朝日 新聞 マーク。 日本工業規格(JIS)

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朝日 新聞 マーク

朝日新聞社に関する沿革はを参照• において、1部1銭、4ページ建てで創刊。 論説「新聞紙論説の事を論ず」を掲載。 東京の『』を・し、『』を創刊。 大阪本社発行の新聞を『』と改題。 大阪朝日新聞で「」が掲載開始。 東京朝日新聞での戦地「遼陽写真報」を掲載。 夏目漱石が入社。 を速報。 9月 外地版「鮮満附録」を発行。 大阪朝日新聞での発行を開始。 東京朝日新聞でコラム「」が掲載開始。 5月 外地版「鮮満版」がスタート。 大阪朝日新聞での発端となる記事を掲載。 東京朝日新聞の夕刊にの欄を新設。 4月 外地版「朝鮮朝日」がスタート。 7月 「朝鮮朝日」を「南鮮版」と「西北版」に分割。 11月 外地版「満洲版」「台湾版」がスタート。 九州支社(後の)で発行開始。 で発行開始。 大阪朝日新聞と東京朝日新聞の題号を『朝日新聞』に統一。 の寄稿「戦時宰相論」掲載により。 夕刊の発行休止。 「自らを罪するの弁」で戦意高揚など自社の戦争責任を告白。 声明「国民と共に立たん」と、社説「新聞の新なる使命」を掲載。 を採用。 が復活し、の『』が連載開始。 同年に完結。 『』として夕刊が復活し、の『』が連載開始。 の漫画『』が夕刊朝日新聞で連載開始。 朝夕刊のセット発行が再開。 夕刊朝日新聞は朝日新聞本紙の夕刊に統合。 「ひととき」欄を新設。 10月1日 「親さがし運動」の記事で第1回を受賞。 で発行開始。 をめぐり、朝日新聞を含む7紙 で共同宣言「暴力を排し議会主義を守れ」を朝刊に掲載。 1月1日 で初めて発行部数500万部突破。 大阪本社版の紙齢が3万号を達成。 『クリちゃん』が連載終了。 の漫画『』が夕刊で連載開始。 3月 に同意。 『サザエさん』が作者・長谷川町子の長期病気療養に伴い連載終了。 を日本の新聞として第一報。 の漫画『』が夕刊で連載開始。 紙面の文字を1段14字に変更。 1月 紙面の文字を1段13字に変更。 1月1日 でを発行開始。 の病気をスクープし、本年度の日本新聞協会賞を受賞。 1段12字に変更して拡大。 9月30日 『フジ三太郎』が連載終了。 10月10日 の漫画『となりのやまだ君』(現『』)が朝刊で連載開始。 『ペエスケ』が作者・園山俊二の病気療養長期化に伴い。 大阪本社版の紙齢が4万号を達成。 をスクープし、本年度の日本新聞協会賞を受賞。 8月 「」を開設。 報道で日本新聞協会賞を受賞。 「くらし」欄を新設。 4月1日 1段11字に変更して活字拡大。 3月 日曜版を廃止し、同年より土曜版「」を創刊。 4月1日 の漫画『』が夕刊で連載開始。 実質的な日曜版の復活となる「be on Sunday」を創刊し、土曜版は「be on Saturday」に改題。 のにより、同年度の日本新聞協会賞を受賞。 の記事盗用発覚。 「ジャーナリスト宣言。 」と題した自社宣伝キャンペーンを自粛。 4月1日 紙面が刷新され、朝刊の1面題字左側にマークが記載される。 4月1日 紙面の文字を拡大し、15段組から12段組に変更。 朝刊に中綴じの新紙面「」創刊。 「検証 昭和報道」がスタート。 4月 紙面刷新に伴い、再び日曜版が廃止され、一部の連載記事と週間は土曜版に移行。 1月1日 子供向けコラム「しつもん! 」が朝刊で連載開始。 この日以降、一面にタイトルおよび質問 とともに、ドラえもんのと「新聞をひらいてこたえをさがしにいこう」という文章が掲載されている。 朝刊1部売りの値段を130円から150円に値上げ。 夕刊1部売りと宅配の月ぎめ購読料は据え置き。 をスクープし、史上初となる「追加受賞」でのを受賞。 報道に伴い、通常は発行されないの夕刊を発行。 3月31日 この日の夕刊より紙面の文字を拡大し、1行の文字数は13字から12字、1段の行数は75行から72行に変更。 4月 「GLOBE」がの別刷りとなり、日曜版が復活。 有料電子新聞『』創刊。 asahi. comのブランド名を朝日新聞デジタルに統一。 同日、朝夕刊セットの読者向けに、特典電子版のサービスを開始。 ・ - 32年前の大阪本社版朝刊社会面に初掲載したの証言にもとづき1990年代初めまでの計16回掲載の慰安婦強制連行に関する記事は裏付け得られず虚偽であったと特集報道。 - 社長や取締役編集担当らが記者会見を行い、5月20日付朝刊で報じた福島第一原発の社員が吉田所長の待機命令に違反し、撤退したとする記事の取り消しを発表し謝罪した。 同時に吉田証言に基づく従軍慰安婦強制連行に関する記事の取り消しについても謝罪を行った。 - 慰安婦報道の第三者委員会が初会合。 - 第三者機関「報道と人権委員会」に報道の審査・見解を求めた。 - 一連の問題を受け「信頼回復と再生のための委員会」発足。 - 臨時株主総会と臨時取締役会を開き、従軍慰安婦報道や吉田調書などの責任をとり木村伊量社長の辞任を決定。 - 第三者委員会による調査報告書の提出と会見が行われた。 これを受けて同日に新聞ななめ読みの掲載見合わせ問題に関係した編集担当の杉浦前取締役ら3人が社内処分となる。 - 財務省による公文書の改ざんをめぐる一連のスクープが同年度の新聞協会賞受賞。 - 朝刊1面インデックス下に、()が添付される。 -横浜港着岸の新型コロナウイルス集団感染のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」へ朝日新聞400部・ジャパンタイムズ無料配布実施。 -「緊急時における新聞発行の相互援助協定」を中国新聞社と締結• -「知る新型コロナ 未知のウイルスと向き合う」タブロイド版20P別刷特集 論調の変遷 2009年(平成21年)のの調査では、5紙の中では最も的論調であるとされている(5点を中心に保守をプラス、革新をマイナスに0-10点でスケールを取ったとき、読売新聞5. 6、産経新聞5. 3、日本経済新聞5. 2、毎日新聞5. 0、朝日新聞4. 歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時代背景に応じて変化し、一定ではない。 創業期から明治時代• 創刊期は、新聞と通俗記事が主体ののだった。 また、のらが同じく参議のを政府から追放したの翌年以降、政府とから極秘裏に経営資金援助を受けるとして経営基盤を固めた。 その間に東京の『』を買収して『』を創刊し、に進出した。 前には主戦論を展開し、日露講和にも反対した。 大正時代• 期にはの一角を担い、当時のを批判した。 また、では新興のに対して、の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃した。 これにより、鈴木商店は米価の高騰に苦しむ民衆の反感を買い、同年に焼き打ちされた。 この事件を再調査したは、当時の鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き打ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行って米騒動を煽ったことによる「」 であり、鈴木商店と対立していたと朝日の「共同謀議」という仮説を立て、として発表している。 これに関連して、寺内内閣を批判した記事に書かれていた「白虹日を貫けり」という字句がの「朝憲紊乱」に当たるとして当局に発禁を迫られ、同年に編集局幹部らが退社し、同記事を執筆した記者は有罪となり社を追われた()。 事件後、朝日新聞は「不偏不党」「評論の穏健妥当」などを標榜する綱領を発表した。 後は支持 、反対 、実施を主張し 、・の論調だった。 しかし、以降は概して対外強硬論を取るようになり 、軍部への迎合に転換し、終了までは戦争賛美の論調だった。 背景にはや関係者によるがあり、営業面を考慮した結果だったとされる。 昭和時代の第二次世界大戦終結以前• 後半からは・の戦時政府()を積極的に支持した。 の承認の下、 、 、といった朝日新聞社の有力な論説委員、たちが近衛政権のであるの中心メンバーとなった。 緒方主筆自身も、新体制準備委員として新体制運動に積極的に関与した。 拡大の論陣を張り、後に朝日新聞社を退社しの工作員であった尾崎秀実、および、朝日新聞東京本社政治経済部長や同部員磯野清は、ソ連軍のであったが組織したの一員として検挙され、尾崎は首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。 がを起こし、を建国した後、に拒否されて脱退した際には「連盟よさらば」という歌を作成して代表のを賞賛している。 ()・()中は主戦論を主張するのとして君臨し 、毎日新聞や読売新聞 といった他紙と同様の戦争翼賛報道を行い、をそのまま記事にした。 第二次世界大戦終結以後から冷戦期• ただし、村山長挙・両社主は解除後に復帰した。 はによる日本へのや密航組織、さらに朝鮮人が高収入を得ていたという報道を頻繁に行っていたが 、以降にが行われるようになると次第に左傾化し、は強制連行されたものであるという報道を行い始めた。 その後も主体思想や託児所が整備されていることなどを紹介し「この国の未来を感じた」などと北朝鮮の施策を称賛する記事を掲載している。 の一時期まで、朝日新聞は購読者層としてのを含むのに支持されてきた傾向があったとされる。 しかし同時に、記者をはじめとする朝日新聞社員のエリート意識も極めて高く、同社員の外部に対応する態度は「Donaru(怒鳴る)」「Ibaru 威張る 」「Yobitukeru(呼びつける)」の「朝日のDIY」と言われ、そのことが珊瑚記事捏造事件の時のように、必要以上に相手の反感を買っているという指摘もなされている。 は長らくであったに対し、批判的な傾向が見られるが 、が論説主幹だった時代からのとは比較的近い関係にある。 朝日新聞社出身の、、を強く首相に推していた時期もあった。 さらに近年では政権時(主に2005年頃)に、小泉が推進した路線を積極的に支持したこともある。 によれば、1973年のについての朝日新聞の論調は批判・擁護で、韓国人の間では「反韓メディア」と評されていたという。 冷戦終結以後から現在• 革新 ・ ・ ・寄り の論調である。 一方、は近年、論調が化・化しつつあると評している。 、特にのおかげで日本の平和が守られてきたと主張している。 かつてはをタブー視し 、改正を論議することにも反対していた。 『読売新聞』が1994年に発表した「改憲試案」にも社説で批判を展開した。 「論憲」を容認する立場に転換した後も、憲法改正の動きには否定的な報道をおこなっている。 近年はそれと共に、保障規程であるについても同程度の比重で取り上げる傾向にある。 が保障するに関しては、『』や『』が、侵害やなどに対する抗議活動の影響で上映中止・自粛した問題で、「表現の自由に対する深刻な事態」と懸念を表明している。 政治家の参拝に公私を問わず反対しており、国会議員が入閣する際には必ず靖国神社に参拝するか質問している。 また参拝した議員には公的か私的かを質問している。 を容認する見解を表明している。 ただし、同法案がメディアの取材によるも救済の対象としていることについては、・を守る観点から反対の姿勢を示している。 また、法案の目的を実現するために設置される「人権委員会」がのとされることについて、組織の独立性に問題ありとの見方を示している。 国際報道の中でも関連報道には力を入れており、近年ではを受賞するなど、世界的な評価を得ているとしている。 ・等ではの立場に理解を示す姿勢が散見され、による以後のに対する迫害についても、とりわけ以前は度々容認的論調を展開した。 