疫病 神様。 2020年に大地震が!?東京オリンピックが中止になるかもしれない不吉な予言を紹介!!

アポロン神って、どんな神様?

疫病 神様

概要 [ ] の普及していなかった古代の日本では、病気は目に見えない存在によってもたらされると信じられており、特に、治療不可能な重病は、、によるものといわれてきた。 以後にのの概念が貴族社会を中心に広く普及し、疫病はそれをもたらすによるものとの考えが生まれた。 やがて一般での素朴な病魔への畏怖と結びつき、疫病神といった存在が病気をもたらすというに至ったと考えられている。 疫鬼の概念が多く取り込まれた平安時代にはの行事として、花が散ると共に疫病神が方々へ四散することを防ぐ「鎮花祭」、道の境で疫病神をもてなすことで都の外へ返してしまうという「道饗祭」といったを防ぐための祭事が行われている。 このように災いを防ぐために疫病神を祀るといった行事は、近年においてもこうした祭事のほか、町や村の境にあるいはなどを材料にした巨大なつくりものを示して疫病神の侵入を防ぐ民俗行事などに見ることができる。 人々の間に良くないことをもたらす存在であることから転じて、厄介ごとを起こす人物や事物を「疫病神」としたりもする。 『怪談夜更鐘』(かいだんうしみつのかね)。 ある武士のもとに現れたこの疫病神(左)は、50歳ほどの坊主の姿だったという。 容姿 [ ] もともと病気などが目に見えない存在がもたらすものであると考えられていたことに由来して、疫病神の姿が実際に目に見えるものであると考えられることはほとんど無い。 『』や『』 などの絵巻物には、様々な鬼の姿をした疫神たちが集う姿が描かれているが、夢の中でそれを見るなど普通の人間の目に姿は見えないものであると表現されている。 『』(巻5「円頓之学者免鬼病事」)では、僧侶のもとへあまたの行疫神の集団がやって来るという説話が記されているがここでは「異類異形」と表現されている。 いっぽう、人間の目に見える姿として疫病神は老人や老婆などをはじめとした人間の姿をとって出没するとも考えられており、単体または複数人でさまよい、人家をおとずれ、疫病をもたらすなどといわれた。 関東地方や東海地方を中心に確認されているやに関する来訪者があるとする伝承などは、その代表的なものである。 またの一部では、特にどのような姿であるかは説かれていないが、毎年2月9日を疫病神が村に来る日だとしており、疫病神が嫌うとされるあみ目の多いを戸外に下げる という行事があったという。 江戸時代の『宮川舎漫筆』には「毎月3日にのをつくる家には入らない」と疫神に教えてもらった人物の説話が記されている。 この話では、人間の姿をとって入り込むべき屋敷に向かっていた疫病神を、それと知らずに同道した結果そのことを教わっている。 また同じく江戸時代に書かれた小林渓舎『竹抓子』などには3年(1820)に愛宕下の仁賀保家という武家の屋敷に疫病神が侵入したのを次男の金七郎が発見して捕まえた結果、決して家には入らない(疫病や災厄をたもらさない)としるしたを置いて行ったという話が記録されている。 この話は証文の文面と共に流布されており、随筆にもその全文が記載されているほか、その文面を疫病避けとして家々に用いた痕跡が残されている。 祭祀と護符 [ ] 鍾馗像(画) 『』(巻32)には4年()7月に疫神を諸国で祭らせたことが記録されている。 日本ではから、疫病を祓うための祭礼や宗教儀式が朝廷によって行われて来た。 また儀礼的なもの以外にも疫病除けのために、(しょうき)や、角大師(つのだいし、 の姿を木版刷りしたもの)を屋内あるいは戸に設けてとする信仰や俗信があり、疫神を避けるものであるとされてきた。 牛頭天王は疫病から身を守る際に祈願をかける存在として信仰されるが、いっぽうで疫病をもたらす存在ともされていた。 疫病神をに見たてて追い出す・送り出す民俗行事は現代でも日本各地でおこなわれている。 また、やなど夏季に行われる祭礼や茅の輪くぐり、に行われる菖蒲湯などには疫病・疫神を祓うものとしての意味が付与されていることが多い。 『』 によれば、(-)のころ、疫病が流行して諸国に蔓延したので、大きなに四手(しで)をつけて国々から送り出すをおこなったという。 この神事も人形送りのの一種であるとみられる。 年中行事に際して食べられる特別な食事に「疫病神をはらう効果」を説明する民間伝承も各地にあり、6月15日に食べられる( など)などがある。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 338-339• 254-255• 280-281• 2009年2月1日閲覧。 近藤瑞木編『百鬼繚乱 江戸怪談・妖怪絵本集成』、2002年。 横手郷土史編纂会 『横手郷土史』 横手町 1933年 363頁• 『大語園』 第1巻 1935年 731-732頁 「疫神の道連」• 水木(1994)p. 456 「疫病神」• 柳田國男 著, 関敬吾 大藤時彦 編 『増補 山島民譚集』 1969年 32-33頁• 国分寺市立図書館 デジタル博物館 「疫病神の詫び証文 3点」 2018年4月19日閲覧。 岡山県教育委員会 『岡山県民俗資料調査報告書』 1967年 27頁 参考文献 [ ]• 『幻想世界の住人たち IV 日本編』〈Truth in fantasy〉、1990年。 『図説 日本妖怪大全』〈〉、1994年。 豊島泰国「疫病神」『歴史と旅増刊 もっと知りたい神と仏の信仰事典』、1999年1月。 編著『妖怪事典』、2000年。 関連項目 [ ]•

