目の前に切り立った今。 ジャンダルム&大キレット

「生月サンセットウェイ_2020_<大バエ灯台→生月大橋 方面>」mukudakenのブログ | ///M Power

目の前に切り立った今

そういえば、去年就任式をかつてないほど大々的に行ったが、登壇の直前、オーチャードホールの、カーペット生地でやわらかくコーティングされた階段に、底がツルツルの革靴で一歩踏み込んだ途端、ズルズルと豆腐が鍋に落ちるような滑らかさでもって、私は大勢のマスコミの前で倒れ落ちていったものだった。 あれも自分らしかった。 あのときは笑い事ですんだが、今回はもちろん笑い事ではない。 おおいにない。 なにしろコクーンの演劇に関わるのは俳優や演出家、そしてお客さんだけではない。 照明家、美術家、音響、衣装デザイナー、メイクアップアーチスト、振付家、大道具制作、宣伝プランナー、そして、彼らの助手達、下請け、孫請け、美術セット搬入時のバイトたち、地方公演の興行主、チケット配券業者、etc…。 多くのスタッフたちの仕事が半年ばかり、ガサッと消失したのである。 公演中止は、やむをえないことではあるが、その数7本。 芸術監督として、仕事と収入源を失った人間の多さを目の当たりにし、私は呆然とするしかなかった。 演劇なんてなくても生きていけるし。 コロナ禍の中、ある演出家氏の発言を巡って、ある種の人々がそんなふうに言った。 それは、ひきつりながらであるが、うなずけない話ではない。 私だって、なくても生きていけるものはある。 正直、オリンピックがなくても生きていけるし、パチンコ、競馬、ボウリング、なんならテレビだってなくてもネットがあるので生きていける。 なくても生きていけるもので世の中は満ち溢れているし、おのれの戒めとして、しょせん、なくてもさほど他人が困らない仕事をしている、という忸怩たる思いは常に胸の中にある。 というより、その自戒は私の表現の在り方の根幹にどんと大きく横たわっている。 おかげで、腰の低い生き方をしてこられた。 とっつきにくい見てくれだが、愛嬌だけはある。 とはいえ、人間は、なくてもいいものを作らずに、そして、作ったものを享受せずにいられない生き物だとも私は思っている。 生きるに必要なものだけで生きていくには、人間の寿命は長すぎるのである。 人はラスコーの洞窟になぜ壁画を描いた? 時間が余ったからである。 暇つぶしに、描いて「どう?」と問うものがあり、「うん! 牛っぽい!」と喜ぶものがいたからである。 豊かさは同時に暇を生む。 そして、暇を持て余すことに苦しみを覚えるのが人間だ。 だから、禁固刑という刑罰がなりたつのである。 かつて、「野猿」というグループが解散したとき、「もう生きてなくていいや」とばかりに、自殺した女子高生二人組みがいた。 人はともすれば、「野猿」が解散しただけで自殺してしまう生き物だと知り、戦慄したことを覚えている。 生半可な気持ちで「自分に必要ないものなどなくてもいい」とは、言い切れない。 私は、少しでも長生きしたくてずいぶん前にタバコをやめたが、それでも、タバコがこの世からなくなればいいと思わないのは、タバコを欲する人のタバコ愛というのは並々ならぬものがあり、それに税収も馬鹿にならないし、と考えるからである。 しょせん暇つぶし。 しかし、人は命がけで暇をつぶしているのだ。 自分が、東京で芝居を始めるとき、目の前には荒野しかなかった。 友達も仲間もほぼゼロ。 ジーンズメイトで買った服に松尾スズキというふざけた名前だけをまとった、どこの馬の骨ともわからない、九州から出てきたばかりのプータローにとって、これから踏み込もうという演劇界は、乾いた風の吹きすさぶ荒野以外の何物でもなかった。 思えば無謀だった。 でも、自分の中に無謀がなければ、今の自分はいない。 そして、今、目の前にはなにもない。 あの頃と同じようになにもない。 ガランとした大きな劇場だけがある。 ロビーだけでも、私が初めて芝居を上演した劇場の舞台の10倍以上はある。 その虚無の広大さに崩れ落ちそうになるが、ままよ、アイデアが湧いてくる。 30年以上前のあの頃と同じように、無謀なアイデアが。 そして、まず、WOWOWで、松尾スズキプレゼンツ『アクリル演劇祭』というコクーンを舞台とした奇天烈な番組が出来上がった。 これはまだ序章だ。 かつて私が『TAROの塔』というNHKドラマで演じた岡本太郎は、終戦後焼け野原になった東京でスキップしながらシャンソンを歌った。 フランス語なので覚えるのが大変だったが、 非常にバカバカしくて、そして、涙が出るほど美しいシーンだった。 初めて主演したそのドラマは、放送第二回目を前にして3. 11の大地震が起き、ニュースで放送時間がズタズタになった。 必死で覚えた長台詞を喋る私の顔の上に容赦なく津波の被害のテロップが流れる。 もちろん、地震のニュースに比べれば、ドラマなんてなくてもいい。 実に自分らしい初主演だった。 しかし、私はあのときの太郎さんのように、焼け野原を前にしてシャンソンを歌おうと思っている。 喉元にはもう、その歌は溢れかえっている。 早くお会いしたい。 