいなもの(「たんぽ」っていうらしい。 つけてる白い粉は砥石の粉末らしい。 )でぽんぽんと刀の手入れを大伯父がしていたことを、 子どもの頃に見たのを思い出しました。 沸(にえ)の景色を、今度じっくりと拝ませてもらわなくては・・・。 持続可能性(サスティナビリティ)• サスティナビリティ学連携研究機構• サスティナビリティ学(地球維持学)• 内田ゴシック• 多くの学生たちは教授を「専門バカ」と決めつけていた。 「専門バカ」とは、自分の専門分野のことしか知らず、 他の学問や世の中のことには無知な大学教員を揶揄する言葉であった。 巡検(フィールド実習)• 鈴木秀夫『森林の思考・砂漠の思考』(循環的な森林の思考は仏教に、直線的な砂漠の志向はキリスト教に。 仏教の「輪廻」とキリスト教の「終末」)• 論理の飛躍が大きすぎて非科学的だと厳しく批判された。 しかし、先生は、こうした批判にはまったく臆することなく、泰然自若としていた。 上総アカデミアパーク• 学際研究事始め• ヤマトンチュー(本土人)• パイロットスタディ• ストックホルム大学は、地球温暖化研究の元祖ともいうべき、スヴェンテ・A・アレニウス(1859-1927)が教鞭をとっていた大学である。 驚くべきことに、彼の予想値はスーパーコンピュータを用いた最先端の地球温暖化予測と非常に近い。 地球シミュレータ• ほぼ確実(very likely)• 人為起源である確率が90%以上• フォアキャスト、バックキャスト• 私たちはすっかりそのころ(=オイルショック)の教訓を忘れてしまっている。 スカベンジャー(ごみあさりをする人)• 循環経済に基づく和諧社会づくり• 同床異夢• 医食同源、心身一如• 『Sustainability Science』 Springer 読後感:『熱力学』の教科書の活性化エネルギーの項目のところで必ず出てくるアレニウスが、 100年近くも前に、既に今日の地球温暖化を予測していたとは、卓見無比でございます。 シュレーディンガーもまた『生命とは何か』でDNAの存在を予見していたし、 優れた科学者のポテンシャルは、自然を熟知しているがゆえに、計り知れず。 翻って現代の万能科学者や、いずこに。 利が利を生むことをもって至上とする• 「今日のシステムの犠牲者は、第三世界の人びとと自然に他ならなりません。 このシステムが自ら機能するために、 今後もそれらの人びとと自然は容赦なく搾取されつづけるでしょう」(NHK番組『エンデの遺言』)• 世界市場化(グローバライゼーション)• 資本移動のモニタリング(監視)• ディスクロージャー(情報開示)• マッド・マネー• 「パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つのまったく異なった種類のお金である」 (エンデの言葉)• 共生セクター、競争セクター• その日がくるまで他人事• 高度失業化社会• ジョブレス・マジョリティ(職なき多数派)• 労働の「吸収圧力」、その反対に、強い「排斥圧力」• 「人間をムダにする」社会• ハッピー・バランス(幸せな予定調和)• 「人間排除の経済」から「人間復興の経済」へ• 働くものは強し 蓄えるものは なお強し• 人間、働くことが値打ちやないか• 「なぜ城山さんの作品の主人公は男ばかりなのですか」、「女性はまあ大河の流れのようなものです。 存在それ自体が救済です。 あえて私が慰めなくても。 が、男は・・・、まあいってみればその流れに浮きつ沈みつしながら流されていく木の葉のようなものですから、ねぇ」• それほどに男は悲しい存在なのだ• 周章狼狽• 「虚の経済」、「実の経済」• 淵源はいっそう迂遠なところに• グローバル節• 彼我の違い• 会社を潰しても人間は潰れない社会• 人間はもはや搾取の対象でさえなくなった。 いまや人間は排除の対象になった。 天空回廊• 跳梁跋扈• 時代遅れの守旧派• 既得権益にしがみつく愚者• 一辺倒論• 自己責任、事後チェック• 低位平準化• 水は「ゴールド・ウォーター(黄金の水)」と呼ばれる• 定昇圧縮• 神は細部に宿りたまう• ウィーナー・テークス・オール(一人勝ち世界)• プライバタイゼーション(私化、私物化)• プライベート・オートノミー(個人主義)• 官の無責任・民の狡猾• 高木仁三郎(市民科学者)• 細緻な後付けの論理構築• 真理追究と大衆認知• ポリシー・インテレクチュアル(政治知性)• 自覚的市民• ステークスホルダー(利害関係の当事者)• マネタリー・ディシプリン(金融節度)• 決定権、実行権• 節度ある競争• 大学の果たすべき使命は明らかであります。 学問研究の自由を主張し、守るのとまったく同じ地平において、大学は地域自治の先頭に立ち、 そのためにも自覚市民を育て、支援の担い手となること。 そのように期待されているのではないでしょうか。 懐柔策、表面的意見聴取、情報提供、形式だけの参加• この指とまれ• 猖獗を極める• 量産効果追求• 積年の弊• 撃ちてし已まん• 市場競争原理至上主義• 参加、連帯、協同、営為、生業• 熱狂的等質化現象• 公私截然• 逆さ絵• 『匠の時代』• 北欧の社会では「すべての国民は等しくネットの恩恵に浴す。 それが国民の権利」• 技術の社会化• 「リナックス」(フィンランド)に象徴される北欧型技術の系譜• リナックスは技術の独占ではなく開放によって、世界の誰でも参加し、互いに知恵を出し合って技術のブラッシュ・アップ(磨き上げ)に貢献できる• グリーン調達• 線形思考からシステム構築へ• 蘇れ匠の時代• 既得権益への固執• すさんだ社会の様相• 節度、秩序、社会的貢献、制度• 節度(ディシプリン)、規範(ノルム)• 節度なき自由• 多数決独裁• 何でもあり 読後感:「資本移動のモニタリング(監視)」こそ、グーグル的な新しいビジネス・パターンではないでしょうか。 バージョンアップで利ざやを得ていたマイクロソフトのビジネス・パターンは、今ではなんとなく古い感じがします。 そんなグーグルもマイクロソフトも「グローバリズム」に根ざした典型的な米国型企業経営に変わりなく、 北欧の生んだリナックスにみるような「オープン・ソース」的なビジネス志向(かつてのUNIXS文化のような)とは対極をなしている。 いずれは、どちらかに軍配があがるのかな?・・・。 地球温暖化対策やビジネス・パターンなどなど、欧州と米国のふるまい方はあらゆる意味で対極的である。 由良君美(東京大学名誉教授(教養学部)、英文学者)• 西洋人が長い間、高貴な未開人というロマンティックな考えに捕らわれていた• 赤塚不二夫の試験問題(赤塚不二夫の漫画がコピーされていて、この漫画のどこがどう面白いかを分析せよとだけ、簡潔に記載されていた)• 漫画学会の設立、サブカルチャー研究の市民権• 記号学を駆使した『漫画原論』• 先天知の系譜• タブラ・ラサ(無地の白紙のような人間の心)• 対応交渉• 小林秀雄は脈絡のない感想を特権的な場所から述べ立てている文壇人、吉本隆明は出鱈目な理論を好き勝手に援用している野人• 由良君美は万巻の書物をすでに読み終わったファウストのよう• 若い頃はまず誰だってロシア文学に夢中になる。 次に来るのがフランス文学だ。 けれども一番最後になって、 その面白さがわかるのはイギリス文学だね。 通称イチケン(旧制第一高等学校以来の木造二階建ての研究棟)• 早稲田だったら日夏集耿之助、慶応は西脇順三郎• ひどく不愉快な体験• 東大中心主義• 大学院の二期校• 『雨月物語』にみる朝鮮民話• ソールズベリのストーンヘンジ• 柳宗悦• 学歴を見て知的な背景を簡単に辿れる人間ほどつまらぬ存在はない• 由良哲次(君美の父、西田幾多郎に教えを受けた哲学者)• 「君美(きんみ)」(新井白石の幼名)• 知的遍歴• 生れおちたら、僕のまわりには玩具もなく友もなく、ただただ本だらけだった。 たまたま父とすることになった男が、貧乏学者だったためで ある。 母も好学の人で、いつも暇さえあれば本を読んでいた• 成蹊中学• 「書豚」「書狼」「書痴」• 同臭の徒としてね、行きましょうや• 平岡公威(三島由紀夫)• 揶揄の口調で迎える• 不良ヒッピー外人の巣窟、言うならば好餌と化している• 本郷の文学部と駒場の教養学部の間には、長い間軽蔑と競争意識の入り混じった確執が横たわっていた• 駒場がもと第一高校であったことから、本郷には駒場を何かにつけて「高校あがりの癖して」と見下すところがあった• 駒場は戦後の新興勢力の強さから、つとめてリベラルで自由闊達な雰囲気を醸成しようとし、本郷の体質の古さを敬遠するところがあった。 本郷はそうした駒場を苗床のように見なし、優秀な語学教師を文学教師として引き抜いて、本郷のスタッフに招き入れることで応じた。 表象学科• 英語科(駒場)と英文科(本郷)• 高踏的過ぎて常軌を逸している• ある種の女子大生には、どこかで男性教師にむかい無意識のうちに媚態を示してしまう傾向がある。 大森荘蔵• その押し出しの貫禄と冷静な判断力• 東大のなかでどこか正統的な教養に不満を抱いていたり、専攻という狭い枠のなかに思考を閉じ込めることを肯じない学生• 他のどのゼミにも納まりきらないタイプの学生たちが、なにか動物的直感に基づくかのように集まって来る• 由良君美の学風• 船曳建夫『大学のエスノグラフィティ』• 狷介な性格で、かつ破壊的なところがあり、それがお坊ちゃん気質とない交ぜ• 談論風発• 由良先生の棲む、鬱蒼たる知識の森• 悪無限の円環• 全方位的に発展• 無常といふこと• 「ルビの美学」• 江戸人• 三重県立第三中学(伊賀上野高校、一級下に横光利一)• 竹林の賢人• 由良哲次『古琉球語で解明する邪馬台国と大和』• 『雑書主義者の弁』• 明治男• 莫迦げた国家論の小型寵児• 男の夢を教え続ける不良• 松の実を摺ったお粥• 由良君美と江藤淳が慶応の西脇ゼミの兄弟弟子の間柄(一方はひどく可愛がられ、もう一方は蛇蝎のごとく嫌われた)• 脱領域的知性• 文学には先生も弟子もいない。 ただ孤独であることだけが、文学の条件だ。 居心地の悪さ• 神話原型論• フォルマリズム• ニューアカデミズム• 「すべてはデタラメ」• ボローニャ大学では、それは中世以来の文化伝統として、当然のごとく受け入れられていた。 柳下去辞• 由良の脱領域ぶり、ダンディぶり、書物蒐集ぶり• 若い才能を触発する教育的才能• 死と再生の象徴法の隠喩的展開• 矢川澄子「ゆめをかたることは らくないとなみだろうか きびしさをかくごで みずからのみちをゆく よのうきしずみをよそに しぶとくしかもしなやかに」• 絹のように繊細な心をもった人間• 人はなぜ教師となるのか。 ある人間が他人を前にして、モノを教えたり、ある技術を授けたりするという行為とは、 いったい何なのか。 それはどのような形で正当化されうるものなのか。 原理的な問いかけ• いかなる人間も知的欲求から無縁でいることはできない。 未知の事物について学ぶことは愉しいし、学習を通して自分の世界が拡大されて ゆくことを確かめることは、さらに幸福なことである。 教師は当座に要求されている知識を切り売りするだけではなく、みずから知の範例を示すことを通して教育という行為を実践する• 彼らは師と呼ばれ弟子と呼ばれる• 弟子は長期にわたってそうした師の姿を眺めることを通し、容易に要約のできない体験をする。 自分ではまったく失念していた授業中の発言を、相手が記憶に留めていたりすることを教えられる• 山折哲雄『教えること、裏切られること』• 人間を守る読書• 川端康成『名人』• ミッシェル・フーコー「教えるという行為が本質的に、人間が織り成す政治関係のなかの実践であると指摘している。 師は弟子とは比較にならならほど心理的、社会的、物理的権力をもった存在として、まず弟子の前に立ちはだかる。 権力形態のひとつ• ソクラテスとアルキビアデス、アベラールとエロイーズ• 師弟関係(老子の道、孔子の道、禅の道)• 親鸞は弟子一人ももたずさふらふ• 正岡子規と高浜虚子、親鸞と道元• 不気味な厭人癖• 親鸞の単独相続の野心• 有漏の迷情• 多人得道の縁• フライブルク大学(ハイデッカーとフッサール)• 衆愚に陥る• Paus de Maitres(先生なんてもういらない)• 嫉妬、虚栄、虚偽、背信• 少壮の学者• 哲学的地平• メフィストフェレスの形象• 自己防衛に由来する韜晦術• ルキアノスの戯作対話編 読後感:由良君美が置かれた状況、情景、よくわかります。 駒場(教養)、本郷(専門)みたいな、大学の内なる二軸の存在。 で、師匠といえば、 工芸大に来るまでにこれまで僕が師事してきた師匠五名は、いずれ劣らず研究、科学に命を賭した猛者ばかりでした。 そして当時助教授だった先生も、教授だった先生も、みな偉い先生となった今も、現役バリバリの実験研究者ばかりです。 学会で、ドクターコースの時の指導教官の先生にお会いすると、いつも「いま夢中になっている実験」のお話を、 少年のような愉しげな面持ちで、お聞かせ下さります(なにせ、国立大学評議委員となられ多忙を極めた今でも、 正月休み中から自ら装置の火入れをして初実験を敢行されている、との話には脱帽するしかございません)。 こんな至らない僕を指導してくれた師匠たちのことを思うと、 いつまでも、こんなぐーたらな研究をしていては、罰が当たっちゃうなぁ・・・。 どうにか、しないとね! それと本書の中に書かれていたように、はるか昔に由良先生が東大で赤塚不二夫作品を題材として試験をされていたのは、びっくりしました。 実はちょうどここ半年ほど、『天才バカボン』を読みたい読みたいと思っていたので、 このこと知って誠にうれしい限りです(文庫版が見つからなくて、志は頓挫していますが・・・)。 先入観に囚われず、色眼鏡で(赤瀬川さんの表現を借りれば「ウロコのついた目」で)物ごとを見ない、とはどういうことか。 子どもの時にTVアニメを見ていても、まったく気づかなかった偉大なるヒントが、 きっとそこには描かれているはずだ。 早く、読んでみたい。 「システム思考」= 「目の前にある個別の要素ではなく、それぞれの要素とその「つながり」が持つシステムとして、その構造を理解することである」• 「システム思考」は、1950年代にMITで確立された• 常に不変であるものは、変化である• システム思考は五000年後も通用する• 人工物工学研究センター(東京大学柏キャンパス)• 日頃抱えている問題は、一つひとつの個別の状況や現象といった要素の中にあるのではなく、要素と要素の間や、 さまざまな要素の組み合わせの中にある• 「分析的思考」と「システム思考」• 人間はいつも考えている• あまり考えないのが実は「考える方法」についてである• 個別の要素に関心が向かう分析的思考の強い人• 全体のシステムを強く意識して行動している人• ひとつの視点から考えることは容易であるが、この世の中に存在しないものを作ろうとしたとき、または複雑な問題を解決しようとしたとき、 どのような種類の視点があり、視点をどのように組み合わせていったらよいのかを明らかにすることとは、思考方法が異なる• 一つひとつの要素を個別に見ていくか、それらの結びつきを総合的にみていくか• 視点が変われば見え方も変わる• そして、人間自身も変化している• 先入観が理解を妨げる• 時系列変化パターングラフ• ループ図• 因果応報• フィードバック・ループ• 「自己強化型ループ」と「バランス型ループ」• 「システム思考の知恵」=「人を責めない。 自分を責めない」、「人が悪いのではなく、構造に問題がある」• レバレッジ・ポイント(小さな力で大きく構造を変えられる介入点)• システム思考で考える地球温暖化問題• 「おとなの社会」も「こどもの社会」も、やばいですぞ。 また、仕事の上でも、 欧米人のように一事一事についてロジカルに詰めて議論しながら進めることに適さない(または慣れていない、あるいは苦手な)日本では、 ロジックの代わりとして一定の成果やミスを防ぐために叱る/叱られる関係に基づいたテンションの存在が、至るところにあったような気がします (宮大工をはじめ世界に冠たる日本の職人技・芸の仕事ぶり(かつての徒弟制度も含め)を思えば、至極当然のことでしょ)。 そんな日本で「ちゃんづけ」仕事をしていては、いい意味でのテンションすら保てないでしょうなぁ・・・ (アメリカ人の場合は、はじめにロジックありきのコミュニケーションなので、映画やドラマのように上司と部下がファースト・ネームで呼びあっても、 十分に仕事は成立するのですよ)。 「目の前のことに一生懸命になれない奴に、夢を語る資格はない」:桑原(佐々木蔵之介)のお説教シーン• 「伴くん、愛だよ、愛」:与那嶺(北村一輝) の接客コメント 読後感:「原作をまだ読んでいない僕に『バンビーノ』を語る資格はない」のですが、いいドラマでした。 役者さんたちも、いい仕事をしてました。 心に突き刺さるなぁ、上のセルフ。 一生懸命(DTB)は、むつかしいですよ。 周りに向けてがんばっているふりをしていても、それもある種のDTB。 有形の見返りを期待した外向きのDTBもあって、無形の価値のためにする内向きのDTBもある。 どちらのDTBの姿勢が正しいのか、本当なのか、僕にはよく分からない(両方、正しいのでしょう)。 しかし、最近のアメリカン・ビジネス志向とそのグローバル化の猛威は、 日本古来の一所懸命の様相をも圧倒的多数で前者が占めるように影響を与えているような?、そんな気はしませんか。 「階層化均質性&安定性」、そしてちょっときつめの「自己合理性」、こんな言葉が頭をよぎります。 なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし(『枕草子』)• 『菊と刀』『「甘え」の構造』『タテ社会の人間関係』• 「甘え」「甘えん坊」「甘える」「甘やかす」• 日本人が西洋ばかりでなく、日本の文化にもっと長い年月にわたって影響を与えた中国や韓国を通じて、 自己の特性を発見しようとつとめた例は、そう多くはありません• 日本的思惟方式• 百済観音• ロラン・バルト『表徴の帝国』• 「リンカーン、カント」と「世宗大王、李退渓」• 「大丈夫」=「男」(韓国語)• 一寸法師、桃太郎、金太郎、牛若丸• 接頭語の比較(日本語の「豆」「ひな」と韓国語の「ワン」=キングサイズのキング)• 倭国、倭人• 縮み志向• 「菫ほどの小さき人に生まれたし」(夏目漱石)• 「うつくしや障子の穴の天の川」(一茶)• 「うつくし」と「くはし」• くは(麗)し女• 目ぐはし• くはし花• 小さくなれ、もっと小さくなれ• 「小さいものが強いものである」という「極小主義」• 日本人はそれを拾い上げるや、いち早くそれとそっくり同じものを作ってみるでしょう。 それもただの原寸大に作るのでなく、トランジスタ化 して、もっと精巧に縮小し、手のひらに入るように作るはずです。 「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」(石川啄木)• 「の」を重ねる不思議(「やまのてせん」、「きのくにや」など)• 高麗扇と日本扇• 「握りしめ文化」(「手ごたえ」、「手ごわい」、「手痛い」、「手にあまる」、「手に負えない」)• うつくしきもの、瓜にかきたるちごの顔。 雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。 二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひ来る道に、 いとちひさき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。 ・・・雛の調度。 蓮の浮葉のいとちひさきを、池よりとりあげたる。 葵のいとちひさき。 なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし。 (『枕草子』151)• 「どうも」文化• 日本式縮小語(イメチェン、イケメンなど)• 髪の作り方(前髪、両鬢、髱、髷、島田、桃割れ、勝山おぼこ、だるま返し)• 「侍の二刀(本刀と脇差し)」と「二膳(本膳と弁当)」• 「汁のない」日本食文化• 「詰められないもの」=つまらないもの• 和字(国字)と国訓(凪、俤、働、偲、躾)• 「利休ねずみ」(赤・緑・黄・青の混色)• わびの美学• 華厳思想、新羅元暁の円融会通• 文庫本• 豆本図書館(静岡、青森)• 「手ごろ、多軽主義」• ストップ・モーションの波「北斎・富嶽三十六景『神奈川沖波裏』」• 歌舞伎の「見栄」(ストップ・モーション効果)• 「構え」• 「米国では多くのバッターはフォームやスタイルなどは気にせず、いい結果を生むことだけを念頭に おくのに、日本では良き野球選手とは自分自身の身体の動きをいつも正しいフォームに合致させる者をいう」(ホワイティング『菊とバット』)• 刀の文化(「裏切り」、「切味」、「切身」、「切目」、「切盛」、「助太刀」、「真剣」、「東大生を斬る」)• ソンビ(文士)文化(韓国)• 「構え」とは剣術のすべての動きと精神をコンパクトに縮めた形•

