平和 ボケ 英語。 【日本の治安】「平和ボケ」の英語訳にネイティブ失笑

【日本の治安】「平和ボケ」の英語訳にネイティブ失笑

平和 ボケ 英語

「日本であなたが好きなところ、自慢できるところは何ですか?」 外国人からそう質問されたらどう答えますか? まわりの外国人から聞いた話だと、「治安のいいところ」と答える日本人が多いらしい。 これは水戸黄門の印ろうなみの威力があって、「日本は平和」と言われて反論できる外国人はまずいない。 まえにアメリカ人とイギリス人とご飯を食べていた時、日本人は「平和ボケ」しているから海外旅行でよくトラブルに巻き込まれるという話をした。 たとえば外国の繁華街で、ズボンの後ろポケットに財布を「半だし」の状態にしたまま歩いていて、すられたとしても同情されることはない。 アメリカ人に「平和ボケ」を英語で何というかきいたら、それにピッタリ当てはまる英語表現は知らないという。 辞書でみたら「peace idiot」とでてきて、「ピース・イディオット(ばか者・愚か者)ってwwww」とイギリス人と一緒に笑う。 あれはあきれて失笑という感じ。 *いま改めてネットで調べてみると、「peace senility」や「complacency about peace」なんて言葉があったけど、日本語の「平和ボケ」とはニュアンスが違う。 やっぱりあれは日本のオリジナル。 でも日本に住んでいれば、「peace idiot」になってしまう理由も分かる。 このときカフェにいたけど、だれかがノートパソコンをテーブルに置いたいたままトイレに行っていた。 それを見て「海外であれは危ない」とイギリス人が言う。 そういえばスペイン出身の世界的なサッカー選手、フェルナンド・トーレスさんもヨーロッパに比べて日本は平和で、小学生が集団登校しているのを見てとても驚いたという。 スペインでは親が送り迎えするのが当たり前だから。 くわしいことはこの記事をどうぞ。 子供だけで安全に登下校できるのはいいことだけど、将来のピース・イディオット予備軍でもある。 このイギリス人女性は1878年(明治11年)に来日して、日本各地を旅した探検家で作家のイザベラ・バードさん。 明治初期の日本には、いまのような世界から絶賛されるサービス精神なんてものはない。 泊まった宿ではノミやシラミに悩まされて、好奇心むき出しの日本人が指で障子に穴を開けて外国人女性をのぞき見する。 この中で寝るというのはかなりヘビーな拷問だ。 でも、バードは日本のこんなところを高く評価している。 「まったく安全でしかも心配もなかった。 世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」 いまも昔も治安の良さをしめす目安に、「女性が安全に出かけられるか?」がある。 昭和、大正、明治、江戸とさかのぼっていって、日本でこれができなかった時代はいつか思い浮かばない。 日本人が「peace idiot」になってしまうことには長い歴史と伝統がある。 こちらの記事もどうぞ。 この主張が全くのデタラメであることは、すぐ分かります。 では、子供だけの集団登校だけでなく大人が保護者として着いた集団下校だったら、あるいは子供を個人の自動車で毎回送り迎えするような登下校だったら、将来、ピース・イディオットにならないですか? そんなこと無いでしょ。 どちらかと言えばその方が成長してから「平和ボケ」になりそうな感じがします。 外国人に何かを指摘されてすぐに真に受けるのは日本人の悪い癖。 これは改めるべきだと思いますね。 一歩下がって、「先ほど言われたことは本当にそうなのか?」と考えるべきです。 それが出来ないのは、 日本人が「平和ボケ」な人が多いのは、日本が平和だから、用心する必要がないからです。 子供だけの集団下校であっても、「世の中には危険がいっぱいあるから気をつけろ!」と常々教育していれば、決して平和ボケのまま大人になることはありません。 そんな実例は、私の身の回りにたくさんあります。

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「世界で最も平和な国」ベスト12 —— 日本はアジアトップ、全体では?

