天気の子 宮台真司。 『天気の子』から“人間性のゆくえ”を考える ポストヒューマン的世界観が意味するもの|Real Sound|リアルサウンド 映画部

新海誠新作2017は不倫で純愛は無理!宮台真司の元カノの妻と不仲理由は?

天気の子 宮台真司

仕事終わってからTOHOシネマズ渋谷にて新海誠監督『』を鑑賞。 ほぼ満席だったのかな、二十代前半や十代後半もかなりいた感じだった。 正直な感想を言えば、この映画はまさしく今の日本そのものだ。 地獄だった。 川村元気という僕らの世代のトップ中のトップクリエイターが『君の名は。 』で新海誠監督のフェチや変態性を毒抜きしまくったら大ヒットし、川村元気が『電車男』から始まったように、もはや「セカイ系」は当然のものとなって、その決定打が前作だった。 雨が降り続く東京、どこかの島から家出をしてきた少年とある日少女が出会った。 少女は晴れ女として、天気にする能力を手に入れてしまっていた。 そして、その力を使って人々の願いを叶えていく。 しかし、その能力を使えば使うほどに、雨の止まない異常気象を元に戻すために彼女は人柱にならないといけないのだった。 まあ、セカイ系なんでと思っていたが、後半はかなり怖い、もはや恐怖だった。 願いを叶えていた少女は限界値を越えて人柱となって、世界から消える。 空の上で空と一体化している。 少年は彼女ともう一度会いたいためにそちら側にいく。 まあ、セカイ系だからな、でも、その前に少年が世話になっている中年に「世界は狂っている」と言われるのも引っかかるところになるのだが。 以降はネタバレします。 CMや予告編でも流れていた「世界の形を決定的に変えてしまった」ということが最後に起こる。 少年は当然ながら少女を迎えに行って地上に戻ってくる。 が、世界の形を決定的に変えてしまうのだ。 クライマックスで二人が帰ってきてから地上では三年間雨が止んでいないという世界になってしまっている。 これは少年が世界はそもそも狂っているのだから、世界のことわりを破壊してでも「ただ、俺は君に会いたいんだ!」と世界を変えてしまった結果だ。 自分たちがよければどうでもいいのか? 他者や世界はどうでもいいのか? いいんだよね、セカイ系なんだから。 自分たちがよければそれでいいし、「僕」と「彼女」が世界の運命を司り左右するのだから、ほかがどうなっても彼女に会いたいだけだから。 自分たちさえよければいいのか、どっかの首相夫婦か、いや、今の日本、そして社会だな。 素晴らしいよ、そして主題歌はラッドウィンプスで、歌詞の中には「愛にできることはまだあるかい? 僕にできることはまだあるかい」って感動的な感じで歌われている。 映画の中で行われている他者なんか関係ないって思える行為を、そんなもんを愛なんて呼ぶなよ、そんな愛ならいらねえよ、僕はそんなものを絶対にいらないよ、それを感動して観てる奴がいう愛なんていらねえよ。 そして、これを僕より少し上のロスジェネ世代の川村元気と新海誠が作っているということ、これを中高生や大学生が観にくるってわかっていてやってんだろ、なあ、どういうつもりなんだよ。 自分の物語にしか世界はもう興味ねえのはわかってるよ、スマホもネットもそれを加速したよ、なあ、それでもあんたたちみたいな影響力があるクリエイターが若い世代に自分たちさえ良ければいいみたいなメッセージに受け止められる物語を届けていいのか。 同世代が就職氷河期で就職できなくて自己責任扱いされて、今は人生再設計とかクソみたいなことを責任もなんにも取らないバカな政治家どもにいいようにされている政府に言われてんだぞ、お前らいわゆる勝ち組がこんなメッセージ伝えてどうするんだよ。 