次の

小陰唇肥大・・で悩んでます

小いんしん 左右非対称

当研究室のホームページは、現在作成中です。 空を見るとせいせいするから 崖へ出て空を見るのだ。 太陽を見るとうれしくなるから 盥(たらい)のようなまつかな日輪を林中に見るのだ。 山へ行くと清潔になるから 山や谷の木魂(こだま)と口をきくのだ。 海へ出ると永遠をまのあたり見るから 船の上で巨大な星座に驚くのだ。 河の流れは悠然としてゐるから 岸辺に立っていつまでも見てゐるのだ。 雷はとほうもない脅迫だから 雷がなると小さくなるのだ。 嵐がはれるといい匂だから 雫(しづく)を浴びて青葉の下を逍遥するのだ。 鳥が鳴くのはおのれ以上のおのれの声のやうだから 桜の枝の頬白の高鳴きにきき惚れるのだ。 死んだ母が恋しいから 母のまぼろしを真昼の街にもよろこぶのだ。 女は花よりもうるわしく温暖だから どんな女にも心を開いて傾倒するのだ。 人間のからだはさんぜんとして魂を奪ふから 裸という裸をむさぼって惑溺するのだ。 人を危めるのがいやだから 人殺しに手をかさないのだ。 わたくし事はけちくさいから 一生を棒にふつて道に向かふのだ。 みんなと合図したいから 手を上げるのだ。 五臓六腑のどさくさとあこがれとが訴へたいから 中身だけつまんで出せる詩を書くのだ。 詩が生きた言葉を求めるから 文ある借衣(かりぎ)を敬遠するのだ。 愛はぢみな熱情だから ただ空気のやうに身に満てよと思ふのだ。 正しさ、美しさに引かれるから 磁石の針にも化身するのだ。 あたりまへな事だから 平気でやる事をやらうとするのだ。 読後感:このところ取りまとめること叶わない茫々たる読後録をかかえながらも、 久しくこの録をほったらかしにしておりました。 高村光太郎のこの詩に私のココロはぐゎしッと鷲づかみにされた感ありまして、久々にこの録を更新することにしてみました。 最近、地球や自然環境のことも、人の関わるさまざまな出来事についても、 少し前まで当たり前であった多くのコトが急激に当たり前でなくなって来ているような気がしてなりません (脚下照顧、まずは自分自身が当たり前かどうかもあやし・・・)。 当たり前がずっと当たり前であり続ける(あり続けられる)ことのもの凄さを、 高村光太郎はありったけの力を振りしぼって人々に伝えようとしている。 歯が痛くなったときになってはじめて、いつも当たり前のように甘いお菓子を食べることができていたのをうらやましく思う。 風邪で高熱を出し前後不覚の状態で家で寝ているとき、 いつも当たり前のように外出してショッピングを楽しめていたことをうらやましく思う。 腰を痛めてはじめて、いつも当たり前のように不自由なく階段を上り下りできていたとことをうらやましく思う。 のどが渇いて自販機でミネラルウォーターを買おうとしてたまたま10円玉一枚の持ち合わせが足りなかったとき、 いつも当たり前のように自販機でミネラルウォーターを買えていたことをうらやましく思う。 私たちの共有する当たり前は、いつまで当たり前たりうるのだろうか? まずは、ストレートにものを見てみる。 そうすれば、光太郎のように少しはその当たり前の本質に気づくこと、叶うのでしょうか。 「おばさん」的• 霜層の流れ• マザーシップ• 机上の議論で「不敗」の思想は、一歩表にでると「ボロ負け」の思想• 「そこそこ使い物になる」思想• 「雪かき仕事」のような即効性のうすい努力を、サボらず、意識せず、繰り返してゆくこと• 未知の考想• 知的無政府状態• 知的肺活量• 知的酸欠• 知性の腕力• 論理の背筋• としての他者• ルンペン資本家• 消費、蕩尽、創造、生産、退蔵• 価値変動• 貧乏、飢餓感• アドレッセンス(青年期)• 触れてほしくない過去• 落語『水屋の富』• サラリーマン的エートス• 植木等『ニッポン無責任時代』• 出発点において、ぼくたちに「何ができないか」を知るほうが面白そうだ• 五十歳を過ぎてのバイクは予想外に面白くて、何のけれんも無くただただ、エンジンの軋む音と風と匂いを楽しんでいます。 ラカンの「前未来形で語られる過去」• 語り口のパフォーマティブ(行為逐行的)とコンスタティブ(事実確認的)• 記憶の二段階効果• アントン・チエホフ「胃が悪いということは、他の器官が健康であることをしめしている」• 「額に汗して働く」ことが「崇高」であると信じられた時代• 収穫逓減の法則• レバレッジドモデル(梃子のモデル)• チューリップバブル事件(17世紀オランダ、球根ひとつが労働者の平均収入の10倍になったといわれる)• 過去はまだ去っておらず、未来はもう来ている。 これがぼくがフィジカルに感じ取っている「時間感覚」です。 コーナーリングの要諦• クリッピングポイント• 気の感応• 体術、杖術• 気の練磨• 身体のアラインメント(立て付け)• クラフトマン・シップ(職人の熟練)• 手沢(しゅたく)• ポストモダンは「プレ・モダン」への回帰というより、「太古的なもの」の甦りではないだろうか• 「文学」、「武道」、「経済」• 独特だけどまとも• 頑固床屋政談• 居着き• 養老毅「逆さメガネ」• 大学とビジネス• アントレプレナー(起業家)• MBAホルダー、MOTホルダー• コストカットコンサルティング• 日本の教育機関や大学が作り出せる競争力のある差異とは何か• どう考えたって、世界の趨勢に従って実学優先なんていう結論にはならないでしょうが• 一発逆転• むかしもいまも、起業家は自立の物語の語り手で、修羅場とリスクが退屈しのぎになるよなメンタリティの持ち主に違いありません• リスクヘッジ(自らのポジションは安全なところに身を置きながら、得だけをとろうということ)• 人間の本源的なネーチャーと齟齬をきたす• つまり大切なのはゴールではなく、プロセスだと• ショートカットビジネス(これが金融の本質でしょ)• ショートカットするなよ、途中が面白いんだぜ• トランザクション(取引)サイクル• マインドセット• パブリック・スペースでほっこりくつろぐ• リナックス・カフェのスタッフたちは、許容度高くて、よかったですね• 独創性と学術性• 『ため倫』• 「オリジナルであること」、「説得力を持つこと」、「独特であること」、「他者の理解と承認を取りつけられること」• 認識論的なフレームワーク(言語やイデオロギーや宗教やコスモロジー)• 「私の経験」や「私の確認」だけでは私の知見の汎通性は担保できないわけです• 知解可能性(真理)• 「追試可能」、「反証可能」• 可動域のひろい共同的な知• 科学的信認• 「学術的である」=「永久不変の真理の審級」• そのつど揺れ動き、時代とともに変化してゆく「共同的な知」のパラダイムに(それがマジョリティに支持されている「物語」で あることを知りつつ)あえて踏みとどまる「節度」のこと• 「マッド・サイエンティスト」• 自立している人(他の人たちから、ことあるごとに頼られたり、忠告を求められたり、決定権を委ねられたり、責任を背負わされる人)• 諄々と説く• 「腑に落とす」• その論文の理非にかかわる理解と承認• 自分が読者に想定されていないテクスト• 三行読んだだけでわかる• 文章の「息遣い」というか「温感」というか「肌理」• 「体感を信号的に送受信する」ということは、べつに相手の身体に触れていなくても可能だ、ということは武道の修行をながくやってくると だんだんわかってきます。 「居着き」• 体術の場合、たいせつなのは技を「かけ終えた」ときの体感(骨や筋肉の状態、呼吸の伸び、気の通り、 相手が畳に身体を打ちつける受身の音まで)をリアルかつクリアカットに「想起」すること• 身体が「現在」に居着いていると者と、「未来」を先取りしている者とが接触• 活殺自在• この「時間的な居着き」を「未来の感覚」によってコントロールするということ• アポリア(難問)• 危機的状況に際会したとき、人間のとる行動は二つに分かれる。 ひとつは「身体感受性を最小化して、身体を石化し、嵐が過ぎるのをやりすごす こと」、いわば「時間を止める」やりかた。 ひとつは「身体感受性を最大化し、身体を液状化し、嵐に乗じること」、 言い換えれば「時計を先に進める」やりかた。 正しい生存戦略• 「外傷的現在」、「まだ来ない未来」• 「変わらない自己」という物語• 「凡人とは、進歩するけれども、進歩する仕方がいつも同じ人」=「つねに同じ仕方で答える人間」• 「天才とは、進化する仕方そのものが進化する人」=「そのつど答え方が変わる人間」• 「自己同一性」の神話=「凡人でありたい」との言明• 一億人の「自分探し」=一億人の「凡庸」• 「危険」、「risk(統御できる危険、既知の危険)」「danger(統御できない危険、未知の危険)」• ある国の指導者たちがMBA的な知性によって占められ「デインジャー」に真剣に対処できる知性を涵養することの重要性を忘れつつある• 大学人で「実学」ということをお題目に掲げる人間には。 「半ビジネスマン」みたいな感じの人間が多いのです• 半チクな説教• 大学が「実学」として教えるような知的リソースの大半はその定義からして現実に対する「絶対的な遅れ」をキャッチアップできず、 つねに「後手に回る」ほかないのです。 大学が教えるべきなのは、目先の「実学」ではなく、ながいスパンでの「汎用性」だと僕は思っています。 哲学だって、歴史学だって、文学だって、人間はそれなしでは生きてゆけない幻想と物語についての学なんですから、 最強の「知的ウェポン(武器)」だと思います。 でも、学生や親たちがとりあえず望んでいるのは、「実用的な専門知識」と「就職に役立つ資格」なんですよね。 悲しいけれど、それが日本人が大学に期待している「最大限」なんですよね。 ぼくは基本的に「戦略」的思考が嫌いなんです。 なんか下品というか「美学」がないんだな。 「ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ」• 古代的なものの甦り• けだし、名言• 好天型の経済モデルは、雨天のときに役立たない• 必要は供給の培地• 欲望は他者の欲望を欲望する• 無間地獄的• 一万円は蕩尽のための「機会」の価格• 「欲望に点火するようなサプライサイド」=「お洒落なライフスタイル」、「究極の贅沢」、「できる男」、「自立した女」• 他者からのリスペクト• ステイタスの象徴• リスペクトのイコン• 羨望のイコン• 「敬意」の「力の象徴」による計測• 「競争」原理• ディベートで相手を論駁するのではなく、双方で譲るということを考えるというような「知」のあり方• 「貧の意地」(太宰治『新釈諸国噺』)• 未来を現在の中に絶えず繰り込んでゆく• 時間の外延を現在の中に持つ• バイパス形成能力• 消費主体の「数的拡大」による総需要の拡大• お上、お頭、片腕、懐刀、腹心、股肱の臣、手下• 「頭が望むもの」と「手が望むもの」• 致命的な趨勢を糊塗する弥縫策にすぎません• 袖触り合うも多生の縁• 縁は異なもの味なもの• 会社を「軍隊」のアナロジーで語り、「戦略」と「戦術」で競合を出し抜くといったゲームを好むものにとっては、 会社はひとつの収益機関であり、その機能の最大効率化だけが問題となります。 タブル・ミーニング(今わかっている意味以外の「もう一つの意味」を読み出そうとする志向)• ラカン「子どものディスクール(言説)」(「あなたはそう言うことによって、何を言いたいのか?」という「子どもの問い」を つねに他人に差し向けることを「知的なふるまい」だと思っている)• 相手を出し抜いたつもりの人間はつねに出し抜かれる• 「人間はつねに本当に言いたいこととは逆のことを言う」と思い込んでいるこの疑り深い「子ども」に多少でも知恵があれば、 彼に問われた相手が「本当のことを言って人を騙す可能性」にもただちに思い至るはず• 「子ども」とは、実は人間が「未知のもの」に向き合うときに踐むべき「適切な作法」のこと• パリ=ダカール・ラリーでミネラル・ウォーターにマジックで自分の名前を書いてしまう日本人• アメリカ発「デオドラント」運動• 「私有主義」イデオロギー• 排除のディスクール• 「脳を割る」• 「盲信」と「疑いながら信用すること」• われは傷口にしてナイフ(ボードレール)• アンビヴァレント(両義的)• オブセッション(とりつかれ)• 「まあ、かたいこといわんと、お茶でも飲もうや」• ローマクラブのレポート『成長の限界』• デルメディコのダブル・スタンダード(「知的訓練を受けた賢者」と「受けていない大衆」の峻別し、形而上学的な宗教批判は「知的訓練」を受けていない大衆に ゆるされない」)• 賢者の作法• 思考枠組みを固定化し、「オブセッションを強化するような『ディベート』やら『戦略』を語る人間のことを、ディメルコはきっぱりと 似而非哲学者」と呼んでいた• Crispな悪口• 賢者とは、「世界の無根拠性を看破した上で、それでもなお世界に意味があるとすれば、 それは私たちが創造しなければならない」と考える人のこと• 大衆とは、「世界には意味があり、それは自分ではない『誰か』が担保している」と考える人のこと• 似而非哲学者とは、「世界には根拠がなく、人間の行動を律するどのような超越的規範も存在しない」と考える人のこと• 有責性• 有責性の先取• 情理を尽くす• 人間の言葉とか知性といったものが鍛えられるのは、言葉が通じないという経験や、 知性が及ばない集団や共同体との交流ということの中にしかない• 「お金で買ったり」「力で強奪したり」「機略でだましたり」といったことがあまりに日常的になったために、 この基本的なマナー(「情理を尽くす」)が忘れ去られているように思える• 自らの太古的な身体が発している言葉を聞く能力が退化してきている• 「部分最適、全体不適合」• 「ベストプラクティス」なんていうのも、非常に部分的な知性の使い方• 居心地の悪さ• 「わたしの身体は、わたしの頭よりあたまがいい」(何の戦略も奇策もなく、ただただ生存への脅威となっているかもしれないものに対して、 身体の方がアラームを発する)• 行政改革の圧力という外圧• 大学のマーケットの急激な縮小という内圧• アメリカングローバリズムの急激な進展という風圧• こちら側の身体性になじまない• 大学あるいは教育機関の場というものは、経済合理性を超越した場でなければ、 経済合理性そのものを批判したり検証したりすることはついにできないだろうと考えられる• 11世紀ヨーロッパの大学の発生自体が、世俗法から免除された特権的なポジションで法を研究するものであったという歴史• とはいえ、大学もまた世俗の渡世を生き抜いていかなければなりません。 まさに、自己責任で自助努力で世俗に生き延びながら 同時に世俗を超越するというアポリアを生きてゆかなければならないわけです。 受験者パイの縮小、大学淘汰、大学生き残り、大学の変革• 大学とは、世俗と超世俗、経済合理性と超経済合理性、ビジネスと超ビジネスの境界に位置しているまさにアンビヴァレントな「場」• 大学独自の創発的な知• マーケティングなんてやったことのない大学が、まるで、落ち目の自動車教習所がやったような売れるサービス、商品の開発をあわててやろうと するもんだから、実学優先の学科が優遇されて、世間におもねるようなあたふたぶりをしめしている• いや、大学で実践的なものなんて本当は教えられないじゃないの、というのが僕の素直な最初の直感なのです。 「プチ偉人」• 強い「反対給付義務感」• 反対給付(countre-prestation。 人類学の概念のひとつ。 「何かを贈与されたら、それを別の誰かに贈与しないと、気持ちが片づかない」という感覚)• レヴィ=ストロースの反対給付の感覚の三つの水準(財貨・サービスの交換=経済、言葉の交換=言語、女の交換=親族)• 自分が何かを達成したときに、それを「獲得」であると感じず、「贈与」であると感じることができる能力、それをレヴィ=ストロース は「人間性」と名づけた• その意味ではいまのぼくたちの社会に蔓延している「サクセス志向のイデオロギー」というのは、人間がだんだん「人間でなくなる」プロセス と言えるのかも知れません• 一宿一飯の恩義• 古典派侠客• 不快な隣人• 不快な隣人と共生すること• だんだんといろいろなことが億劫になってきて、まあ自然に定まってくるような習慣にはそのまま乗っかるのが楽でよいね。 フラッパー(おてんば娘)• スチューデント・アパシー• 「知に働けば角が立ち、情に棹させば流される」• 大学の役割は「知を作る研究」と「知を伝える教育」と「知の活用の道を開く社会貢献」である(江崎玲於奈氏)• 「あたたかい風とあたたかい家はたいせつだ」(吉本隆明)• 「ひともいえもくらいうちはほろびはせぬ」(太宰が描いた実朝)• アジール(逃れの町)としての大学• 疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)• 知とは本質的に自己否定な契機を内包している• 「自分のバカさの検出を、自分の正しさの証明よりも、優先的に配慮すること」が知性の個人的な定義ですが、• 「鉄棒曳き」的な嫌われ者セクション• 自己点検・自己評価というのは、いわば自動車の仕業点検のようなもの• いまの大学教員たちは、総じて、「知識」はあるけれど「知性」はないというきびしい社会的評価をもうむっています• 「三日やったらやめられない」大学教員の既得権にあぐらをかいて、• 査定と逸脱• ピア・レビュー(同業専門家による査定)• 真正性、引用の適切性• 査定可能な主題• ある時代の学術的パラダイムを転覆させるような革命的知見は、 つねにその時代の学術的パラダイムにおいては「査定不能」なかたちでしか登場しません。 大学に残って好きな研究をするためには、とりあえず「査定可能な研究」をしなければならない。 「査定不能」の研究主題に 取り組むためにのポストを得るためには、まず「査定可能」な研究主題で成果をあげなければならないんです。 この矛盾が研究者の「淘汰圧」として機能しています。 ユニークな研究者は構造的に研究の場にはなかなか残れません。 ほんとうに個性的な人というのは、たいていな場合、自分が「変わり者」であることにさえ気づいていないものですから。 ぼくが大学で教えていることのは、「まっとうに生きること」とか「分をわきまえること」とか「筋目を通すこと」とか 「ディセント decent であること」といった基本的なマナーだけです。 岩井克人『貨幣論』、『ヴェニスの商人の資本論』• 起源にかかわる問い(「貨幣とはなにか?」、「資本となにか?」、「市場とはなにか?」、「交換とはなにか?」)• なぜアメリカは「反知性主義」の風土を作り上げてきたのか• 200X年劈頭から• 帯状疱疹• 「雨の日もあるさ」という認識があればこそ、「学ぶ」ということも、意味を持つのだということだと思うわけです。 無聊をかこっている光景• 時間が止まったようなカフェ• 白皙の青年が嘆息し、• 町から退廃が消え、物語が消え、機能的なだけのオフィス• もはや大学には、無為と倦怠の中で思想や文学に惑溺する学生に場を与えてくれるなんていう猶予は許されない。 