お客様にも、仕事を失った大勢の仲間たちにも。 再開の形は今まで通りとは行かないかもしれない。 でも、お待ちいただきたい。 私の初舞台は、美術セットはなく、椅子が五つだけ、出演者は五人、客は身内が五〇人。 そこから始めました。 まさに荒野でした。 荒野に立ちがちな演出家です。 なにか言いたくて、筆を執りました。 今は筆を執ることしかできませんが、それしかできないことすらやらないなんて怠慢すぎる気がして。 とりあえず。 芸術監督就任にあたって 2019年9月9日 芸術監督をやらないか?そう、Bunkamuraの方に言われ、驚きとともに、ずいぶんと悩みました。 シアターコクーン芸術監督という仕事の前には、串田和美、蜷川幸雄、という二人の巨匠の名前、その、とてつもない業績が切り立った山のように立ちはだかっております。 その後に松尾スズキなどという軽薄な名前の、演劇人なのかコメディアンなのか、実体のフワフワした人間が続いてよいものか。 良識ある演劇関係者らが鼻白む姿がありありと目に浮かびます。 そこで、私は、とある茶室にて、率直に聞くことにしました。 「私がコクーンの芸術監督になって私が得をすることってなんなのですか?」と。 Bunkamuraの方は、しばらく考えて、私の耳に唇を寄せて言いました。 「この渋谷の劇場が…松尾さんのための劇場になるんですよ」そのとき、私の脳裏に故浅利慶太さんのお姿が浮かびました。 それは、自分の劇場を持ちに持った、薄いサングラスをかけた男の御影です。 尊敬する演劇人は誰か?と聞かれるたび、私は浅利さんの名前をあげていました。 劇場を持つ。 すべての演劇人の夢を徒手空拳の状態から実現した男が彼であるとすれば、その名が浮かぶのは当然の成り行きでしょう。 「…なるほど」 そしてまた、私は、もう一つの疑問をぶつけました。 「で、実際、串田さん、蜷川さんは、芸術監督としてどういうことをやっていたんですか?」 Bunkamuraの方は「うーん」と、しばし、口に手を当て、軽く目を閉じて言いました。 「人、それぞれ…ですね」 でしょうね。 そう、私は思いました。 串田さん、蜷川さん、お二人の仕事ぶりを見るに、 「好きなようにやってらっしゃる」 としか、私には思えなかったからです。 これが公共の劇場ならそうはいかないでしょう。 なにしろ、税金を使ってやる仕事です。 役人を交えた煩雑な手続き、書類の作成、会議につぐ会議、そういう、私の最も苦手な作業が目に浮かびます。 会議をしていると私は、家に帰りたくなるのです。 しかし、シアターコクーンはBunkamuraという一企業の劇場。 国民のために演劇がどうあるべきか、などということは、一切考えずに芝居がやれる。 私は、常々、自分の「オリジナリティの追求」のためだけに芝居をやって来ました。 今さらぶれたくない。 いや、30年以上、ぶれずにいたからこそ、チケットが売れ、信用を生み、人材が集まり、スタアが生まれて来たのだと、そう信じています。 串田さんも、蜷川さんも、キレイごとを抜きに、おのれの演劇に対する欲望を忠実につらぬき、その結果が評価に結びついたのだと思います。 それはきっと、ひとまわりしてむしろ日本のために効いている。 私は先輩たちのメンツにかけてそう思いたい。 キレイごとを嫌い続けていれば、自然にキレイな表現者になれるのです。 見たいものだけが集い、見たくないものは見ない自由を行使すればいい、演劇は、見せるものと見るものの関係が、非常に健康的な文化です。 私は、Bunkamuraの予算を使い、稽古場を使い、劇場を使い、好きなスタッフと好きなプレイヤーを集め、先人のように、好き勝手にやってやろうと思います。 在任中に、松尾のオリジナリティを大劇場に向けて絞り出し切ってやろうと思っています。 出し切るためには、多少のわがままも言う。 それが、選ばれたことに対する誠実さだと考えております。 ダメでもともと、Bunkamuraの社員が何人かがっかりするだけじゃあないか。 打診を受けてから2年、具体的なアイデアは頭の中でひしめきあっています。 アーティスティックなものから、あからさまなエンターテインメントまで。 ひしめきあいすぎてここには簡単に書けません。 どうか、ご期待、そして、なにかと生温かい目で、よろしくお願いします。 1988年に大人計画を旗揚げ。 主宰として作・演出・出演をつとめながら、宮藤官九郎ら多くの人材を育てあげている。 1997年『ファンキー!~宇宙は見える所までしかない~』で岸田國士戯曲賞受賞。 演劇以外にも、小説家・映画監督・脚本家・エッセイスト・俳優として幅広く活躍。 小説『クワイエットルームにようこそ』『老人賭博』『もう「はい」としか言えない』は芥川賞候補、主演したテレビドラマ『ちかえもん』は文化庁芸術祭賞ほか受賞。 2019年には正式部員は自身一人という「東京成人演劇部」を立ち上げ、『命、ギガ長ス』を上演、小規模空間での舞台上演にもこだわっている。 同作で第71回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。 最新トピックス.