近年も概ねな論調は継続されているが 、やの活動家を肯定的に取り上げた記事を掲載するなど 、主に面で中華人民共和国に対して批判的な記事も掲載されるようになっており、でも比較的厳しい論調の対中報道を行っている。 に関しては、戦後から1970年代にかけては好意的な論調だったが 、(1979年)や(1986年)を受け、しだいに抑制的な姿勢に転換。 の以降は、原発政策の推進に対する慎重姿勢を強め 、同年には「提言 原発ゼロ社会」と題した2ページにわたる社説特集を組み、社論として「脱原発」を掲げている。 に関しては、「安易に死刑判決を出すべきではない」としながらも、制度そのものは肯定している。 の際には、者や死刑廃止運動を揶揄したとも取れるようなネタを『』で掲載し、死刑廃止団体から抗議を受けているが、その際も「世論の怒りを素直に描いたもの」と釈明している。 以降、それまでの論調を転換する動きも見られる。 例えば、2002年9月17日付ではの派遣を容認し、2003年4月27日付社説では条件付でを「検討に値する」とした。 さらに、2007年5月3日付社説では、少なくとも「」は認める立場へと転換した。 を巡って漫画家のと意見の相違があり、彼の作品である『』等を巡って社説で直接批判したことがある。 小林も自著で朝日新聞の報道姿勢を批判している。 ただ、小林のインタビュー記事が紙面に掲載される等、全面的な対立関係ではない。 の内、の氏名表記にあたっては原則として(日本名)での表記を行っている。 また、の人名については、表記と現地語読みの併記を行っている。 のやでの「」斉唱・起立義務は、に反して「強制」されているものであると批判している。 ただし、国歌斉唱そのものに反対しているわけではない。 欄ではかなり踏み込んだ専門的な記事もあり 、欄 や読書欄 などで紙面の充実を図っていることが特徴的である。 3つの重点報道テーマとして「」「」「・」を挙げており 、特に教育は関連記事に力を入れている。 大学入試問題における記事採用数も他社と比較して多く、自社サイトでは「受験に強い」と称している。 と連携してやなどを行っており、度々紙面に調査内容が反映されている。 の大スポンサーであり、試合の翌日にはかなりの分量の紙面を割くことがある。 また、の日韓共同開催を提案する社説(執筆者は)を初めて掲載した新聞である。 の成立に対し、一貫して反対の姿勢である。 元「週刊朝日」副編集長の稲垣武は、「日本のいわゆる左翼社会の鏡」であり、と朝日新聞は相互に影響しつつ活動していると述べている。 注目を集めた報道・スクープ• 、をし、速報を行った。 、発見のスクープ。 、前日に自殺を図ったが未遂に終わった()について、現場に居合わせた朝日新聞記者が聞き取った言葉を「東條大将の遺言」として掲載した。 、埼玉県にて、業者と・幹部との癒着を指摘する記事を書いた朝日新聞記者がとつながりのある町議から暴行・脅迫を受けるという事件が発生。 これを発端として、朝日新聞紙面と地域住民が一体となった暴力団追放キャンペーンが起こった。 詳細は「」を参照• 、第三頁の総合解説面が評価され、第2回を受賞した。 より、とが主体となって、行方知れずの肉親を探し出す「親さがし運動」が始まった。 この報道は、翌1957年に創設されたばかりのの第1号受賞となった。 より、22日間にわたって連載「」を掲載した。 当時の社会問題となっていた無謀走行を繰り返す運転手を取り上げ、問題の本質は、長時間労働と過酷な強要にあるとし、タクシー会社に待遇改善を訴えるキャンペーンを張った。 これを受け、などは神風タクシー撲滅運動を展開した。 その結果、神風タクシーは厳しく摘発され、姿を消した。 この報道により、1958年度日本新聞協会賞を受賞した。 、の水俣奇病総合研究班がの原因は中毒であることを突き止めたと報道した。 、紙面に「世界の鼓動」欄を創設した。 これにより、1960年度日本新聞協会賞を受賞した。 、朝日新聞東京本社論説委員(当時)が特派員として世界各地をまわり、複数の海外記事を掲載した。 この報道により、1962年度日本新聞協会賞を受賞した。 、がサリドマイド製剤の自主的な出荷中止を厚生省に申入れたことをスクープした。 そして翌日、の奇形児急増はの副作用(催奇形性)による疑いがあることを報じた ものの、日本国内でのサリドマイド児発生の事実を報道することはなかった。 なお、この時のの対応について、サリドマイドの製造販売の自主的停止を決定した 、とされることがあるが、実際には出荷停止のみで販売は継続された。 そしてその結果、被害は拡大した。 1962年、日本国内のサリドマイド児の存在が初めて明らかにされたため 、翌月になって、大日本製薬は製品の販売中止及び回収を決定した。 、大日本製薬を被告として損害賠償請求が提訴され、に全国サリドマイド訴訟統一原告団と国および大日本製薬との間で和解確認書が調印された。 同年には東京地裁で和解が成立し、その後、同年までに、東京地裁をはじめ全国8地裁で順次和解が成立した。 、愛知大学山岳部薬師岳遭難事件で13人全員の絶望をスクープした。 朝日新聞の記者や写真部員複数名が、大型ヘリコプター(シコルスキーS62)で太郎小屋に強行着陸して確認したものである。 また、同じく朝日新聞の写真部員は、別途太郎小屋を目指して豪雪の中を登っていた。 本多たちが小屋を捜索し終わった頃、ちょうど小屋手前の三角点まで達したところであった。 そしてその時から数日間、藤木は太郎小屋と富山支局の交信を中継するアンテナ役に徹した。 電波障害で直接交信ができなかったためである。 この時の活躍が、本多・藤木コンビによる「カナダ=エスキモー」の取材(朝日新聞の連載は同年7月~9月)へとつながることとなった。 、前年のに朝日新聞で連載された記者・写真部員の・に関する記事について、「未開民族の内に身を挺して、苦楽の生活を共にし、画期的な報道をした功績」と評価され、第12回菊池寛賞を受賞した。 、を取材した本多勝一記者の記事および書籍「戦場の村」が評価され、 が贈る第11回JCJ賞の本賞を受賞した。 本多勝一はを受賞し、書籍はを受賞した• 1968年1月、「入口に」と題し、長崎県に直航するため日本近海を航行していたのエンタープライズの報道写真を掲載。 この報道により、1968年度日本新聞協会賞を受賞した。 、読者投稿欄「声」が評価され、第12回JCJ賞の奨励賞を受賞した。 、朝日新聞のほか、、、、の記者13名による報道研究会の報道・活動が「公害報道と住民運動との結合」として評価され、第14回JCJ賞の本賞を受賞した。 、連載「企業都市」が評価され、第17回JCJ賞の本賞を受賞した。 、製造大手のによる不正旅客機受注問題に関するの第一報を、日本の新聞としていち早く転載した。 この事件は日本政財界にも波及し、元首相のや 幹部、幹部をはじめとする複数人の大物政財界人の逮捕に繋がった。 同年8月には朝日新聞アメリカ総局員がロッキード社前副会長の ()と単独会見を行い、会見記を連載した。 この報道により、1977年度日本新聞協会賞を受賞した。 詳細は「」を参照• 一連の報道により、1978年度日本新聞協会賞 と第21回JCJ賞の本賞 を受賞した。 、(KDD) の社員2人がで、海外から高級品を不法に持ち込もうとして成田支所から摘発された。 事件の第一報はによって報じられたが、朝日新聞がその後、KDDの乱脈経理をスクープしたことにより、・が合同捜査を開始。 同年には、KDD社長(当時)が引責辞任し、翌にはKDD前社長室長のが業務上横領と関税法違反容疑で逮捕された。 また同年、電気通信監理官(当時)と同省郵務局国際業務課長(当時)の2人が収賄容疑で逮捕された。 さらに同年、警視庁は辞任したKDD前社長の板野を、業務上横領容疑で逮捕した。 詳細は「」を参照• 、埼玉県の富士見産婦人科病院でを宣告された妊婦患者が他の病院でもを受けたところ、子宮には全く問題なかったことが判明したと報道した。 同様の事例は数百件にのぼり、富士見産婦人科病院の乱診乱療が疑われた。 また、当時の理事長が、を用いた診療を無資格で行っていたことも明らかになった。 また、事件が注目される中、富士見産婦人科病院側が()にを行っていたことが発覚し、斎藤は引責辞任した。 に関しては証拠不十分で処分となったが、元理事長の無資格診療については、元理事長が医師法違反、理事長の妻の元院長が保助看法違反の容疑でそれぞれ起訴された。 、は元理事長と元院長に対し、付きの有罪判決を言い渡した。 民事訴訟では、に元患者の女性ら63人が「でたらめな診断で正常な子宮などを摘出された」として賠償を求める訴訟を起こした。 6月、は元理事長、元院長ら7人に賠償を命じた。 元理事長と元院長は控訴を断念し、もう1人の医師は1億5000万円の支払いで和解が成立したが、残る4人の医師が控訴した。 、は4人の医師のを棄却し、元理事長らと合わせて5億1400万円の支払いを命じた。 翌、の医道審議会は元院長の医師免許取消、元勤務医2名の医業停止2年、1名の医業停止6ヶ月、1名の戒告を決定する行政処分を下した。 詳細は「」を参照• 、読者欄「語りあうページ」が評価され、第29回JCJ賞の本賞を受賞した。 1986年、朝日新聞が入手したの報告書 をもとに、が当初想定されていた以上の範囲に及ぶことを報道し、その後も事故の現状を日本の新聞としていち早く伝えた。 この報道により、1987年度日本新聞協会賞を受賞した。 、を巡る報道が評価され、第30回JCJ賞の本賞を受賞した。 1987年、のであるが(ココム)の協定に違反し、工作機械をソ連に輸出したことで、同国の関連技術が向上した恐れがあるとし、米国政府が日本政府に対して調査を要請したことを報道。 違反事件として問題視され、日米間の国際問題に発展した。 詳細は「」を参照• 1987年、「天皇陛下、腸のご病気」と報道し、実際に3日後、は入院して手術を受けた。 この報道により、1988年度日本新聞協会賞を受賞した。 、関連会社の株式譲渡にからむへの利益供与疑惑をした。 その後、リクルートが自社関連会社の未公開株を、、、、などの大物に対して店頭公開前に譲渡していたことが発覚。 問題は政財官界に広がり、最終的に90人を超える政治家が関わる大事件となった。 この報道により、第31回JCJ賞の本賞を受賞し 、翌年には米国調査報道協会特別表彰を受けた。 しかし11月、のが『』1997年1月号で、リクルート事件発覚前の4月に朝日新聞編集委員の(元執筆者)と本多勝一、元社会部長らが、当時が運営していたでスキー旅行の接待を受け(リクルートの会長も参加)、(当時)もリクルートの経営する会員制クラブで江副会長の接待を受けていたことを明らかにした。 詳細は「」を参照• 、前年とに放送された「奥 禁断の・」にて、撮影スタッフににかかった演技をさせるなど、複数の箇所で「」が行われていたと報道した。 は調査委員会を設置し、後日、訂正・お詫びの特別番組を放送した。 また、「やらせ」を指示したなど、番組制作担当者7人を処分した。 、連載記事「この国の足音」を掲載した。 これが評価され、第2回の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。 1994年6月より、を巡る検証連載記事「核兵器廃絶への道」を掲載した。 これが評価され、第38回JCJ賞の本賞 と第3回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。 3月から同年10月にかけて、中心的なサンプルとしての住民調査結果を用いて、同一人物の支持政党の移り変わりを調査した。 この報道により、1995年度日本新聞協会賞を受賞した。 11月から9月にかけて、「核兵器廃絶への道」の続編である「続・核兵器廃絶への道」を掲載した。 