荒っぽい言い方をすれば、現実的で、ショートタイムに結果を出せる、喫緊の課題に対して大学は成果を出さなくてはならない。 ひとつの「目的」を持ち、ひとつの「役割」を演ずることが要請されるようになった。 まあ、ひとことでいえば、ビジネス系、理科系、実学優先で行くぞ、「大学の自治」とか「学の独立」などというお題目の下で 遊んでいるひまはねーぞ、というビジネスの論理が大学に導入されたということだ。 アメリカン・グローバリズムが世界を席巻し、「知」の役割、「商」の倫理、「人」のふるまいを、世界レべルで比較可能、 交換可能なものに書き換えようとしている。 「理解可能」、「比較可能」、「交換可能」• 「反知性主義」=「世界競争力」、「競争優位」、「産学の連携」など• 「知性」そのものが「知性」の脆弱性を超えてゆく、つまり知性の再定義が必要になる• 知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与した人間には価値があり、なみはずれて関与したものは、 なみはずれて価値があるというようにひとびとが幻想することは、自然なことであるが、これはあくまでも幻想の領域に属していることだ。 市井の片隅に生き死にした人間のほうが、判断の蓄積や体験の重さに関して単純でも劣っているわけでもない。 千年に一度しか あらわれない巨匠と、市井の片隅で生き死にする無数の大衆のこの「等しさ」を歴史はひとつの時代性として描き出す。 幻想論• 「たいしたもんだね」は、簡単に「偉そうなこと言ったて、それが何の役に立つんだ」といった知への侮蔑に転化する可能性を残している• どんな崇高なビジネス哲学も、結局は「で、儲かるの?」というような身もふたも無い結論に集約され、その結果に責任を持たなくては何も 発言することはできないのが、ビジネスの世界です。 「自己否定の契機」、「自己の知性の限界への配慮」(「知性は、知性そのものの限界を知るという場所で最も指南力を発揮できる」 「現実は、その背後に起源に対する考察や、採用されなかった理論や、 運動を捉えようとする努力というものがただひとつの歴史として表出される他はない」)• 言葉というものは、言葉が通じないところでしか鍛えることができない• 知性が鍛えられるのは、知性を必要としない人々の間で孤立するしかないような場所であり、知性とは無縁の功利性や、 逐行性を問題にしなければならなら場所でしかない• 経済活動って、本質的にゼロサムなんじゃない• 誰かががんばって資産を形成するたびに、どこかで誰かがその分だけ貧弱化している。 代償行為• 人間は変わります• 定点観測点• 「宝島」に出発する人間と、港で見送る人間• 人外魔境• 「どこにも出発しない人間」たちの社会を「冷たい社会」と名づけた(レヴィー=ストロース)• 野生の思考• マルクスって「勉強する」ものじゃなくて、「思考に活気を与える」もの(レヴィー=ストロース)• 知的なtour de force(力業)• 「計量できる」とはどういうことか• 机上の思想は、一歩表にでると「ボロ負け」の思想• 街頭でも、「そこそこ使い物になる」ような思想• 学校という場所の本来の機能は、「家庭という想像界」と「市場社会という象徴界」のあいだを架橋する「中途半端な場所」• 対旋律• 美は乱調にあり• インプロゼーショナル(即興的)• 快刀乱麻を断つといった風情• 「髭を剃りなさい。 男の本質はマザーシップだよ」(太宰治から吉本隆明への言)• 「無学の人」• アメリカ文化の特色は、きわだって「父性的」な社会であって、「マザーシップ」の価値が非常に低くしか評価されていない• 「マザーシップ」=「母船」• 「母性」=「マザーフッド」• ホスピタリティ(飢えている人に自分の口にあるパンを与え、渇いている人に自分がのみかけている水を与えること)• 底知れぬ「マザーシップの人」(男性的な哲学を語るレヴィナス老師と秋霜烈日のすさまじさを発する多田先生)• 90年代以降のハリウッド映画のヒーロー(「眉をひそめ、口をへの字にまげ、烈火のごとく怒り、ドアをばたんと閉め、 電話をがちゃんと切り、男をはり倒す」というふるまいを「自己表現」の仕方とする)• 「ゲイ」と「じいや」(アメリカでのマザーシップの担い手)• アメリカでは、「美術関係」と「現代詩関係」者はまず例外なく「ゲイ」だということになっている• 劣等男子• グローバリズムが「アメリカによるアメリカの否定」だと思うのは、アメリカの魅力は徹底的なローカリズムであったはずだから• 管見の及ぶかぎり• IT成金やVCの跋扈するメロンパーク• 欣喜雀躍• 久闊を叙した• 秩序紊乱• 困惑と逡巡• 多様性に対する不寛容、増殖する異教徒に対する不寛容の前景化• 「ルイジアナ」(ルイ14世に由来)• 南部に多い「なんとかヴィル」(フランス語のville(街))• 「ハリー・サナダ」「デューク・サナダ」「ヘンリー・サナダ」(真田広之のハリウッド名)• アメリカの上下院議員の14%しかパスポートを持っていない• 「外国になんか行かない」=(米国の)政治家としての見識の高さ• アメリカ諸国連合(アメリカ「合衆国(合州国)」は、誤訳)• 学齢期• ステートごとに法律が違い、ステートごとに軍隊を持つ• 「テキサス国軍」• 「掟破り」、「怖いもの知らず」、「われらが範とすべき偉大なる悪童の先輩」=養老毅• 成功体験• 読売ジャイアンツが「常勝」というオブリゲーションを背負い、 人事、戦略、戦術のすべてがこの「常識」というオブリゲーションに呪縛されている• 仰木監督「ゲームってのは、勝ったり負けたり、負けたり勝ったり、勝ったり、勝ったり、勝ったり、負けたり、負けたりでいいんだよ」• 仰木は、選手たちを勝ち負けという桎梏から開放し、居つかず、こだわらず、白球に向かう、という身体性に立ち戻ろうとした• あえて脱線• 人間は死ぬから「生きる」ということの意味やありがたみや愉悦がわかるわけです。 人間が人間であるのは、人間の世界の「外側」を「知らない」からであり、「知らない」ということを「知っている」限りにおいてです。 現代の日本も、アメリカも、けっこう「病んでいる」• アメリカン・グローバリズムに代表される「無時間モデル」の病症• 「資格志向」• 若い人たちがこういうデジタルに表示された資格や成績にこだわる最大の理由は、 「人事考課が機能しなくなっている」せいではないでしょうか• 暗黙の合意ができている場合は、学歴やら資格やら点数やらはもとより不要のものです• 誰にでもわかる「数値」を人間的価値の指標に取ることは推奨される時代というのは、人間の「中身」についての判定(それは久しく、 「その場にいる全員にとっての暗黙の了解」でした)が怪しくなってきた時代だということ• これまで、人間についての判断の根拠になってきたのは、「データ」ではなく、むしろ「逸話」です。 善意の大量発生、異常発生は、人が生きてゆくために必要な基本的な汚れ、弱さ、悪意といったものを破壊してしまう可能性がある• 「アメリカ人のように流暢な英語」と「小学生のような作文」• 「戦略思考」と「ゴール思考」というふたつの合理的、機械的な考え方が一種の思考停止であることを解き明かそうとする• 耕さない田んぼが環境を変える• 不耕起栽培(稲を野生化させて栽培する技術)• 冬季湛水• コンテンツ重視• 夏目漱石「『方丈記』の英訳」• 「理解」より「恭順」• 「理解」に先立つ「諾」の返答• 最先端のビジネスロジックと血液型信仰はじつは双生児• かれら(オタク)にとっての価値、つまり差異は、イデオロギーや階級や貧富といった誰の目にもわかるような大きな差異ではなく、 非常に微細な差異を見分けること• 寸毫も信じる気持ちはない• ビジネスとは、まずビジネスモデルという仮説をたてて、それを検証してゆくことがビジネス遂行の意味というやつですね。 欲望を充実させるためにお金があるのではありませんよね。 お金が欲望を喚起するというのが本当のところだろうと思います。 かくて、お金のためだけに働くひとが職場に蔓延することになります。 「よく分からない」というエージングプロセス(成熟過程)を許さない時代• 太古の問い• 人間の知性だけが持つ「何だか分からないもの」というカテゴリーを当の人間たちが廃棄しようとしている• これは、要するに「私はサルになりたい」と言っているのと同じじゃないか• 日本人の「常識」に登録された• 「こころ優しい日本人」• 自己責任論• 「エリートは偉い」という通俗的な価値観• 女性が「男性化」し、パワーエリートとして社会的なリソースを独占することを勧奨することのどこがすばらしい社会理論なのか、 ぼくには実はさっぱり腑に落ちないのです。 権力とか威信とか名誉とか、そんなものにいかほどの価値があるんでしょう• ぼくが誇れるのはほぼ唯一の社会的リソースは「誰に向かっても、好きなだけ悪口を言う自由」ですけれど、 それを多くの男性は所有していません。 ボーヴォワールは、この社会のすべて価値あるものには「男性性の印が刻印されている」と言い切りました。 ぼくはこれが現代フェミニズムの「最初のボタンの掛け違い」じゃないかと思っています。 女性には女性固有の「対抗文化」があり、それがこのばかばかしい男性中心主義社会のなかで人間たちが傷つき壊れてゆくのをなんとか 防止する人類学的に重要な役割を果たしているとぼくは考えています。 どんな組織においても、その組織の中で能力を認められ、出世を果たした人間は、その組織が「正しく機能していない」と言い切ることには 抵抗を覚えるはずです。 「私を入会させるようなクラブには入りたくない」と言い切ったのはグルーチョ・マルクスですが、 こんなことを言えるのはグルーチョだけです。 ふつうの人は「私を入会させるクラブこそが入るに値するクラブだ」というふうに考えてしまうものです。 「お母さん」的なエートス• 性役割が「内面化する」• 学界的サクセスの欲望• 「おじいちゃん」化しちゃった女性• 「女性がみんな男性化しちゃった社会」なんか、ぼくには少しも愉しいものには思えません。 グローバリゼーションは、多様な文化、多様な価値観の一元化の流れのこと• 傍目八目• ワーディング(言葉づかい)• コミュニケーテュイブ(交話的)よりコンペティティブ(敵対的)• 「戦略なしで挑んでいては損をする、ババをつかむ、馬鹿をみる」という信憑がいつのまにかこの国の人々の精神の中に棲み付いた。 戦略なんていらないよというビジネス論をぼくは寡聞にして知らない• バランスシート• アセット(信用)• インビジブルアセット(見えない資産)• いみじくも• 懇願、誇示、恫喝、詐術、呪詛、卑下、交換• 虫の好かないやつだけれど、筆は立つ• 採算不芳部門• 諧謔性• たたかう優雅な野蛮人• 寿ぎたくなる• 武道に通じたご両人• 武道というものは、「一瞬」の激しさにおいて詩に通じる。 読後感:今期、一番時間をかけて読んだ本です(ちょろちょろ読んでは、ひと休み。 またぞろ読んではひと休み、みたいにひと月ほど)。 非常に味わい深い本でした。 このような本を発見できたことは、実に実にうれしい限りでございます。 また、近いうちに(今度の夏休みあたりにもう一度、)読み返してみようと思います。 余剰次元• パッセージ(経路)• 準結晶(高次元の結晶構造の射影)• モデル構築(コンセプトとアイデア)• クラインの説(余剰次元は円状に巻かれている)• トーラス• 逆二乗則と重力• マルチバース(多重宇宙)• 慣性質量と重力質量の等価原理• パリティ対称性(空間反転対称性、p対称性)• 「ひも理論」のプリンストン大と「モデル構築(素粒子理論)」のハーバード大• M理論• Dブレーン(D=数学者ぺーター・ディクレルにちなむ)• ADDモデル(アルカニ=ハメド、ディモポーロス、デゥヴァリ)• 大きさが(ほぼ)1ミリメートルもある次元• 1mmに巻き上げられた円筒世界)• ADDが論文を書いた1998年には、ニュートンの逆二乗則がおよそ1ミリメートルの距離までしか検証されていなかった。 つまり、実際に余剰次元に1ミリメートル近くの大きさがあったとしても、誰もその証拠を見つけることはなかったろう。 1998年に時点では、1ミリメートルより短い距離で重力について何かを知ることは不可能だったわけだ。 階層性問題 読後感:「1ミリメートル以下の距離で万有引力の逆二乗則が成り立つかどうか、分からない」っていうのは衝撃的なくだりでした。 そしてまた、「いまだに誰もそれを測定できていない」というのも、僕にとってひときわ新鮮な事実の発見でした。 「そんなん、まじかよ」、みたいな。 「AFMの動作原理を全く知らなくたって、その測定なら誰でも行える」というコンビーニエントな今の時代でも、ですよ?!・・・。 AFM法や光干渉法などを用いて、微小ギャップ間の万有引力を測れないものでしょうか?、うーむ。 門外漢なので真価は分かりませんが、ADDモデルの行く末、何だかおもしろそうだ。 「オランダ共和国」と「スペイン領ネーデルランド」• コーへン(ユダヤ教司祭)• 隠しインキ• カネパリウス『インキについて』• 秘文字• 州数学監(ケプラー)• 地政学• 知遇を得る• 薔薇十字団(ローゼンクロイツ)• 肯じない(がえんじない)• 閲する• 経世の理 読後感:神聖ローマ帝国、ハプスブルク家、ユダヤ資本家の勃興、興亡を描いた近世西洋史の大作でした。 コーヘン家が実在したユダヤ資本家かどうか、浅学の私は存じておりませんが、 アムステルダムやロンドン、ドイツ各都市等での金融(銀行)、証券取引(所)の形成に深く関わった一族なら、 赤い盾一族ことロスチャイルド家が、まず真っ先に頭に浮かびます(あるいは、ロスチャイルド家をモデルにしたのかな)。 経済においても、学術においても、エンターテインメントにおいても、 世界各地に、いかなる時代にも、かくも卓抜した人材をひとつの民族が輩出し続けるられるのか、 これもまた不思議であり、歴史ロマンを感じずにはおれません。 以前、インターシティのコンパートメントでたまたま同席したドイツ人夫妻と車内の会話がはずみ、 終着のハンブルグでホテルを探してもらったり、ブラームス・ケラー(ハンブルグ大学の横手にあったかな)で、 食事をご馳走してもらったりしたことがありました(確か、奥方がハンブルク大学で心理学を学ばれた心理学療法士で、 ご主人の方が手作り家具職人の方でした)。 ご両人ともユダヤ系の方で、さまざまな歴史的なお話をお聞かせ下さり、 またハンブルグのシナゴーグ跡(第二次大戦時に焼失)を案内して頂いたりしました。 杉原千畝の功績から、 一般のユダヤ系の方々が、日本人に対して非常に好感を抱いて下さっていることを、 このとき身をもって体験することができ、非常にうれしかったことを覚えています。 鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン• シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)• ゲーテの描いた「色彩環」• 自分に命令しないものは、いつになっても、しもべにとどまる(『穏和なクセーニエ』より)• 自負しすぎない者は、自分で思っている以上の人間である(『格言と反省』より)• 井の中の蛙、大海を知らず• 豊かさは節度の中にだけある(「クリストフ・カイザーに宛てた手紙」より)• 不可能を欲する人間を私は愛する(『ファウスト』より)• 天才が天才としてなすことはすべて無意識になされる(「フリードリヒ・シラーに宛てた手紙」より)• 人間の過ちこそ人間をほんとうに愛すべきものにする(『格言と反省』より)• 重要なことはどこまでも、見知らぬもの、見知らぬ人に心をふれてみることだ(「アウグスト・フォン・ゲーテに宛てた手紙」より)• 同じ場所に三日以上は留まらない(『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』より)• 経験とは、人が経験することを望まないことを経験することにほかならない(『詩と真実』より)• ゲーテはどんな書物も学問の権威もまず疑ってかかり、知識を丸呑みすることはありませんでした• 「生きること」それ自体が何よりも美しい真実• 数人の人たちがそれぞれ満足している場合には、彼らが思い違いをしているのは間違いない(『格言と反省』より)• 人間を愛すべき存在にしているのは、その過ちや迷いである(『格言と反省』より)• 美しいものは、世界のなかで孤立していることがあるものだ(『格言と反省』より)• 無知な正直者が、しばしば、たくみなペテン師の悪事を見抜く(『格言と反省』より)• 自然のどんなに重大で顕著な現象でも、そこに立ち止まってはならない。 それに執着してそれだけを眺めるのではなく、 自然全体を見回して、似たものや親近性のあるものがどこにあるかを問わなければならない。 (『色彩論』より)• あらゆる技術をいかすのは最終的には精神だけだ(『色彩論』より)• 日々は迷いと失敗の連続だが、時間を積み重ねることが成果と成功をもらたす(『格言と反省』より)• 石の上にも三年(大きな目標は、そう簡単に達成できるものではない)• さしあたり必要なものが豊富にある地方では、今日あったものは明日もあるだろうとのんきに構え、のんびりと苦労もなくなっていけるような、 幸福な性格の人間を作る(『イタリア紀行』より)• 私たちに対して反論がなされるとき、その声の強さに圧倒されることを恐れる必要はない(『格言と反省』より)• 大声でものを言う人は中身が小さいのです• 世紀は進むが、人間は初めからやり直さなければならない(『格言と反省』より)• 外国語を知らない者は、自分の国の言葉についても何も知らない(『格言と反省』より)• 愚かな者も賢い者もどちらも害にはならない。 半分ばかな者と半分賢い者がもっとも危険である。 (『親和力』より)• 自分自身の心を支配できないものにかぎって、他人の意志を支配したがるものだ(『ファウスト』より)• すぐれた人格を感じ取り、それを尊敬するためには、自分自身もまた、それなりの者でなければならない(『ゲーテとの対話』より) 読後感:ゲーテ先生は、愛すべきお茶目な人だったみたい。 完璧すぎず、堅物すぎず、されど「完全」となることを果敢に目指す、みたいな。 「カンペキー」なんて思った瞬間に、「はい、君は打ち止め」、みたいな。 ご用心、ご用心。 ニュートンの「時計仕掛けの宇宙」• パラダイムシフト• シュレーディンガーの哲学的論考• 経験批判論• マッハの哲学体系• 一部が水中に入っている鉛筆を考えてみよう。 折れているように見えるが、本当は真っ直ぐであることは、触ってみれば検証できる。 マッハはそうではないと言う。 水中の鉛筆と水から出ている鉛筆は、二つの異なる事実である。 水中の鉛筆は、見た目の事実に関する限り本当に折れ 曲がっているのであって、水中の鉛筆についてはそれがすべてである。 アインシュタイン「理論が、われわれが何を観測できるか決める!」• 彼(アインシュタイン)は、われわれの知覚している世界、現象化界がほとんどわれわれの心の産物であるという、 カントの発見を理解していた。 実在論と局所性が結びついた「局所実在論」• 機械論的な世界像• ボーアの相補性• 重い物体がゆっくり動いている場合、その「運動量」は軽い物体が速く動いている場合と等しいことがありうる• 観測過程にある量子系と孤立した量子系の関係• 存在論的観点(在ることに関わる)と認識論的観点(知ることに関わる)の違い• 存在論的解釈では、「この電子は正確な位置と正確な運動量を同時にはもたない」となる。 一方、認識論的解釈では、 「電子の位置と運動量の同時的な値を知ることはできない」ということになる。 「量子領域と日常世界の境界領域」、「量子系」か「通常物体」か• もの性• シュレーディンガーが挙げた成果は、ニ、三週間にわたり極度の集中力を維持できるという能力の賜物だった。 量子物理では、観測は創造的なのである。 ハイゼンベルグ「科学の根は会話にある」• アインシュタインを典型とする別のタイプ、孤高の物理学者もいる。 