イキイキ 働く 障害 者。 イキイキ働く障害者

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イキイキ 働く 障害 者

この記事のPOINT!• 難病患者や重度障害者が遠隔操作する分身ロボットが、期間限定オープンの実験カフェでテスト運用された• 操作する「パイロット」がその場にいるかのように会話ができることに、訪れた多くの方から驚きの声が上がった• 2020年には、障害者がロボットを通じて働くカフェの常設化を目指しており、障害者雇用の新しい道を開く 取材:日本財団ジャーナル編集部 オリヒメディーは、ロボット開発を通して障害者を支援する企業、オリィ研究所が開発した、人と社会をつなげる身長120センチほどのロボット。 手足や舌、呼吸にかかわる筋肉が徐々に衰える難病ASL(筋萎縮性側索硬化症)や脊椎損傷など、さまざまな理由から外出が難しい難病患者や重度障害者のために開発されたものだ。 自宅のパソコンを通して遠隔操作することで、会話や物を運ぶといった身体労働をともなう業務に従事することを可能にする。 重度障害者らがパイロット(操縦者)を務めるオリヒメディーが接客する「分身ロボットカフェDAWN ver. 連日満席となったこのカフェで、編集部も接客されてみた。 ロボットを通じた個性あふれるおもてなし 東京・赤坂の日本財団ビルに店を構えた「分身ロボットカフェDAWN ver. オリィ研究所の吉藤健太郎さんの挨拶が終わると、オリヒメディーが拍手に迎えられながら3機入場した。 カフェに登場したオリヒメディー 「いらっしゃいませ」の声とともに、テーブルまでオーダーを取りに来てくれたオリヒメディー。 パイロットはオリヒメディーの眉間部分にあるカメラから接客相手の様子を見て接客する。 会話もスムーズで、「ふつう」のカフェで「ふつう」に店員が接客してくれているのと変わらない感覚だ。 メニューはコーヒーとオレンジジュース。 注文を紙に記入して、オリヒメディーの胸元に設置されたボードに挟めば、キッチンまでその紙を運んでくれる。 胸元にはパイロットの病名や趣味などプロフィールが記されている 運んで来てくれたドリンクを味わいながらパイロットとトークを楽しむ。 「働くのって大変だけど、たくさんのお客さまと出会えることで自分の世界が広がって、毎日が楽しい!」。 その言葉に、健常者にとって当たり前のことが障害者にとってはどれだけ価値のあることか、会話を楽しみつつも改めて考えさせられた。 遠隔操作とは思えないスムーズな接客で、会話も弾む テーブルに乗る小さな「OriHime(以下、オリヒメ)」も登場。 うれしそうにバンザイをする、照れたようにうつむいて顔を隠すなど、パイロットが会話に合わせて上手に操作しているため、とてもイキイキとして見える。 どのテーブルも会話が盛り上がり、店内は笑い声で溢れていた。 手のひらサイズのかわいいオリヒメ またカフェの隣のスペースでは、眼球の動きで操作を可能にする「OriHime eye(以下、オリヒメアイ)」の体験ブースも用意されていた。 パソコンに設置されているセンサーが視線をキャッチし、ポインターを表示させる仕組みだ。 たとえば「あ」と発音したければ液晶内の「あ」がある位置へ視線を動かし、見つめる。 すると、スピーカーから「あ」と発音される。 