これが評価され、第6回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。 1997年、や、さらに高級の不祥事により世論の批判にさらされていたを取り上げた記事および書籍「大蔵支配 歪んだ権力」が評価され、第40回JCJ賞の奨励賞を受賞した。 からにかけて、をきっかけとし、の心の動きをする連載「素顔の中学生 保健室から」を掲載。 この報道により、1998年度日本新聞協会賞を受賞した。 、同年に和歌山県園部地区で発生した毒物カレー事件に関連し、事件前にも同地区の住民が中毒で入院していたことを報道した。 入院した住民が出入りしていた家の夫婦はが疑われ、その後、毒物カレー事件の容疑者として逮捕された。 この報道により、1999年度日本新聞協会賞を受賞した。 詳細は「」を参照• 、の大阪港埠頭ターミナルがのしていたことをスクープした。 同月30日、同社および下請け会社のオー・エス・サービスなど5ヶ所を違反()容疑で家宅捜索した。 産の箱に産を混ぜたほか、産を産と偽っていたことも明らかになり、や、でも産地偽装の疑いが出た。 この報道により、第12回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。 2004年、清子内親王(当時。 現在は結婚改姓で) と東京都職員のをスクープした。 この報道により、2005年度日本新聞協会賞を受賞した。 、による「9年間のオウム法廷取材とその報道」により、第9回ジャーナリスト大賞の優秀賞を受賞した。 2005年より、同日に発生したの発生から運転再開までの一連の動きを詳細に写真報道した。 この報道により、2005年度日本新聞協会賞を受賞した。 からにかけて、・の写真を取り上げた毎月1回の連載「写真が語る戦争」を掲載した。 これが評価され、第17回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。 2006年3月、の不正経理をスクープ。 同年の任期切れに際し、会長代行以下、理事8人が引責辞任する事態となった。 詳細は「」を参照• 2011年、が在の移転費用を水増しして日本側の負担を見かけ上減らし、もそれを了承していた事実を、から提供された公電を分析して報道した。 「ウィキリークスにかかわる一連の報道」として、2011年度活字部門・アンビシャス賞を受賞。 2011年より、のルポ「」を連載開始。 2011年度活字部門・メディア賞 と2012年度日本新聞協会賞 、2012年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門) を受賞した。 2011年10月から12月まで、朝日新聞を含む日本のメディアが原子力発電をどのように扱い、報道してきたかを検証するシリーズ企画「原発とメディア」を連載。 第17回新聞労連ジャーナリズム大賞を受賞した。 より、福島第一原子力発電所事故の原因究明問題に関連し、のテレビ会議記録の公開キャンペーン報道を展開。 2013年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)の奨励賞を受賞した。 、福島第一原子力発電所事故とそれに伴い放出された放射性物質の除染作業の過程で、低レベルとして回収・封じ込めされなければならない土や落ち葉、枯れ枝、汚水などが、放置されたりすぐ脇の小川に流されるという手抜きが、下請け業者によって行われている実態を指摘。 違反であり、が現地調査を開始する事態に発展した。 この報道により、2013年度日本新聞協会賞を受賞した。 しかし、その後、本報道が朝日新聞の記者によって設定されたやらせではないかとの報道がなされたため、同社は報道した新潮社に抗議をした。 2013年、において、入選者の総数を有力会派で予め分け合い、公募作の当選数を減らす談合・不正が行なわれていた事をスクープ。 この影響により2013年の日展では、やなどの選考を、すべての部門で初めて自粛した。 また、日展側からの後援辞退の申し入れにより文化庁は後援を中止した。 2013年、従来から存在が囁かれていた、におけるの売り上げ強要(数千枚から1万枚)「」が実在することをスクープ。 ノルマを達成出来なかった職員達は、売れ残った分を自腹で買い取り 、離れた地域のに持ち込んで換金しているという。 詳細は「」を参照• 、の政界担当元役員からの直接聞き取りにより、同社がから18年間、(、、、、、、。 中曽根以外全員が故人)に対し年2回、一回当たり1千万円をし続けていた事実、原資は全額が消費者から徴収した電気料金だったことをスクープ。 、朝刊の一面トップにおいて、「森友文書 書き換えの疑い」の見出しで、が学校法人へのに関する決裁文書を書き換えた疑惑を報じた。 朝日新聞の報道から10日後の、財務省は決裁文書の改竄を認め、改竄前の文書の内容も公開した。 改竄は14の決裁文書、300か所以上に及び、朝日新聞が報じたとおり、「特例的な内容となる」「本件の特殊性」という文言が削られていることが確認された。 疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル 詳細は「」を参照• の夕刊2面において、の(政権)の制圧に関し、「武力解放のわりには、流血の跡がほとんど見られなかった」と述べ、「敵を遇するうえで、きわめて的な優しさにあふれているようにみえる」という文章が掲載された。 この4日後の4月23日にバッタンバン市で、ロンノル派将校や下士官が何百人と虐殺された件は、早くから国外にも伝わった。 また、署名入り記事を書いた当の記者は、陥落時にプノンペンには居らず 、直にポルポト派に接した日本人記者も、陥落前兵士に取材した読売記者以外いなかった。 山田寛は当時の風潮について、日本のジャーナリスト、学者にも『解放勢力』を応援し、主観的に『ポルポトは虐殺していない』と唱え続けた人たちがいたと述べている。 、西部本社版夕刊で、「日記と写真もあった 南京大虐殺 悲惨さ写した三枚 宮崎の元兵士 後悔の念をつづる」という見出しで、の元が虐殺に直接携わり、苦しむ心情をつづった日記と、惨殺された中国人と見られる男性や女性の生首が転がっているシーンなどの写真3枚が見つかったと報じた。 これに対して都城23連隊会 は、同連隊は南京虐殺とは無関係だと主張し、朝日新聞社宮崎支局長中村大別に対して抗議したが、朝日側は訂正・謝罪を拒否した。 しかし、が生首を写した写真は偽物であることを報じ、さらに同紙はに、朝日新聞が報じた写真と同じ写真の持ち主が現れ、偽写真であることが確定したと報じた。 これを受けて朝日新聞は同年、「写真三枚については南京事件当時のものではないことがわかりました。 記事のうち、写真に関する記述は、おわびして取り消します」としたが、「日記は現存します」とした。 同月25日、都城23連隊会側と朝日新聞西部本社側の話し合いが持たれたが、朝日側は「写真についてのお詫びで終止符を打っていただきたい」とし、日記の公表は「守秘義務」として拒否した。 、朝刊1面において、「旧による戦の決定的な証拠写真発見」の見出しと共に、煙が濛々と立ち上る白黒写真を掲載した。 (当時)が「日中戦争での化学戦の実証的研究を進めている元陸軍士官の歴史学者」として紹介され、当該写真は旧日本軍による中国での毒ガス戦を写したものだと断定した。 しかし、程なくしてからではないかと疑問を呈され 、同月には発行の『決定版昭和史』第9巻から同じ写真が確認され、毒ガス戦を写した写真ではない事が確定した。 翌、朝日新聞は「日本軍の『化学戦』の写真、かん湘作戦とわかる」との見出しを付け、毒ガス作戦を報じた写真が間違いであったことは認めたが、謝罪はしなかった。 1989年4月20日付の夕刊において、の指定海域にある世界最大の に傷が付けられていることを取り上げ、その象徴として「K・Y」というが刻まれた珊瑚のカラー写真と共に、の低下を嘆く記事を掲載する。 しかし、疑問を抱いた地元ダイバーらの調査の結果、カメラマン自身によって無傷の状態であった珊瑚にイニシャルが刻まれたという事実が発覚し、記事捏造事件に発展。 社長(当時)が引責辞任に追い込まれる事態となった。 詳細は「」を参照• から翌年にかけて「」問題の連載キャンペーンを展開。 著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年()に軍の命令でので女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回(この4回を含め、吉田に関しては計16回)にわたり報道し、朝日は「(朝鮮)総督府の五十人、あるいは百人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。 木剣を振るって女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」「吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた」(1992年1月23日1面コラム「窓 論説委員室から」)などと報道した。 この吉田の「体験談」は・教授(当時)の調査により嘘であることが判明し 、吉田清治本人も一部がフィクションであることを認め 、朝日新聞も「確認できない」という事実上の訂正記事を出した。 また、1991年8月11日付の朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「やの際、として戦場に連行され、日本軍人相手に行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた(記者は)。 この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出された。 の(当時文科相)は2013年3月8日のにおいて、朝日新聞が慰安婦資料を歪曲したとして、当時の資料を引用して朝日新聞の慰安婦報道を批判している。 読売新聞は朝日新聞が「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」と報じたことが従軍慰安婦問題の発端であり、日韓間の外交問題に発展したもので、朝日新聞は「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」などと、戦時勤労動員制度の「女子挺身隊」を「慰安婦狩り」と誤って報じた部分があったとしている。 一方で、1992年に読売新聞と毎日新聞も氏の証言を紹介していたことも明らかになっている。 産経新聞も、1993年に氏を「国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした『証言者』」とする記事を掲載していた。 また、1990年代初期には毎日新聞や産経新聞も女子挺身隊と従軍慰安婦を混同していたことも確認されている。 、朝日新聞は独自検証の結果、吉田証言の証拠が見つからず、虚偽と認定し記事を撤回した。 しかし謝罪は一切無く、しない方針も社長の木村伊量により明らかにされたが 、2014年5月の東京電力の「吉田調書」に関する誤報(「吉田調書」の誤報については後述)について同年9月、謝罪会見をし、その中で「吉田証言」に関する誤報についても木村社長は謝罪をした。 2014年8月に朝日新聞が自社のこれまでの慰安婦報道を検証し、誤報は認めたが謝罪がなかったことについて、が連載していた同紙のコラム「」にて「朝日新聞は謝罪するべきだ」とする批判記事を掲載しようとしたところ、朝日から池上に「掲載できない」とする連絡があり、池上はこの連載の中止を申し出た。 