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目の前に迫るド迫力の大自然! 一生に一度は行きたいイタリアの山岳地帯

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ホテル タイプ別• ホテル クラス別• ホテル・ブランド• 人気の設備・サービス• 観光スポット周辺• 空港周辺• ティンジルの人気カテゴリ• ティンジルで検索数の多いキーワード• トドラ渓谷は、切り立った岩壁がそそり立ち、ロッククライマーにとって聖地のような場所と言われている。 何人かが毎日、直壁にアンカーを打ち、割れ目や摂理に手をかけ、ある程度クライマーが登った経路をたどるので、安全性は多少確保されているらしいが、何人かは命を落とすクライマーもある。 レストランに入り、アルコール類の有無を聞くと、観光客で飲むのは日本人が多く、ビールや限定ワイン(フルボトル)は数本であった。 何とか50ルーブルのワインをゲットし、飲みました。 きれいな川も流れ、久々のオアシスに来たという感じで、ずっと岩山が続く悪路でした。 原住民の子供たちが遊んでたり、洗濯している家族がいたりなごやかな村でした。 この辺りは狭い道が多くて、大型車とのすれ違いも。 地元ドライバーにはどこですれ違うかとか暗黙のルールがあるんだけど、よその人は知らないので、ルール違反で突っ込んできたらしく怒られているバスも。 しかも隣り合ってるらしい。 私たちが行った隣のレストランの名前、それは 「ヤスミナ レストラン」.