この独立独行タイプの人は、創造活動する時間の多くを 言葉から遠ざかり、思考の深みへと進んでいくことに費やしているようだ。 その本質は非言語的世界であって、 言葉はその創造過程を構成する要素になっていない。 言葉が使われるのは、非言語的思考の成果を表現し、伝達するときだけである。 ポール・ディラックは、そうした孤高の人であった。 ディラック方程式とスピノル• 内なる声が私に、これ(量子力学)は本当のヤコブではないと告げる。 (アインシュタイン)• 知的討論• 思想の深さ• ボーアとアインシュタインの論争の研究には、もう一つの特徴があった。 すなわち、知的論争につきものの、あのエゴがぶつかり合って感情が むき出しになる見苦しい光景を我慢しなくてすむのである。 リアリティーの要素(アインシュタイン)• EPRの思考実験(アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼン)• レオナルド・フィボナッチ(1202年にヨーロッパに十進表記法を持ち込む)• 隠れた変数の理論(フォン・ノイマン、デイヴィッド・ボーム)• 「ベルの定理」、「ベルの不等式」• 対立カップル症候群(あらゆる機会を捉えて相手の言うことを否定せずにはいられなくなっている状態)• 選好性• GHZの実験(グリーンバーガー、ホーン、ジーリンガー)• 量子状態の収縮• カバー・ストーリー• イメージが創られる脳の部位つまり視覚野を研究する神経学者たちは、感覚刺激から脳のこの部位にやってくるのは 情報のだいたい半分でしかないことを発見したのよ。 後の半分は脳の他の部位からやってくるんだって!• 客体化のプロセス• 視覚的イメージの私的世界• 「われわれは認識の主体を、われわれが理解したいと切に願っている自然という領域から排除します」(シュレーディンガー)• 客体の構築と自己の排除• 心身問題• 量子素事象• 量子観測は潜勢態から現実態への移行を引き起こす。 孤立した電子は「可能性の場」である• プラトン『ティマイオス』• 永遠的秩序と時間的秩序の関係、プラトンの「英知界」、イデアの世界における秩序• 不変的存在の世界、生成消滅の世界• 円環の創造• 収縮とは潜勢態から現実態への転移• アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド『プロセス哲学』• 英知の形相、バカの形相• 四次元連続体• ソクラテスがなったという「放心」• 一日中推論的論証を続ける、もっと「放心したようになる」• ときどきボーアはまるで阿呆みたいになって、そこに坐っていた。 彼の表情が消え、四肢はだらりと垂れ下がり、 この男の眼に何か映っているかさえ怪しいだろう。 こいつは阿呆に違いないと思うだろう。 生命のかけらも見当たらない。 ところが突然、 彼の中に輝きが立ち上り、それが火花を放つと、彼はこう言うのだった。 「よし、わかったぞ」• なぜ、収縮は起こるのか?• 自然が選択する• プロティノスの「自然は観想する」• 収縮のない世界に住んだらどういうことになるだろうか?• 収縮の目的は、(宇宙を)単純化することにある• ディラック・コスモロジー:Q「収縮はどのように起こるのでしょう?」、P. 「自然が選択するのです」、 Q「自然はいつ選択するんでしょう?」、P. 「干渉の可能性がもはや存在しないときでしょうね」• コヒーレントな干渉を不可能にするほどの複雑さを生じさせる過程(デコヒーレンスに導く過程)• (シュレーディンガーの)客体化原理の適用限界• 収縮は量子力学の定式化の一部としては解明されていない。 なぜなら、自然は本質的に客体化しえないものなのだから• 記号的(シンボリック)知識と親密的(インティメント)知識• 「原始的」で「未開」な伝統• アインシュタインの六年生からの宗教に関する質問に答える手紙「科学の研究に真剣に取り組んでいる人々はみな、霊が宇宙の法則の内に 現れていることを確信するようになります。 この霊は人間の霊をはるかに越えているために、それに直面すると自分たちの力はちっぽけなものに感じざるを えなくなるのです」• 決定されているのは、現実的事実に対する確率の分布• 収縮が持ち込む不連続性• ヌーメナル(真の存在)• 我有化(把捉、プリヘンション)• デカルトの二分法• 階層化されたリアリティー• 何十億の銀河、銀河の中の何十億の恒星、その中の太陽、太陽系の中の地球、地球上の人間。 宇宙の中の人間の地位は、ほとんどとるに足らないものである。 (逆に、)ひじょうに小さな腺が人を生かしたり殺したりする。 また一つのウィルスが死をもたらしたり、 快方に向かわせたりすることができる。 一般的に言って、一人の個人のような比較的小さな存在が、社会や文明や惑星といった大きな存在に対して影響を与えることができる というのは、意識という存在があってのことなのである。 ターナー講演• 自我(エゴ)を自己(セルフ)と混同する• シラー「全体性のみが明晰へと導き 真理は深淵にとどまる」• 相補性の枠組みは、量子系への単一の記述を適用することの不可能性の発見である• 「ダーウィンの航海で出会ったフエゴ人は、小さなボートには驚いたのだが、 大きな船のほうは『どうということのないこと』とされた」という• 大統一理論• 多世界解釈• 波動とは、微細な「量子力」の作用によって粒子を導く「きょう導波(パイロット・ウェーブ)の一種であり、 その微細な力は「量子ポテンシャル」によって生じるのである(D・ボーム)• 局所性の破れ(光速度を越える)• GRWのアプローチ(ジラルディ、リミニ、ウェーバー) 読後感:量子力学もここまでくると、浅学の僕にはもはやそれは哲学の領域に思えてしまうほどに。 「波動関数の収縮はなぜ起こるのか」、またそれは「どのように定式化されるのか」、未開拓で魅惑的な研究領域は数あれど、 理論に向かない自分の鈍ら頭と日々のぐだぐだなお仕事は、それにかかずらうのを許さず、か。 こんな研究を日々の生業とし、またそれに「放心」することを許される人が、 この世界のどこかにいらしゃるのだとしたら、それは真にうらやましい限りです。 刀は武士の魂• 鎌倉時代の「兵の道」と江戸時代の「武士道」• 「夫兵法という事、武家の法なり」(五輪書)• 今の若士共は出会の咄、金銀の噂、損得や家計困窮、衣装、色欲の雑談ばかり、と嘆いている(『葉隠』)• 「勇」、「忠孝」、「質素」、「礼儀」、「清廉」、「忍耐」• 『米百俵』• 刀は伊達にささぬ• おんたましひ研所• 直刀と唐太刀• 『天逆鉾』• 『栄花物語』• 懐剣、隠剣• 『吾妻鏡』• 弓矢は京にて捌かせ、刀剣は本阿弥に究めさせ、馬は馬喰の言に任せ、甲冑は奈良岩井家に仕立てさせる事• 可然物(しかるべきもの)• 刀剣極め所(本阿弥二百七十石)• 阿弥衆• 蒔絵の幸阿弥、金工の正阿弥、申楽・田楽・能楽の喜阿弥、世阿弥、能阿弥、観阿弥• 金象嵌• 阿弥=時宗系の僧形の人• 本阿弥の元祖妙本は菅原姓で、松田名で相州鎌倉に住む• 刀剣の研磨「麁研麿一日。 焼ならびに中麿一日。 精麿一日。 (火火宝)一日。 「寝刃を合す」、「寝刃を引く」(切れ味の鈍った刀剣を研磨して鋭利にすること)• 「梅花を付けたるごとく」(刃文、鍛え肌の美しさ)• 「春のゆきのやうにかすみのかかりたるごとく」(地刃の境)• 蕨手刀、立鼓刀(蝦夷と呼ばれた人々の用いた刀)• 「断つ」から「切る」へ• 「古備前正恒」• 「備前国友成造」• 受領名• 「左衛門尉」「右兵衛尉」• 「正宗」(相州鎌倉、破天荒で魅力ある作風をもつ)• 「正宗抹殺論」(明治時代)• 「沸の美」「川のせせらぎの煌めき」「天空の星の輝き」• 天才の作は「一代限り」• 没骨法の表現法、曜変、油滴など天目茶碗の美、正宗の沸のはげしい作風• 北条時頼より、初め重光の名を賜った• 頓悟(修行の段階を経ずに一挙に悟りを開く)、漸悟(順序を追って修行し、悟りを開く)(禅の言葉)• 「雪のむらぎえ」「耳形刃の特色」• 松皮肌、板目肌• 藤原氏を藤、菅原氏を管、清原氏を清(清少納言)• 北国物• 刀鍛治とは別だった槍鍛治、野鍛治(鉈、鎌)、大工鍛治• 刀(tau、カタナ=片刃、偏刃から転ずる)• 剣(両刃)• 塚原ト伝、上泉伊勢守、伊藤一刀斎、柳生石舟斎• 刀狩り• 三所物(小柄、笄、目貫)• 鶺鴒差し、掴み差し、突っ込み差し、落とし差し、閂差し、からめ差し(戦さの時)• 長曽祢虎徹入道興里• 「よく斬れる刀」、「業物である」• 名刀の条件「折れず、曲がらず、よく切れる」• 「奈良刀」「奈良物」=「安物の鈍刀」• たたら製鉄• 本居宣長「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花」 読後感:購入後、積読していたのを忘れていて、二冊買ってしまった(また、やってしまった)。 惹かれてしまう本には、やはり何かの縁があるものだ。 「そこから産み出された鉄の純度は、近代西洋製鉄をはるかに凌ぐものであった」、 と以前放映されたNHKのスペシャル番組で観たことがある。 当然、たたらの鉄で鍛えられた日本刀の切れ味も人類史上最高の切れ味を誇る刃物であった(ある)、とのこと。 これもまた「縮み」文化を代表する日本の伝統工芸技術の一つです。 「工夫」、「改良」を重ねがさねる「踏襲」の上に、類まれなる「精緻」、「精巧」に至る。 「日本的」とは、まさに日本刀造りにみられること、そのものです。 この本を読んで、 永らく忘れかけていたけれど、 真綿みたいなもの(「たんぽ」っていうらしい。 つけてる白い粉は砥石の粉末らしい。 )でぽんぽんと刀の手入れを大伯父がしていたことを、 子どもの頃に見たのを思い出しました。 沸(にえ)の景色を、今度じっくりと拝ませてもらわなくては・・・。 持続可能性(サスティナビリティ)• サスティナビリティ学連携研究機構• サスティナビリティ学(地球維持学)• 内田ゴシック• 多くの学生たちは教授を「専門バカ」と決めつけていた。 「専門バカ」とは、自分の専門分野のことしか知らず、 他の学問や世の中のことには無知な大学教員を揶揄する言葉であった。 巡検(フィールド実習)• 鈴木秀夫『森林の思考・砂漠の思考』(循環的な森林の思考は仏教に、直線的な砂漠の志向はキリスト教に。 仏教の「輪廻」とキリスト教の「終末」)• 論理の飛躍が大きすぎて非科学的だと厳しく批判された。 しかし、先生は、こうした批判にはまったく臆することなく、泰然自若としていた。 上総アカデミアパーク• 学際研究事始め• ヤマトンチュー(本土人)• パイロットスタディ• ストックホルム大学は、地球温暖化研究の元祖ともいうべき、スヴェンテ・A・アレニウス(1859-1927)が教鞭をとっていた大学である。 驚くべきことに、彼の予想値はスーパーコンピュータを用いた最先端の地球温暖化予測と非常に近い。 地球シミュレータ• ほぼ確実(very likely)• 人為起源である確率が90%以上• フォアキャスト、バックキャスト• 私たちはすっかりそのころ(=オイルショック)の教訓を忘れてしまっている。 スカベンジャー(ごみあさりをする人)• 循環経済に基づく和諧社会づくり• 同床異夢• 医食同源、心身一如• 『Sustainability Science』 Springer 読後感:『熱力学』の教科書の活性化エネルギーの項目のところで必ず出てくるアレニウスが、 100年近くも前に、既に今日の地球温暖化を予測していたとは、卓見無比でございます。 シュレーディンガーもまた『生命とは何か』でDNAの存在を予見していたし、 優れた科学者のポテンシャルは、自然を熟知しているがゆえに、計り知れず。 翻って現代の万能科学者や、いずこに。 利が利を生むことをもって至上とする• 「今日のシステムの犠牲者は、第三世界の人びとと自然に他ならなりません。 このシステムが自ら機能するために、 今後もそれらの人びとと自然は容赦なく搾取されつづけるでしょう」(NHK番組『エンデの遺言』)• 世界市場化(グローバライゼーション)• 資本移動のモニタリング(監視)• ディスクロージャー(情報開示)• マッド・マネー• 「パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つのまったく異なった種類のお金である」 (エンデの言葉)• 共生セクター、競争セクター• その日がくるまで他人事• 高度失業化社会• ジョブレス・マジョリティ(職なき多数派)• 労働の「吸収圧力」、その反対に、強い「排斥圧力」• 「人間をムダにする」社会• ハッピー・バランス(幸せな予定調和)• 「人間排除の経済」から「人間復興の経済」へ• 働くものは強し 蓄えるものは なお強し• 人間、働くことが値打ちやないか• 「なぜ城山さんの作品の主人公は男ばかりなのですか」、「女性はまあ大河の流れのようなものです。 存在それ自体が救済です。 あえて私が慰めなくても。 が、男は・・・、まあいってみればその流れに浮きつ沈みつしながら流されていく木の葉のようなものですから、ねぇ」• それほどに男は悲しい存在なのだ• 周章狼狽• 「虚の経済」、「実の経済」• 淵源はいっそう迂遠なところに• グローバル節• 彼我の違い• 会社を潰しても人間は潰れない社会• 人間はもはや搾取の対象でさえなくなった。 いまや人間は排除の対象になった。 天空回廊• 跳梁跋扈• 時代遅れの守旧派• 既得権益にしがみつく愚者• 一辺倒論• 自己責任、事後チェック• 低位平準化• 水は「ゴールド・ウォーター(黄金の水)」と呼ばれる• 定昇圧縮• 神は細部に宿りたまう• ウィーナー・テークス・オール(一人勝ち世界)• プライバタイゼーション(私化、私物化)• プライベート・オートノミー(個人主義)• 官の無責任・民の狡猾• 高木仁三郎(市民科学者)• 細緻な後付けの論理構築• 真理追究と大衆認知• ポリシー・インテレクチュアル(政治知性)• 自覚的市民• ステークスホルダー(利害関係の当事者)• マネタリー・ディシプリン(金融節度)• 決定権、実行権• 節度ある競争• 大学の果たすべき使命は明らかであります。 学問研究の自由を主張し、守るのとまったく同じ地平において、大学は地域自治の先頭に立ち、 そのためにも自覚市民を育て、支援の担い手となること。 そのように期待されているのではないでしょうか。 懐柔策、表面的意見聴取、情報提供、形式だけの参加• この指とまれ• 猖獗を極める• 量産効果追求• 積年の弊• 撃ちてし已まん• 市場競争原理至上主義• 参加、連帯、協同、営為、生業• 熱狂的等質化現象• 公私截然• 逆さ絵• 『匠の時代』• 北欧の社会では「すべての国民は等しくネットの恩恵に浴す。 それが国民の権利」• 技術の社会化• 「リナックス」(フィンランド)に象徴される北欧型技術の系譜• リナックスは技術の独占ではなく開放によって、世界の誰でも参加し、互いに知恵を出し合って技術のブラッシュ・アップ(磨き上げ)に貢献できる• グリーン調達• 線形思考からシステム構築へ• 蘇れ匠の時代• 既得権益への固執• すさんだ社会の様相• 節度、秩序、社会的貢献、制度• 節度(ディシプリン)、規範(ノルム)• 節度なき自由• 多数決独裁• 何でもあり 読後感:「資本移動のモニタリング(監視)」こそ、グーグル的な新しいビジネス・パターンではないでしょうか。 バージョンアップで利ざやを得ていたマイクロソフトのビジネス・パターンは、今ではなんとなく古い感じがします。 そんなグーグルもマイクロソフトも「グローバリズム」に根ざした典型的な米国型企業経営に変わりなく、 北欧の生んだリナックスにみるような「オープン・ソース」的なビジネス志向(かつてのUNIXS文化のような)とは対極をなしている。 いずれは、どちらかに軍配があがるのかな?・・・。 地球温暖化対策やビジネス・パターンなどなど、欧州と米国のふるまい方はあらゆる意味で対極的である。 由良君美(東京大学名誉教授(教養学部)、英文学者)• 西洋人が長い間、高貴な未開人というロマンティックな考えに捕らわれていた• 赤塚不二夫の試験問題(赤塚不二夫の漫画がコピーされていて、この漫画のどこがどう面白いかを分析せよとだけ、簡潔に記載されていた)• 漫画学会の設立、サブカルチャー研究の市民権• 記号学を駆使した『漫画原論』• 先天知の系譜• タブラ・ラサ(無地の白紙のような人間の心)• 対応交渉• 小林秀雄は脈絡のない感想を特権的な場所から述べ立てている文壇人、吉本隆明は出鱈目な理論を好き勝手に援用している野人• 由良君美は万巻の書物をすでに読み終わったファウストのよう• 若い頃はまず誰だってロシア文学に夢中になる。 次に来るのがフランス文学だ。 けれども一番最後になって、 その面白さがわかるのはイギリス文学だね。 通称イチケン(旧制第一高等学校以来の木造二階建ての研究棟)• 早稲田だったら日夏集耿之助、慶応は西脇順三郎• ひどく不愉快な体験• 東大中心主義• 大学院の二期校• 『雨月物語』にみる朝鮮民話• ソールズベリのストーンヘンジ• 柳宗悦• 学歴を見て知的な背景を簡単に辿れる人間ほどつまらぬ存在はない• 由良哲次(君美の父、西田幾多郎に教えを受けた哲学者)• 「君美(きんみ)」(新井白石の幼名)• 知的遍歴• 生れおちたら、僕のまわりには玩具もなく友もなく、ただただ本だらけだった。 たまたま父とすることになった男が、貧乏学者だったためで ある。 母も好学の人で、いつも暇さえあれば本を読んでいた• 成蹊中学• 「書豚」「書狼」「書痴」• 同臭の徒としてね、行きましょうや• 平岡公威(三島由紀夫)• 揶揄の口調で迎える• 不良ヒッピー外人の巣窟、言うならば好餌と化している• 本郷の文学部と駒場の教養学部の間には、長い間軽蔑と競争意識の入り混じった確執が横たわっていた• 駒場がもと第一高校であったことから、本郷には駒場を何かにつけて「高校あがりの癖して」と見下すところがあった• 駒場は戦後の新興勢力の強さから、つとめてリベラルで自由闊達な雰囲気を醸成しようとし、本郷の体質の古さを敬遠するところがあった。 本郷はそうした駒場を苗床のように見なし、優秀な語学教師を文学教師として引き抜いて、本郷のスタッフに招き入れることで応じた。 表象学科• 英語科(駒場)と英文科(本郷)• 高踏的過ぎて常軌を逸している• ある種の女子大生には、どこかで男性教師にむかい無意識のうちに媚態を示してしまう傾向がある。 大森荘蔵• その押し出しの貫禄と冷静な判断力• 東大のなかでどこか正統的な教養に不満を抱いていたり、専攻という狭い枠のなかに思考を閉じ込めることを肯じない学生• 他のどのゼミにも納まりきらないタイプの学生たちが、なにか動物的直感に基づくかのように集まって来る• 由良君美の学風• 船曳建夫『大学のエスノグラフィティ』• 狷介な性格で、かつ破壊的なところがあり、それがお坊ちゃん気質とない交ぜ• 談論風発• 由良先生の棲む、鬱蒼たる知識の森• 悪無限の円環• 全方位的に発展• 無常といふこと• 「ルビの美学」• 江戸人• 三重県立第三中学(伊賀上野高校、一級下に横光利一)• 竹林の賢人• 由良哲次『古琉球語で解明する邪馬台国と大和』• 『雑書主義者の弁』• 明治男• 莫迦げた国家論の小型寵児• 男の夢を教え続ける不良• 松の実を摺ったお粥• 由良君美と江藤淳が慶応の西脇ゼミの兄弟弟子の間柄(一方はひどく可愛がられ、もう一方は蛇蝎のごとく嫌われた)• 脱領域的知性• 文学には先生も弟子もいない。 ただ孤独であることだけが、文学の条件だ。 居心地の悪さ• 神話原型論• フォルマリズム• ニューアカデミズム• 「すべてはデタラメ」• ボローニャ大学では、それは中世以来の文化伝統として、当然のごとく受け入れられていた。 柳下去辞• 由良の脱領域ぶり、ダンディぶり、書物蒐集ぶり• 若い才能を触発する教育的才能• 死と再生の象徴法の隠喩的展開• 矢川澄子「ゆめをかたることは らくないとなみだろうか きびしさをかくごで みずからのみちをゆく よのうきしずみをよそに しぶとくしかもしなやかに」• 絹のように繊細な心をもった人間• 人はなぜ教師となるのか。 