この朝日の対応は広く知られることになり、「ではないか」といった批判が社外だけでなく、同社の記者からもを通じて発生し、結果的に朝日は、池上に対し「掲載したい」と連絡をつけた。 池上は自身のコメントを「おことわり」として加えることで掲載に承諾。 2014年9月4日朝刊に、池上の執筆した記事を全文掲載し、同時に朝日新聞はこの件について同日の紙面で謝罪、また後日おこなわれた「吉田調書誤報謝罪会見」で再度謝罪をおこなった。 「」、「」、および「」も参照• 、選手がをもってを引退する決意を固めたと報道した。 その後、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。 しかし、4ヵ月後に中田選手は再び日本代表となり、朝日新聞は「記事内容と異なる結果になったことをおわびします」と謝罪した。 丁度、陸上自衛隊の本隊が、現地に到着する時期であり、「読者や隊員、ご家族に不快感を与える恐れについて想像力に欠けていた」と謝罪し、同月5日からイラストを変更した。 、自民党の・両議員から放送の番組の編集について、NHK上層部に圧力があったとする報道を行った。 1月21日NHKは事実無根とし公開質問状を朝日に送付。 同年7月、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。 同年8月には社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープをにリークし、の月刊誌『』にその内容を記した記事が掲載された。 同年、朝日新聞社がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関『NHK報道』委員会は「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない」(委員会の見解より引用)という見解を出す。 これを受けて朝日新聞社は取材の不十分さを認めたが、記事の訂正・謝罪は無かった。 委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。 詳細は「」を参照• 2006年1月10日付のコラム「」で、で同月9日に行われたのについて、「浦安の新。 の踊りに甘ったれたして喜んでるようじゃ、この先思いやられる」と書いた。 浦安市はこのコラムを中傷であると抗議し、12日付で浦安市長及び浦安市教育委員会は抗議書を郵送した。 しかし、朝日新聞社広報部からの返事は、「決して浦安市の新成人を中傷することを意図したものではありません」というもので、謝罪はしなかった。 の夕刊にて、「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。 この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と評する内容であったが、『』(社)に関して事実と反する部分が存在した。 2007年、同年の夕刊で掲載されたのかんもち作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、読売新聞のインターネット版にに掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明。 問題の駐在員は「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と述べ、朝日新聞東京本社は2月1日午後に読売新聞に謝罪した。 その後、他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが判明し、記事を書いた記者は解雇された。 2007年の朝日新聞で、直後に安倍首相が突然辞任したことを受け、"責任を放棄する"の意で「アベする」という言葉が流行していると記したコラムについて、を中心に批判が起こった。 「アサヒる」(朝日新聞が事実を捏造してまで安倍を執拗に攻撃する様を表現)という言葉が生まれ、この言葉は2008年版に採用され 、『2007』で年間大賞金賞に選ばれた。 詳細は「」を参照• の朝刊にて、ジョギング中の男性を殴って怪我をさせたとしてに容疑で逮捕された男性(でされたが、一・二審で無罪判決)について、「現場のに男性と似た男が映っていた」と記載したが、男性は「記事の内容に誤りがある」などとして、朝日新聞社とを相手取りに訴訟を起こした。 に同地裁は、男性の訴えのうち朝日新聞社に対する訴えを一部認め、朝日新聞社に22万円の支払いを命じた。 2008年6月18日付のコラム「」において、同月17日に死刑執行を指示した、のに対し、「永世 鳩山法相。 『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。 またの名、」と表現した。 これに対して、鳩山は強く抗議し 、また「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」など1800件あまりの抗議文が、朝日新聞に送られた。 同紙に対して、特に強い批判を続けたのが「」であり、同会の三度に渡る公開質問状により、朝日新聞はコラムの表現が不適切であったことを認めた。 、朝日新聞は同年号に掲載した奈良県の元長が「選挙区は民主、比例は共産」と、共産党への「選挙協力」を主導しているという記事について、事実でない部分があったとして紙面で「おわび」を掲載した。 元森林組合長からの申し立てにより、朝日新聞社の「報道と人権委員会」が調査を行った結果、「記述の一部は事実として認めることができなかった」とする見解を出した。 、が開発した「がんペプチドワクチン」の臨床試験において被験者に起きた消化管出血を他の病院に知らせていなかったとして、これを問題視する報道を行った。 翌16日には「研究者の良心が問われる」と題した社説を掲載した。 一連の報道に対し、東京大学医科学研究所や、風評被害を受けたは、「医学的誤り・事実誤認はおろか、ねつ造と判断せざるを得ない重大な問題が多数含まれている」として反論を行っている。 同月20日には、がん患者団体有志一同が声明を発表し 、同月22日には日本癌学会と日本がん免疫学会が朝日新聞に対して抗議声明を発表した。 これに対して同月24日付の記事で、朝日新聞社広報部は「記事は確かな取材に基づくもの」と主張した。 2010年、同年付の文化面において、大阪本社記者がの配信記事をしたことが発覚。 盗用元の配信記事「の宇宙図が国内で発見された」は朝日新聞にも配信されており、酷似が容易に発見できるような内容であった。 、夕刊の社会面トップでのが「に定められた自主点検を約1年間、怠っている」と指摘し、「配管内部の劣化や損傷を、少なくとも年2回チェックすることになっている」などと報じた。 しかし、電気事業法は、年2回チェックするように義務付けてはおらず 、橘湾火力発電所は法令通りの頻度でチェックを行なっていることが分かった。 2012年6月8日付東京版経済面において、コンピュータゲームの主要プラットフォーム各社の責任者へのインタビュー記事を掲載したが、そのうちの社長からはインタビューを断られたため、無断で任天堂の公式にあった動画の内容をまとめたものを岩田社長のインタビューとして掲載した。 掲載後、任天堂から抗議を受け水面下では謝罪したが、9月にによって暴露された。 これを受けて、紙面でも読者に謝罪する訂正記事を載せた。 の朝日新聞朝刊において、実名を公表しない約束という に反した報道が行われ、さらに同記事において自分ののページに掲載していた写真が無断で掲載されたと、における日本人被害者の親族である本白水智也がブログで報告した。 そして、本白水は朝日新聞社社長宛に『朝日新聞の実名報道及び無許可報道に対する抗議文』と題した抗議文を提出した。 また、に朝日新聞横浜総局の記者から本白水に対し「この映像の中に邦人と思われる遺体が3人映っているのでご確認お願いします」という電話があり 、それに続いての残酷な映像を見るようメールが送られて来た事もそのメールのと共に報告している。 2014年6月16日朝刊一面「『米艦で邦人救出』拒む」との見出しで、では避難する日本人を米軍が運ぶ項目がアメリカの強い要望で削除されたとしたが、はこの報道を否定した。 の抗議を受け、朝日側は「日本人救出を断っていた」を「他国民の救出を確約しない」にトーンダウンさせ、「日本人の米艦乗船は極めて困難だ」との指摘も消した。 実際には、日米両国は日米防衛協力のガイドライン(日米両国が避難民の退避で協力する規定)に基づいて毎年、共同訓練で国外に住む日本人を対象にした輸送訓練を実施しており 、1998年には中のから3人、2011年にはから4人の日本人がアメリカの用意した艦船で運ばれた例もあった。 、国が主導するアルツハイマー病研究に対して一面を使って報じた ことを皮切りに、研究そのものに対する批判を展開した。 報道が重なるにつれ、特報部による一連の「スクープ」は研究の心理データの責任者の「」がきっかけである事が明らかにされた。 その結果J-ADNIは研究半ばで予算執行が凍結され、事実上の中止に追い込まれた。 その後、東京大学独自調査 、第三者委員会 による調査の結果「改ざん」ではなく、不適切な判断の結果混乱が重なったことが発表された。 さらに、「告発者」として登場した杉下の責任について追及する文言も盛り込まれた。 2015年3月13日、政府はJ-ADNIに関連した維新の党の川田龍平参院議員からの質問に対し、「第三者調査委員会」の報告書を引用し、故意のデータ改ざんを否定する答弁書を閣議決定した。 2015年4月2日、参議院予算委員会において維新の党川田龍平議員の質問に対して、杉下守弘の「告発メール」は公益通報者保護法における公益通報には当たらないとの見解が消費者庁川口康裕次長よりなされた。 また、データ保全命令後にデータの「改竄」が指示されていたと報道された件に関しても「いずれも通常の品質確認作業の一環で行われたものであり、不当な改ざんや意図的な修正が行われたケースは確認できなかった」と厚生労働省三浦公嗣老健局長が発言した。 の朝刊で、の「」を入手したと発表。 「震災4日後には所長命令を無視し、福島第一所員は9割が逃げ出した」と報じ 、夕刊のコラム(素粒子)で「傾く船から逃げ出す」などという言葉を用いてと同質の事象が起こっていたかのような記述を行った。 8月17日には産経新聞が 、8月24日にはが 吉田調書を入手した。 産経新聞は現場関係者が吉田所長の命令に背いて撤退したとの記載はないとした。 その後、報道に対する疑義は、読売新聞、毎日新聞、からも上がった。 その後、当時経産相であったも「私は撤退ではなく退避という言葉を聞いた」「撤退という言葉がどこから出てきたのかは今となってはつまびらかではない」と述べた。 9月11日夜に朝日新聞社は記者会見を行い、木村伊量社長は、「社内の精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、多くの東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断した」と謝罪、また「編集部門を含む抜本改革などに道筋を付けたうえで、自らの進退を決断する」と述べ、 後日辞任した。 朝日新聞は、誤報の原因として「1F(福島第1原発)の線量の低い所へ待機」と書かれているとされる柏崎刈羽原発所員の個人的なメモを根拠とし「当時の所員への直接取材を徹底しなかった」と釈明している。 