頼むよ、せめて影響力の強いエンターテイメント作る人たちは少しでもまともな社会になるようなメッセージ伝えてくれよ。 ヒットメーカーがこんな作品作ってどうすんだよ、「世界の形を決定的に変えてしまった」っていいほうに変えてくれよ、世界が狂ってるからって言って自分たちだけがよければいいなんて、それこそが狂ってるんだよ。 新海誠監督作品を観たあとにユーロスペースに移動して、阿部はりか監督『』を続けて。 トークゲストが社会学者の宮台真司さんだった。 「MOOSIC LAB2018」長編部門で準グランプリ、韓国の全州国際映画祭でも招待されている作品で、 SPOTTED PRODUCTIONが配給していて直井さんもいらした。 「何に対しても無気力な少年・コウ、学校が終わると見知らぬ男たちとつかのまの関係を持っているユウカ、不器用にすれ違う両親の狭間で行き場のない悲しさを抱えるサキ」の中学生三人が出会い物語が展開していく。 この作品で重要な場所としてあるのが屋上である。 トークゲストである宮台さんが映画に寄せたコメントで「屋上に身を置くことと、知らない男と性交することは、よく似ている。 そのことをとても印象的に描き出した映画だ。 僕が文章で書くよりもずっと説得力がある。 つまり「屋上に身を置く者は、つながれる」ということだ」と書かれていた。 60分に満たないこの映画には、地上という日常生活から逃げる場所として、解放される場所として、何者でもない自分でいれる場所として屋上が存在している。 阿部監督と宮台さんのトークでも話に出たが、屋上という空につながっている場所、彼岸と此岸で言えばあちら側につながる場所からこちら側に地上に戻ってくる話に監督はしたかったがそこまでは無理だったという話。 たしかにそこまで描くならば倍ぐらいの時間はいりそうだ。 しかし、僕としてはこの前に観ている『天気の子』がそもそも廃ビルの屋上から空につながって行って帰ってくる構造を持っていたし、そして地上に戻ってくる話だったが「セカイ系」を強化する内容だったため、僕には他者や社会という外部を必要としない内容のためきつかった。 そういうものではないものを、阿部監督は何年かかかって屋上から地上に戻ってくる映画を撮るのだろう。 その時には、きっと他者性や外部がある物語になると思う。 それはこの映画におけるそれぞれの親子関係や人間の距離感がそう感じさせた。 主人公の父親が水橋研二さんだった。 直井さんと終わったあとに話をしていて、阿部監督が九十年代の邦画好きだという話もトークの際にしていたが、僕は岩井監督とか単館系にあったものを少し感じたが、直井さんは『害虫』『月光の囁き』とか好きだったという話があって、だから水橋さんがキャスティングされたのかな、やっぱり僕ら世代は水橋さんずっと観てるもんね、映画で。 あとトークの中で宮台さんが作90年代の援交少女の話やナンパとかかつては街に微熱のようなものがあったけど、今は冷え切っている。 お金がどういうではなく、すぐにホテルに行ってセックスするような熱みたいなものがかつてあったんだ、と。 その後にお金が発生するようになっていく過程があったことなどを話されていた。 作中でユウカが男たちとホテルに行った時に首絞めてというんだけど、それに関しては宮台さんもそういう女性は今まで何人もいた経験から、そういう女性は超越系だと、屋上の側の人だと言われていた。 僕は女性にそういうことを言われたことはないので、超越系の人と出会っていないのだろう。 メインの3人の面構えがいいんだけど、もっと長いものも観たいと思った。 屋上から地上へ一緒に戻ってくる話を阿部監督にはいつか撮ってほしい。 そこにはきっと外部性があるはずだから。

