夕陽のあと ネタバレ。 夕陽のあととは

夕陽のあととは

夕陽のあと ネタバレ

さんも出るのでそれなりに男性客もいるかなと思ったらほぼ女性。 観劇前は自分以外に二人ほど女性と連れだってやってきた男性を見かけて、観劇後には混雑するロビーで十人ぐらい見かけた。 お一人様のおっさんは希少種。 演出でもネタトークでもOLさんを意識したものが多く、では多数派であるおっさんとして、少数派になった場合はこういう雰囲気なのかーと、劇とは別の部分で興味深い体験をするなど。 舞台だとロビー開場30分前ぐらいには劇場前に入場列を勝手に形成してるのだけれど、今回はロビー開場の声が掛かるまではみんなまったりしていて、開場後もふんわり二列になってふんわり入っていき、ロビー内も比較的空いててみんなまったりグッズ列に並んでた。 舞台だとグッズ列は2F階段方向にずらーっと並べられるのだけれど、今回は入り口方向に列が作られていて、てっきりそのあたりは劇場でやり方が決まっているのかなと思ったけれど主催ごとに別のノウハウがあるのかもしれない。 さて、以下なんとなく観劇してみての感想というかレビューというか思ったことを書き殴るなど。 既に周知の事柄なども分からないまま記しています。 「夕陽伝」というのは狭間の物語で、狭間というのは異物が近接して交わるところ、「常世(あの世)と現世」「神代(神話の時代)と人の代」「子供と大人」あるいは「海と陽と月」が接する物語なのだなと。 「海と陽と月」は旭でもよいのだけれど夕陽を選択したところに表題の妙があるなと。 終盤で富士丸と陸奥が黄泉国と現世を隔てる岩戸を支えるシーン、主演の映画「」で犬田小文吾と犬川荘助が岩戸を支えて石化したシーンを思い出す。 熊曾の王子真多羅と毘流古のコンビ、漫画「」を思い出す。 魍魎戦記の最初のお話では主人公マダラの双子の兄カゲオウが胎児の時にマダラにチャクラを全部奪われてヒルコとして誕生し、マダラもそのチャクラを父ミロク帝に奪われてヒルコとして流された。 自分は魍魎戦記ちゃんと読んでないので細かいところは把握できてないしヒルコ周りのモチーフは「」からの流れのよくある話ではあるので、今回どのくらい魍魎戦記を意識したのかは分からない。 ただ「マダラ」という名前でヒルコと関係していて末満さん世代であればその時点で多少は魍魎戦記が浮かんでると思う。 ビジュアル的にもそれっぽい。 キャストパレードかっこいい。 リングアナウンサーによるコールみたいなのが無骨な野郎どもの紹介にハマる。 カーテンコールかっこいい。 え、そこで斬るのかよ。 っていうのが無骨な野郎どもの終幕にハマる。 でもそこで陽向たんにも凪大王やっつけて欲しかった。 めっためたのなぎなぎにして欲しかった。 演出全般かっこいい。 後ろのモノクロめいたスクリーンもかっこいいし、黄泉国でモクモクしてるところに左右からぞもぞも這い出してきて寝っ転がったまま手を突き出してワラワラと蠢かすのもかっこいいし、毘流古がぐねーんと逆さになるのも骨無しがうまく表現されていてかっこいい。 あと、陽向たんの「「クケケケケ!」」っていう笑い声たまんない。 ゴキブリと蚊を退治したくだり大好き。 あれで軽く御飯三杯はイケる。 凪大王が、海里・都月・陽向がそれぞれ・・アマテラスっぽいのは自明として、猿美弥はなのかアメノウズメ(サルメノキミ)なのかそのあたり合わさったものなのか。 途中判断を誤ったものの大王を助けて国を導く役割としてちょうどよい設定だったと思う。 アマテラス・・はこの順番に生まれていて海里・都月・陽向はそれとは逆順に生まれているっぽい点、何かあるかなと思ったけど、何もないかも。 たまたまかも。 熊曾シーンで大蛇が出がちなのは八岐大蛇をふんわり織り交ぜたのかしら。 桃はせっかく出てきたのならもうちょっと活躍してもよかった気がする。 海里・都月・陽向はキャラクターとしてはちょっと味が薄かった気がする。 主人公はストーリー上いろいろやらないといけないことが多いから仕方ないかもしれないけど、主役が三人とも薄めだったので、もうちょっと色があってもよかった気がする。 都月については設定上はもうちょっと色が出せた気がするので時間的に足りなかったというのもあるのかな。 逆に真多羅と毘流古が素敵に濃すぎたともいえる。 末満さんの脚本、BL要素ちょいちょいある気がするの。 (褒めている) 王宮のシーンで上の方に出てくる龍の目みたいなセット好き。 前半で客席「キャー!」なって、なんぞなんぞと思って後でレポート見たら「秋人くんがペダル漕いでバキュン」「新開さんのバキュンポーズ」とな。 なるほど。 わからないけどわかった。 なるほど。 Patchの中山さんと三好さんが結構出てきてて嬉しかった。 このお二方の腹から出す発声が好き。 お昼に黄泉国の劇を観た後、夜にでやってる「ステキな金縛り」を観てるなう。 htktnushi.

