宇都宮 隆。 宇都宮隆 1994 歌詞&動画視聴

ボーカリスト宇都宮隆の魅力、永遠の少年性とセクシーさの共存

宇都宮 隆

宇都宮隆さんは、TM NETWORKやソロのボーカリストとして活躍しているアーティストです。 TM NETWORKと言えば、木根尚登、そして小室哲哉さん率いる伝説的ユニット。 1984年にメジャーデビューし、1987年にリリースされた「GET WILD」はあまりにも有名です。 2018年1月、小室哲哉さんが引退を発表し、奥さん・KEIKOさんの介護やご自身のC型肝炎や難聴で苦しんでいることを告白し話題になりました。 一方で、そんな小室さんの盟友である宇都宮隆さんも、2013年、 すい臓腫瘤(しゅりゅう)の摘出手術を行うなど闘病生活を送っていました。 当時、予定されていたライブが延期となったり、手術後の宇都宮さんは激ヤセしてしまった印象もあり、ファンの間では心配の声も多く上がっていましたが、その後、無事にTM NETWORKの30周年ライブも終えファンを一安心させてくれました。 宇都宮隆さんが手術をして摘出した すい臓腫瘤は、良性だったため癌(がん)ではありませんでした。 しかし、もし宇都宮さんの腫瘤が 悪性であれば「すい臓がん」として命を脅かす大変な病気となっていた可能性もあります。 今回は、宇都宮隆さんの闘病経緯と腫瘤について解説します。 1982年にSPEEDWAY解散後、1983年にTM NETWORKを結成、1984年デビュー。 1992年T. UTU名義でソロシンガーとして活動開始。 当時、C型肝炎と闘病していた小室哲哉さんもツイッターで宇都宮さんにエールを送っていました。 小室さんは、宇都宮さんの闘病にあたり、関係者に積極的に治療法などを聞いていたというエピソードもあります。 学生時代からの仲間が手術をして今病院にいる。 この状況に動揺した僕がいた。 なんで?どうして?、と。 しかし全てを超越した宇都宮君がいて勇敢で、冷静で、TMの事、ファンの方の事を心配している生粋のプロが全快を目指しています。 Utsu、頑張ってるね。 OK大丈夫だよ。 「腫瘤(しゅりゅう」)とは、コブのことで、悪性と良性のものがあります。 悪性腫瘤は、がんのことですが、良性の場合は、他の臓器を圧迫しなければ手術で除去してしまうことが一般的のようです。 良性の場合、転移や再発もなく、比較的、生命へ及ぼす危険も低いという特徴もあります。 宇都宮さんのすい臓腫瘤は良性だったため、手術で摘出したということですね。 一方、悪性腫瘤だった場合、つまり「すい臓がん」だった場合は大変です。 「すい臓がん」は、早期発見が難しく、治療もあまり効かないため、他のがんよりも生存率が低いのです。 宇都宮さん、本当に良性で何よりでした。 もちろん良性だからと言って絶対に安心ということもありません。 腫瘤ができる場所によっては他の臓器や脳幹部を圧迫してしまい生命に危険が及ぶ可能性もあるので、やはり適切な処置をする必要があるのです。 参考: 良性の腫瘤は、がん保険で対象になる? では、宇都宮さんのように、もし良性腫瘤の摘出手術を行った場合、がん保険で保障の対象になるでしょうか? 結論、 「良性腫瘤」は、がん保険では対象になりません。 そもそも「良性腫瘤」は、がんではありません。 良性腫瘤の代表例として、ポリープ、乳頭腫、腺腫などがありますが、こちらもがん保険では対象になりません。 保険で備える場合は、医療保険に加入する必要があります。 \がん・病気への備えが不安な方へ/.

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宇都宮隆、TM NETWORK全編セルフカバーとなったツアー千秋楽公演を紐解く(ふくりゅう)