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ネタバレ注意・宮台真司の 『君の名は。』論

天気の子 宮台真司

僕はできるかぎり、生放送やイベント登壇の前には詳細なメモを作るようにしている。 若い頃に準備不足で何度も痛い目に合っているのもあるけれど、それ以上に一つの仕事に「やり切った」と思える実感が欲しいからだ(もちろん、準備をしっかりすればするほど、いい仕事を残せる確率は上がる)。 もちろん、その場の展開によって準備したことを半分も話せない、話さないことはよくある。 けれども、しっかり準備すればするほど、その成果は他で応用が効く。 「安物買いの銭失い」という言葉があるのだけど、一つ一つの仕事を、オーバーキル気味にしっかり準備した方が、返ってくるものが多いというのが僕の実感だ。 今日は実験的に、このメモを読みやすく整理して文章に整えて、有料で公開してみようと思う。 このメモは僕のでも公開したものなので、さすがに無料公開はクラブメンバーに申し訳ないし、これが少しはクラブの宣伝になってくれたらいいなという思いもある。 そしてこのメモには、放送では話せなかったこともかなり含まれている。 放送を見た人は既に知っていることだと思うのだけれど、僕はこの映画を、それほど面白いとは感じなかった。 その理由を挙げることにそれほど意味はないかもしれないけれど、その面白くないと感じた理由からいろいろな議論に派生することができて、その意味でこの映画を論じることは映画そのものよりも考えようによっては面白いと思う。 映画は株券でも競走馬でもない。 自分が賭けた作家が当たるか当たらないか、ということが気になってしまう人は、映画やアニメを見るのをやめたほうがいいと思う(いや、見てくれるにこしたことはないのだけど、もっと向いているものがあるだろう)。 その上で、僕がこの映画を見て考えたことを記そうと思う。 この作品はどう考えても『君の名は。 』を経由したからこそできた作品で、それ以前とは全く違う。 では、どこが違うのか。 端的に述べれば、この作品で新海誠はピュアな中二病からビジネス中二病になっている、と思うのだ。 今回、インタビューで新海さんは繰り返し『君の名は。 』での震災の扱いが雑だったことを指摘された(たぶん僕もそのうちの一人に入っているのだと思うが)ことに傷ついて、逆ギレして、今回の『天気の子』は中二病とセカイ系全開に振り切ったという趣旨のことを述べている。 しかし、僕に言わせれば『天気の子』は全然中二病でもなければセカイ系でもない。 「たとえセカイが滅んでも僕は彼女と一緒にいたい」じゃないと、中二病にもセカイ系にもならない。 にもかかわらず、『天気の子』では主人公が銃を撃っても人に当たらない、ヒロインの生還と引き換えに洪水が起きても人が死んだ描写がない。 「あの夏の日、あの空の上で、私たちは世界の形を決定的に変えてしまった」というキャッチコピーがこの作品には添えられていたのだけど、果たしてこれは本当にセカイが変わったと言えるのだろうか。 もちろん、劇中の「設定」ではそうだ。 ヒロインの生還と引き換えに東京が水害によって水没しているのだから。 しかし、その代償は一切描かれない。 端的に述べて、これではまったく心がざわつかない、と僕は思った。 新海誠はインタビューで『君の名は。 』を見て怒った人たちをもっと怒らせたい、と述べていたが、それは二重の意味で勘違いの生んだ発言だと思う。 第一に『君の名は。 』の震災というモチーフの扱いへの批判は、どちらかと言えばその安易さを指摘するものだった。 「怒った人」という解釈はちょっと違うのではないかと思う。 そして第二に、この映画で深海誠は本気で人を傷つけて、怒らせることができていない。 この映画は前述のように、誰も傷つかないように設計されている。 しかし、本当に人を怒らせたいのなら、誰かを傷つけることを恐れてはいけない。 そして、ちゃんと痛みに向き合わないと駄目だ。 誰も傷つかないセカイ系は気の抜けたコーラみたいなものだ。 僕はもうSNSには宣伝以外のものを書く気がなくて、月に8本前後を目安にこのノートを更新していきたいと思っています。 世の中のこと、身の回りのこと、作品評、PLANETSや「遅いインターネット」のこれから、などいろいろ書いていこうと思っています。 小説にも挑戦してみたいです。 無料の公開記事と、有料のマガジンを使い分けて行こうと思っています。 マガジンの購読者が増えると、ずっと続けられると思います。 応援してもらえると分かりやすくやる気が出るタイプなので、甘やかしてください。 生命を宿す絵=「魂画 アニメーション 」の深淵• 171本 動画すなわちアニメーション animation とは、ギリシャ語で「魂」を意味するアニマ anima に由来する言葉だ。 日本を含む古代文明の多くが、森羅万象に魂が宿るとする信仰=「アニミスム animism 」を持ち、当時の人々は万物を神格化した壮大な神話哲学体系を編み上げていった。 その憧れへの歴史は古く、最古のアニメーションは3000年前の中国で生まれた「走馬灯」とも、17世紀西欧の「幻灯機」ともいわれる。 そして今日も新たな『魂』が世界を駆け巡る。