ある人間が他人を前にして、モノを教えたり、ある技術を授けたりするという行為とは、 いったい何なのか。 それはどのような形で正当化されうるものなのか。 原理的な問いかけ• いかなる人間も知的欲求から無縁でいることはできない。 未知の事物について学ぶことは愉しいし、学習を通して自分の世界が拡大されて ゆくことを確かめることは、さらに幸福なことである。 教師は当座に要求されている知識を切り売りするだけではなく、みずから知の範例を示すことを通して教育という行為を実践する• 彼らは師と呼ばれ弟子と呼ばれる• 弟子は長期にわたってそうした師の姿を眺めることを通し、容易に要約のできない体験をする。 自分ではまったく失念していた授業中の発言を、相手が記憶に留めていたりすることを教えられる• 山折哲雄『教えること、裏切られること』• 人間を守る読書• 川端康成『名人』• ミッシェル・フーコー「教えるという行為が本質的に、人間が織り成す政治関係のなかの実践であると指摘している。 師は弟子とは比較にならならほど心理的、社会的、物理的権力をもった存在として、まず弟子の前に立ちはだかる。 権力形態のひとつ• ソクラテスとアルキビアデス、アベラールとエロイーズ• 師弟関係(老子の道、孔子の道、禅の道)• 親鸞は弟子一人ももたずさふらふ• 正岡子規と高浜虚子、親鸞と道元• 不気味な厭人癖• 親鸞の単独相続の野心• 有漏の迷情• 多人得道の縁• フライブルク大学(ハイデッカーとフッサール)• 衆愚に陥る• Paus de Maitres(先生なんてもういらない)• 嫉妬、虚栄、虚偽、背信• 少壮の学者• 哲学的地平• メフィストフェレスの形象• 自己防衛に由来する韜晦術• ルキアノスの戯作対話編 読後感:由良君美が置かれた状況、情景、よくわかります。 駒場(教養)、本郷(専門)みたいな、大学の内なる二軸の存在。 で、師匠といえば、 工芸大に来るまでにこれまで僕が師事してきた師匠五名は、いずれ劣らず研究、科学に命を賭した猛者ばかりでした。 そして当時助教授だった先生も、教授だった先生も、みな偉い先生となった今も、現役バリバリの実験研究者ばかりです。 学会で、ドクターコースの時の指導教官の先生にお会いすると、いつも「いま夢中になっている実験」のお話を、 少年のような愉しげな面持ちで、お聞かせ下さります(なにせ、国立大学評議委員となられ多忙を極めた今でも、 正月休み中から自ら装置の火入れをして初実験を敢行されている、との話には脱帽するしかございません)。 こんな至らない僕を指導してくれた師匠たちのことを思うと、 いつまでも、こんなぐーたらな研究をしていては、罰が当たっちゃうなぁ・・・。 どうにか、しないとね! それと本書の中に書かれていたように、はるか昔に由良先生が東大で赤塚不二夫作品を題材として試験をされていたのは、びっくりしました。 実はちょうどここ半年ほど、『天才バカボン』を読みたい読みたいと思っていたので、 このこと知って誠にうれしい限りです(文庫版が見つからなくて、志は頓挫していますが・・・)。 先入観に囚われず、色眼鏡で(赤瀬川さんの表現を借りれば「ウロコのついた目」で)物ごとを見ない、とはどういうことか。 子どもの時にTVアニメを見ていても、まったく気づかなかった偉大なるヒントが、 きっとそこには描かれているはずだ。 早く、読んでみたい。 「システム思考」= 「目の前にある個別の要素ではなく、それぞれの要素とその「つながり」が持つシステムとして、その構造を理解することである」• 「システム思考」は、1950年代にMITで確立された• 常に不変であるものは、変化である• システム思考は五000年後も通用する• 人工物工学研究センター(東京大学柏キャンパス)• 日頃抱えている問題は、一つひとつの個別の状況や現象といった要素の中にあるのではなく、要素と要素の間や、 さまざまな要素の組み合わせの中にある• 「分析的思考」と「システム思考」• 人間はいつも考えている• あまり考えないのが実は「考える方法」についてである• 個別の要素に関心が向かう分析的思考の強い人• 全体のシステムを強く意識して行動している人• ひとつの視点から考えることは容易であるが、この世の中に存在しないものを作ろうとしたとき、または複雑な問題を解決しようとしたとき、 どのような種類の視点があり、視点をどのように組み合わせていったらよいのかを明らかにすることとは、思考方法が異なる• 一つひとつの要素を個別に見ていくか、それらの結びつきを総合的にみていくか• 視点が変われば見え方も変わる• そして、人間自身も変化している• 先入観が理解を妨げる• 時系列変化パターングラフ• ループ図• 因果応報• フィードバック・ループ• 「自己強化型ループ」と「バランス型ループ」• 「システム思考の知恵」=「人を責めない。 自分を責めない」、「人が悪いのではなく、構造に問題がある」• レバレッジ・ポイント(小さな力で大きく構造を変えられる介入点)• システム思考で考える地球温暖化問題• 「おとなの社会」も「こどもの社会」も、やばいですぞ。 また、仕事の上でも、 欧米人のように一事一事についてロジカルに詰めて議論しながら進めることに適さない(または慣れていない、あるいは苦手な)日本では、 ロジックの代わりとして一定の成果やミスを防ぐために叱る/叱られる関係に基づいたテンションの存在が、至るところにあったような気がします (宮大工をはじめ世界に冠たる日本の職人技・芸の仕事ぶり(かつての徒弟制度も含め)を思えば、至極当然のことでしょ)。 そんな日本で「ちゃんづけ」仕事をしていては、いい意味でのテンションすら保てないでしょうなぁ・・・ (アメリカ人の場合は、はじめにロジックありきのコミュニケーションなので、映画やドラマのように上司と部下がファースト・ネームで呼びあっても、 十分に仕事は成立するのですよ)。 「目の前のことに一生懸命になれない奴に、夢を語る資格はない」:桑原(佐々木蔵之介)のお説教シーン• 「伴くん、愛だよ、愛」:与那嶺(北村一輝) の接客コメント 読後感:「原作をまだ読んでいない僕に『バンビーノ』を語る資格はない」のですが、いいドラマでした。 役者さんたちも、いい仕事をしてました。 心に突き刺さるなぁ、上のセルフ。 一生懸命(DTB)は、むつかしいですよ。 周りに向けてがんばっているふりをしていても、それもある種のDTB。 有形の見返りを期待した外向きのDTBもあって、無形の価値のためにする内向きのDTBもある。 どちらのDTBの姿勢が正しいのか、本当なのか、僕にはよく分からない(両方、正しいのでしょう)。 しかし、最近のアメリカン・ビジネス志向とそのグローバル化の猛威は、 日本古来の一所懸命の様相をも圧倒的多数で前者が占めるように影響を与えているような?、そんな気はしませんか。 「階層化均質性&安定性」、そしてちょっときつめの「自己合理性」、こんな言葉が頭をよぎります。 なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし(『枕草子』)• 『菊と刀』『「甘え」の構造』『タテ社会の人間関係』• 「甘え」「甘えん坊」「甘える」「甘やかす」• 日本人が西洋ばかりでなく、日本の文化にもっと長い年月にわたって影響を与えた中国や韓国を通じて、 自己の特性を発見しようとつとめた例は、そう多くはありません• 日本的思惟方式• 百済観音• ロラン・バルト『表徴の帝国』• 「リンカーン、カント」と「世宗大王、李退渓」• 「大丈夫」=「男」(韓国語)• 一寸法師、桃太郎、金太郎、牛若丸• 接頭語の比較(日本語の「豆」「ひな」と韓国語の「ワン」=キングサイズのキング)• 倭国、倭人• 縮み志向• 「菫ほどの小さき人に生まれたし」(夏目漱石)• 「うつくしや障子の穴の天の川」(一茶)• 「うつくし」と「くはし」• くは(麗)し女• 目ぐはし• くはし花• 小さくなれ、もっと小さくなれ• 「小さいものが強いものである」という「極小主義」• 日本人はそれを拾い上げるや、いち早くそれとそっくり同じものを作ってみるでしょう。 それもただの原寸大に作るのでなく、トランジスタ化 して、もっと精巧に縮小し、手のひらに入るように作るはずです。 「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」(石川啄木)• 「の」を重ねる不思議(「やまのてせん」、「きのくにや」など)• 高麗扇と日本扇• 「握りしめ文化」(「手ごたえ」、「手ごわい」、「手痛い」、「手にあまる」、「手に負えない」)• うつくしきもの、瓜にかきたるちごの顔。 雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。 二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひ来る道に、 いとちひさき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。 ・・・雛の調度。 蓮の浮葉のいとちひさきを、池よりとりあげたる。 葵のいとちひさき。 なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし。 (『枕草子』151)• 「どうも」文化• 日本式縮小語(イメチェン、イケメンなど)• 髪の作り方(前髪、両鬢、髱、髷、島田、桃割れ、勝山おぼこ、だるま返し)• 「侍の二刀(本刀と脇差し)」と「二膳(本膳と弁当)」• 「汁のない」日本食文化• 「詰められないもの」=つまらないもの• 和字(国字)と国訓(凪、俤、働、偲、躾)• 「利休ねずみ」(赤・緑・黄・青の混色)• わびの美学• 華厳思想、新羅元暁の円融会通• 文庫本• 豆本図書館(静岡、青森)• 「手ごろ、多軽主義」• ストップ・モーションの波「北斎・富嶽三十六景『神奈川沖波裏』」• 歌舞伎の「見栄」(ストップ・モーション効果)• 「構え」• 「米国では多くのバッターはフォームやスタイルなどは気にせず、いい結果を生むことだけを念頭に おくのに、日本では良き野球選手とは自分自身の身体の動きをいつも正しいフォームに合致させる者をいう」(ホワイティング『菊とバット』)• 刀の文化(「裏切り」、「切味」、「切身」、「切目」、「切盛」、「助太刀」、「真剣」、「東大生を斬る」)• ソンビ(文士)文化(韓国)• 「構え」とは剣術のすべての動きと精神をコンパクトに縮めた形•

次の

デリケートゾーンについてもっと知ろう|フェミニーナ®|小林製薬

小いんしん 左右非対称

当研究室のホームページは、現在作成中です。 空を見るとせいせいするから 崖へ出て空を見るのだ。 太陽を見るとうれしくなるから 盥(たらい)のようなまつかな日輪を林中に見るのだ。 山へ行くと清潔になるから 山や谷の木魂(こだま)と口をきくのだ。 海へ出ると永遠をまのあたり見るから 船の上で巨大な星座に驚くのだ。 河の流れは悠然としてゐるから 岸辺に立っていつまでも見てゐるのだ。 雷はとほうもない脅迫だから 雷がなると小さくなるのだ。 嵐がはれるといい匂だから 雫(しづく)を浴びて青葉の下を逍遥するのだ。 鳥が鳴くのはおのれ以上のおのれの声のやうだから 桜の枝の頬白の高鳴きにきき惚れるのだ。 死んだ母が恋しいから 母のまぼろしを真昼の街にもよろこぶのだ。 女は花よりもうるわしく温暖だから どんな女にも心を開いて傾倒するのだ。 人間のからだはさんぜんとして魂を奪ふから 裸という裸をむさぼって惑溺するのだ。 人を危めるのがいやだから 人殺しに手をかさないのだ。 わたくし事はけちくさいから 一生を棒にふつて道に向かふのだ。 みんなと合図したいから 手を上げるのだ。 五臓六腑のどさくさとあこがれとが訴へたいから 中身だけつまんで出せる詩を書くのだ。 詩が生きた言葉を求めるから 文ある借衣(かりぎ)を敬遠するのだ。 愛はぢみな熱情だから ただ空気のやうに身に満てよと思ふのだ。 正しさ、美しさに引かれるから 磁石の針にも化身するのだ。 あたりまへな事だから 平気でやる事をやらうとするのだ。 読後感:このところ取りまとめること叶わない茫々たる読後録をかかえながらも、 久しくこの録をほったらかしにしておりました。 高村光太郎のこの詩に私のココロはぐゎしッと鷲づかみにされた感ありまして、久々にこの録を更新することにしてみました。 最近、地球や自然環境のことも、人の関わるさまざまな出来事についても、 少し前まで当たり前であった多くのコトが急激に当たり前でなくなって来ているような気がしてなりません (脚下照顧、まずは自分自身が当たり前かどうかもあやし・・・)。 当たり前がずっと当たり前であり続ける(あり続けられる)ことのもの凄さを、 高村光太郎はありったけの力を振りしぼって人々に伝えようとしている。 歯が痛くなったときになってはじめて、いつも当たり前のように甘いお菓子を食べることができていたのをうらやましく思う。 風邪で高熱を出し前後不覚の状態で家で寝ているとき、 いつも当たり前のように外出してショッピングを楽しめていたことをうらやましく思う。 腰を痛めてはじめて、いつも当たり前のように不自由なく階段を上り下りできていたとことをうらやましく思う。 のどが渇いて自販機でミネラルウォーターを買おうとしてたまたま10円玉一枚の持ち合わせが足りなかったとき、 いつも当たり前のように自販機でミネラルウォーターを買えていたことをうらやましく思う。 私たちの共有する当たり前は、いつまで当たり前たりうるのだろうか? まずは、ストレートにものを見てみる。 そうすれば、光太郎のように少しはその当たり前の本質に気づくこと、叶うのでしょうか。 「おばさん」的• 霜層の流れ• マザーシップ• 机上の議論で「不敗」の思想は、一歩表にでると「ボロ負け」の思想• 「そこそこ使い物になる」思想• 「雪かき仕事」のような即効性のうすい努力を、サボらず、意識せず、繰り返してゆくこと• 未知の考想• 知的無政府状態• 知的肺活量• 知的酸欠• 知性の腕力• 論理の背筋• としての他者• ルンペン資本家• 消費、蕩尽、創造、生産、退蔵• 価値変動• 貧乏、飢餓感• アドレッセンス(青年期)• 触れてほしくない過去• 落語『水屋の富』• サラリーマン的エートス• 植木等『ニッポン無責任時代』• 出発点において、ぼくたちに「何ができないか」を知るほうが面白そうだ• 五十歳を過ぎてのバイクは予想外に面白くて、何のけれんも無くただただ、エンジンの軋む音と風と匂いを楽しんでいます。 ラカンの「前未来形で語られる過去」• 語り口のパフォーマティブ(行為逐行的)とコンスタティブ(事実確認的)• 記憶の二段階効果• アントン・チエホフ「胃が悪いということは、他の器官が健康であることをしめしている」• 「額に汗して働く」ことが「崇高」であると信じられた時代• 収穫逓減の法則• レバレッジドモデル(梃子のモデル)• チューリップバブル事件(17世紀オランダ、球根ひとつが労働者の平均収入の10倍になったといわれる)• 過去はまだ去っておらず、未来はもう来ている。 これがぼくがフィジカルに感じ取っている「時間感覚」です。 コーナーリングの要諦• クリッピングポイント• 気の感応• 体術、杖術• 気の練磨• 身体のアラインメント(立て付け)• クラフトマン・シップ(職人の熟練)• 手沢(しゅたく)• ポストモダンは「プレ・モダン」への回帰というより、「太古的なもの」の甦りではないだろうか• 「文学」、「武道」、「経済」• 独特だけどまとも• 頑固床屋政談• 居着き• 養老毅「逆さメガネ」• 大学とビジネス• アントレプレナー(起業家)• MBAホルダー、MOTホルダー• コストカットコンサルティング• 日本の教育機関や大学が作り出せる競争力のある差異とは何か• どう考えたって、世界の趨勢に従って実学優先なんていう結論にはならないでしょうが• 一発逆転• むかしもいまも、起業家は自立の物語の語り手で、修羅場とリスクが退屈しのぎになるよなメンタリティの持ち主に違いありません• リスクヘッジ(自らのポジションは安全なところに身を置きながら、得だけをとろうということ)• 人間の本源的なネーチャーと齟齬をきたす• つまり大切なのはゴールではなく、プロセスだと• ショートカットビジネス(これが金融の本質でしょ)• ショートカットするなよ、途中が面白いんだぜ• トランザクション(取引)サイクル• マインドセット• パブリック・スペースでほっこりくつろぐ• リナックス・カフェのスタッフたちは、許容度高くて、よかったですね• 独創性と学術性• 『ため倫』• 「オリジナルであること」、「説得力を持つこと」、「独特であること」、「他者の理解と承認を取りつけられること」• 認識論的なフレームワーク(言語やイデオロギーや宗教やコスモロジー)• 「私の経験」や「私の確認」だけでは私の知見の汎通性は担保できないわけです• 知解可能性(真理)• 「追試可能」、「反証可能」• 可動域のひろい共同的な知• 科学的信認• 「学術的である」=「永久不変の真理の審級」• そのつど揺れ動き、時代とともに変化してゆく「共同的な知」のパラダイムに(それがマジョリティに支持されている「物語」で あることを知りつつ)あえて踏みとどまる「節度」のこと• 「マッド・サイエンティスト」• 自立している人(他の人たちから、ことあるごとに頼られたり、忠告を求められたり、決定権を委ねられたり、責任を背負わされる人)• 諄々と説く• 「腑に落とす」• その論文の理非にかかわる理解と承認• 自分が読者に想定されていないテクスト• 三行読んだだけでわかる• 文章の「息遣い」というか「温感」というか「肌理」• 「体感を信号的に送受信する」ということは、べつに相手の身体に触れていなくても可能だ、ということは武道の修行をながくやってくると だんだんわかってきます。 「居着き」• 体術の場合、たいせつなのは技を「かけ終えた」ときの体感(骨や筋肉の状態、呼吸の伸び、気の通り、 相手が畳に身体を打ちつける受身の音まで)をリアルかつクリアカットに「想起」すること• 身体が「現在」に居着いていると者と、「未来」を先取りしている者とが接触• 活殺自在• この「時間的な居着き」を「未来の感覚」によってコントロールするということ• アポリア(難問)• 危機的状況に際会したとき、人間のとる行動は二つに分かれる。 ひとつは「身体感受性を最小化して、身体を石化し、嵐が過ぎるのをやりすごす こと」、いわば「時間を止める」やりかた。 ひとつは「身体感受性を最大化し、身体を液状化し、嵐に乗じること」、 言い換えれば「時計を先に進める」やりかた。 正しい生存戦略• 「外傷的現在」、「まだ来ない未来」• 「変わらない自己」という物語• 「凡人とは、進歩するけれども、進歩する仕方がいつも同じ人」=「つねに同じ仕方で答える人間」• 「天才とは、進化する仕方そのものが進化する人」=「そのつど答え方が変わる人間」• 「自己同一性」の神話=「凡人でありたい」との言明• 一億人の「自分探し」=一億人の「凡庸」• 「危険」、「risk(統御できる危険、既知の危険)」「danger(統御できない危険、未知の危険)」• ある国の指導者たちがMBA的な知性によって占められ「デインジャー」に真剣に対処できる知性を涵養することの重要性を忘れつつある• 大学人で「実学」ということをお題目に掲げる人間には。 「半ビジネスマン」みたいな感じの人間が多いのです• 半チクな説教• 大学が「実学」として教えるような知的リソースの大半はその定義からして現実に対する「絶対的な遅れ」をキャッチアップできず、 つねに「後手に回る」ほかないのです。 大学が教えるべきなのは、目先の「実学」ではなく、ながいスパンでの「汎用性」だと僕は思っています。 哲学だって、歴史学だって、文学だって、人間はそれなしでは生きてゆけない幻想と物語についての学なんですから、 最強の「知的ウェポン(武器)」だと思います。 でも、学生や親たちがとりあえず望んでいるのは、「実用的な専門知識」と「就職に役立つ資格」なんですよね。 