宇都宮 隆

主にTM NETWORKのボーカルとして活動を続けている 宇都宮隆は1979年にSPEEDWAYとしてデビューしました。 1982年に解散しましたが、その翌年に木根尚登(Gu)と小室哲哉(Syn)との音楽ユニットTM NETWORKを結成しました。 1984年にコンテストで優勝してデビューを果たしリードボーカルを担当し「Get Wild」など数々のヒット曲を生み出し、1988年には「Come On Everybody」でNHKの紅白歌合戦に出場を果たしています。 ミュージシャンであるかたわら、1989年には「LUCKY!天使、都へ行く」で連続ドラマの初主演をして以降、翌年には篠ひろ子主演ドラマ「誘惑」に出演など俳優としても活動をしていました。 またアニメ「CAROL」では声優にも挑戦するなど音楽の他にも活動の幅を広げていました。 その頃TM NETWORKからTMNへとリニューアルし、1992年にはT.UTU(ティー・ウツ)としてソロ活動を開始しました。 1994年にTMNとしての活動を終了してからはソロ活動が中心となります。 翌年には、石井妥師と組んだユニットBOYO-BOZO(ボーヨ・ボーゾ)としても活動し、連名で作曲も手がけました。 1996年、宇都宮隆名義のソロ活動をスタートしてからは、ブロードウェイミュージカル「RENT」の日本公演に主演するなど音楽活動の幅を広げてきました。 1999年にTM NETWORKとして活動を再開してからはソロ活動と並行しています。 ソロとしてのファンクラブは「MAGNETICA」という名称で、より多くの人達を引きつけて、そしてファンとの距離感がより強力な力で近づくようにという願いが込められています。 ファンの間では「ウツ」と親しまれ、第一線から30年を過ぎても変わることのない透明感のある歌声で、ファンを魅了し続けてくれるアーティストです。 2019年4月1日から6月25日にかけて、「LIVE UTSU BAR TOUR 2019『それゆけ歌酔曲!! 』」を開催します。 宇都宮隆は、ミュージシャン、俳優として活躍中です。 1957年10月25日、熊本県で生まれました。 小学校入学を機に東京へ引っ越し、そこでのちのTM NETWORKメンバーである木根尚登と知り合いました。 1984年に小室哲哉と木根尚登に誘われ、リードボーカルとしてM NETWORKを結成しました。 1992年からはソロでも活動しています。 宇都宮隆名義としては1996年にCDデビューしました。 最初のメジャーデビューとなったSPEEDWAYから始まり自身が手がけるプロジェクトなど、これまでに7つの名義でデビューを飾っています。 TM NETWORKではボーカルでしたが、10代の頃から弾き語りをしていたため、ライブでもギター演奏することがあります。 また過去には歌の間奏などでダンスを披露することもありました。 透明感のあるストレートな歌声は還暦を過ぎた今でも健在で、若い頃から変わらぬで聴く人を魅了しています。 最近では2015年より毎年春にコンセプトライブ「LIVE UTSU BAR『それゆけ歌酔曲!! 』」 を開催するなど、ライブ活動も精力的に行なっています。 2018年2月28日には、ソロデビュー25周年を記念するアルバム「mile stone」をリリースしました。 このほか、俳優としてドラマやミュージカルにも出演しており、幅広く活躍中です。 チケットストリートは「ライブの感動を、すべての人へ」というミッションのもと、コンサート、ライブ、演劇、スポーツなど、興行チケットの安全な取引を仲介しています。 日本最大級の公演チケット売買(二次流通)サービスです。 代金のお支払いからお届けまでを事務局がサポートし、チケット詐欺にあう可能性はありません。 チケット掲示板やオークションなどより安心・安全です。 また「安心プラス」オプションを使えば、偽物や偽造チケットの心配もありません。 公演中止や主催者都合で入場できなかった場合も返金いたします。 Icons made by , , from is licensed by• 東京都公安委員会 許可番号:302171104982号• All Rights Reserved.

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宇都宮隆、TM NETWORK全編セルフカバーとなったツアー千秋楽公演を紐解く(ふくりゅう)

宇都宮 隆

宇都宮 隆が語る、ふるさとの思い出・エピソードとは? 編集部:ふるさとの思い出をおうかがいするコーナーなのですが、宇都宮さんにとってふるさとというと? 住んでいたわけではないんですが、よく帰っていた実家ということで言うと、今は合併して東松島市(宮城県中部、仙台湾沿岸に位置する市)になってますが、合併前の矢本町というところですね。 航空自衛隊の松島基地のすぐ近くで、しょっちゅうジェット機が飛んでいました。 かすかに覚えているのは畑に大きな穴があいていたこと。 爆弾の跡なんですよ。 僕は終戦の12年後に生まれたんですけど、戦争中は松島基地に爆弾がたくさん落とされたので、その痕跡が残っていたんだと思います。 ふるさとと言われると、難しいですよね。 東京に住んでいる人達の中には地方にふるさとがある人もいるでしょうけれど、僕は調布、立川と住んでいたので、あまりふるさと感がないんですよ。 実家に帰ったときに、たまにそういう匂いがかげるくらいで。 ただ、昔からある場所が今も残っていると、懐かしいなと思いますけど。 でも立川もどんどん変わってますからね。 駅も全然違うし、モノレールまで通っているし、立川基地もなくなって、公園になっているし。 編集部:思い出に残っている風景というと? 立川の前に小学校2年くらいまで、調布に住んでいたんですが、その時に甲州街道の折り返し地点で、1964年の東京オリンピックのマラソンを観ているんですよ。 おぼろげにしか覚えてないんですけど、アベベが裸足で走っていたのは覚えてますね。 裸足で黒い人が走ってるって。 調布市に住んでいる時の記憶って、薄いんですが、それだけマラソンは子ども心にも衝撃的だったんでしょうね。 編集部:立川に引っ越して、小学校2年の時に木根さんと会ったんですよね。 そうです。 いきなり木根に会ったところから始まっちゃうんで。 編集部:その出会いが今の音楽キャリアにもつながっているって、すごいですよね。 プロフィールで、熊本出身と表記されていることもありますが。 半分、熊本の血は入っていて、自分としては熊本のことはいつも気にしています。 熊本城が古くなったところを改築するために費用が必要だということを聞いた時にも寄付をして一口城主になりましたし、熊本地震後もネットで復興城主を募集していたので、応募しました。 今回のツアーで、震災後にやっとライブに行けるので、特別な気持ちはありますね。 編集部:熊本の血が半分流れているということは、肥後もっこすなところはありますか? 一般的に気性は頑固とされてますが。 どうなんだろうな。 頑固なところはありますね。 あと、プライドが高いところ。 そこは年々、というか、ソロになってから、よりはっきり出てきている気がします。 1964年の東京オリンピックをご覧になっていた宇都宮さん。 次は2020年の東京オリンピックですね! 貴重なお話をありがとうございました。

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