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宮台真司、ラジオでのしゃべりを語る:荒川強啓 デイ・キャッチ!

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4週に渡って開催された「星を追う子どもスペシャルナイト」も今回でひとまず最終回を迎えた ここまでさまざまなゲストを招いて行われた「星を追う子どもスペシャルナイト」だが、今回の「Vol. 4」でひとまず最終回。 ゲストには首都大学東京教授で社会学者の宮台真司氏が登場し、新海誠監督と『星を追う子ども』をテーマに色濃いトークが繰り広げられた。 まずは作品を観た感想を問われ、「シュンが落下するまでのテンポは、従来の新海さんの作品とほぼ同じリズム」という宮台教授。 しかし、そこからのテンポ、刻みがすごく速いのではないかと指摘し、「プロデューサーに尺を詰めろと言われて 笑う、本当は2時間30分の作品を、2時間弱にしたのではないか」との疑問を呈しつつ、その理由を新海監督に問う。 「プロデューサーからというのではなく」と苦笑いを浮かべつつ、映画そのものを「1分でも短くしたいという気持ちがあった」と語る新海監督。 「観客の方のお時間をいただくわけでもあるので、短いほうがいいだろう」という思いに加えて、「アニメーションとはもともとテンポの速い物語だと思う」という持論を述べる。 「限られた尺の中で、声と効果音と音楽と絵の情報を詰め込んで、 30分のTVシリーズなら CMを抜かして20分ぐらいの作品でも、内容的には40分ぐらいあったと思わせる」という作り方の中、今回の『星を追う子ども』でも、「2時間弱の作品ですけど、3時間ぐらいの作品を見たような、ずっしりとした重みのあるものにしたかった」という胸のうちを明かした。 かつて宮台教授の講演を聴きに行ったことがあるという新海監督、「内容は覚えていないが、宮台さんの喋っていらっしゃる姿と、どこまでも理論的なお答えの仕方、その空気だけははっきりと今でも覚えている」と当時の印象を語る それに対して、かつてアメリカのSFをモチーフにしたテレビドラマにおいて、同じような印象を受けたという宮台教授は、「今の20歳ぐらいの人たちにはテンポの速い時代の記憶がなく、社会のリズムはむしろ速くなっているが、作品の中の物語のリズムは、ドンドンと遅くなっているのではないか」と分析する。 その意見に同意し、「特に邦画のリズムは年々遅くなっている」という新海監督。 「今回ギリギリのテンポ感を狙ってみたが、ギリギりを狙いすぎたかなという気持ちが、公開1月半を経て、なくもないです」と語り、観客の中にも、取りこぼしてしまう部分がでてきたのではないかと反省しつつ、「でも、あのテンポの良さは、アニメーションの気持ち良さだったりもする」という見地から、今後それらを両立させるバランスを追求することへの意欲をみせていた。 さらに宮台教授は、新海作品における、背景や美術の描き込みのすごさを絶賛。 「光と影のダイナミックな動きと、感情の動きがシンクロする。 その抒情が、恋愛模様の抒情ではなく、光と影の織り成す抒情となっているところに才能を感じる」と語りつつ、「ここではないどこかを夢見る」という主人公の感受性の働かせ方について言及する。 風景描写については、子どものころに過ごした土地での経験がいきているという新海監督。 その当時の風景と、恋愛の苦々しさ、学生時代の生きる辛さの苦々しさが切り離せないと語り、「最初に思い出すのは、たとえば非常階段のような、何でもない場所の眺めだったりする」と思い返す。 