悲しいけれど、それが日本人が大学に期待している「最大限」なんですよね。 ぼくは基本的に「戦略」的思考が嫌いなんです。 なんか下品というか「美学」がないんだな。 「ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ」• 古代的なものの甦り• けだし、名言• 好天型の経済モデルは、雨天のときに役立たない• 必要は供給の培地• 欲望は他者の欲望を欲望する• 無間地獄的• 一万円は蕩尽のための「機会」の価格• 「欲望に点火するようなサプライサイド」=「お洒落なライフスタイル」、「究極の贅沢」、「できる男」、「自立した女」• 他者からのリスペクト• ステイタスの象徴• リスペクトのイコン• 羨望のイコン• 「敬意」の「力の象徴」による計測• 「競争」原理• ディベートで相手を論駁するのではなく、双方で譲るということを考えるというような「知」のあり方• 「貧の意地」(太宰治『新釈諸国噺』)• 未来を現在の中に絶えず繰り込んでゆく• 時間の外延を現在の中に持つ• バイパス形成能力• 消費主体の「数的拡大」による総需要の拡大• お上、お頭、片腕、懐刀、腹心、股肱の臣、手下• 「頭が望むもの」と「手が望むもの」• 致命的な趨勢を糊塗する弥縫策にすぎません• 袖触り合うも多生の縁• 縁は異なもの味なもの• 会社を「軍隊」のアナロジーで語り、「戦略」と「戦術」で競合を出し抜くといったゲームを好むものにとっては、 会社はひとつの収益機関であり、その機能の最大効率化だけが問題となります。 タブル・ミーニング(今わかっている意味以外の「もう一つの意味」を読み出そうとする志向)• ラカン「子どものディスクール(言説)」(「あなたはそう言うことによって、何を言いたいのか?」という「子どもの問い」を つねに他人に差し向けることを「知的なふるまい」だと思っている)• 相手を出し抜いたつもりの人間はつねに出し抜かれる• 「人間はつねに本当に言いたいこととは逆のことを言う」と思い込んでいるこの疑り深い「子ども」に多少でも知恵があれば、 彼に問われた相手が「本当のことを言って人を騙す可能性」にもただちに思い至るはず• 「子ども」とは、実は人間が「未知のもの」に向き合うときに踐むべき「適切な作法」のこと• パリ=ダカール・ラリーでミネラル・ウォーターにマジックで自分の名前を書いてしまう日本人• アメリカ発「デオドラント」運動• 「私有主義」イデオロギー• 排除のディスクール• 「脳を割る」• 「盲信」と「疑いながら信用すること」• われは傷口にしてナイフ(ボードレール)• アンビヴァレント(両義的)• オブセッション(とりつかれ)• 「まあ、かたいこといわんと、お茶でも飲もうや」• ローマクラブのレポート『成長の限界』• デルメディコのダブル・スタンダード(「知的訓練を受けた賢者」と「受けていない大衆」の峻別し、形而上学的な宗教批判は「知的訓練」を受けていない大衆に ゆるされない」)• 賢者の作法• 思考枠組みを固定化し、「オブセッションを強化するような『ディベート』やら『戦略』を語る人間のことを、ディメルコはきっぱりと 似而非哲学者」と呼んでいた• Crispな悪口• 賢者とは、「世界の無根拠性を看破した上で、それでもなお世界に意味があるとすれば、 それは私たちが創造しなければならない」と考える人のこと• 大衆とは、「世界には意味があり、それは自分ではない『誰か』が担保している」と考える人のこと• 似而非哲学者とは、「世界には根拠がなく、人間の行動を律するどのような超越的規範も存在しない」と考える人のこと• 有責性• 有責性の先取• 情理を尽くす• 人間の言葉とか知性といったものが鍛えられるのは、言葉が通じないという経験や、 知性が及ばない集団や共同体との交流ということの中にしかない• 「お金で買ったり」「力で強奪したり」「機略でだましたり」といったことがあまりに日常的になったために、 この基本的なマナー(「情理を尽くす」)が忘れ去られているように思える• 自らの太古的な身体が発している言葉を聞く能力が退化してきている• 「部分最適、全体不適合」• 「ベストプラクティス」なんていうのも、非常に部分的な知性の使い方• 居心地の悪さ• 「わたしの身体は、わたしの頭よりあたまがいい」(何の戦略も奇策もなく、ただただ生存への脅威となっているかもしれないものに対して、 身体の方がアラームを発する)• 行政改革の圧力という外圧• 大学のマーケットの急激な縮小という内圧• アメリカングローバリズムの急激な進展という風圧• こちら側の身体性になじまない• 大学あるいは教育機関の場というものは、経済合理性を超越した場でなければ、 経済合理性そのものを批判したり検証したりすることはついにできないだろうと考えられる• 11世紀ヨーロッパの大学の発生自体が、世俗法から免除された特権的なポジションで法を研究するものであったという歴史• とはいえ、大学もまた世俗の渡世を生き抜いていかなければなりません。 まさに、自己責任で自助努力で世俗に生き延びながら 同時に世俗を超越するというアポリアを生きてゆかなければならないわけです。 受験者パイの縮小、大学淘汰、大学生き残り、大学の変革• 大学とは、世俗と超世俗、経済合理性と超経済合理性、ビジネスと超ビジネスの境界に位置しているまさにアンビヴァレントな「場」• 大学独自の創発的な知• マーケティングなんてやったことのない大学が、まるで、落ち目の自動車教習所がやったような売れるサービス、商品の開発をあわててやろうと するもんだから、実学優先の学科が優遇されて、世間におもねるようなあたふたぶりをしめしている• いや、大学で実践的なものなんて本当は教えられないじゃないの、というのが僕の素直な最初の直感なのです。 「プチ偉人」• 強い「反対給付義務感」• 反対給付(countre-prestation。 人類学の概念のひとつ。 「何かを贈与されたら、それを別の誰かに贈与しないと、気持ちが片づかない」という感覚)• レヴィ=ストロースの反対給付の感覚の三つの水準(財貨・サービスの交換=経済、言葉の交換=言語、女の交換=親族)• 自分が何かを達成したときに、それを「獲得」であると感じず、「贈与」であると感じることができる能力、それをレヴィ=ストロース は「人間性」と名づけた• その意味ではいまのぼくたちの社会に蔓延している「サクセス志向のイデオロギー」というのは、人間がだんだん「人間でなくなる」プロセス と言えるのかも知れません• 一宿一飯の恩義• 古典派侠客• 不快な隣人• 不快な隣人と共生すること• だんだんといろいろなことが億劫になってきて、まあ自然に定まってくるような習慣にはそのまま乗っかるのが楽でよいね。 フラッパー(おてんば娘)• スチューデント・アパシー• 「知に働けば角が立ち、情に棹させば流される」• 大学の役割は「知を作る研究」と「知を伝える教育」と「知の活用の道を開く社会貢献」である(江崎玲於奈氏)• 「あたたかい風とあたたかい家はたいせつだ」(吉本隆明)• 「ひともいえもくらいうちはほろびはせぬ」(太宰が描いた実朝)• アジール(逃れの町)としての大学• 疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)• 知とは本質的に自己否定な契機を内包している• 「自分のバカさの検出を、自分の正しさの証明よりも、優先的に配慮すること」が知性の個人的な定義ですが、• 「鉄棒曳き」的な嫌われ者セクション• 自己点検・自己評価というのは、いわば自動車の仕業点検のようなもの• いまの大学教員たちは、総じて、「知識」はあるけれど「知性」はないというきびしい社会的評価をもうむっています• 「三日やったらやめられない」大学教員の既得権にあぐらをかいて、• 査定と逸脱• ピア・レビュー(同業専門家による査定)• 真正性、引用の適切性• 査定可能な主題• ある時代の学術的パラダイムを転覆させるような革命的知見は、 つねにその時代の学術的パラダイムにおいては「査定不能」なかたちでしか登場しません。 大学に残って好きな研究をするためには、とりあえず「査定可能な研究」をしなければならない。 「査定不能」の研究主題に 取り組むためにのポストを得るためには、まず「査定可能」な研究主題で成果をあげなければならないんです。 この矛盾が研究者の「淘汰圧」として機能しています。 ユニークな研究者は構造的に研究の場にはなかなか残れません。 ほんとうに個性的な人というのは、たいていな場合、自分が「変わり者」であることにさえ気づいていないものですから。 ぼくが大学で教えていることのは、「まっとうに生きること」とか「分をわきまえること」とか「筋目を通すこと」とか 「ディセント decent であること」といった基本的なマナーだけです。 岩井克人『貨幣論』、『ヴェニスの商人の資本論』• 起源にかかわる問い(「貨幣とはなにか?」、「資本となにか?」、「市場とはなにか?」、「交換とはなにか?」)• なぜアメリカは「反知性主義」の風土を作り上げてきたのか• 200X年劈頭から• 帯状疱疹• 「雨の日もあるさ」という認識があればこそ、「学ぶ」ということも、意味を持つのだということだと思うわけです。 無聊をかこっている光景• 時間が止まったようなカフェ• 白皙の青年が嘆息し、• 町から退廃が消え、物語が消え、機能的なだけのオフィス• もはや大学には、無為と倦怠の中で思想や文学に惑溺する学生に場を与えてくれるなんていう猶予は許されない。 荒っぽい言い方をすれば、現実的で、ショートタイムに結果を出せる、喫緊の課題に対して大学は成果を出さなくてはならない。 ひとつの「目的」を持ち、ひとつの「役割」を演ずることが要請されるようになった。 まあ、ひとことでいえば、ビジネス系、理科系、実学優先で行くぞ、「大学の自治」とか「学の独立」などというお題目の下で 遊んでいるひまはねーぞ、というビジネスの論理が大学に導入されたということだ。 アメリカン・グローバリズムが世界を席巻し、「知」の役割、「商」の倫理、「人」のふるまいを、世界レべルで比較可能、 交換可能なものに書き換えようとしている。 「理解可能」、「比較可能」、「交換可能」• 「反知性主義」=「世界競争力」、「競争優位」、「産学の連携」など• 「知性」そのものが「知性」の脆弱性を超えてゆく、つまり知性の再定義が必要になる• 知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与した人間には価値があり、なみはずれて関与したものは、 なみはずれて価値があるというようにひとびとが幻想することは、自然なことであるが、これはあくまでも幻想の領域に属していることだ。 市井の片隅に生き死にした人間のほうが、判断の蓄積や体験の重さに関して単純でも劣っているわけでもない。 千年に一度しか あらわれない巨匠と、市井の片隅で生き死にする無数の大衆のこの「等しさ」を歴史はひとつの時代性として描き出す。 幻想論• 「たいしたもんだね」は、簡単に「偉そうなこと言ったて、それが何の役に立つんだ」といった知への侮蔑に転化する可能性を残している• どんな崇高なビジネス哲学も、結局は「で、儲かるの?」というような身もふたも無い結論に集約され、その結果に責任を持たなくては何も 発言することはできないのが、ビジネスの世界です。 「自己否定の契機」、「自己の知性の限界への配慮」(「知性は、知性そのものの限界を知るという場所で最も指南力を発揮できる」 「現実は、その背後に起源に対する考察や、採用されなかった理論や、 運動を捉えようとする努力というものがただひとつの歴史として表出される他はない」)• 言葉というものは、言葉が通じないところでしか鍛えることができない• 知性が鍛えられるのは、知性を必要としない人々の間で孤立するしかないような場所であり、知性とは無縁の功利性や、 逐行性を問題にしなければならなら場所でしかない• 経済活動って、本質的にゼロサムなんじゃない• 誰かががんばって資産を形成するたびに、どこかで誰かがその分だけ貧弱化している。 代償行為• 人間は変わります• 定点観測点• 「宝島」に出発する人間と、港で見送る人間• 人外魔境• 「どこにも出発しない人間」たちの社会を「冷たい社会」と名づけた(レヴィー=ストロース)• 野生の思考• マルクスって「勉強する」ものじゃなくて、「思考に活気を与える」もの(レヴィー=ストロース)• 知的なtour de force(力業)• 「計量できる」とはどういうことか• 机上の思想は、一歩表にでると「ボロ負け」の思想• 街頭でも、「そこそこ使い物になる」ような思想• 学校という場所の本来の機能は、「家庭という想像界」と「市場社会という象徴界」のあいだを架橋する「中途半端な場所」• 対旋律• 美は乱調にあり• インプロゼーショナル(即興的)• 快刀乱麻を断つといった風情• 「髭を剃りなさい。 男の本質はマザーシップだよ」(太宰治から吉本隆明への言)• 「無学の人」• アメリカ文化の特色は、きわだって「父性的」な社会であって、「マザーシップ」の価値が非常に低くしか評価されていない• 「マザーシップ」=「母船」• 「母性」=「マザーフッド」• ホスピタリティ(飢えている人に自分の口にあるパンを与え、渇いている人に自分がのみかけている水を与えること)• 底知れぬ「マザーシップの人」(男性的な哲学を語るレヴィナス老師と秋霜烈日のすさまじさを発する多田先生)• 90年代以降のハリウッド映画のヒーロー(「眉をひそめ、口をへの字にまげ、烈火のごとく怒り、ドアをばたんと閉め、 電話をがちゃんと切り、男をはり倒す」というふるまいを「自己表現」の仕方とする)• 「ゲイ」と「じいや」(アメリカでのマザーシップの担い手)• アメリカでは、「美術関係」と「現代詩関係」者はまず例外なく「ゲイ」だということになっている• 劣等男子• グローバリズムが「アメリカによるアメリカの否定」だと思うのは、アメリカの魅力は徹底的なローカリズムであったはずだから• 管見の及ぶかぎり• IT成金やVCの跋扈するメロンパーク• 欣喜雀躍• 久闊を叙した• 秩序紊乱• 困惑と逡巡• 多様性に対する不寛容、増殖する異教徒に対する不寛容の前景化• 「ルイジアナ」(ルイ14世に由来)• 南部に多い「なんとかヴィル」(フランス語のville(街))• 「ハリー・サナダ」「デューク・サナダ」「ヘンリー・サナダ」(真田広之のハリウッド名)• アメリカの上下院議員の14%しかパスポートを持っていない• 「外国になんか行かない」=(米国の)政治家としての見識の高さ• アメリカ諸国連合(アメリカ「合衆国(合州国)」は、誤訳)• 学齢期• ステートごとに法律が違い、ステートごとに軍隊を持つ• 「テキサス国軍」• 「掟破り」、「怖いもの知らず」、「われらが範とすべき偉大なる悪童の先輩」=養老毅• 成功体験• 読売ジャイアンツが「常勝」というオブリゲーションを背負い、 人事、戦略、戦術のすべてがこの「常識」というオブリゲーションに呪縛されている• 仰木監督「ゲームってのは、勝ったり負けたり、負けたり勝ったり、勝ったり、勝ったり、勝ったり、負けたり、負けたりでいいんだよ」• 仰木は、選手たちを勝ち負けという桎梏から開放し、居つかず、こだわらず、白球に向かう、という身体性に立ち戻ろうとした• あえて脱線• 人間は死ぬから「生きる」ということの意味やありがたみや愉悦がわかるわけです。 人間が人間であるのは、人間の世界の「外側」を「知らない」からであり、「知らない」ということを「知っている」限りにおいてです。 現代の日本も、アメリカも、けっこう「病んでいる」• アメリカン・グローバリズムに代表される「無時間モデル」の病症• 「資格志向」• 若い人たちがこういうデジタルに表示された資格や成績にこだわる最大の理由は、 「人事考課が機能しなくなっている」せいではないでしょうか• 暗黙の合意ができている場合は、学歴やら資格やら点数やらはもとより不要のものです• 誰にでもわかる「数値」を人間的価値の指標に取ることは推奨される時代というのは、人間の「中身」についての判定(それは久しく、 「その場にいる全員にとっての暗黙の了解」でした)が怪しくなってきた時代だということ• これまで、人間についての判断の根拠になってきたのは、「データ」ではなく、むしろ「逸話」です。 善意の大量発生、異常発生は、人が生きてゆくために必要な基本的な汚れ、弱さ、悪意といったものを破壊してしまう可能性がある• 「アメリカ人のように流暢な英語」と「小学生のような作文」• 「戦略思考」と「ゴール思考」というふたつの合理的、機械的な考え方が一種の思考停止であることを解き明かそうとする• 耕さない田んぼが環境を変える• 不耕起栽培(稲を野生化させて栽培する技術)• 冬季湛水• コンテンツ重視• 夏目漱石「『方丈記』の英訳」• 「理解」より「恭順」• 「理解」に先立つ「諾」の返答• 最先端のビジネスロジックと血液型信仰はじつは双生児• かれら(オタク)にとっての価値、つまり差異は、イデオロギーや階級や貧富といった誰の目にもわかるような大きな差異ではなく、 非常に微細な差異を見分けること• 寸毫も信じる気持ちはない• ビジネスとは、まずビジネスモデルという仮説をたてて、それを検証してゆくことがビジネス遂行の意味というやつですね。 欲望を充実させるためにお金があるのではありませんよね。 お金が欲望を喚起するというのが本当のところだろうと思います。 かくて、お金のためだけに働くひとが職場に蔓延することになります。 「よく分からない」というエージングプロセス(成熟過程)を許さない時代• 太古の問い• 人間の知性だけが持つ「何だか分からないもの」というカテゴリーを当の人間たちが廃棄しようとしている• これは、要するに「私はサルになりたい」と言っているのと同じじゃないか• 日本人の「常識」に登録された• 「こころ優しい日本人」• 自己責任論• 「エリートは偉い」という通俗的な価値観• 女性が「男性化」し、パワーエリートとして社会的なリソースを独占することを勧奨することのどこがすばらしい社会理論なのか、 ぼくには実はさっぱり腑に落ちないのです。 権力とか威信とか名誉とか、そんなものにいかほどの価値があるんでしょう• ぼくが誇れるのはほぼ唯一の社会的リソースは「誰に向かっても、好きなだけ悪口を言う自由」ですけれど、 それを多くの男性は所有していません。 ボーヴォワールは、この社会のすべて価値あるものには「男性性の印が刻印されている」と言い切りました。 ぼくはこれが現代フェミニズムの「最初のボタンの掛け違い」じゃないかと思っています。 女性には女性固有の「対抗文化」があり、それがこのばかばかしい男性中心主義社会のなかで人間たちが傷つき壊れてゆくのをなんとか 防止する人類学的に重要な役割を果たしているとぼくは考えています。 どんな組織においても、その組織の中で能力を認められ、出世を果たした人間は、その組織が「正しく機能していない」と言い切ることには 抵抗を覚えるはずです。 「私を入会させるようなクラブには入りたくない」と言い切ったのはグルーチョ・マルクスですが、 こんなことを言えるのはグルーチョだけです。 ふつうの人は「私を入会させるクラブこそが入るに値するクラブだ」というふうに考えてしまうものです。 「お母さん」的なエートス• 性役割が「内面化する」• 学界的サクセスの欲望• 「おじいちゃん」化しちゃった女性• 「女性がみんな男性化しちゃった社会」なんか、ぼくには少しも愉しいものには思えません。 グローバリゼーションは、多様な文化、多様な価値観の一元化の流れのこと• 傍目八目• ワーディング(言葉づかい)• コミュニケーテュイブ(交話的)よりコンペティティブ(敵対的)• 「戦略なしで挑んでいては損をする、ババをつかむ、馬鹿をみる」という信憑がいつのまにかこの国の人々の精神の中に棲み付いた。 