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疫病退散・病気平癒の妖怪アマビエ&神様紹介♪ 大阪 東京

疫病 神様

天神信仰(てんじんしんこう)は、における天神()に対するのことである。 特にを「天神様」として畏怖・祈願の対象とするの信仰のことをいう。 歴史 [ ] の陰謀によって大臣の地位を追われ、へ左遷された道真は失意のうちに没した。 彼の死後、すぐに、臣下のが道真を (てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀った。 その後、疫病がはやり、日照りが続き、またの皇子が相次いで病死した。 さらにはが落雷を受け多くの死傷者が出た()。 これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。 清涼殿落雷の事件から道真のは雷神と結びつけられた。 元々京都のの地には平安京の西北・の鎮めとして火雷神という が祀られており、朝廷はここにを建立して道真の祟りを鎮めようとした(も参照のこと)。 道真が亡くなった太宰府には先にの勅命によりによって建立された安楽寺、のちので崇奉された。 また、にはの西北の鎮めとされた大将軍社前に一夜にして七本の松が生えたという話により、勅命により(天満天神)が建立された。 には「北野天満宮天神」の勅号が下された。 また、天満大自在天神、日本太政威徳天などとも呼ばれ、恐ろしい怨霊として恐れられた。 平安時代末期から鎌倉時代にかけて、怨霊として恐れられることは少くなった。 この頃に描かれた『天神縁起』によれば、この時代では慈悲の神、正直の神、冤罪を晴らす神、和歌・連歌など芸能の神、現世の長寿と来世の極楽往生に導く神 として信仰されるようになっていた。 また、貿易商から海難除けの神 、ほか歴代・などの達には、怨敵調伏・戦勝祈願・王城鎮護の神として信仰された。 江戸時代以降は、道真が生前優れた学者・歌人であったことから、学問の神としてなどで盛んに信仰されるようになった。 近代に入ると、天皇への忠誠心を説く為に、忠臣として教科書などでとりあげられた。 元々の火雷神は天から降りてきた雷の神とされており、雷は雨とともに起こり、雨は農作物の成育に欠かせないものであることから農耕の神でもある。 各地に火雷神と同様の伝承で天神が祀られていたが、道真が天神さま、天神さんなどとよばれるようになり、各地で祀られていた天神もまた道真であるとされるようになった。 また、北野天満宮や太宰府天満宮からの勧請も盛んに行われた。 天神(道真)を祀るは、、、、、などという名称で、やを中心に約一万社(岡田荘司らによれば3953社)あって分社の数は第3位である。 発祥の地 [ ] 北野天満宮と太宰府天満宮はそれぞれ独立に創建されたものであり、どちらかがどちらかから勧請を受けたというものではない。 そのため、北野天満宮では「総本社」、太宰府天満宮では「総本宮」と呼称し、「天神信仰発祥の地」という言い方をしている。 また、防府天満宮や與喜天満神社など最古の信仰発祥の地を称するところも複数ある。 ただし「」などと称する場合には、太宰府天満宮を外して北野天満宮を残す例がある。 各地の天神信仰 [ ] 大名前田氏の家紋・加賀梅鉢 北陸 やでは、長男が誕生するとそれ以後の正月、に天神像(木彫や)を飾る。 福井の一部地域ではにを供えるがある。 この掛軸などは、母方の実家から送られる。 これはの頃に教育に熱心であったが領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山のが広めたという説がある。 また、や()などの他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった。 には正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで見られた。 はの出を称しており、その領内には天神社・天満宮が他地域に比べて大変多い。 前田家のが天神のと同じ梅鉢紋であるのも、先祖が菅原氏であるためとされる。 ちなみに前田家の家紋は「剣梅鉢」(加賀梅鉢)と呼ばれている。 その他の地域の例• 広島県北部 子供のに、天神像等の人形を贈る。 を参照。 東京板橋区 関東最古の天神信仰である。 梅木の霊力で疫病が退散し梅木を祭祀し天神信仰が始まった。 (外部リンクを参照) 天神信仰と数字 [ ] 菅原道真を主祭神としている神社では、道真の誕生日が6月25日、命日が2月25日で、ともに25日であったことから、毎月25日を例祭としていることが多い。 でも毎月25日は天神様のであり、とくに1月25日を「 始め天神」、12月25日を「 終い天神」とよんで参詣したが、これはに移行した現在でもそう呼ばれている。 また・・のように特定の25社を巡礼する風習も存在する。 天神信仰と牛 [ ] 菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。 これにより牛は天満宮において(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。 注・出典 [ ] []• 寺子屋に伝わったとされる『天神経』より。 天神信仰の発足に天台宗・真言宗それぞれの僧侶が関わっていたこともあり、当初から仏教との関わりは強く、境内に寺や仏塔を建てるなどしていた。 明治期のまでその流れは続いた。 現在は北野天満宮内にある火之御子社に祀られている。 本地を十一面観音菩薩としたため。 渡唐天神像をお守りとして使用した。 , p. 259. 株 朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」『』 -• 曽根田天満宮境内説明板。 参考文献 [ ]• 伊藤聡『神道とは何か』〈〉、2012年。 柴田實ほか『御霊信仰』、2007年(原著1986年)、オンデマンド版。 岡田荘司『日本神道史』、2010年。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

