エログロ ナンセンス 車椅子。 【ことばをめぐる】(980904)エログロ,サイノロ,淡谷のり子

ちょいグロ好きが観てえぐいと感じたグロ映画【邦画編】~『鬼畜大宴会』『グロテスク』など

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この世に理由の説明が要らないモノゴトなど、そうそうありはせんのだ。 人が人を殺してはならない理由さえ、そうとうの言葉を尽くさねばならん。 本当に自ずから明らかであるなら誰も揉めはせんし、そもそも言葉を使う必要すらないだろう。 ところで、女性の裸体が「性的な意味」で子供の目に触れると「悪影響を及ぼす」とは? 「性的な意味」などと気軽に言うが、具体的にはどういった意味を指しているのか? 子供に何かしらの影響を及ぼしたとして、それを悪影響というのは主観にすぎない。 良い影響と悪い影響の境界線を引けるという正当性はどこからくるのか?誰にそんな権利が? また、これだけ少子化問題が叫ばれている(もはや手遅れとさえ言われている)世の中で、生殖に関する情報を遮断された子供が、子供を生んで育てることができると思うのか? 遮断しただけでキレイに育つと、本気で考えているのか? いったい誰の都合か知らんが、生殖に関する情報を隠すだけ隠して本当のことを教えないのは、先達の義務たる教育の放棄であり、むしろ虐待であるとさえ言えるぞ。 影響が有るか無いか? 有るに決まってます。 あらゆる表現は他者に何らかの影響を与える為に存在していると言っても良い。 誰にも何も影響を与えていない表現なんて有り得ないし、有ったとしたらそれは既に表現ではない。 だからと言って未熟な者に何でもかんでも見せて良いのかと言えば断じてそんな事は無いわけで。 子供は判断基準も判断能力も未熟で、極端な影響を受けやすくなるのは少し考えれば解りましょうに。 だからこそ、販売側ではゾーニングされているではないですかと。 一般ゲームならレーティング(全年齢とか15歳以上推奨とかのあれです)が有るし、いわゆる成年ものならR-18(いわゆる18禁物)とかR-21なんてものまであったりする。 そして成長の度合いに応じて段階的に開放してゆく。 その上で、これは自分には合わないなと感じて敬遠するのはそれはそれで当然でしょう。 わざわざ求めて見たくない人の目にまで入ってしまうのは暴力的だし問題があるので、それを回避するためにゾーニングの概念はあってもいいと思う ただし見たくない人がいるからといって、見たい人からも見る機会を奪うことは、逆ベクトルでこれもまた暴力的で非常に問題がある 最近では寺で地獄絵を子供に見せることにすら反対する大人がいるらしいことに驚きを隠せない グロとか見たくないという子供に無理やり見せるのは良くないと思うが、もし子供の方から興味を示して見たがるのならば躊躇なく見せてやりなさい そんなもん見せたら子供が歪む? んーなわけない、昔の人なめんな むしろそんなに子供を信用しないビビリな大人の情けない姿を見ながら育つ方が歪むんじゃないかね.

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【ことばをめぐる】(980904)エログロ,サイノロ,淡谷のり子