戦略なんていらないよというビジネス論をぼくは寡聞にして知らない• バランスシート• アセット(信用)• インビジブルアセット(見えない資産)• いみじくも• 懇願、誇示、恫喝、詐術、呪詛、卑下、交換• 虫の好かないやつだけれど、筆は立つ• 採算不芳部門• 諧謔性• たたかう優雅な野蛮人• 寿ぎたくなる• 武道に通じたご両人• 武道というものは、「一瞬」の激しさにおいて詩に通じる。 読後感:今期、一番時間をかけて読んだ本です(ちょろちょろ読んでは、ひと休み。 またぞろ読んではひと休み、みたいにひと月ほど)。 非常に味わい深い本でした。 このような本を発見できたことは、実に実にうれしい限りでございます。 また、近いうちに(今度の夏休みあたりにもう一度、)読み返してみようと思います。 余剰次元• パッセージ(経路)• 準結晶(高次元の結晶構造の射影)• モデル構築(コンセプトとアイデア)• クラインの説(余剰次元は円状に巻かれている)• トーラス• 逆二乗則と重力• マルチバース(多重宇宙)• 慣性質量と重力質量の等価原理• パリティ対称性(空間反転対称性、p対称性)• 「ひも理論」のプリンストン大と「モデル構築(素粒子理論)」のハーバード大• M理論• Dブレーン(D=数学者ぺーター・ディクレルにちなむ)• ADDモデル(アルカニ=ハメド、ディモポーロス、デゥヴァリ)• 大きさが(ほぼ)1ミリメートルもある次元• 1mmに巻き上げられた円筒世界)• ADDが論文を書いた1998年には、ニュートンの逆二乗則がおよそ1ミリメートルの距離までしか検証されていなかった。 つまり、実際に余剰次元に1ミリメートル近くの大きさがあったとしても、誰もその証拠を見つけることはなかったろう。 1998年に時点では、1ミリメートルより短い距離で重力について何かを知ることは不可能だったわけだ。 階層性問題 読後感:「1ミリメートル以下の距離で万有引力の逆二乗則が成り立つかどうか、分からない」っていうのは衝撃的なくだりでした。 そしてまた、「いまだに誰もそれを測定できていない」というのも、僕にとってひときわ新鮮な事実の発見でした。 「そんなん、まじかよ」、みたいな。 「AFMの動作原理を全く知らなくたって、その測定なら誰でも行える」というコンビーニエントな今の時代でも、ですよ?!・・・。 AFM法や光干渉法などを用いて、微小ギャップ間の万有引力を測れないものでしょうか?、うーむ。 門外漢なので真価は分かりませんが、ADDモデルの行く末、何だかおもしろそうだ。 「オランダ共和国」と「スペイン領ネーデルランド」• コーへン(ユダヤ教司祭)• 隠しインキ• カネパリウス『インキについて』• 秘文字• 州数学監(ケプラー)• 地政学• 知遇を得る• 薔薇十字団(ローゼンクロイツ)• 肯じない(がえんじない)• 閲する• 経世の理 読後感:神聖ローマ帝国、ハプスブルク家、ユダヤ資本家の勃興、興亡を描いた近世西洋史の大作でした。 コーヘン家が実在したユダヤ資本家かどうか、浅学の私は存じておりませんが、 アムステルダムやロンドン、ドイツ各都市等での金融(銀行)、証券取引(所)の形成に深く関わった一族なら、 赤い盾一族ことロスチャイルド家が、まず真っ先に頭に浮かびます(あるいは、ロスチャイルド家をモデルにしたのかな)。 経済においても、学術においても、エンターテインメントにおいても、 世界各地に、いかなる時代にも、かくも卓抜した人材をひとつの民族が輩出し続けるられるのか、 これもまた不思議であり、歴史ロマンを感じずにはおれません。 以前、インターシティのコンパートメントでたまたま同席したドイツ人夫妻と車内の会話がはずみ、 終着のハンブルグでホテルを探してもらったり、ブラームス・ケラー(ハンブルグ大学の横手にあったかな)で、 食事をご馳走してもらったりしたことがありました(確か、奥方がハンブルク大学で心理学を学ばれた心理学療法士で、 ご主人の方が手作り家具職人の方でした)。 ご両人ともユダヤ系の方で、さまざまな歴史的なお話をお聞かせ下さり、 またハンブルグのシナゴーグ跡(第二次大戦時に焼失)を案内して頂いたりしました。 杉原千畝の功績から、 一般のユダヤ系の方々が、日本人に対して非常に好感を抱いて下さっていることを、 このとき身をもって体験することができ、非常にうれしかったことを覚えています。 鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン• シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)• ゲーテの描いた「色彩環」• 自分に命令しないものは、いつになっても、しもべにとどまる(『穏和なクセーニエ』より)• 自負しすぎない者は、自分で思っている以上の人間である(『格言と反省』より)• 井の中の蛙、大海を知らず• 豊かさは節度の中にだけある(「クリストフ・カイザーに宛てた手紙」より)• 不可能を欲する人間を私は愛する(『ファウスト』より)• 天才が天才としてなすことはすべて無意識になされる(「フリードリヒ・シラーに宛てた手紙」より)• 人間の過ちこそ人間をほんとうに愛すべきものにする(『格言と反省』より)• 重要なことはどこまでも、見知らぬもの、見知らぬ人に心をふれてみることだ(「アウグスト・フォン・ゲーテに宛てた手紙」より)• 同じ場所に三日以上は留まらない(『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』より)• 経験とは、人が経験することを望まないことを経験することにほかならない(『詩と真実』より)• ゲーテはどんな書物も学問の権威もまず疑ってかかり、知識を丸呑みすることはありませんでした• 「生きること」それ自体が何よりも美しい真実• 数人の人たちがそれぞれ満足している場合には、彼らが思い違いをしているのは間違いない(『格言と反省』より)• 人間を愛すべき存在にしているのは、その過ちや迷いである(『格言と反省』より)• 美しいものは、世界のなかで孤立していることがあるものだ(『格言と反省』より)• 無知な正直者が、しばしば、たくみなペテン師の悪事を見抜く(『格言と反省』より)• 自然のどんなに重大で顕著な現象でも、そこに立ち止まってはならない。 それに執着してそれだけを眺めるのではなく、 自然全体を見回して、似たものや親近性のあるものがどこにあるかを問わなければならない。 (『色彩論』より)• あらゆる技術をいかすのは最終的には精神だけだ(『色彩論』より)• 日々は迷いと失敗の連続だが、時間を積み重ねることが成果と成功をもらたす(『格言と反省』より)• 石の上にも三年(大きな目標は、そう簡単に達成できるものではない)• さしあたり必要なものが豊富にある地方では、今日あったものは明日もあるだろうとのんきに構え、のんびりと苦労もなくなっていけるような、 幸福な性格の人間を作る(『イタリア紀行』より)• 私たちに対して反論がなされるとき、その声の強さに圧倒されることを恐れる必要はない(『格言と反省』より)• 大声でものを言う人は中身が小さいのです• 世紀は進むが、人間は初めからやり直さなければならない(『格言と反省』より)• 外国語を知らない者は、自分の国の言葉についても何も知らない(『格言と反省』より)• 愚かな者も賢い者もどちらも害にはならない。 半分ばかな者と半分賢い者がもっとも危険である。 (『親和力』より)• 自分自身の心を支配できないものにかぎって、他人の意志を支配したがるものだ(『ファウスト』より)• すぐれた人格を感じ取り、それを尊敬するためには、自分自身もまた、それなりの者でなければならない(『ゲーテとの対話』より) 読後感:ゲーテ先生は、愛すべきお茶目な人だったみたい。 完璧すぎず、堅物すぎず、されど「完全」となることを果敢に目指す、みたいな。 「カンペキー」なんて思った瞬間に、「はい、君は打ち止め」、みたいな。 ご用心、ご用心。 ニュートンの「時計仕掛けの宇宙」• パラダイムシフト• シュレーディンガーの哲学的論考• 経験批判論• マッハの哲学体系• 一部が水中に入っている鉛筆を考えてみよう。 折れているように見えるが、本当は真っ直ぐであることは、触ってみれば検証できる。 マッハはそうではないと言う。 水中の鉛筆と水から出ている鉛筆は、二つの異なる事実である。 水中の鉛筆は、見た目の事実に関する限り本当に折れ 曲がっているのであって、水中の鉛筆についてはそれがすべてである。 アインシュタイン「理論が、われわれが何を観測できるか決める!」• 彼(アインシュタイン)は、われわれの知覚している世界、現象化界がほとんどわれわれの心の産物であるという、 カントの発見を理解していた。 実在論と局所性が結びついた「局所実在論」• 機械論的な世界像• ボーアの相補性• 重い物体がゆっくり動いている場合、その「運動量」は軽い物体が速く動いている場合と等しいことがありうる• 観測過程にある量子系と孤立した量子系の関係• 存在論的観点(在ることに関わる)と認識論的観点(知ることに関わる)の違い• 存在論的解釈では、「この電子は正確な位置と正確な運動量を同時にはもたない」となる。 一方、認識論的解釈では、 「電子の位置と運動量の同時的な値を知ることはできない」ということになる。 「量子領域と日常世界の境界領域」、「量子系」か「通常物体」か• もの性• シュレーディンガーが挙げた成果は、ニ、三週間にわたり極度の集中力を維持できるという能力の賜物だった。 量子物理では、観測は創造的なのである。 ハイゼンベルグ「科学の根は会話にある」• アインシュタインを典型とする別のタイプ、孤高の物理学者もいる。 この独立独行タイプの人は、創造活動する時間の多くを 言葉から遠ざかり、思考の深みへと進んでいくことに費やしているようだ。 その本質は非言語的世界であって、 言葉はその創造過程を構成する要素になっていない。 言葉が使われるのは、非言語的思考の成果を表現し、伝達するときだけである。 ポール・ディラックは、そうした孤高の人であった。 ディラック方程式とスピノル• 内なる声が私に、これ(量子力学)は本当のヤコブではないと告げる。 (アインシュタイン)• 知的討論• 思想の深さ• ボーアとアインシュタインの論争の研究には、もう一つの特徴があった。 すなわち、知的論争につきものの、あのエゴがぶつかり合って感情が むき出しになる見苦しい光景を我慢しなくてすむのである。 リアリティーの要素(アインシュタイン)• EPRの思考実験(アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼン)• レオナルド・フィボナッチ(1202年にヨーロッパに十進表記法を持ち込む)• 隠れた変数の理論(フォン・ノイマン、デイヴィッド・ボーム)• 「ベルの定理」、「ベルの不等式」• 対立カップル症候群(あらゆる機会を捉えて相手の言うことを否定せずにはいられなくなっている状態)• 選好性• GHZの実験(グリーンバーガー、ホーン、ジーリンガー)• 量子状態の収縮• カバー・ストーリー• イメージが創られる脳の部位つまり視覚野を研究する神経学者たちは、感覚刺激から脳のこの部位にやってくるのは 情報のだいたい半分でしかないことを発見したのよ。 後の半分は脳の他の部位からやってくるんだって!• 客体化のプロセス• 視覚的イメージの私的世界• 「われわれは認識の主体を、われわれが理解したいと切に願っている自然という領域から排除します」(シュレーディンガー)• 客体の構築と自己の排除• 心身問題• 量子素事象• 量子観測は潜勢態から現実態への移行を引き起こす。 孤立した電子は「可能性の場」である• プラトン『ティマイオス』• 永遠的秩序と時間的秩序の関係、プラトンの「英知界」、イデアの世界における秩序• 不変的存在の世界、生成消滅の世界• 円環の創造• 収縮とは潜勢態から現実態への転移• アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド『プロセス哲学』• 英知の形相、バカの形相• 四次元連続体• ソクラテスがなったという「放心」• 一日中推論的論証を続ける、もっと「放心したようになる」• ときどきボーアはまるで阿呆みたいになって、そこに坐っていた。 彼の表情が消え、四肢はだらりと垂れ下がり、 この男の眼に何か映っているかさえ怪しいだろう。 こいつは阿呆に違いないと思うだろう。 生命のかけらも見当たらない。 ところが突然、 彼の中に輝きが立ち上り、それが火花を放つと、彼はこう言うのだった。 「よし、わかったぞ」• なぜ、収縮は起こるのか?• 自然が選択する• プロティノスの「自然は観想する」• 収縮のない世界に住んだらどういうことになるだろうか?• 収縮の目的は、(宇宙を)単純化することにある• ディラック・コスモロジー:Q「収縮はどのように起こるのでしょう?」、P. 「自然が選択するのです」、 Q「自然はいつ選択するんでしょう?」、P. 「干渉の可能性がもはや存在しないときでしょうね」• コヒーレントな干渉を不可能にするほどの複雑さを生じさせる過程(デコヒーレンスに導く過程)• (シュレーディンガーの)客体化原理の適用限界• 収縮は量子力学の定式化の一部としては解明されていない。 なぜなら、自然は本質的に客体化しえないものなのだから• 記号的(シンボリック)知識と親密的(インティメント)知識• 「原始的」で「未開」な伝統• アインシュタインの六年生からの宗教に関する質問に答える手紙「科学の研究に真剣に取り組んでいる人々はみな、霊が宇宙の法則の内に 現れていることを確信するようになります。 この霊は人間の霊をはるかに越えているために、それに直面すると自分たちの力はちっぽけなものに感じざるを えなくなるのです」• 決定されているのは、現実的事実に対する確率の分布• 収縮が持ち込む不連続性• ヌーメナル(真の存在)• 我有化(把捉、プリヘンション)• デカルトの二分法• 階層化されたリアリティー• 何十億の銀河、銀河の中の何十億の恒星、その中の太陽、太陽系の中の地球、地球上の人間。 宇宙の中の人間の地位は、ほとんどとるに足らないものである。 (逆に、)ひじょうに小さな腺が人を生かしたり殺したりする。 また一つのウィルスが死をもたらしたり、 快方に向かわせたりすることができる。 一般的に言って、一人の個人のような比較的小さな存在が、社会や文明や惑星といった大きな存在に対して影響を与えることができる というのは、意識という存在があってのことなのである。 ターナー講演• 自我(エゴ)を自己(セルフ)と混同する• シラー「全体性のみが明晰へと導き 真理は深淵にとどまる」• 相補性の枠組みは、量子系への単一の記述を適用することの不可能性の発見である• 「ダーウィンの航海で出会ったフエゴ人は、小さなボートには驚いたのだが、 大きな船のほうは『どうということのないこと』とされた」という• 大統一理論• 多世界解釈• 波動とは、微細な「量子力」の作用によって粒子を導く「きょう導波(パイロット・ウェーブ)の一種であり、 その微細な力は「量子ポテンシャル」によって生じるのである(D・ボーム)• 局所性の破れ(光速度を越える)• GRWのアプローチ(ジラルディ、リミニ、ウェーバー) 読後感:量子力学もここまでくると、浅学の僕にはもはやそれは哲学の領域に思えてしまうほどに。 「波動関数の収縮はなぜ起こるのか」、またそれは「どのように定式化されるのか」、未開拓で魅惑的な研究領域は数あれど、 理論に向かない自分の鈍ら頭と日々のぐだぐだなお仕事は、それにかかずらうのを許さず、か。 こんな研究を日々の生業とし、またそれに「放心」することを許される人が、 この世界のどこかにいらしゃるのだとしたら、それは真にうらやましい限りです。 刀は武士の魂• 鎌倉時代の「兵の道」と江戸時代の「武士道」• 「夫兵法という事、武家の法なり」(五輪書)• 今の若士共は出会の咄、金銀の噂、損得や家計困窮、衣装、色欲の雑談ばかり、と嘆いている(『葉隠』)• 「勇」、「忠孝」、「質素」、「礼儀」、「清廉」、「忍耐」• 『米百俵』• 刀は伊達にささぬ• おんたましひ研所• 直刀と唐太刀• 『天逆鉾』• 『栄花物語』• 懐剣、隠剣• 『吾妻鏡』• 弓矢は京にて捌かせ、刀剣は本阿弥に究めさせ、馬は馬喰の言に任せ、甲冑は奈良岩井家に仕立てさせる事• 可然物(しかるべきもの)• 刀剣極め所(本阿弥二百七十石)• 阿弥衆• 蒔絵の幸阿弥、金工の正阿弥、申楽・田楽・能楽の喜阿弥、世阿弥、能阿弥、観阿弥• 金象嵌• 阿弥=時宗系の僧形の人• 本阿弥の元祖妙本は菅原姓で、松田名で相州鎌倉に住む• 刀剣の研磨「麁研麿一日。 焼ならびに中麿一日。 精麿一日。 (火火宝)一日。 「寝刃を合す」、「寝刃を引く」(切れ味の鈍った刀剣を研磨して鋭利にすること)• 「梅花を付けたるごとく」(刃文、鍛え肌の美しさ)• 「春のゆきのやうにかすみのかかりたるごとく」(地刃の境)• 蕨手刀、立鼓刀(蝦夷と呼ばれた人々の用いた刀)• 「断つ」から「切る」へ• 「古備前正恒」• 「備前国友成造」• 受領名• 「左衛門尉」「右兵衛尉」• 「正宗」(相州鎌倉、破天荒で魅力ある作風をもつ)• 「正宗抹殺論」(明治時代)• 「沸の美」「川のせせらぎの煌めき」「天空の星の輝き」• 天才の作は「一代限り」• 没骨法の表現法、曜変、油滴など天目茶碗の美、正宗の沸のはげしい作風• 北条時頼より、初め重光の名を賜った• 頓悟(修行の段階を経ずに一挙に悟りを開く)、漸悟(順序を追って修行し、悟りを開く)(禅の言葉)• 「雪のむらぎえ」「耳形刃の特色」• 松皮肌、板目肌• 藤原氏を藤、菅原氏を管、清原氏を清(清少納言)• 北国物• 刀鍛治とは別だった槍鍛治、野鍛治(鉈、鎌)、大工鍛治• 刀(tau、カタナ=片刃、偏刃から転ずる)• 剣(両刃)• 塚原ト伝、上泉伊勢守、伊藤一刀斎、柳生石舟斎• 刀狩り• 三所物(小柄、笄、目貫)• 鶺鴒差し、掴み差し、突っ込み差し、落とし差し、閂差し、からめ差し(戦さの時)• 長曽祢虎徹入道興里• 「よく斬れる刀」、「業物である」• 名刀の条件「折れず、曲がらず、よく切れる」• 「奈良刀」「奈良物」=「安物の鈍刀」• たたら製鉄• 本居宣長「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花」 読後感:購入後、積読していたのを忘れていて、二冊買ってしまった(また、やってしまった)。 惹かれてしまう本には、やはり何かの縁があるものだ。 「そこから産み出された鉄の純度は、近代西洋製鉄をはるかに凌ぐものであった」、 と以前放映されたNHKのスペシャル番組で観たことがある。 当然、たたらの鉄で鍛えられた日本刀の切れ味も人類史上最高の切れ味を誇る刃物であった(ある)、とのこと。 これもまた「縮み」文化を代表する日本の伝統工芸技術の一つです。 「工夫」、「改良」を重ねがさねる「踏襲」の上に、類まれなる「精緻」、「精巧」に至る。 「日本的」とは、まさに日本刀造りにみられること、そのものです。 この本を読んで、 永らく忘れかけていたけれど、 真綿みたいなもの(「たんぽ」っていうらしい。 つけてる白い粉は砥石の粉末らしい。 )でぽんぽんと刀の手入れを大伯父がしていたことを、 子どもの頃に見たのを思い出しました。 沸(にえ)の景色を、今度じっくりと拝ませてもらわなくては・・・。 持続可能性(サスティナビリティ)• サスティナビリティ学連携研究機構• サスティナビリティ学(地球維持学)• 内田ゴシック• 多くの学生たちは教授を「専門バカ」と決めつけていた。 「専門バカ」とは、自分の専門分野のことしか知らず、 他の学問や世の中のことには無知な大学教員を揶揄する言葉であった。 巡検(フィールド実習)• 鈴木秀夫『森林の思考・砂漠の思考』(循環的な森林の思考は仏教に、直線的な砂漠の志向はキリスト教に。 仏教の「輪廻」とキリスト教の「終末」)• 論理の飛躍が大きすぎて非科学的だと厳しく批判された。 しかし、先生は、こうした批判にはまったく臆することなく、泰然自若としていた。 