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ネバーマインド flumpool 歌詞情報

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お住まいの近くにクライミングのゲレンデを探してロッククライミングのトレーニングをしたほうが良いかと思います。 ロープワークやビレイの基本技術は(使わないとは思いますが)覚えておいて損はないし、3点確保は自然にできるレベルにならないと難しいと思います。 また上りは良くても難易度が高いのは下りの方です。 数年前に奥穂にヘリが落ちてますから厳しい条件になると救助も遅れる可能性もあります。 ジャンダルムにしても馬の背にしても、両側が数百メートル切り立った難関ですから引き返す決断も時には必要かと思います。 大キレットの方は鎖やはしごも整備されていますので体力的問題がなければさほど難易度は高くありません。 北穂高小屋で働いていましたが、毎年多数の老若男女が通過しています。 比較的事故が多かったのは岳沢の鎖場の方です。 いずれも雨上がりなど濡れた状態や、暗くなってからの行動は事故につながりやすいのでご注意ください。 大腿骨骨折でも確保だけされて一晩宙吊りなんてことも実際ありましたので。 A ベストアンサー 通年? 夏と晩秋(北アルプスは実質初冬)では状況がまるで違うよ。 防風防寒着としてアウターは必携。 レインウェアで代用することも可能。 アウターの下には保温着として薄手~中厚手のフリースジャケットも必携。 ズボンはジーパン??自殺願望でもあるのかな? 急登の連続であるし岩稜帯歩きもある3000m級の山。 足運び、足上げを妨げないストレッチ性のあるロングパンツは必要。 寒さ対策にアンダータイツが必要になるかもしれない。 普段着にアウターだけ持っていけばダイジョブなんて生易しい場所ではないです。 10月初めならば積雪量は少ないので涸沢まではアイゼン不要。 といいますか歩行訓練も無いのにアイゼン装着歩行は逆に危険。 奥穂高岳の積雪は今後の天気次第。 積雪の有無にかかわらず雪が降っていたら登るのは諦めよう。 A ベストアンサー その知り合いが10年ぶりの登山? 止めた方がいいですね。 10年の休眠中に経験則や勘は鈍っているので 何かあった時に的確な判断が出来るとは思えません。 また10年前なら問題なくとも10年の加齢で気力体力の衰えは必ずあります。 10年前と同じ感覚で行動をするはずでこれは非常に危険と言えます。 先方からもっと情報を仕入れるとしても 行動時間(登り、下りそれぞれ)と聞くのはもちろんですが 服装、携行物、水、食料、それぞれの質と量も的確に答えられる人であれば可。 適当な返事に終始し「大丈夫」と繰り返すようならば帯同は避けるべきです。 またトレッキングシューズは初履きでの山行は止めましょう。 靴ずれが起きて歩くことが困難になります。 新品を購入したらまずは家の周囲を歩き回ることです。 その次に今までハイキングに行った低山を歩いてください。 トレッキングシューズの表皮は硬めなので慣らしに時間がかかります。 A ベストアンサー 行動時間だけで見ると北穂高が登り3時間少々と短いのですが 急登を登り続けることになりますので少々難度が高いです。 奥穂高は登り4時間と長いのですが穂高岳山荘で小休止が取れます。 これは下ってきてからも同様で小屋前で小休止が取りやすいのは助かります。 以上のことから奥穂高岳をお勧めします。 奥穂高への取り付きが穂高岳小屋の正面からなので他の登山者も多いのが玉にきずですが 逆にこれは心強いはずです。 (詳しいことは誤解の元なので言及しません) 登攀コースにマーキングがあるのでそれを外さいことと 三点支持による登攀の基本、鎖場登攀の基本を守れば大丈夫、のはずです。 ただし高度差は相当にあるので登攀中に下を見ることはお勧めできません。 登攀路上からの落石があるのでヘルメットは着用してください。 購入しても良いですが山小屋でレンタルしていますのでそちらを利用してもよいでしょう。 もし落石を起こしたら、落石を見つけたら大声で「ラアアアアクッ!!(落)」と他の登山者に危険を知らせてください。 (これ出来ない人が多いです) 問題があるとすればあなたの技量です。 岩稜帯歩きが結構長い事。 各日の行動時間が6時間と長いことです。 上高地BTから涸沢までの移動でバテてしまい翌日の登攀に支障が出やすいです。 体調管理は万全にして出かけてください。 またこれからの季節は一日の天候変化が大きいです。 天気の変化、雲の流れを事前に察知することも必要になってきます。 なお9月の三連休の涸沢は登山者が非常に多くなります。 奥穂高岳への取り付きで順番待ちになることもしばしばです。 決して無理をしないで「勇気ある撤退」もあると考えて行動してください。 行動時間だけで見ると北穂高が登り3時間少々と短いのですが 急登を登り続けることになりますので少々難度が高いです。 奥穂高は登り4時間と長いのですが穂高岳山荘で小休止が取れます。 これは下ってきてからも同様で小屋前で小休止が取りやすいのは助かります。 以上のことから奥穂高岳をお勧めします。 奥穂高への取り付きが穂高岳小屋の正面からなので他の登山者も多いのが玉にきずですが 逆にこれは心強いはずです。 (詳しいことは誤解の元なので言及しません) 登攀コースにマーキングがあるのでそれを外さい...

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