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この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 を参考にして、 物語全体の流れが理解できるように(も含めて)、をしないよう ご自身の言葉で。 ( 2019年11月)() 1年前に長島町にやってきた茜は、食堂ではつらつと働きながら、地域の子どもたちの成長を見守り続けている。 ある日、行方不明だった豊和の生みの親の所在が判明し、7年前に東京のネットカフェで起きた乳児置き去り事件が浮かび上がる。 キャスト [ ]• 佐藤茜:• 日野五月:• 日野豊和:松原豊和• 日野優一:• 新見秀幸:• 日野ミエ:• スタッフ [ ]• 監督:• 脚本:• 企画原案:• プロデューサー:橋本佳子• 長島町プロデュース:小楠雄士• 撮影監督:• 同時録音:森英司• 音響:• 美術プロデューサー:大倉謙介• アートコーディネーター:岡村正樹• 衣装:田中美由紀• ヘアメイク:葉山三紀子 加藤まりこ• 編集:• 音楽:宇波拓• 助監督:近藤有希• 製作:長島大陸映画実行委員会• 制作:• 配給:コピアポア・フィルム 脚注 [ ] [].

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夕陽のあと 映画

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単純に産みの母親の葛藤と里親の意地の話しではないところまで昇華されている美しい映画でした。 特別養子縁組制度について考えるきっかけになりました。 ただ、映画の冒頭にテロップで説明が少しありましたが、この制度で縁組が成立した例は非常に少ない。 子供は産みの親の戸籍から完全に抹消され、永遠に育ての親だけの子供になるらしい。 この映画の作り手はこの制度に対するあからさまな反対は表明はしていない。 しかし、映画の冒頭で単なる里親からの養子縁組との違いをテロップで示しているので、何らかのメッセージを感じる。 制度自体が広く理解されている訳ではなく、まずは産んだ子供を手放した親の事情や心理、里親になることを志願した家族の事情や本当の親になろうとする努力、揺らぐ心の様を理解しなければ、この制度を云々することには遠く及ばないと思って、この映画を作ったのだと思います。 セリフ一つ一つに無駄がなく、必要ギリギリに削がれ、貫地谷しほり、山田真歩の演技に委ねられていたと思います。 だから、この映画のようなことは、突っ込むつもりもありませんが、あり得ない。 いくら後悔しても、謝りたくても出来ない。 育ての親ともニアミスしても、わかりようもない。 それでは、物語にはならないわけです。 物語にならなければ、両者の心を直に戦わせることも、理解し、許し、感謝することもない。 ファンタジーと言ってしまえば、それっきりです。 だからこそこの映画は素晴らしいと思います。 子供はまだ何も知りません。 子役の豊和くん、とよかずじゃありません。 とわ です。 いい名前。 可愛くて、個性的な子で、大きくなって、俳優をやるんなら、うんと応援したくなりました(柳楽優弥みたいになりませんように)。 地元の皆さん。 とわくんがぐれたりしないようにサポートお願いします。 美しい自然、海の幸に恵まれた小さな漁村の美しい夕陽。 一隻の漁船が湾に出て行きます。 二人の母親を乗せて。 幸せになって欲しいと願わずにはいられません。 詳しいことは他の人のレビューを読んで下さい。 みんないいレビューです。 11月13日 シネマカリテにて 追記 役所の男性職員役が宇野祥平さんで、なんか悪さすんじゃないかと、ちょっと冷や冷やしました。 貫地谷しほりをDVしてた夫だけ悪い しかし、観ていて産みの親が悪いように観えてきたり、育ての親が悪く見えてきたり、結果どちらも悪くないのに何でこんなことになってしまったんだろうと苦しくなってきて。 どこにでもある人生の歪みの描き方が凄まじかった。 ・映画を観ていて主人公はこうしたらいいんじゃないのかなと考えたりするけれど、この映画はそれが全くわからなかった。 それだけに唯一無二の映画だと思った。 ・貫地谷しほりの東京で漫画喫茶、職場とすべてのシーンがとても苦しかった。 ・豊和役の子が凄く良かった。 ・育ての親の五月が東京に向かって足跡を追うのが良かった。 貫地谷しほりを理解して話し合おうとするのが良かった。 ・ラスト、船上で話し合うのが絵になって良かった。 二人ともに折り合いがついて良かった。 ・貫地谷しほりがどうやって育ての親の場所を調べたのかが少し気になった。 描いたら、同じ方法で探そうとする人がいるかもしれなかったからなのかな。 ・貫地谷しほりが誘拐しなかったのが本気で連れて行こうとしていたんだなと思い辛かった。 一人の子供をめぐって、生みの親と育ての親が「自分が育てたい」と争うお話。 重そうなテーマだろうと身構えていたのですが、 重いというより切なくも暖かい作品でした。 大きくなれば島を離れる子供が多い現状らしく ならばその時こそ、子供の支えになろうということのようで 切なくも、まあそうなるかなぁ、というエンディングでした。 … そうか。 時代劇の大岡越前。 ・男の子をめぐって、自分の息子だと主張する母親が二人。 ・子供のウデを掴んで引っ張り合い「勝った方が本物」とお奉行サマ ・痛がって泣く子供の手を離す片一方の母。 でも 奪い合う二人がどちらも悪い母親ではなく、純粋に子供を愛したい訳ですから そこは大きな違いですよね。 と自己完結。 どちらの母親も子供も、幸せになって欲しいです。 最後に 木内みどりさんのご冥福をお祈りいたします。 長島町を舞台にしたお話だったので観に行きました。 …が、これ、別に長島町でなくても良い話でした。 関係者に長島町の方がいたのかな…。 主演は、貫地谷しほりでいいのかな?子供を捨てた母親役なんて、意外でしたが、痛みとか、悲しみとか、喜怒哀楽が、とてもよく現れていました。 子供を捨てるなんて…と思いましたが、同情もしました。 山田真歩さん、個性的な役が多いイメージですよね。 最近だと、ドラマあな番とか…。 今回は、至って普通の母親役で、かえって難しい役だったんじゃないかと思いました。 この二人で、産みの母と育ての母を演じるんですが…。 なんか、八日目の蝉を思い出しました。 八日目の蝉は誘拐でしたが、この作品は置き去り。 どちらも、子供が、育ての母を実母と思っている点は一緒かな。 ただ、この作品は、貫地谷しほりが、身を引いてくれたことで終わった点が違います。 息子と暮らすことだけを考えてた母親が、息子の幸せを考えてくれたんだと思います。 息子が、いつか、本当のことを知る日が来るんでしょうが、そっと受け止められればいいなぁと思いました。 八日目の蝉は、確か、目の前で逮捕されて、屈折した子に育ってしまったので…。 何の映画かさえ、知らずに観たのは大正解だった。 解説や予告編でネタバレしているのは信じがたい。 1/3も過ぎた頃に、茜(あかね)以外のすべての登場人物が、「えっ!?」となるのだが、観客も同時に「えっ!?」となるところに、醍醐味があるのではないだろうか? 「えっ!?」となった「転」の時点から、真のストーリーが動き出す。 133分という長尺で、「親権」という、ただ一つのテーマを、じっくりと追っていく映画だ。 残念だったのは、効果的に使われていた「おもちゃの携帯電話」以外では、台詞で多くを語らせてしまったことだ。 説明的で分かりやすい反面、流れが単調だし、観客をスクリーンに没入させる仕掛けに乏しい。 (とはいえ、夕陽はラストシーンだけに取っておくべきだった。 ) 色彩は独特だった。 前半は、明暗のコントラストが非常に強い。 回想シーンでは、(お約束の)セピア色っぽくなる。 そして、普通の感じになってエンディングとなる。 実際は、この映画のように簡単にはいかないだろう。 茜(あかね)のキャラクターも真面目すぎて、このような事件を起こす女性の典型的な姿とは思えない。 ただ、「子供にとって良いこと」が一番大事なのだ、というメッセージは伝わった。 ネタバレ! クリックして本文を読む きばれ、豊和! 茜が呟いた言葉は、きっと、自分にもかけた言葉だろう。 貧困と孤独にある人は、助けを求める術さえ知らない。 たとえ真面目に生きていようが、一生懸命であろうが、社会の片隅に追いやられる人はいる。 子を産む痛みを知らない五月。 子の側にいることの出来ない茜。 茜の苦しみや、子を産む痛み、離れ離れにされる辛さを理解していく五月。 大切に育てられ、優しさを育み、豊和に母の五月と仲直りして欲しいとお願いされる茜。 僕には正解など見つけることは出来なかった。 