詳細は「」を参照• しかし実際には、社会福祉法人は土地の売却や理事長報酬の増額については理事会で承認しており、照明器具などの備品を理事長の親族の会社から購入した事実はなかった。 この記事を巡り、社会福祉法人と理事長は賠償と謝罪を求める裁判を起こし、朝日新聞は訂正とおわびを掲載することでした。 翌日の朝刊において、「土地の売却」と「報酬などの増額」については、規定などを「明確にするように(川崎市が)指摘した」と訂正し、「証明器具を理事長の親族の会社から購入した」については、当該部分をた。 3月19日、ので負傷し、首都チュニスのに入院、を受けた直後の女性が、朝日新聞と応対にあたった在地の員とのやりとりについて「『取材をさせてください。 あなたに断る権利はない』と日本語で怒鳴っている声が聞こえ、でした」と手記中で明かした。 記者はしばらくのやりとりの後、から退出したという。 朝日新聞の石合力・国際報道部長は「記者には大声を出したつもりはありませんでしたが、手記で記されていることを重く受け止め、女性におわびします」とした。 手記で女性は大使館の職員から「あなたには断るがあります」と励まされ「うれしかった」と述べている。 2015年、シリーズ企画『集団的自衛権 海外では』の中の2014年6月15日付記事『平和貢献のはずが戦場だった 後方支援、独軍55人死亡』の内容を訂正した。 2015年、夕刊1面記事において、『悩める邦字新聞 苦境 南米で日系人口減少』との見出しで、日系人人口の減少に伴い、現地のが廃刊や購読数減少の危機に陥っているとする記事を掲載した。 これに対しての邦字新聞は、南米の日本人人口が減少しており日本語話者が減少しているのは事実であるが、日系人人口は増加していること、歴史や背景、購読者数、広告収入源も違う邦字新聞を一様にネガティブな印象で報じていることを「恣意的なイメージ操作」であるとして批判、朝日新聞に抗議した。 抗議を受けて朝日新聞東京本社は電話とメールで謝罪し、8日付け夕刊において「南米で日系人口減少」としたのは「南米で日系1世人口減少」の誤りだったとする訂正記事を掲載した。 記事を書いたサンパウロ支局の記者は「前文(リード)で『日本語が読める日系人口減少』と書いているので、いいと思った」と釈明したが、ニッケイ新聞は、見出しが誤っていても、記事を読めば分かるというのは詭弁であり傲慢であると批判している。 2015年、を6年にわたり担当するなどの経歴をもつ、冨永格特別編集委員が、に『の旗を持った人たちのデモ写真とともに英語とフランス語で「東京での日本人の国家主義者によるデモ。 彼らは首相と彼の保守的な政権を支持している」とする書き込みをした問題』に関し、8月5日の朝刊で「報道姿勢に疑念を抱かせた」との謝罪記事を掲載した。 朝日新聞社広報部によると、冨永格特別編集委員が掲載した写真はネット上で見つけたもので、事実関係の裏付けなどは行っていなかった。 の朝刊にて、の周辺に設置された放射性物質の観測体制が不十分であると報じた。 これに対しては「非常に犯罪的だ。 朝日新聞には 十分に反省してもらいたい」と批判した。 原子力規制委員会によると、観測機器の種類によって機能に差があるのは当然であり、避難指示に必要な情報は様々な機種の測定機器を組み合わせて判断しているが、朝日新聞の記事では、あたかも避難指示の判断が現状の観測装置では出来ないような内容になっており 、立地自治体に無用な不安を与えるとされた。 また原子力規制庁の職員が言っていない内容まで記事に書かれているとし、担当記者に説明を求めた。 3月15日、原子力規制庁はホームページに朝日新聞の記事は誤解を生ずるおそれがあるとして事実関係を説明する文書を掲載した。 しかし、朝日新聞はこれらの抗議に対して明確な修正をせず取材源の提出にも応じなかったため 、規制庁は朝日新聞の編集幹部を呼び出して無期限の取材制限を行うことを通告した。 具体的には、今後は朝日の電話取材は一切対応せず、対面取材の場合も必ず録音を行う事とした。 、がホームページからに関する記述を削除し、担当者が「内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした」と説明したと報道。 同日、内閣府は削除を否定し、担当者の発言として報じられたコメントも否定。 朝日新聞への抗議も検討している。 内閣府によると、18日夕方に朝日新聞記者から電話取材があり、担当者が「ホームページの刷新中で、今は見ることができない」と削除していないことを伝えたという。 また、苦情が寄せられていることも否定し、「報告書の掲載をやめることの検討もしていない」としている。 朝日新聞はの取材に対し「記事は、内閣府の担当者への取材に基づいて執筆したものです。 詳細な取材経過や相手方の発言などについては、回答を差し控えさせていただきます」と回答した。 2017年7月19日付けの「重国籍 なにが問題?解消手続きは?」の記事に、日本の14条が、「いずれかの国籍を選択しなければならない」と明確に定めていることを、誤って「努力規定として」などと報じた。 7月27日に訂正を掲載し謝罪している。 2月、朝刊北海道内版で1月12日、19日に掲載した連載記事「ひと模様 大道芸人 ギリヤーク尼ケ崎さん」において2016年にが出版した写真集「ギリヤーク尼ケ崎 『鬼の踊り』から『祈りの踊り』へ」の多数の記述を盗用していたことを認めた。 12日の記事の約4割、19日の記事の約8割の記述が写真集の内容と重複していた。 朝日新聞は盗用の意図はなかったとしたものの、連載を中止し、と取材対象のに謝罪、「読者の信頼を裏切った」などとして、執筆した函館支局の記者を停職2か月とする等の関係者の処分を発表した。 2019年朝刊において、が元患者の家族への賠償を国に命じた判決を受け、日本政府の対応として控訴する方針だと一面トップで報じたが、同日の午前中に首相が控訴を断念する意向を表明したことで報道とは逆の結果となり、翌日政治部長名で謝罪した。 ルポルタージュ『中国の旅』 8月から12月にかけて夕刊で全40回連載された記者によるルポルタージュ『中国の旅』において、で日本軍が中国人に対して行ったとするを、現地住民からの聞き書きの形で紹介した。 記事の内容は当時の日本社会に衝撃を与えた一方で反発も強く、朝日新聞社によれば「ごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」という。 また、論壇では事件についてのが発生した。 詳細は「」を参照 9月2日にをはじめて取り上げて以降、1991年の吉田の再紹介、同年のの「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たなどとするをしたとの記事を継続して掲載しつづけた。 吉田の証言記事については本人が創作であったことを認めた後に至っても長らく訂正することなく、植村の記事についてもあきらかなミスなどが早くから指摘されていたもののこちらも長らく同様であった。 この間、慰安婦強制連行問題は国際社会へと拡散されていった。 国際問題化する過程では、朝日報道を韓国メディアが引用して取り上げることで、韓国世論で日本への批判が高まり、今度は朝日がそれを再び報じるということが繰り返され、朝日と韓国のメディア、世論による一種の「」とも言える状況がみられた。 8月、朝日新聞は訂正記事を出し、同年9月、上述の問題とともに朝日新聞は社長出席の記者会見を開き、一連のを謝罪した。 しかし、朝日新聞の慰安婦報道が国際社会に与えた影響については同紙の組織した「第三者委員会」も委員ごとの3つの見解、「韓国に影響を与えたことはなかったことを跡付け」、「欧米、韓国に影響を与えたかどうかは認知できない」、「韓国における慰安婦問題に対する過激な言説をいわば裏書きし、さらに過激化させた」を併記するにとどまり 、朝日新聞が公表している「第三者委員会の報告の対する朝日新聞社の見解と取り組み」でも責任の所在を明確にしていない。 1月26日、日本国内外の8749人は、朝日新聞が掲載した計13本の記事について「」とした上で、「多くの海外メディアに紹介され、ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」、「日本国と国民の国際的評価は著しく低下し、原告らを含む国民の人格や名誉が傷つけられた」とし、1人あたり1万円の慰謝料と謝罪広告の掲載を求める訴訟を東京地裁に起こした。 原告側事務局は「」。 同年、3月25日、1万7千人が追加提訴し、原告数は2万5700人となった。 東京地裁は2016年7月、原告側の請求を棄却。 東京高裁も2017年9月の判決で原告側の控訴を棄却し、原告側が上告せず朝日新聞の勝訴が確定した。 また、同年2月18日、慰安婦をめぐる朝日新聞の報道(吉田証言を基とする記事、および、と慰安婦を混同した記事計52本)で「誤報を長年放置した結果、慰安婦像が建てられて嫌がらせを受けるなど精神的苦痛を負った」として、米カリフォルニア州グレンデール市近隣に住む日本人3人と国内の大学教授ら計約2千人が、同社に慰謝料と主要米紙などへの謝罪広告の掲載を求める訴訟を東京地裁に起こした。 訴状では「慰安婦問題に関する誤った事実と見解が真実として世界に広まり、慰安婦像の設置などで定着した」と指摘し、「日本人の尊厳を傷つけて国際社会における客観的評価を下げた。 世界に対し謝罪を発信することが必要だ」とした。 2017年4月、東京地裁は原告側の訴えを棄却した。 原告側は控訴したが、2018年2月、東京高裁は原告側の控訴を棄却し、朝日新聞の勝訴が確定した。 同年2月19日には、朝日新聞の慰安婦報道を外部から検証してきた「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」が報告書を発表し、1991年から1992年にかけての朝日新聞の慰安婦報道について「強制連行プロパガンダ(宣伝)」と断定し、このプロパガンダによって国際社会に誤った事実が拡散し、日本の名誉を傷つけていると結論づけた。 また、朝日新聞の組織した「第三者委員会」の「影響は限定的であった」との検証結果については「朝日の責任を回避する議論に終始した」と指摘した。 8月、平成26年8月5日付朝刊の特集「慰安婦問題を考える 上」に掲載された記事の英訳版のソースに、検索エンジンによってサイトが表示されるのを抑制する「noindex」「nofollow」「noarchive」の3つのメタタグが埋め込まれていることが確認された。 朝日新聞広報部はこのような設定がなされていたことについて、作業ミスであり現在は修正済である旨を回答している。 新型コロナウイルス感染症関連• 、対策の一環として、安倍内閣が各家庭への配布を実施することに絡み、「布マスクは有効? WHOは「どんな状況でも勧めない」」との見出しの記事をオンライン上に掲載した。 しかし、が布マスクを推奨しない対象は医療従事者であり、一般人は含まれていない。 また記事の末尾に「他人にうつさないという目的を考えれば、『つけない』という選択肢はない」とする専門家の見解が記述されていたことから、見出しと記事の内容に齟齬があり誤解を生みかねないとして物議を醸した。 2020年、「#東京脱出、専門家「やめて」 帰省で家族に感染、新たなクラスターも 新型コロナ」の見出しで、ツイッターで「東京脱出」という(検索ワード)が拡散されており、ウイルスを地方に広げてしまうことで新たなクラスター(感染者集団)が発生する可能性が危惧されるとする記事を掲載した。 しかし、この記事が配信される以前に「東京脱出」というハッシュタグの投稿はほとんどなく、朝日新聞が記事化することで拡散させた疑いが強いと指摘された。 