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妖怪「アマビエ」とは? 新型コロナウイルスの沈静化を祈ってイラストを描く人が続出

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「もしも疫病が流行したら、私の姿を描いた絵を人々に早く見せなさい…。 」そんな予言をする妖怪が、かつて日本に現れたと伝えられています。 その妖怪の正体は「アマビエ」。 新型コロナの感染拡大を受けて、では、数々のアマビエのイラストが投稿されています。 疫病を防ぐ!? アマビエ伝説 アマビエの絵がSNSで話題になっている理由。 それは、冒頭に記したとおり、伝染病の流行を防ぐ予言をしたことが伝えられているからです。 伝説の舞台は江戸時代の肥後国(現在の熊本県)。 ある春の夜のこと「毎晩、海の向こうに謎の発光物体が現れる」という報告を受け、役人と漁師たちが海辺に調査にやってきました。 しばらく海を眺めていると、闇夜の波間に青白い光がぽぅっと現れ、彼らの方へゆっくりと近づいてくるではありませんか。 鳴き声と共に海から現れたその光る物の姿は、3本足に、鱗のある体、そして…くちばしのついた顔。 普通であれば、ギャ〜〜ッ!と腰を抜かしてしまうような怪物の登場ですが、その場に居合わせた人たちは、不思議と恐怖感を感じず、その姿をじっと眺めていました。 やがてその怪物は口を開きます。 私は、海中に住むアマビエである。 そう名乗ったあと、こう続けました。 この先、数年間は豊作が続きます。 しかし…もしも疫病が流行したら、私の姿を描いた絵を人々に早く見せなさい。 このように予言したあと、アマビエと名乗るその不思議な怪物は、静かに海の中へと帰って行きました。 アマビエ伝説のユニークなポイント この伝説は、弘化3(1846)年の出来事として、当時の瓦版に描かれました。 全国でもアマビエが現れたとされる報道はこの一件のみです。 人間の災いを予言したり、落としたりする妖怪はアマビエ以外にもいくつか存在しますが、アマビエは自ら防御の効能があることを伝えている点が非常に珍しい妖怪です。 「絵を見せなさい(=自分の姿を見せることで流行を防ぐことができる)」と伝えている姿は、妖怪というよりも神様に近いのかもしれません。 他にもいるぞ、予言する妖怪 アマビエと同じように人間の言葉を話し「予言」と「除災」をしたことが伝えられている妖怪は、他にもいます。 件(くだん) 「件」という文字が表すとおり「人」の顔に「牛」の体をした妖怪。 江戸時代〜昭和初期まで、全国各地に現れました。 江戸の幕末に最も広まった伝承では「生まれたばかりの子牛が人の顔をしている。 人間の言葉を話し、数日で死んだ」とされています。 死ぬまでの間、さまざまな出来事を予言をするといわれ、その内容は必ず当たるという言い伝えもあります。 豊年亀(ほうねんがめ) 女性の頭に亀の体、毛の生えた尻尾を持つ妖怪。 江戸時代の紀州に現れたと伝えられています。 アマビエと同じように海辺に現れては世間に起きる災いなどの予言を残しています。 こうした予言にまつわる妖怪が現れたとされる時は、いずれも混乱の多い時代でした。 疫病や飢饉、戦争など社会にあふれる不安と混乱が、救いを求めて妖怪を生み出したのかもしれません。 令和の時代にも、新たな妖怪が現れるのでしょうか。 今の不安定な状態が落ち着き、一刻も早く平穏な世の中が戻ってくることを願います。

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