上総アカデミアパーク• 学際研究事始め• ヤマトンチュー(本土人)• パイロットスタディ• ストックホルム大学は、地球温暖化研究の元祖ともいうべき、スヴェンテ・A・アレニウス(1859-1927)が教鞭をとっていた大学である。 驚くべきことに、彼の予想値はスーパーコンピュータを用いた最先端の地球温暖化予測と非常に近い。 地球シミュレータ• ほぼ確実(very likely)• 人為起源である確率が90%以上• フォアキャスト、バックキャスト• 私たちはすっかりそのころ(=オイルショック)の教訓を忘れてしまっている。 スカベンジャー(ごみあさりをする人)• 循環経済に基づく和諧社会づくり• 同床異夢• 医食同源、心身一如• 『Sustainability Science』 Springer 読後感:『熱力学』の教科書の活性化エネルギーの項目のところで必ず出てくるアレニウスが、 100年近くも前に、既に今日の地球温暖化を予測していたとは、卓見無比でございます。 シュレーディンガーもまた『生命とは何か』でDNAの存在を予見していたし、 優れた科学者のポテンシャルは、自然を熟知しているがゆえに、計り知れず。 翻って現代の万能科学者や、いずこに。 利が利を生むことをもって至上とする• 「今日のシステムの犠牲者は、第三世界の人びとと自然に他ならなりません。 このシステムが自ら機能するために、 今後もそれらの人びとと自然は容赦なく搾取されつづけるでしょう」(NHK番組『エンデの遺言』)• 世界市場化(グローバライゼーション)• 資本移動のモニタリング(監視)• ディスクロージャー(情報開示)• マッド・マネー• 「パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つのまったく異なった種類のお金である」 (エンデの言葉)• 共生セクター、競争セクター• その日がくるまで他人事• 高度失業化社会• ジョブレス・マジョリティ(職なき多数派)• 労働の「吸収圧力」、その反対に、強い「排斥圧力」• 「人間をムダにする」社会• ハッピー・バランス(幸せな予定調和)• 「人間排除の経済」から「人間復興の経済」へ• 働くものは強し 蓄えるものは なお強し• 人間、働くことが値打ちやないか• 「なぜ城山さんの作品の主人公は男ばかりなのですか」、「女性はまあ大河の流れのようなものです。 存在それ自体が救済です。 あえて私が慰めなくても。 が、男は・・・、まあいってみればその流れに浮きつ沈みつしながら流されていく木の葉のようなものですから、ねぇ」• それほどに男は悲しい存在なのだ• 周章狼狽• 「虚の経済」、「実の経済」• 淵源はいっそう迂遠なところに• グローバル節• 彼我の違い• 会社を潰しても人間は潰れない社会• 人間はもはや搾取の対象でさえなくなった。 いまや人間は排除の対象になった。 天空回廊• 跳梁跋扈• 時代遅れの守旧派• 既得権益にしがみつく愚者• 一辺倒論• 自己責任、事後チェック• 低位平準化• 水は「ゴールド・ウォーター(黄金の水)」と呼ばれる• 定昇圧縮• 神は細部に宿りたまう• ウィーナー・テークス・オール(一人勝ち世界)• プライバタイゼーション(私化、私物化)• プライベート・オートノミー(個人主義)• 官の無責任・民の狡猾• 高木仁三郎(市民科学者)• 細緻な後付けの論理構築• 真理追究と大衆認知• ポリシー・インテレクチュアル(政治知性)• 自覚的市民• ステークスホルダー(利害関係の当事者)• マネタリー・ディシプリン(金融節度)• 決定権、実行権• 節度ある競争• 大学の果たすべき使命は明らかであります。 学問研究の自由を主張し、守るのとまったく同じ地平において、大学は地域自治の先頭に立ち、 そのためにも自覚市民を育て、支援の担い手となること。 そのように期待されているのではないでしょうか。 懐柔策、表面的意見聴取、情報提供、形式だけの参加• この指とまれ• 猖獗を極める• 量産効果追求• 積年の弊• 撃ちてし已まん• 市場競争原理至上主義• 参加、連帯、協同、営為、生業• 熱狂的等質化現象• 公私截然• 逆さ絵• 『匠の時代』• 北欧の社会では「すべての国民は等しくネットの恩恵に浴す。 それが国民の権利」• 技術の社会化• 「リナックス」(フィンランド)に象徴される北欧型技術の系譜• リナックスは技術の独占ではなく開放によって、世界の誰でも参加し、互いに知恵を出し合って技術のブラッシュ・アップ(磨き上げ)に貢献できる• グリーン調達• 線形思考からシステム構築へ• 蘇れ匠の時代• 既得権益への固執• すさんだ社会の様相• 節度、秩序、社会的貢献、制度• 節度(ディシプリン)、規範(ノルム)• 節度なき自由• 多数決独裁• 何でもあり 読後感:「資本移動のモニタリング(監視)」こそ、グーグル的な新しいビジネス・パターンではないでしょうか。 バージョンアップで利ざやを得ていたマイクロソフトのビジネス・パターンは、今ではなんとなく古い感じがします。 そんなグーグルもマイクロソフトも「グローバリズム」に根ざした典型的な米国型企業経営に変わりなく、 北欧の生んだリナックスにみるような「オープン・ソース」的なビジネス志向(かつてのUNIXS文化のような)とは対極をなしている。 いずれは、どちらかに軍配があがるのかな?・・・。 地球温暖化対策やビジネス・パターンなどなど、欧州と米国のふるまい方はあらゆる意味で対極的である。 由良君美(東京大学名誉教授(教養学部)、英文学者)• 西洋人が長い間、高貴な未開人というロマンティックな考えに捕らわれていた• 赤塚不二夫の試験問題(赤塚不二夫の漫画がコピーされていて、この漫画のどこがどう面白いかを分析せよとだけ、簡潔に記載されていた)• 漫画学会の設立、サブカルチャー研究の市民権• 記号学を駆使した『漫画原論』• 先天知の系譜• タブラ・ラサ(無地の白紙のような人間の心)• 対応交渉• 小林秀雄は脈絡のない感想を特権的な場所から述べ立てている文壇人、吉本隆明は出鱈目な理論を好き勝手に援用している野人• 由良君美は万巻の書物をすでに読み終わったファウストのよう• 若い頃はまず誰だってロシア文学に夢中になる。 次に来るのがフランス文学だ。 けれども一番最後になって、 その面白さがわかるのはイギリス文学だね。 通称イチケン(旧制第一高等学校以来の木造二階建ての研究棟)• 早稲田だったら日夏集耿之助、慶応は西脇順三郎• ひどく不愉快な体験• 東大中心主義• 大学院の二期校• 『雨月物語』にみる朝鮮民話• ソールズベリのストーンヘンジ• 柳宗悦• 学歴を見て知的な背景を簡単に辿れる人間ほどつまらぬ存在はない• 由良哲次(君美の父、西田幾多郎に教えを受けた哲学者)• 「君美(きんみ)」(新井白石の幼名)• 知的遍歴• 生れおちたら、僕のまわりには玩具もなく友もなく、ただただ本だらけだった。 たまたま父とすることになった男が、貧乏学者だったためで ある。 母も好学の人で、いつも暇さえあれば本を読んでいた• 成蹊中学• 「書豚」「書狼」「書痴」• 同臭の徒としてね、行きましょうや• 平岡公威(三島由紀夫)• 揶揄の口調で迎える• 不良ヒッピー外人の巣窟、言うならば好餌と化している• 本郷の文学部と駒場の教養学部の間には、長い間軽蔑と競争意識の入り混じった確執が横たわっていた• 駒場がもと第一高校であったことから、本郷には駒場を何かにつけて「高校あがりの癖して」と見下すところがあった• 駒場は戦後の新興勢力の強さから、つとめてリベラルで自由闊達な雰囲気を醸成しようとし、本郷の体質の古さを敬遠するところがあった。 本郷はそうした駒場を苗床のように見なし、優秀な語学教師を文学教師として引き抜いて、本郷のスタッフに招き入れることで応じた。 表象学科• 英語科(駒場)と英文科(本郷)• 高踏的過ぎて常軌を逸している• ある種の女子大生には、どこかで男性教師にむかい無意識のうちに媚態を示してしまう傾向がある。 大森荘蔵• その押し出しの貫禄と冷静な判断力• 東大のなかでどこか正統的な教養に不満を抱いていたり、専攻という狭い枠のなかに思考を閉じ込めることを肯じない学生• 他のどのゼミにも納まりきらないタイプの学生たちが、なにか動物的直感に基づくかのように集まって来る• 由良君美の学風• 船曳建夫『大学のエスノグラフィティ』• 狷介な性格で、かつ破壊的なところがあり、それがお坊ちゃん気質とない交ぜ• 談論風発• 由良先生の棲む、鬱蒼たる知識の森• 悪無限の円環• 全方位的に発展• 無常といふこと• 「ルビの美学」• 江戸人• 三重県立第三中学(伊賀上野高校、一級下に横光利一)• 竹林の賢人• 由良哲次『古琉球語で解明する邪馬台国と大和』• 『雑書主義者の弁』• 明治男• 莫迦げた国家論の小型寵児• 男の夢を教え続ける不良• 松の実を摺ったお粥• 由良君美と江藤淳が慶応の西脇ゼミの兄弟弟子の間柄(一方はひどく可愛がられ、もう一方は蛇蝎のごとく嫌われた)• 脱領域的知性• 文学には先生も弟子もいない。 ただ孤独であることだけが、文学の条件だ。 居心地の悪さ• 神話原型論• フォルマリズム• ニューアカデミズム• 「すべてはデタラメ」• ボローニャ大学では、それは中世以来の文化伝統として、当然のごとく受け入れられていた。 柳下去辞• 由良の脱領域ぶり、ダンディぶり、書物蒐集ぶり• 若い才能を触発する教育的才能• 死と再生の象徴法の隠喩的展開• 矢川澄子「ゆめをかたることは らくないとなみだろうか きびしさをかくごで みずからのみちをゆく よのうきしずみをよそに しぶとくしかもしなやかに」• 絹のように繊細な心をもった人間• 人はなぜ教師となるのか。 ある人間が他人を前にして、モノを教えたり、ある技術を授けたりするという行為とは、 いったい何なのか。 それはどのような形で正当化されうるものなのか。 原理的な問いかけ• いかなる人間も知的欲求から無縁でいることはできない。 未知の事物について学ぶことは愉しいし、学習を通して自分の世界が拡大されて ゆくことを確かめることは、さらに幸福なことである。 教師は当座に要求されている知識を切り売りするだけではなく、みずから知の範例を示すことを通して教育という行為を実践する• 彼らは師と呼ばれ弟子と呼ばれる• 弟子は長期にわたってそうした師の姿を眺めることを通し、容易に要約のできない体験をする。 自分ではまったく失念していた授業中の発言を、相手が記憶に留めていたりすることを教えられる• 山折哲雄『教えること、裏切られること』• 人間を守る読書• 川端康成『名人』• ミッシェル・フーコー「教えるという行為が本質的に、人間が織り成す政治関係のなかの実践であると指摘している。 師は弟子とは比較にならならほど心理的、社会的、物理的権力をもった存在として、まず弟子の前に立ちはだかる。 権力形態のひとつ• ソクラテスとアルキビアデス、アベラールとエロイーズ• 師弟関係(老子の道、孔子の道、禅の道)• 親鸞は弟子一人ももたずさふらふ• 正岡子規と高浜虚子、親鸞と道元• 不気味な厭人癖• 親鸞の単独相続の野心• 有漏の迷情• 多人得道の縁• フライブルク大学(ハイデッカーとフッサール)• 衆愚に陥る• Paus de Maitres(先生なんてもういらない)• 嫉妬、虚栄、虚偽、背信• 少壮の学者• 哲学的地平• メフィストフェレスの形象• 自己防衛に由来する韜晦術• ルキアノスの戯作対話編 読後感:由良君美が置かれた状況、情景、よくわかります。 駒場(教養)、本郷(専門)みたいな、大学の内なる二軸の存在。 で、師匠といえば、 工芸大に来るまでにこれまで僕が師事してきた師匠五名は、いずれ劣らず研究、科学に命を賭した猛者ばかりでした。 そして当時助教授だった先生も、教授だった先生も、みな偉い先生となった今も、現役バリバリの実験研究者ばかりです。 学会で、ドクターコースの時の指導教官の先生にお会いすると、いつも「いま夢中になっている実験」のお話を、 少年のような愉しげな面持ちで、お聞かせ下さります(なにせ、国立大学評議委員となられ多忙を極めた今でも、 正月休み中から自ら装置の火入れをして初実験を敢行されている、との話には脱帽するしかございません)。 こんな至らない僕を指導してくれた師匠たちのことを思うと、 いつまでも、こんなぐーたらな研究をしていては、罰が当たっちゃうなぁ・・・。 どうにか、しないとね! それと本書の中に書かれていたように、はるか昔に由良先生が東大で赤塚不二夫作品を題材として試験をされていたのは、びっくりしました。 実はちょうどここ半年ほど、『天才バカボン』を読みたい読みたいと思っていたので、 このこと知って誠にうれしい限りです(文庫版が見つからなくて、志は頓挫していますが・・・)。 先入観に囚われず、色眼鏡で(赤瀬川さんの表現を借りれば「ウロコのついた目」で)物ごとを見ない、とはどういうことか。 子どもの時にTVアニメを見ていても、まったく気づかなかった偉大なるヒントが、 きっとそこには描かれているはずだ。 早く、読んでみたい。 「システム思考」= 「目の前にある個別の要素ではなく、それぞれの要素とその「つながり」が持つシステムとして、その構造を理解することである」• 「システム思考」は、1950年代にMITで確立された• 常に不変であるものは、変化である• システム思考は五000年後も通用する• 人工物工学研究センター(東京大学柏キャンパス)• 日頃抱えている問題は、一つひとつの個別の状況や現象といった要素の中にあるのではなく、要素と要素の間や、 さまざまな要素の組み合わせの中にある• 「分析的思考」と「システム思考」• 人間はいつも考えている• あまり考えないのが実は「考える方法」についてである• 個別の要素に関心が向かう分析的思考の強い人• 全体のシステムを強く意識して行動している人• ひとつの視点から考えることは容易であるが、この世の中に存在しないものを作ろうとしたとき、または複雑な問題を解決しようとしたとき、 どのような種類の視点があり、視点をどのように組み合わせていったらよいのかを明らかにすることとは、思考方法が異なる• 一つひとつの要素を個別に見ていくか、それらの結びつきを総合的にみていくか• 視点が変われば見え方も変わる• そして、人間自身も変化している• 先入観が理解を妨げる• 時系列変化パターングラフ• ループ図• 因果応報• フィードバック・ループ• 「自己強化型ループ」と「バランス型ループ」• 「システム思考の知恵」=「人を責めない。 自分を責めない」、「人が悪いのではなく、構造に問題がある」• レバレッジ・ポイント(小さな力で大きく構造を変えられる介入点)• システム思考で考える地球温暖化問題• 「おとなの社会」も「こどもの社会」も、やばいですぞ。 また、仕事の上でも、 欧米人のように一事一事についてロジカルに詰めて議論しながら進めることに適さない(または慣れていない、あるいは苦手な)日本では、 ロジックの代わりとして一定の成果やミスを防ぐために叱る/叱られる関係に基づいたテンションの存在が、至るところにあったような気がします (宮大工をはじめ世界に冠たる日本の職人技・芸の仕事ぶり(かつての徒弟制度も含め)を思えば、至極当然のことでしょ)。 そんな日本で「ちゃんづけ」仕事をしていては、いい意味でのテンションすら保てないでしょうなぁ・・・ (アメリカ人の場合は、はじめにロジックありきのコミュニケーションなので、映画やドラマのように上司と部下がファースト・ネームで呼びあっても、 十分に仕事は成立するのですよ)。 「目の前のことに一生懸命になれない奴に、夢を語る資格はない」:桑原(佐々木蔵之介)のお説教シーン• 「伴くん、愛だよ、愛」:与那嶺(北村一輝) の接客コメント 読後感:「原作をまだ読んでいない僕に『バンビーノ』を語る資格はない」のですが、いいドラマでした。 役者さんたちも、いい仕事をしてました。 心に突き刺さるなぁ、上のセルフ。 一生懸命(DTB)は、むつかしいですよ。 周りに向けてがんばっているふりをしていても、それもある種のDTB。 有形の見返りを期待した外向きのDTBもあって、無形の価値のためにする内向きのDTBもある。 どちらのDTBの姿勢が正しいのか、本当なのか、僕にはよく分からない(両方、正しいのでしょう)。 しかし、最近のアメリカン・ビジネス志向とそのグローバル化の猛威は、 日本古来の一所懸命の様相をも圧倒的多数で前者が占めるように影響を与えているような?、そんな気はしませんか。 「階層化均質性&安定性」、そしてちょっときつめの「自己合理性」、こんな言葉が頭をよぎります。 なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし(『枕草子』)• 『菊と刀』『「甘え」の構造』『タテ社会の人間関係』• 「甘え」「甘えん坊」「甘える」「甘やかす」• 日本人が西洋ばかりでなく、日本の文化にもっと長い年月にわたって影響を与えた中国や韓国を通じて、 自己の特性を発見しようとつとめた例は、そう多くはありません• 日本的思惟方式• 百済観音• ロラン・バルト『表徴の帝国』• 「リンカーン、カント」と「世宗大王、李退渓」• 「大丈夫」=「男」(韓国語)• 一寸法師、桃太郎、金太郎、牛若丸• 接頭語の比較(日本語の「豆」「ひな」と韓国語の「ワン」=キングサイズのキング)• 倭国、倭人• 縮み志向• 「菫ほどの小さき人に生まれたし」(夏目漱石)• 「うつくしや障子の穴の天の川」(一茶)• 「うつくし」と「くはし」• くは(麗)し女• 目ぐはし• くはし花• 小さくなれ、もっと小さくなれ• 「小さいものが強いものである」という「極小主義」• 日本人はそれを拾い上げるや、いち早くそれとそっくり同じものを作ってみるでしょう。 それもただの原寸大に作るのでなく、トランジスタ化 して、もっと精巧に縮小し、手のひらに入るように作るはずです。 「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」(石川啄木)• 「の」を重ねる不思議(「やまのてせん」、「きのくにや」など)• 高麗扇と日本扇• 「握りしめ文化」(「手ごたえ」、「手ごわい」、「手痛い」、「手にあまる」、「手に負えない」)• うつくしきもの、瓜にかきたるちごの顔。 雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。 二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひ来る道に、 いとちひさき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。 ・・・雛の調度。 蓮の浮葉のいとちひさきを、池よりとりあげたる。 葵のいとちひさき。 なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし。 (『枕草子』151)• 「どうも」文化• 日本式縮小語(イメチェン、イケメンなど)• 髪の作り方(前髪、両鬢、髱、髷、島田、桃割れ、勝山おぼこ、だるま返し)• 「侍の二刀(本刀と脇差し)」と「二膳(本膳と弁当)」• 「汁のない」日本食文化• 「詰められないもの」=つまらないもの• 和字(国字)と国訓(凪、俤、働、偲、躾)• 「利休ねずみ」(赤・緑・黄・青の混色)• わびの美学• 華厳思想、新羅元暁の円融会通• 文庫本• 豆本図書館(静岡、青森)• 「手ごろ、多軽主義」• ストップ・モーションの波「北斎・富嶽三十六景『神奈川沖波裏』」• 歌舞伎の「見栄」(ストップ・モーション効果)• 「構え」• 「米国では多くのバッターはフォームやスタイルなどは気にせず、いい結果を生むことだけを念頭に おくのに、日本では良き野球選手とは自分自身の身体の動きをいつも正しいフォームに合致させる者をいう」(ホワイティング『菊とバット』)• 刀の文化(「裏切り」、「切味」、「切身」、「切目」、「切盛」、「助太刀」、「真剣」、「東大生を斬る」)• ソンビ(文士)文化(韓国)• 「構え」とは剣術のすべての動きと精神をコンパクトに縮めた形•

次の