2020年、「コロナ対応に海外から批判続出 政府、発信力強化に躍起」の見出しで、海外から日本政府に対し、特にPCR検査数の少なさへの批判が相次いでいるとする記事を掲載し、具体例として、英紙、英、米紙などを挙げた が、実際のガーディアンの記事は主に日本国内の論調を紹介しているだけであった。 また、BBCとNYタイムズの取材相手がいずれも安倍内閣に批判的な英キングス・カレッジ・ ロンドン教授のと上智大学教授のであったため、ネット上では記事の内容について批判が起きた。 教授のが「フェイクニュースと断ずべきレベルなのでは」と批判した他、リベラル派である哲学者のも報道の仕方に疑問を唱えている。 ・は偏向、的だと批判の対象にすることが多い。 特に 、 、 、 、 、 など、一部の保守論壇からは激しい論調で批判されている。 「WiLL」の編集長を務め、現在「」でも務めるは、週刊文春編集長時代から数多くの朝日新聞批判を行っており 、花田の元部下だったも、朝日新聞の報道姿勢を「築地をどり」と揶揄している。 は慰安婦報道や珊瑚記事捏造事件などを問題視している。 は、「・の紙」「やをの笑いものにする報道に力を傾けている」と非難した。 、、らは「事実を書かない新聞」であるなど批判し「廃刊すべき」と主張している。 に対する報道姿勢が批判されることが多い。 が社長だった頃は、親・礼賛路線を採り 、朝日新聞社内ので、親派が勝利した後は、一転して親ソ連的な報道を行い、「朝日は日本のか? 」と評されることもあった。 後は親中華人民共和国 路線に戻ったとされ、近年は保守派から「の一翼を担うもの」 、「・」と評されている。 また、側も機関紙『』を通じて、首相への批判に絡み、朝日新聞に対して賛辞を送るなど好意的な論調を展開している。 が起こした事件に関する報道において、がになっている場合、のみ、あるいは曖昧な表現を用いて報じることが多く、在日韓国・朝鮮人の犯罪かどうか判別するのが困難である、として批判の対象となっている。 「」および「」も参照• 付の社説で、日本はに対し「人道的な食糧支援を再開すべし」と前置きし、「日朝国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある」と記した。 は、被害者を「障害」と表現した執筆者に酷薄さを感じずにはいられなかったと評した。 2005年3月27日付朝刊のの「風向計 - 竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想」にて、島根県の沖にある(韓国名:独島)を「いっそのこと、島を(に)譲ってしまったら……」と記述したため 、・やなどがに詰め掛け、「」「」「」などの非難を浴びせられた。 後日「風向計 - 言論の覚悟 の道具ではない」(2006年付朝刊)で若宮は、その時のを振り返り「を譲るなどとは夢にも口にすべきでない」とは記述したが 、その後1月30日に、のの碩座教授に着任している。 2006年からにかけて、当時の首相だったに対する朝日新聞の報道が「」である、と批判された。 2007年付では「朝日新聞の安倍政権に対するネガティブキャンペーンはすさまじかった」とし 、のは「がここまで特定の政治家や政権に非難を浴びせ、その打倒を図るという政治的キャンペーンは、日本のジャーナリズムの歴史にも異様な一章として特記されるかもしれない」と批判した [ ]。 前のに対する報道について、は、「政治家を批判する記事を書くとして、政策についての議論であれば、日本の未来の方向性についての予測が立てられたりするので、読む側としても価値を感じられます。 けれど、のの値段がどうこうとか、がどうこうとか、の値段がどうこうってどうでもいい」 と評した。 は「マスコミとりわけ朝日・毎日等新聞やテレビの自民党攻撃はすさまじかった。 一方、なんでもを褒めそやしていた。 今でもそうだ。 前首相がホテルのバーを使って贅沢していると非難したが、に対しては、その衣服や装身具がどのブランドものなどと紹介してはしゃいでいる。 がおかしいんじゃないか」 と非難した。 2008年、山口県で起こったに対する、当時の・による、時代の『』での発言について「橋下TV発言、弁護士資格を返上しては」とのを掲載。 これについて橋下は、同月19日にで開かれた「創隊48周年記念行事」の祝辞の中で、「人の悪口ばっかり言ってるような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と批判した。 、翌20日には「朝日新聞は事実誤認があったらするのか。 (朝日新聞は)無くなったほうが、のためになる。 全く愚かな言論機関。 すぐさま廃業した方がいい。 権力の悪口を言っていればいいと思っているのではないか」と批判した。 、橋下知事は先の発言の真意について、「命がけで頑張っているに敬意を表さないといけない場で、その対極にいる愚かな朝日を批判するのが最適だと思った」と説明。 テレビでの発言をもとに弁護士資格の返上を提案した社説については「朝日はからかい半分で、事実誤認もあり今すぐ廃業すべきだ」と述べた。 に出版された塾長・の著書『約束の日 安倍晋三試論』では、同著者が(元毎日新聞記者・)から聞いた話として、当時の朝日新聞論説主幹・と三宅の会話が描かれている。 その中で、三宅が若宮に対し「朝日は安倍というといたずらに叩くけど、いいところはきちんと認めるような報道はできないものなのか」と質問したところ、若宮が「できません。 だからです」と返答したという記述があったため、同記述を元に朝日新聞を批判する意見も現れた。 、が朝日新聞社の広報部に本件についての取材を行ったところ 、広報部側は「当社幹部が、政治評論家の三宅久之に対し、『安倍政権の打倒は社是である』と発言した事実は一切ありません」と述べ 、また、実際に定めている社是があるのかも質問したところ回答は得られなかった。 さらに、同書では、第一次安倍政権の時代に、ある朝日新聞幹部が著者の小川に「安倍の葬式はうちで出す」と語ったとしている。 小川は、の最中に朝日新聞だけが「菅首相、任期いっぱい頑張って」と題する擁護記事を掲載し、退陣表明をした翌日の天声人語でも菅に対して親しげな呼びかけが見られたなどと主張した。 また、菅による日本人拉致事件容疑者親族の政治団体への献金疑惑が浮上しても朝日新聞はほとんど報道しなかったなどと主張している。 には、で、による「撃ち方やめ」発言報道 に関する質問を受けて、首相の安倍晋三は「きょうの朝日新聞ですかね、『撃ち方やめ』と私が言ったとそういう報道がありました。 これは捏造です。 まあ、朝日新聞は安倍政権を倒すことを社是としていると、かつて主筆がしゃべったということでございますが。 これはブリーフをした萩生田議員 に聞いていただければ明らかでありまして、私に確認すれば、すぐわかることです。 私が言ったかどうか。 親しい朝日新聞記者がいるんですから。 一回も残念ながら問い合わせがないまま、私が言ってもいない発言が出ているので、大変驚いたところでございます」と答弁した。 これに対して、翌付『朝日新聞』では、同社東京本社報道局の話として「記事は意図的に話をつくった捏造ではなく、取材にもとづいて書いたものです。 また、朝日新聞社に「安倍政権を倒す」という社是はなく、主筆が話したこともありません」とする記事を掲載した。 2012年付のは、アメリカのが、フィリピンのアルバート・デルロサリオ外相が中華人民共和国の軍拡への抑止として日本が消極平和主義憲法を捨てて「再軍備」を進めてほしいと言明した 事を指摘した上で、「日本が全体への軍事的脅威になるという中国の主張は他のアジア諸国では誰も信じないでしょう。 諸国はむしろ日本の軍事力増強を望んでいます」と語り、また「米側ではいわゆるを機にのエリートや、が氏を『危険な』としてたたきました。 安倍氏の政府間レベルでの戦略的な貢献を認識せずに、でした。 その『安倍たたき』は日本側で同氏をとにかく憎む朝日新聞の手法を一部、輸入した形でした。 今後はその繰り返しは避けたいです」と語り、朝日新聞の報道姿勢を批判した事を報じた。 は、自著において、「反対意見を「極右」「反知性主義」とラベリングして封殺する言論機関」「日本人が政治判断に迷った時、左翼と朝日新聞の逆を行けば、間違うことはないだろう。 朝日は常に惚れ惚れするほど間違っている」と批判している。 は、自著において、「朝日新聞もそうですし、もそうです。 岩波書店だって、戦争中は戦争肯定のなどを出していたんですから。 それが、戦後、いつでも簡単に変われますよといわんばかりに、いとも簡単に変わっちゃった。 僕はそういうや市民主義者とは思想的に一線を画する、こんなのと一緒にされちゃ困るぜってことで、ずっとやってきたわけです」と述べている。 は、朝日新聞が「増韓」を「捏造し、火つけして、韓国の新聞に報じさせて問題化し、それを逆輸入して「問題になっている」と騒ぐ」という構図があるとして、「特定秘密保護法よりも朝日新聞のほうが怖い」と述べている。 また、朝日新聞が「週刊誌などだけがブームを作ったわけではない。 メディアが日韓・日中の対立ばかりを報じ、日常的な交流のニュースを捨象してきたことも根本にある。 報道全体の検証が必要だ」と報じたことについて、朝日新聞が先頭に立って対立ばかりを報じていたのであり、偏向報道の自覚がない朝日に対して自省すべきであると批判している。 福島第一原発「吉田調書」の誤報、慰安婦「強制連行」報道への批判 2014年5月に、の所長が政府事故調の聴取に応じた「(聴取結果書)」を独占入手したとして「所員の9割が吉田所長の命令に違反して撤退した」と報道したが、かねてからの取材を続けていたは、週刊誌(『週刊ポスト』6月20日号、『週刊新潮』9月18日号)、写真誌(『FLASH』6月24日号)、月刊誌(『Voice』8月号・11月号、『正論』8月号・10月号)、『産経新聞』8月18日付朝刊 等で「所員の9割が吉田所長の命令に違反して撤退」などの内容は調書のどこにも記載がなく、門田による吉田所長への取材内容とも矛盾しているため事実ではないとし、朝日新聞の誤報は「原発事故の最前線で闘った現場の人々を貶めただけ」などと批判の論陣を張った。 これに対し、朝日新聞は「訂正謝罪」の要求と「法的措置を検討する」との内容証明を門田に複数回送付するなどの対抗策をとっていた。 8月には朝日新聞が一連のについて訂正記事を掲載し、これが新聞各社や言論界で大きく取り上げられ、国会議員からも国会審議によって追求する可能性が示された。 同時期に発覚したの事実と異なる恣意的な報道もまた新聞各社、メディアからの批判が相次ぎ、朝日新聞はこれらの問題に対し同年9月11日に社長出席の記者会見にて吉田調書報道については全面撤回及び謝罪、慰安婦「強制連行」報道についてもはじめて謝罪するに至った。 同年9月21日、が過去の慰安婦記事の一部取り消しのために同社幹部らが一部の省庁幹部に対して検証記事の意図や事情などを説明して回ったことがにより報じられた。 同記事では、朝日新聞社幹部が朝日新聞社を批判する新聞や雑誌など複数のメディアを挙げ「誤報を認めた部分以外をメディアから攻撃されたら、朝日の紙面で反論するだけでなく、積極的に提訴する方針だ」と述べたとする某省のメモを入手したと報じている。 同メモ内には朝日新聞社に批判的なメディアとしてやなどが名指しされており「朝日が訴えたらそれらのメディアはひとたまりもないだろう。 彼らは取材力が劣っているからだ」という主旨の発言が朝日新聞社幹部からあったと週刊ポストは報じている。 