これにより、障害によって声が出せない場合でも会話が可能になるのだ。 応用すればオリヒメアイで絵を描くことも可能 障害者、健常者、引きこもり…誰もが平等に能力を活かすすべ パイロットを務める勝(かつ)なおこさんにインタビューさせていただいた。 勝さんは、2017年に脊髄炎を発祥し、足が動かせなくなったという。 オリヒメディーとの出会いや、分身ロボットに感じる可能性、障害者雇用に対する意見などを伺った。 SNSでオリィ研究所をフォローしたことでオリヒメディーのパイロットの募集を知り、応募したんです。 テレビ電話を使って受けた面接も無事に合格し、ここで働けることになりました。 実は私、足が動かなくなるまでずっと働いていたんです。 学生時代は飲食店やアパレルショップでアルバイトをしていましたし、大学卒業後は幼稚園教諭をしていたので、また人とかかわる仕事に携われることが本当に楽しみでした。 たとえばフランス語を話せる人は、分身ロボットを使えばフランスのレストランで働くことだってできるんです。 障害や住んでいる場所は関係なく、能力を活かすことができる。 働き方の多様性が、より高まりそうですよね。 障害者の中にもいろいろな能力のある人が大勢いるんです。 そこに耳を傾けてもらえたら、障害の有無にかかわらず有能な人材が企業にも集まるはず。 それから障害のある人が、若い頃から自分の持つ能力を伸ばせる場を増やしてほしいですね。 「社会に出て働く」ということを強く意識させてくれるようなスキルアップ講座や資格取得支援制度があれば、特別支援学校を出た後も自分の足で立つ強さが身につくと思うんです。 親友の声が力に。 生み出された次世代の希望、オリヒメディー 最後に、オリヒメディーの開発者である吉藤健太朗さんにお話を伺った。 吉藤さん(以下、敬称略):障害があった私の親友、番田雄太との会話がきっかけでした。 彼にはオリィ研究所で、小さなオリヒメを利用して、議事録の作成やスケジュール調整などの秘書業務をしてもらっていました。 だけど、お客さんの出迎えやお茶出しなど、できることがもっと増えればと思っていたんです。 そうしたら番田が、カフェで働きたいと言ったんですよ。 テレワーク(遠隔勤務)だと寝たきりの人が働いていることが社会に知ってもらえない。 でもカフェで接客していれば、多くの人に障害があっても働けることが世の中に示せるはずだから、と。 そうして今回の大きいオリヒメディーを開発し、テストオープンではありますがカフェを開くまでこぎ着けました。 分身ロボットを操縦することで、自分で自分の介護をすることも可能になるんです。 自分の面倒を自分で見る自由、そして誰かのために働く自由を、オリヒメディーなら叶えられるのではと考えています。 2017年9月、番田さんが亡くなった。 そのとき、吉藤さんはこのプロジェクトをやめてしまおうかと考えたそう。 しかし「オリヒメがいれば自分のように障害があっても働けるということを世の中に知ってもらえるし、障害のある子どもたちに夢を与えてあげることができる」と番田が言っていたことを思い出し、続ける決意ができました」と、吉藤さんは感慨深げに語った。 「分身ロボットカフェDAWN ver. 障害の有無に関係なく、誰もが能力を活かした仕事に就ける時代が、着実に近づきつつある。 撮影:十河栄三郎.