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みなさんこんばんは。 高上代表 佐藤一行です。 防衛医の筆記試験も終わり、ついに受験色も色濃く見て取れる時期となりました。 私の大好きな季節です。 高上で私の指示のもと頑張って勉強してきた生徒たちの成績が大きく伸びるのもこの時期ですから。 さて、本日は、文部省が挫折した英語の民間試験利用に関して私の意見を述べておきます。 一言でいうと、 愚かさの極みです。 くだらない不満と、前進しようという気概、どちらを選ぶべきかさえわかっていない。 最初に述べておきますが、私は今回の改革、やらないよりはやったほうが良い程度には賛成の立場でした。 そして、今回の民間利用において、そもそも不平等であることは最初から指摘されていました。 新形式の英検2級一つとっても、受験会場が遠い場合、何回も受けようと思ったらそれなりにお金がかかります。 何回も受けられる学生と、受けられない学生は確かに公平とは言えません。 ただ、私はあえて声を大にして言いましょう。 だからどうした? 高々英検2級だろ? と。 根本がおかしい。 試験会場に行くのや宿泊にお金がかかると言いますが、そんなのは 大学入試では当たり前の話なのです。 札幌に住んでいる学生が、宿泊氏も交通費もなしに東大を受験できますか? その逆も然りで東京に住んでいる学生が北大を受ける場合にもお金はかかる。 そもそも受験において、交通費や宿泊費はかかるのが当たり前なのです。 もしそこの費用が足りないというのなら、 自分の将来のためにアルバイトをしてお金を稼げばよい。 単純な話です。 今時人手不足で高校生でも雇ってくれるところはたくさんあるでしょう。 そうやってお金を稼ぐことは社会勉強にもなりますし、親のすねをかじって無気力にダラダラと勉強しているよりはよほど勉強にも打ち込めると言う物です。 親御さんの日々の苦労を少しは味わえばよい。 受験回数により不平等について。 これに関してもあまりにつたない議論です。 私も、 英検1級を年に3回受けられる学生と、一回しか受けられない学生がいるというのでは、それは不公平であると認めます。 一般的な高校生には難易度が高く、簡単にその努力は跳ね返されますからね。 ただ、今回の試験は高が英検2級です。 非常に簡単な試験なのです。 英検2級程度の試験に関し、遠くの受験会場で何回も受けられて不平等云々言ってきた学生は、 己の無能と怠惰な性格を改めるべきです。 今回、 貧乏で一回しか受けられないけれど、一回で高い点数をとって合格してやろうと頑張っていたへき地の子どもたちの努力は、直接は報われないことにもなってしまいました。 なぜ愚の骨頂なのか? 本当に文部省は愚かです。 なぜ くだらない不満などに押し負けて、根も出さずに前に向かって進んでいる学生の存在を優先しなかったのか。 そんなに嫌われるのが怖いのでしょうか? そもそも 英検二級の受験回数程度で不平等だとがたがた文句を言うような学生は、大学になど行かなければ良い。 個人の努力が報われることの喜び。 日本は恵まれた国です。 お金を自分で稼ぐことだっててきますし、頑張って勉強して大学に入ってさらに勉強し身を立てていくことだってできるのです。 奨学金だってあります。 それなのに なぜこうも文句ばかり言うのか。 普段海外のニュースをよく見ていても、あまり心を痛めることなどないのですが、そんな私でも心が痛んだこととして、ある国で、大学に入りたくて勉強している18やそこらの子どもたちが、学校で惨殺された事件でした。 世界的には、女の子だという理由で勉強さえできない子どももたくさんいますし、就学意欲のある者たちがテロリストに殺されることなど日常茶飯事におこっています。 殺された子供たちがそれぞれ大学に入ってしたい勉強があったんだろうなぁと思うとさすがの私も切なく、そしてやるせなくなってきました。 しかしそんな現実を日本人の子どもたちは知らない。 自分がどれだけ恵まれているかも知らない。 知ろうとしているようにも見えないし、日本向けのニュースでは10分の1程度しか報道されない。 実際には、 好きなだけ勉強できる環境というのはとても幸せなことなのに。 日本の現実がごく当たり前だと思っている。 今回の民間への導入を押し通していても、英語が話せるようになるかといえば答えはNoでした。 ただ、そこをきっかけに、その中から英語を話せるようになるごく少数の学生が出現したであろうこともまた予想されていたのです。 ならばあなたはどうなのか? こういうことを書くと じゃあお前はそんなに勉強しているのか? と聞かれるかもしれません。 していますよ。 だからこそ自分に自信があるし、凡人には到達できない程度の英語能力は持ち合わせていると言えるのです。 私は迷わずためらわずにはっきり肯定して見せます。 別に勉強をすることがえらいことだとか、みながすべきことだとかいうつもりはないですが、人にものを指導するものが自分も勉強するのは当たり前だとも思っています。 少なくとも今回は大学に行こうとする者たちの話。 勉強をするのは当然の話です。 せっかく与えられたチャンスを生かす方向にもっていくべきだった。 今後どうすべきか。 センターに戻すのは私は大反対です。 あんなものいくら解いても、英語を話せるようにはならない。 向かっている方向自体が全然違う。 もし公平にというのであれば、英検のコンピューターによる試験を全ての学校で受験できるように、プログラミングをきちんとするしかないでしょう。 あとついでに数学の統計を消してほしい。 あんな 標準偏差などなぜ手計算でさせるのか、その意味が全然解りません。 最後に真面目に頑張っている学生たちへ 今回英検に向けて勉強していたのにと残念に思っている諸君。 気にすることはありません。 英語は君から逃げて行ったりは決してしません。 君が目を背けなければ、いつでも君のすぐ目の前にあります。 もうそういう時代になっています。 だからこそ、いろいろ制度が変わって混乱するかもしれませんが、早く大学生になって、一歩前へと踏み出してもらいたいのです。 この程度のことで歩みを止める必要などまったくないのですよ。 高上代表 佐藤一行 この記事のキーワード.