豊和が幸せであることが一番。 確かにそうだが、どうしても切なさは消えない。 茜は身を引く決心をするが、ただ、茜には帰ってくる場所が出来た。 待っててくれる人も出来た。 五月もいずれ真実を告げる日が来る。 豊和もいずれ真実を知る日が来る。 きばれ、五月。 きばれ、豊和。 そして、 きばれ、茜。 島の夕陽は、皆も、そして茜も照らしている。 もうきっと孤独ではない 予告ですでに人間関係が知れているので、冒頭、茜の視線の先にある、手放してしまった幸せが切ない。 「海はね、夕陽のあとが一番凪いで暖かいんだよ」という。 このセリフのおかげで僕は、苦しくも我慢できる。 最後には誰もが納得の出来る結末が待っていることを約束してくれているようで。 どうしても、初めは五月家族に肩入れしやすい。 茜の哀しさは報いだろうと突き放す。 しかし、茜のいきさつが知れるにつれ、皆が皆、誰を傷付けるつもりがなくとも傷付き、傷付けあうこの関係の苦しさに胸が締め付けられていく。 「八日目の蝉」的悲哀を味わい、「父になる」的結末に帰結するのか、と思いきや、それとは違った道を選ぶ茜と五月。 すべてが豊和の幸せを一番に考えた末の結論。 貫地谷しおりの渾身の演技に圧倒され、「一度失敗した母親は子供を抱き締めてはいけないの?」の台詞が脳裏か離れない。 ネタバレ! クリックして本文を読む 色々頭の中整理つかないです こういうのを"是枝派"って呼んだら、監督に失礼でしょうか? でも 社会の問題を 日々通り過ぎてゆく、悪いやつを見つけ石を投げつけて終わりではないと思わせてくれる、映画が最近日本にも 出てきている。 それには まず、嘘ぽくてはならない。 それは 冒頭の漁師のシーンで感じる そして、その中に役者が見事に溶け込んでいる 役者にも自然な演技が求められる。 実は 先日 アイネクライトナハトマジークで貫地谷しほりが良かったので これを観たのだか 相手役の五月 山田真歩が素晴らしかった。 さらに とわ君が茜に謝るシーンでふっと そよ風が吹いて茜の髪を揺らすのだが、あれは偶然なのか 演出なのか……そこにとても人間 大人 では解決できない事に島の自然がふっと 入ってきて…ラストの都会では絶望させた夕日が今度はまた日は昇る 希望の夕日として 映る さらにラストも 完全なハッピーエンドではなく 鳴り止まぬ蝉の声と演奏を終えたとわが居ない茜を探すような目の動きで終わる事で 観てる者へ 全てが解決したのではない と思わせる ネタバレ! クリックして本文を読む 生後3ヵ月の息子をネカフェに遺棄し自殺を図った過去を持つ女と、児童相談所より赤ん坊を預かり里親として7年間育ててきた夫婦との息子を巡る想いの話。 一度は間違いをおかしたが息子の姿をみて、接してもう一度やり直したいと思った茜。 又、そうなることは予見していたのか、その為の準備も行っていたという展開だけど、現在の豊和の幸せは誰が築いたものなのか。 色々事情があったとしても7年前の行動は子供のことを何一つ考えていたようには思えないし、男脳と女脳の違いなのか、少なくとも6歳の頃から産みの母親と離れて育ち今に至る自分には産んだだけの人を親とは感じられないし、「一度失敗したら云々」は余所でやれば良いことだし、思っていてもそこで口に出して主張して良い言葉とは思えない。 結果としては綺麗に締めてくれたし、ドラマとしては面白かったものの、自己中心的でワガママな欲しがりにしか感じられず響かなかった。 イメージ的には八日目の蝉。 産みの親、育ての親の話。 訳があって子供を捨てたことを心の底から後悔して、そっと近くで成長を見守っていた主人公だったのだが。。 薄倖系でも天下一品の貫地谷しほりの役が、顔を歪ませ嗚咽したくなるほど泣ける。 産みの親も育ての親もどちらも良い人だからこそ、この場合いったい何が正解だったのかがわからず、展開はかなりヘビーに感じる。 鹿児島の美しい自然、特に海が太陽でキラキラ光るような映像も多く、とてもきれい。 ただ、方言のセリフが結構どキツイので、序盤は何を言ってるのかわからず困った。 一体オチはどうなるんだと、重い展開にいい意味でぐったりするのだが、結局はどうしたって切なくて、余韻もひとしお。 素晴らしい名作です。 ぜひご鑑賞を。 知らずに見逃すにはあまりに惜しいです。

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