「」および「」も参照 加計学園問題の報道に対する批判 のは、2017年5月17日のトップ記事で報じられたの獣医学部新設報道に添付された「大臣ご確認事項に対する内閣府の回答」の画像について、「写真はなぜか下側が暗く文字がよく読めない」ために「文章の写真が不可解」であるとし、その理由について、そこに書いてある内容は「安倍首相の指示だと取り繕ってはどうか」という内容であるため、文字が読めた場合に「逆に首相の指示などないことを示している」ことがわかってしまうから、と主張している。 また、6月15日に文部科学省が公開した文書によると、下側の部分には「『国家戦略特区諮問会議決定』という形にすれば、総理が議長なので、総理からの指示に見えるのではないか」と書かれているとし、朝日新聞による「印象操作」と言われても仕方がないと主張している。 読者層 朝日新聞の読者は読売新聞に次いでとで多く、に次いでで多い。 2013年現在シェア1位のはないが、全国的に満遍なく読まれている。 また、読者の政治的革新性、・および上層の割合 、読者の平均世帯年収 、一部上場企業の課長・部長クラスへの到達率 等の要素について、の中で読者に次ぐ水準であるという調査結果が存在する。 ・・・・といった著名人が一個人として投書することでも知られる。 押し紙問題 2016年3月に公正取引委員会は朝日新聞に対し「」問題に対し注意を行った。 これに先立つ2015年2月15日に杉本和行・公取委委員長は日本記者クラブで行なった記者会見で「今の制度においても公取委は押し紙を禁止しており、実体がどうなのかきちんとモニターしているところで、そういう実態がはっきりすれば当然必要な措置をとる」と発言していた。 これは朝日新聞の大鹿靖明記者が「みんな新聞社から配達されて、(新聞が)ビニールにくるまったまま古紙回収業者が回収していく。 どこの販売店主も何とかしてほしいのだけれど、新聞社がやってくれない。 おそらくこれは朝日に限らず、毎日、読売、日経もみな同じような問題を抱えていると思うのですね。 そこで押し紙の問題については委員長、どのようにお考えになっていますか?」」と質問したことに対する回答である。 紙面 朝日新聞社のホーロー看板 題字・地紋• 朝日新聞の題字の「新」の文字は、「木」の部分の横棒が一本多く「未」となっているが、本来「新」や「親」の偏の部分は「辛」と「木」からなり(「シン」という読みも「辛」による)、このように横棒が一本多い字体が字源的には正しい。 1954年時点では全国の新聞の4割以上が同様の字体を使用しており、2016年現在も朝日新聞のほか地方紙8紙が使用している(参照)。 朝日新聞の題字はのであるの『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、「新」の字のみ『宗聖観記』の中になかったことから、「親」の字の左側(偏)と「柝」の字の右側(旁)をもとに「新」を合成している。 題字の地紋は、(静岡県以東)と(愛知県以西)で異なっている。 との地紋は、1888年に「」として東京に進出した頃から使用している「」であり、「 敷島の大和心を人をはば 朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表している。 と、の地紋は「の(なにわのあし)」であり、大阪で創刊された新聞であることを表している。 なお、頃から題字の左横には、朝刊には発行対象地域の天気予報(全国分は社会面)、主要注目記事目次とその概要、更にその下に主要連載記事目次(大阪版は題字左横に主要連載記事目次、天気予報は注目記事目次の下に掲載されていたが、2019年4月1日付から東京版とほぼ同様のレイアウトに統一される)、夕刊には「」の記事紹介が掲載されている。 なお天気予報については(除・大阪本社版)に一時期掲載されていたことがあった。 テレビ番組の提供クレジットや広告媒体においては、題字とは異なるロゴが使われている。 これは角ばった文字で書かれたもので、2001年頃から採用されている。 当初の数年は「日」と「新」の一部を赤文字にして「21」に見えるようにしていたが、現在は「日」だけを赤文字にしたもの(他は黒文字)を採用している。 文字表記• 1950年代から、外の漢字の表記について朝日新聞社が独自に簡略化した通称と呼ばれる字体が使用されていたが 、 に約900の漢字についてに基づく字体に改められ、紙面から姿を消した。 朝日新聞が用いる書体も独自に開発したものであるが、出版社・新聞社やデザイナーより使用したいという要望が多く寄せられていたことから、2013年7月よりを通じて書体が形式で順次発売されることになった。 日付欄は 2009年(平成21年) 1月1日(木曜日)のようにと月日が太字で、とが普通の字で表記されている。 などのコラムが入試問題になることも多いため 、教育関連や就職情報などの広告が他紙に比べて多い(特集記事として「朝日求人」が掲載されることもある)。 過去に『』などが自社に批判的な記事を載せた際、事実誤認であると主張し、何度か広告掲載を拒否した事例もある(2005年12月15日、2006年10月4日)。 関連の広告は、広告を中心に出稿を受け付けている(系のやの 、の、、)。 ただし、からの出稿は過去2度に渡って断っており、特に朝刊に出稿を依頼した「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」の全面広告は他紙が軒並み受けたのに対し、朝日新聞だけは断固として拒否した。 この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2011年7月) 7月までは、は東京本社と大阪本社の朝刊で中面に掲載(最終面は)されていたが、最近ではを除き最終面に掲載。 4月より、番組表をとして初めて掲載した。 当初は、東京版では夕刊の番組表を本編から切り離して別冊『Gセクション』として掲載。 1面に在京の翌日の放送開始から終了時(24時間放送の局は翌日基点時間〜翌々日の基点時間)の番組表、最終面には当日夕方17時から放送終了時(または翌日基点時)の番組表をフルサイズで掲載。 その他、中面にはエンターテインメント関連の記事や、関東地方の、、の番組表が掲載されていた。 大阪など他地区では、夕刊にジャンル別のGコード番組表を掲載。 夕刊のない地域では土曜日に1週間のジャンル別番組表を載せた。 その後、他の新聞にも掲載されるようになり、朝日新聞東京版夕刊の別冊記事は廃止され、夕刊・朝刊とも原則として最終面(休刊日は2日分を中面)にGコード番組表が載る様になった。 テレビ欄の掲載の特徴として、・と系列放送局のない地域(山梨県・富山県・鳥取県・島根県・徳島県・高知県・佐賀県)、および加盟局がありながらもである福井県・宮崎県を除いて、系列()を(NHK)の地上波の2チャンネルの次に載せている(関東・近畿はチャンネル順で、その他は開局順)。 なおでは、系列外ではあるが朝日新聞社が主要株主であるが民放最左端である。 また、のデジタル別編成番組については別欄とせず、その日の深夜放送の番組の下(番組表の末尾)に載せている。 なお、1996年ごろから、東京本社発行分では個別のラジオ番組の解説がなくなり、現在ではラジオ欄そのものを除いたに関係する記事は、社会面などに掲載される場合を除くと、週1回掲載される「ラジオアングル」だけになっている。 2009年3月30日付からは、関東地方向けのテレビ欄がテレビ放送開始以来長年続いたチャンネル番号の小さい順から、のの小さい順に再編 され、中面に掲載されていたとの番組表が最終面での掲載に変更された。 名古屋本社版では、およそ20年ぶりにの番組表が在名他局より縮小され、やのサイズに近付いた が、2010年春に元に戻った。 また、ラジオ欄の局名表記は2009年3月30日付から東京本社版・名古屋本社版・北海道支社版では、長年掲載されていたの表記が省略され、局名と問い合わせ電話番号のみの表記になった。 ただし、関東版では同年5月頃に周波数表記が再開された。 番組表は朝日新聞グループのの関連会社であるから配信されたものを掲載している。 また、まで大阪本社版(紙面配置スペースの関係上1面掲載)を除いて、最終面のテレビ面には全国の発行日付のが収録されていたが、文字のサイズ拡大に伴い、同年以後は、主要都市当日分は1面の題字左横、その他の都市の当日分を含む1週間分のは社会面に掲載するようになった(大阪は従前と同じ。 1面題字左横は主要連載記事の目次 を載せている。 また国際衛星版は題字左横の天気欄が掲載される箇所を「 国際衛星版」の題字に差し替えている)。 版立て 最終版は、14版、4版。 紙面枠外の上部に記載されている。 記事・写真の入稿締め切り時刻や、版ごとの配達地域は公表されていない。 4コマ漫画 以降のものを記載。 (作) -• (作) 1951年 - 、1953年 -• (作) 1953年 - 1953年• (作) 1月1日 -• (より「」に改題、作) 1991年 - 連載中(からまで、作者・いしいの病気療養のため休載) 夕刊• サザエさん(長谷川町子作) 1949年 - 1951年4月15日(で連載)• (作) 1951年 - (1951年9月30日までは夕刊朝日新聞で連載)• フジ三太郎(サトウサンペイ作) 1965年 -• (作) 1979年 -• (作) - 1996年• (より「」に改題、作) 1996年4月1日 -• (作) 2002年4月1日 - 連載中 発行地域 「」も参照 夕刊発行地域 がある「朝夕刊セット版」の発行地域はのうち上川、空知、石狩、後志、胆振、全都県、静岡県、全県 、全府県 、山口県、福岡県、沖縄県の以上22都道府県。 それ以外の地区では、朝刊のみの「統合版」が発行されている。 かつては佐賀県、大分県、山梨県でも夕刊が発刊されていたが、統合版に移行した。 縮刷版 主要紙の例に漏れず、(以下「縮刷版」)を定期刊行している。 一か月分の朝日新聞(発行の内最終版)の全紙面をA4サイズに縮小し、一冊の本にまとめたもの が全国のなどで閲覧できるほか 、一般販売もされている。 戦前は(現・朝日新聞東京本社)と(現・)が別々に縮刷版を発行していた。 に掲載したの捏造会見()については、白紙にし「 お断り こゝに掲載された伊藤律氏との会見記は事実無根と判明したので全文を削除しました」と記述されており、元々掲載されていた記事を閲覧することはできなくなっている。 1989年4月号には、付夕刊一面に掲載された、に発展した「サンゴ汚したK・Yってだれだ」の見出しによる写真記事がそのまま収録され、同日付の欄外に、「おことわり 写'89『地球は何色? 』の写真については、本社の取材に過ちがありました。 『おわび』を五月十六日付と同二十日付の朝刊一面に掲載しています」と記述したお詫び文が記載されている。 通常の縮刷版とは別に、重大災害・事件・事故の際に「特別縮刷版」が発行される場合がある。 の やの 、の の際は、重要記事を中心とした特別縮刷版が発行されている。 ネット事業• (にを統合)• (旧「スポーツポッドコーナー」番組)• (をもって休止)• (朝日新聞・・の3紙共同運営、をもって休止) 冠ニュース番組• 脚注 [] 注釈• は、実際の発行部数は2016年時点で470万部であるとしている。 『』(2016年4月28日号)は、公称発行部数670万部に対して発行部数の大幅な水増しがあるとしている。 元新聞記者の幸田泉は、2016年3月にからに関して注意を受けており、朝日新聞の押し紙率は3割程度である、と述べている。 、、、朝鮮通信、など。 「朝日」の由来は、「旭日昇天 万象惟明」を基に、編集主幹だったの提案「毎朝、早く配達され、何よりも早く人が手にするもの」から。 朝日新聞に掲載された最初の論説。 朝日新聞に掲載された最初の写真。 現存するのは、同年12月発行の通号第4号から。 2009年6月6日付の朝日新聞では、1947年6月9日連載開始とされている。 