そこで宮台教授は作品の中での描写に注目し、「アスナはお父さんがいないということで喪失を経験してはいるが、やさしいお母さんがいて、勉強もできて、周りの女の子、友だちからもそれなりにリスペクトされている。 その女の子がどうして、『ここではないどこか』に憧れるのか? 」という疑問を投げかける。 「その気持ちに関する説明は劇中ではなされていないのですが」と前置きしつつ、「それなりに恵まれた環境にいても、それでも何か足りないと思い続ける気持ちというものがあると思う」という新海監督。 「アスナはアガルタに行って、何に気づいたかと言うと、地上世界にいたときの自分の気持ち、『ただ寂しかった』という気持ちに気づく。 地上世界にはいろいろなものがそろっているんだけれど、『ただ寂しかった』という気持ちだけには気づけなかった。 僕も、寂しかったのかどうかはわかりませんが、知りたかったんですかね。 その先にあるものを。 自分の人生の先にあるものと山の向こうにあるものを重ね合わせてみていたのだと思います」。 また、「一人の女性を思い続けてしまう男性が、その女性を失ってしまったときにどうする」という共通のモチーフをどうしても自分の作品の中で使ってしまうという新海監督に対して、自身が新海監督の作品を好きな理由は、「無垢とかイノセンスという部分に関する何かを提示しているところ」という宮台教授。 「ほかにも女がいるじゃないか、ほかにも男はいるじゃないか、そんなことは百も承知だ。 しかし、百も承知だけど、やっぱりあの女しかいないという風に思うことでしか表れてこない世界ある。 そういう意味では、新海さんの世界が光と影のゆらめきに満ちあふれていることと、主人公が一人の女のことを思うということが完全に、そして自然に結びついている。 新海さんの人間関係的じゃない、まさに世界からやってくる抒情に対して開かれた感受性を擁護するためには、ああいった一途な男を擁護しないわけにはたぶんいかないんじゃないか」と分析した。 新海監督の作品の今後について宮台教授は、「僕が想像するに、新海さんの作品の中では、純粋さが、見かけ上は純粋に見えないけど純粋、みたいなところにいったりするのではないかという気がする」と予想する 映画が好きで、これまでたくさんの映画を観てきた理由として、「あまりにも現実がつまらない。 『ここではないどこか』があるのではないか? そしてそれを告げ知らせてくれる映画があるのではないかといったアプローチをしてきた」という宮台教授は、「新海さんの作品が好きな男の子の中には、中学生時代の僕と同じようなアプローチの方がたくさんいるのではないかと思います。 なので、『なんでこんなにつまらないんだろう』『ここではないどこかがあるはずだ』という感受性の結びつきを今後もビビッドに追求していただきたい」と要望。 「そういうった学生的な感覚は年をとればとるど、僕にとっては貴重な思いになる」と締めくくった。 これまで4回に渡って行われた「『星を追う子ども』スペシャルナイト」だが、シネマサンシャイン池袋での公開終了もあって、今回でいったん最終回となった。 シネマサンシャイン池袋をはじめ、ひとまず公開を終了した劇場もあるが、『星を追う子ども』は現在も各地で公開中となっているので、まだ観ていない人はもちろん、すでに観た人もふたたび劇場に足を運んで、作品にこめられた新海監督のメッセージをあらためて噛み締めてほしい。 公開劇場の詳細については、にて。 予めご了承ください。 関連記事•

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