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「ああ…大阪、怖い」 その名もエログロナンセンス。 口の周りの筋肉が動かない顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーという難病を持つグロ(左)とナツ(右)のコンビが東京から初参戦! セクシーな衣装も用意済みとのこと、お姉様たちの実力やいかに!? —— 今回のSHOW-1に出場するキッカケを教えてください。 ナツ「私は出たかったんですけど、誘ったらグロちゃんも乗り気で」 グロ「乗り気じゃなかったんですけど、勘違いされて。 でも、こういうことをやればおもしろいかも、というアイデアはあったんです。 でも素人なのでウケるかどうか、不安です」 —— 今回のネタのポイントは? ナツ「エログロは昭和初期の低俗な文化、くだらないことを2人で一生懸命やる、と」 グロ「まぁ、いいんじゃない?って思ったんですけど。 まさかテレビでエログロナンセンスをやることになるとは…。 私はそんな下品な女ではございません!」 —— 自身の障害をネタにすることをどう考えてます? ナツ「顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーをみんなに知らせたいという思いはありますね」 グロ「もう死ぬの?って言われたりね(笑)。 みんないつか死ぬよ、って(笑)」 ナツ「いまのうちに旅行に行った方がいいよ、とか言ってくれるひともいるんですけど。 そういう勘違いをしてるひとも多いと思うので」 —— 意気込みをお願いします! ナツ「あたたかいお客さんだといいなぁ。 こんなチャンスはめったにないので楽しもう!って言ってたんですけど…もう不安で、なにをしててもSHOW-1が頭から離れなくて…」 グロ「大阪の友人に、大阪でお笑いのステージに立つことは大阪人にとって憧れやで!と言われ…。 ああ…大阪、怖い。 楽しめたら嬉しいですけどね…」.

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エログロナンセンス、鬼畜系、悪趣味系、頽廃美・・・衝撃の反良識文学

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その頃の文化背景と大衆の風潮を表現するのに「エログロナンセンス」という言葉が頻出します。 「エログロナンセンス」とは文学作品の作風をさすものではなく、大正末期から昭和初期にかけての、当時の社会風俗の風潮を表現した言葉です。 近代史的にいえば、明治の終わり頃、日清・日露の戦勝により何とか一等国の仲間入りを果たした日本には、西洋世界から近代工業や近代商業機能と共に様々な芸術・文化が輸入されてきました。 遮二無二走り続けた明治期がひと段落ついた大正時代は、大正デモクラシーに代表される自由な時代で、この当時の文化を「大正モダニズム(大正モダン)」と呼び、竹久夢二を代表とする一種の文化爛熟期を迎えます。 そうした文化が進化していく過程で、大衆の嗜好はより刺激的で先鋭的な方向を求めるようになり、その傾向は大正末期において倦怠感に満ちた猟奇的、扇情的、変態的性向を強調した文学、演劇、絵画や見世物などの風俗に反映してゆき、これを「エログロナンセンス」と呼びます。 その一典型、一代表が江戸川の初期幻想怪奇短編や長編通俗小説である、ということです。 現代では、戦前というと全て戦争に向かう暗い時代と思いがちですが、大正後半から昭和ヒトケタの前半くらいまでは、平和で自由で伸びやかな時代でもありました。 エログロナンセンスは、その自由な風俗が飽和状態に達して崩壊してゆく寸前の世紀末的な時期と、その後の大恐慌を契機とした世相の暗転から戦争へ突入してゆく制御不能時期との狭間に生まれた一瞬のアダ花ともいえましょう。 直接の回答にはなりませんが・・・。 たまたま『新青年傑作選・第4巻』を読んでいるのですが 中島河太郎の解題にこんな一文があります。 海外発展、戦争懐古の記事を看板にして、地方の青年読者層の開拓を強いられて、気乗りのしなかった編集者が、せめて「目新しい興味本位の読物として選んだ」のが翻訳探偵小説であった。 (中略) 雨村は当時を回顧して、なんの変哲も刺激もない在来の小説読物に倦きていた若い読者層が、知的要素を多分にもった猟奇文学に惹きつけられたのは当然だったと述べている。 (中略) 大衆文学は新講談と名乗りはじめの時代で、菊池、久米らもまだ新聞小説に進出しない旧態依然たる読物界であった。 講談の速記か、明治以来の卑俗な家庭、人情小説が大勢を占めていたのだから、(略)スリルとサスペンスに充ちた物語は、大戦後の若い世代に支持される要素を具えていた。 手元に本がないので、内容があやふやですが 『怪奇文学大山脈3巻』冒頭に、荒俣氏が 日本における怪奇(怪談)文学の流行について ちらりと書いていた気もします。 興味があれば、図書館あたりで目を通されても。 最後に、渡辺温が事故にあったのは 谷崎潤一郎宅からの帰りです。 他人が今更とも思いましたが お節介が性分ですみません。

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