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障がい者が生き生き働くレストラン

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「いつか父の敵をとると誓った」 渡部哲也社長 「『これは家族にとっても再生です』と障がいを持つ当人のご両親にまで泣いて喜ばれる。 こんな幸せな仕事はないなと感じています」 こう話すのは渡部哲也社長。 彼が経営する自然派ビュッフェレストラン「六丁目農園」1号店は、仙台市の中心から車で20分ほどの仙台東インターチェンジ近く。 周囲には工場が点在し産業道路が通り、その間に田畑が広がるという、およそレストランにとって有利とはいえない立地をものともせず連日大盛況だ。 店内には水耕栽培プランターが置かれ、趣向を凝らした彩りも鮮やかな手作り惣菜が60種も並ぶ。 総勢40名のスタッフの大半を障がい者が占め、調理、盛り付け、配膳に生き生きと働く。 有機野菜の滋味と手間隙かけた料理の味が、財布の紐の固い主婦層にもしっかり支持されている。 「店内のふんわりした雰囲気がいい」「何となく癒される感じがする」と、料理以外の評判も口コミやインターネットを通じて広がり、「今最も予約をとりにくいレストランの一つ」といわれている。 と言っても渡部は、これまで順風満帆の人生を歩んできたわけではない。 高校3年の時のことだ。 建設機械の修理・販売、ガソリンスタンドのチェーン店などを営み、地元の名士と言われていた父親が100億円近くの負債を抱えて倒産した。 「世界ががらりと大きく変わった。 いつか父の敵をとると誓いました」 高校卒業後、豪州に留学。 父親の教えで会計を学ぶ。 お金をもうけ、自分がお金持ちになって世間を見返してやろうと考えた。 だが何かを得るわけでもなく1年で帰国。 その後、営業マンを皮切りに、あらゆることに挑戦したがなかなか長続きしない。 ある時には知り合いから共同経営の話もあったが、これもうまくいかない。 豪州から生鮮シーフードを輸入し、冷凍するコストを省くため、成田空港近くに生簀を設けて全国に配送するなど、自分で立ち上げた事業もことごとく失敗した。 その数、実に16種類。 しかし鯛焼き屋を始め、縁あって発達障がいの青年を雇ったことが大きな転機となった。 「働く人の幸せを考えていれば、利益は後からついてくる」 「実は身内でも、義弟が交通事故で重度の脳障がいに陥り、本人も親も将来に大きな不安を抱いていました。 障がい者が自立するための働く場をつくりたい、という思いは常に念頭にありました」 新たに雇用した青年は鯛焼き屋に勤める前、福祉施設で問題児扱いされていた。 最初に職場を訪れた時のことは今でもよく覚えているという。 「初対面の私に、携帯電話が怖いと言っていたかと思えば、コンビニで新聞を立ち読みしたら怒られ納得できなかった話を始めるなど、自分や世の中のおかしいと思うところを3時間余り止めどなく話し続けたのです」 簡単な雑用から具体的に仕事をお願いするようになっても、30分働いては30分休憩。 しかも出勤は1日置きで、無断欠勤もしょっちゅう。 だがそこで、今まで自分が出会ってきた人の中で一番扱いにくい悪い条件のスタッフだからこそ、ここはとことん向き合ってみようと、じっくり彼の行動を観察してみた。 すると鯛焼きを焼くことに興味を持ち、よく質問することに気付いた。 そこで鯛焼きを焼く作業を任してみると、問題行動も影を潜めた。 他の職場では、ひたすら袋詰めさせられるような単純作業に辟易していた彼が、戦力として甦ったのだ。 「彼の活躍もあり売上も伸び、ある時、働く人の幸せを考えていれば、利益は後からついてくると気付きました。 価値観が180度変わったのです」 「六丁目農園」の店内の様子。 手作りにこだわった、からだにやさしい料理が食べ放題で、人気を集めている その志から生まれたのが「六丁目農園」。 2010年11月にオープンした。 障がい者の能力を最大限発揮できるよう、ビュッフェスタイルとした。 1号店は2010年11月にオープン 「障がい者は、一つのことに熱中し窮めようとする職人気質が多い。 お客様が自由に好きなだけ食べ、帰りたいときに帰ることで、自分たちのペースで仕事に集中できるようにしました」 もう一つのポイントは野菜。 自社の畑も持ち、提携農家から形の悪い規格外の野菜も仕入れる。 農家の収入を安定させるとともに、ドレッシングなどの二次加工品を作って販売することで、店にとっても付加価値を生み出せる。 5キロメートル離れているレストランの1メートルまで迫りながら、高速道路が防波堤になり、奇跡的に被災を免れた。 「ああ、生かされているな、と感謝しましたね。 そして生かされた者の責任があり、役割があるはずだと強く感じました」 ビルを一時避難所として開放し、炊き出しも行った。 市民が外食できる日々は戻るのだろうかと不安を抱きながら、倒産も覚悟して支援活動に力を注いだ。 ようやく営業を再開できたのは、1カ月後だった。 「経営者仲間と支援活動を共にするうちに、やはり雇用の場が大事であることを語り合いました。 過去の大震災でも、行政任せでは後手となっていた。 自分の場合には、やはり障がい者雇用に力を注ぐべきだと改めて思いました」 仙台市内のホテル内に店舗を構える2号店の厨房の様子 昨秋には、仙台市内のホテル内に「六丁目農園」の2号店をオープン。 出店にあたっては、三菱商事復興支援財団の出資を仰いだ。 調印式にて 「資金を提供いただいたこともさることながら、大きな信用力を得ることにつながり、大変感謝しています。 将来的には再生ビジネスという考え方を広めていきたいですね。 また自分自身、障がい者のみならず、社員に、『ずっとここで働きたい』と言われる会社経営を追求していきたいと思います」 (敬称略).

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全ての障害者がイキイキと働ける社会を!企業の障害者雇用の取り組みをアップデート!