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Interview#01嶋津幸樹: 日本人は平和ボケしている。今すぐ海外大学を目指せ。

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「日本であなたが好きなところ、自慢できるところは何ですか?」 外国人からそう質問されたらどう答えますか? まわりの外国人から聞いた話だと、「治安のいいところ」と答える日本人が多いらしい。 これは水戸黄門の印ろうなみの威力があって、「日本は平和」と言われて反論できる外国人はまずいない。 まえにアメリカ人とイギリス人とご飯を食べていた時、日本人は「平和ボケ」しているから海外旅行でよくトラブルに巻き込まれるという話をした。 たとえば外国の繁華街で、ズボンの後ろポケットに財布を「半だし」の状態にしたまま歩いていて、すられたとしても同情されることはない。 アメリカ人に「平和ボケ」を英語で何というかきいたら、それにピッタリ当てはまる英語表現は知らないという。 辞書でみたら「peace idiot」とでてきて、「ピース・イディオット(ばか者・愚か者)ってwwww」とイギリス人と一緒に笑う。 あれはあきれて失笑という感じ。 *いま改めてネットで調べてみると、「peace senility」や「complacency about peace」なんて言葉があったけど、日本語の「平和ボケ」とはニュアンスが違う。 やっぱりあれは日本のオリジナル。 でも日本に住んでいれば、「peace idiot」になってしまう理由も分かる。 このときカフェにいたけど、だれかがノートパソコンをテーブルに置いたいたままトイレに行っていた。 それを見て「海外であれは危ない」とイギリス人が言う。 そういえばスペイン出身の世界的なサッカー選手、フェルナンド・トーレスさんもヨーロッパに比べて日本は平和で、小学生が集団登校しているのを見てとても驚いたという。 スペインでは親が送り迎えするのが当たり前だから。 くわしいことはこの記事をどうぞ。 子供だけで安全に登下校できるのはいいことだけど、将来のピース・イディオット予備軍でもある。 このイギリス人女性は1878年(明治11年)に来日して、日本各地を旅した探検家で作家のイザベラ・バードさん。 明治初期の日本には、いまのような世界から絶賛されるサービス精神なんてものはない。 泊まった宿ではノミやシラミに悩まされて、好奇心むき出しの日本人が指で障子に穴を開けて外国人女性をのぞき見する。 この中で寝るというのはかなりヘビーな拷問だ。 でも、バードは日本のこんなところを高く評価している。 「まったく安全でしかも心配もなかった。 世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」 いまも昔も治安の良さをしめす目安に、「女性が安全に出かけられるか?」がある。 昭和、大正、明治、江戸とさかのぼっていって、日本でこれができなかった時代はいつか思い浮かばない。 日本人が「peace idiot」になってしまうことには長い歴史と伝統がある。 こちらの記事もどうぞ。 この主張が全くのデタラメであることは、すぐ分かります。 では、子供だけの集団登校だけでなく大人が保護者として着いた集団下校だったら、あるいは子供を個人の自動車で毎回送り迎えするような登下校だったら、将来、ピース・イディオットにならないですか? そんなこと無いでしょ。 どちらかと言えばその方が成長してから「平和ボケ」になりそうな感じがします。 外国人に何かを指摘されてすぐに真に受けるのは日本人の悪い癖。 これは改めるべきだと思いますね。 一歩下がって、「先ほど言われたことは本当にそうなのか?」と考えるべきです。 それが出来ないのは、 日本人が「平和ボケ」な人が多いのは、日本が平和だから、用心する必要がないからです。 子供だけの集団下校であっても、「世の中には危険がいっぱいあるから気をつけろ!」と常々教育していれば、決して平和ボケのまま大人になることはありません。 そんな実例は、私の身の回りにたくさんあります。

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