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「いつか父の敵をとると誓った」 渡部哲也社長 「『これは家族にとっても再生です』と障がいを持つ当人のご両親にまで泣いて喜ばれる。 こんな幸せな仕事はないなと感じています」 こう話すのは渡部哲也社長。 彼が経営する自然派ビュッフェレストラン「六丁目農園」1号店は、仙台市の中心から車で20分ほどの仙台東インターチェンジ近く。 周囲には工場が点在し産業道路が通り、その間に田畑が広がるという、およそレストランにとって有利とはいえない立地をものともせず連日大盛況だ。 店内には水耕栽培プランターが置かれ、趣向を凝らした彩りも鮮やかな手作り惣菜が60種も並ぶ。 総勢40名のスタッフの大半を障がい者が占め、調理、盛り付け、配膳に生き生きと働く。 有機野菜の滋味と手間隙かけた料理の味が、財布の紐の固い主婦層にもしっかり支持されている。 「店内のふんわりした雰囲気がいい」「何となく癒される感じがする」と、料理以外の評判も口コミやインターネットを通じて広がり、「今最も予約をとりにくいレストランの一つ」といわれている。 と言っても渡部は、これまで順風満帆の人生を歩んできたわけではない。 高校3年の時のことだ。 建設機械の修理・販売、ガソリンスタンドのチェーン店などを営み、地元の名士と言われていた父親が100億円近くの負債を抱えて倒産した。 「世界ががらりと大きく変わった。 いつか父の敵をとると誓いました」 高校卒業後、豪州に留学。 父親の教えで会計を学ぶ。 お金をもうけ、自分がお金持ちになって世間を見返してやろうと考えた。 だが何かを得るわけでもなく1年で帰国。 その後、営業マンを皮切りに、あらゆることに挑戦したがなかなか長続きしない。 ある時には知り合いから共同経営の話もあったが、これもうまくいかない。 豪州から生鮮シーフードを輸入し、冷凍するコストを省くため、成田空港近くに生簀を設けて全国に配送するなど、自分で立ち上げた事業もことごとく失敗した。 その数、実に16種類。 しかし鯛焼き屋を始め、縁あって発達障がいの青年を雇ったことが大きな転機となった。 「働く人の幸せを考えていれば、利益は後からついてくる」 「実は身内でも、義弟が交通事故で重度の脳障がいに陥り、本人も親も将来に大きな不安を抱いていました。 障がい者が自立するための働く場をつくりたい、という思いは常に念頭にありました」 新たに雇用した青年は鯛焼き屋に勤める前、福祉施設で問題児扱いされていた。 最初に職場を訪れた時のことは今でもよく覚えているという。 「初対面の私に、携帯電話が怖いと言っていたかと思えば、コンビニで新聞を立ち読みしたら怒られ納得できなかった話を始めるなど、自分や世の中のおかしいと思うところを3時間余り止めどなく話し続けたのです」 簡単な雑用から具体的に仕事をお願いするようになっても、30分働いては30分休憩。 しかも出勤は1日置きで、無断欠勤もしょっちゅう。 だがそこで、今まで自分が出会ってきた人の中で一番扱いにくい悪い条件のスタッフだからこそ、ここはとことん向き合ってみようと、じっくり彼の行動を観察してみた。 すると鯛焼きを焼くことに興味を持ち、よく質問することに気付いた。 そこで鯛焼きを焼く作業を任してみると、問題行動も影を潜めた。 他の職場では、ひたすら袋詰めさせられるような単純作業に辟易していた彼が、戦力として甦ったのだ。 「彼の活躍もあり売上も伸び、ある時、働く人の幸せを考えていれば、利益は後からついてくると気付きました。 価値観が180度変わったのです」 「六丁目農園」の店内の様子。 手作りにこだわった、からだにやさしい料理が食べ放題で、人気を集めている その志から生まれたのが「六丁目農園」。 2010年11月にオープンした。 障がい者の能力を最大限発揮できるよう、ビュッフェスタイルとした。 1号店は2010年11月にオープン 「障がい者は、一つのことに熱中し窮めようとする職人気質が多い。 お客様が自由に好きなだけ食べ、帰りたいときに帰ることで、自分たちのペースで仕事に集中できるようにしました」 もう一つのポイントは野菜。 自社の畑も持ち、提携農家から形の悪い規格外の野菜も仕入れる。 農家の収入を安定させるとともに、ドレッシングなどの二次加工品を作って販売することで、店にとっても付加価値を生み出せる。 5キロメートル離れているレストランの1メートルまで迫りながら、高速道路が防波堤になり、奇跡的に被災を免れた。 「ああ、生かされているな、と感謝しましたね。 そして生かされた者の責任があり、役割があるはずだと強く感じました」 ビルを一時避難所として開放し、炊き出しも行った。 市民が外食できる日々は戻るのだろうかと不安を抱きながら、倒産も覚悟して支援活動に力を注いだ。 ようやく営業を再開できたのは、1カ月後だった。 「経営者仲間と支援活動を共にするうちに、やはり雇用の場が大事であることを語り合いました。 過去の大震災でも、行政任せでは後手となっていた。 自分の場合には、やはり障がい者雇用に力を注ぐべきだと改めて思いました」 仙台市内のホテル内に店舗を構える2号店の厨房の様子 昨秋には、仙台市内のホテル内に「六丁目農園」の2号店をオープン。 出店にあたっては、三菱商事復興支援財団の出資を仰いだ。 調印式にて 「資金を提供いただいたこともさることながら、大きな信用力を得ることにつながり、大変感謝しています。 将来的には再生ビジネスという考え方を広めていきたいですね。 また自分自身、障がい者のみならず、社員に、『ずっとここで働きたい』と言われる会社経営を追求していきたいと思います」 (敬称略).

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