1951年4月16日からは朝日新聞朝刊で連載。 1951年10月1日からは朝日新聞夕刊で連載。 朝日新聞、、、、、、の7紙。 1979年1月からは朝日新聞朝刊で連載。 2006年9月11日付の夕刊からは、文字の横線をやや太くした。 大阪本社版は1面インデックス下側に記載。 が問いかける様な文体になっている。 まれに、ドラえもん以外の(、、、など)が登場することもある。 1905年9月1日付の朝日新聞では、「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」などと書かれた。 1918年11月15日に『大阪朝日新聞』と『東京朝日新聞』で共通の「朝日新聞編輯綱領」を制定し、同年12月1日に紙面で発表した。 内容は「天壌無窮の皇基を護り、国家の安泰国民の幸福を図る事」「国民の思想を善導」「不偏不党の地に立ちて、公平無私の心を持し、正義人道に本きて、評論の穏健妥当、報道の確実敏速を期する事」「新聞の社会に及ぼす影響を考慮し宜しく忠厚の風を存すべき事」など。 出兵反対派だった『大阪朝日新聞』は、1918年4月と同年5月に発売禁止処分を受けた。 一例として、中に敵陣に突入爆破した日本兵士をと称して勇者とし、を公募して戦意高揚を煽った。 緒方竹虎はらによってに結成されたの主要なメンバーの一人である。 後にとしてでただ一人となったも玄洋社の主要なメンバーの一人だった。 広田は頭山の葬儀委員長、緒方は副委員長であった。 笠信太郎は、朝日新聞社に入社する前はのであり、著書『日本経済の再編成』(中央公論社、1939年)で中央政府によるを主張した。 佐々弘雄は、者のであるの息子。 近衛と近い的なのたちと結び、元の、の総帥および首相を暗殺した、のたちとも手を組んだ。 、彼らは教育局長らと共に、内部で皇道派と対立していたのメンバーだった首相の暗殺を企てている。 作詞:東京朝日新聞「今日の問題」子、作曲:江口夜詩。 当時の題字は『讀賣報知』である。 村山長挙・上野精一の両社主は公職追放でに社主から追放されたが、に両者とも社主に復帰した。 村山は追放期間中の経営陣をパージして会長に返り咲き(。 村山「復辟」という)、さらに社長に復帰した()。 また、同じく追放された上野も取締役(1951年11月30日復帰)から会長に復帰した(1960年6月29日)。 大阪朝日新聞・南鮮版 1938年12月28日付 『密航朝鮮人送還』 三十日朝釜山入航の關釜聯絡船で福岡縣から密航朝鮮人四十六名が送還されて来たが、厳重な警戒を潜つて内地へ密航をなし送還されて来たもので新年に入つてから僅か一ケ月間に三百名に上つてゐる• 2005年8月23日付社説「一つの法案に反対した前議員を容赦なく追いつめる。 非情と映るやり方ではあっても、自民党を政策本位の政党に作り替える剛腕だと評価もできる」 2005年9月11日付社説「小泉首相はこれまで見たこともない型の指導者だ」 2005年9月12日付社説「首相は最後まで郵政民営化一本やりを貫き、『国民に聞きたい』と問い続けた。 その意味でこの選挙は、まぎれもなく民営化の是非を問う国民投票だった。 それが圧倒的に支持された以上、郵政法案をすみやかに成立させるべきなのはいうまでもない」• かつてはと同義で「朝日文化人」という用語も使用されていた。 に端を発したへの抗議行動について、「五輪の祝賀ムードに水を差す」と非難した。 に関連した記事でも、中華人民共和国寄りの論調が散見される。 1970年代当時の論説委員対談では「社論としては反原発の立場はとらない。 反原発は署名記事で書くべき」「原発にはイエスバットだ」「原子力発電はすでに全電力の1割に到達しており反原発は非現実的だ」等の意見が述べられている。 のために必要な発射台となるの報道においても他紙とは異なり、容疑者の実名・国籍の報道を行わない姿勢を貫いた。 ただし、本名で報道した事例も存在する。 朝日歌壇、朝日川柳など。 、も参照。 ただし、該当記事にロイターのクレジットは入っていない。 当時は朝日新聞社が大株主だった。 1979年1月、仙台高等裁判所で懲役1年6か月、執行猶予5年の判決が確定。 1976年8月から1977年12月まで、計235回の連載。 1985年4月26日、懲役1年(執行猶予3年)および収賄額分の追徴金の判決。 1985年4月26日、懲役1年6か月(執行猶予3年)の判決。 板野はしたが、1994年10月にはを棄却し、懲役10か月(執行猶予2年)が確定。 元理事長は懲役1年6か月執行猶予4年、元院長は懲役8か月執行猶予3年。 病名は乳頭周囲腫瘍。 その他にも、「を警備員として紹介した」「自分の馬が死んで悲しむ少年の表情を映した場面で、実際に死んだのは別の馬だった」「わざと落石させて撮影を行った」「3カ月間、雨が降っていないと解説されたが、実際は少量だが降雨はあった」などの問題点が指摘された。 当該公文書はのと朝日新聞社が共同で入手。 との第一。 「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。 東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」、「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」など。 都城歩兵第23連隊の生存者で結成する団体であり、宮崎市に事務局を置く。 浦安市は抗議書の中で「新成人にとっては、一生に一度の成人式である。 その成人式を自分たちの手で作り上げてきた新成人たちを中傷する貴社の記事は到底許されるものではなく、強く抗議する」と伝えた。 具体的には「人の命を絶つというを実施するのだから、心境は穏やかではない。 しかし、どんなにつらくてものためにやらざるを得ない。 らにもももある。 の慎重な判断、の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。 死に神に連れていかれたというのは違うと思う。 (記事は)執行された方に対する侮辱だ。 私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。 そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と述べ、朝日新聞を批判した。 は、が報じたが基になっていると見做している。 雑誌『WiLL』に勝谷が寄稿している「あっぱれ! 」(2007年1月末で終了。 」で記述)では、常に朝日新聞の社説や論調に対する批判を書き綴っている。 ただし、ラジオ番組などで朝日新聞のすっぱ抜き記事を紹介する際に賛美を贈ることもある。 「スターリンは、反対者をおさえるに血の粛清をもってした。 中国では、こんどはもちろん、以前にもそれがほとんどなかった」森恭三論説主幹「紅衛兵三つの問題」1966年9月6日など。 朝日新聞の文革礼賛は、毛沢東が死去する1976年まで続いた• 香山健一・渡部昇一の対談「朝日は日本のプラウダか? なぜ虚報批判に答えないのか」を掲載した『諸君!』昭和58年4月号の広告コピー。 朝日新聞はこの広告コピーを「朝日はなぜ回答しないのか」に変えて掲載した。 の総則では社会主義国家を謳っているが、現在の中国が実態として社会主義国か否かについては議論がある。 は、『』(2008年9月10日)のコーナーにて「在日朝鮮人が犯罪を起こした時に通名で報道する朝日はおかしい」と批判した。 「安倍首相辞任で一番ガッカリしているのは朝日新聞だろう。 なにせ毎日いじめていた相手が突然転校してしまったのだから。 むろんこれは逆説だ。 しかし同紙の安倍政権に対するネガティブ(否定)キャンペーンはすさまじく、これにはいくら強靱な神経の持ち主でも参るだろう」• 同日付の『朝日新聞』では、前日10月29日の昼食会(首相側近の衆議院議員、参議院議員が同席)において、民主党幹事長の衆議院議員を巡る、の問題が発覚したことを念頭に、首相が「これで『撃ち方止め』になればいい」と発言したと報道した。 なお、同発言に関しては、朝日新聞のほか、産経新聞、毎日新聞、日本経済新聞、共同通信が、同時に報道している。 自由民主党総裁特別補佐の衆議院議員• 朝日新聞社の社旗もとで異なっており、東日本では朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本では逆に朝の字が右端にあって旭光が左に向かっている。 他紙と比較して大学入試における採用数が多い傾向にあり、グループ・プランディットの集計では2010年度で265大学518記事(2位の新聞は21大学32記事)である。 教団発足当初の1990年12月から、の著作や講演会などの広告を掲載していた。 大阪本社版は現在もラジオ番組の解説がある。 、日本経済新聞、産経新聞()、東京都内版、読売新聞(首都圏版)毎日新聞(首都圏版)はより朝日新聞と同様、地上デジタルのリモコンキーID順に再編されている。 、、は従来通り中面に掲載。 テレビ愛知の番組欄は、夕刊では従来通りフルサイズ掲載。 左端の「ラジオ」コーナー表記の下に全局一括掲載。 大阪本社以外は主要注目記事目次の下。 山間部、離島などの一部では統合版のみの地域もある。 通常、新聞縮刷版では記事誤植などがあった場合でも原則として原版を掲載し、後日の訂正・お詫びもそのまま掲載している。 ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 、1991年、932頁。。 新聞情報. 2019年6月15日• 、降旗学、ダイヤモンドオンライン、2016年5月14日、2016年10月18日閲覧。 朝日新聞とはコトバンク。 ブリタニカ国際第百科辞典小項目辞典の解説• 2018年9月29日閲覧。 2018年11月19日閲覧。 2018年7月2日. 2019年6月16日閲覧。 2019年6月16日閲覧。 伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言 伊藤律書簡集』五月書房、1999年• 2010年3月10日付• 朝日新聞縮刷版 東日本大震災 特別紙面集成2011. 11〜4. 朝日新聞2014年8月5日13版1面、16面・17面、6日12版16面・17面、7日7面• 朝日新聞 2014年9月12日. 2014年9月12日閲覧。 2014年10月10日• 2014年9月12日• 2014年10月14日• 読売新聞2014年12月6日13S版1面• 公益財団法人 p. (2010年5月編集・制作)• 著『日本新聞通史』• 著『新聞人群像』• 著『近代日本ジャーナリズムの構造』• 著『日本の近代14 メディアと権力』• 朝日新聞, p. 1919年11月22日 朝日新聞「普通選挙の促進運動 機は正に熟す」• 300. 編『メディア史研究 VOL. 11』、2001年9月• 「父・佐々弘雄と近衛の時代」全4回『中央公論 文芸特集』第2巻第1〜4号、1985年3〜12月。 『戦時少年 佐々淳行 父と母と伊藤先生』文春文庫、2003年。 佐々淳行『焼け跡の青春・佐々淳行 ぼくの昭和20年代史』文藝春秋、2003年• 吉松安弘『東條英機 暗殺の夏』上下、新潮社、1984年• 著『昭和研究会 ある知識人集団の軌跡』、1985年• ゾルゲ諜報団は東京やで暗躍し、多くの情報をにもたらした(、、も参照)。 1937年7月20日付(縮刷版)• 1937年9月9日付朝刊一面『』• 大阪朝日新聞・南鮮版 1939年2月2日付『密航朝鮮人を一網打盡』• 大阪朝日新聞・北鮮版 1939年6月22日付『論旨の渡航者一萬九千餘人』• 大阪朝日新聞・南鮮版 1939年11月21日付『渡航證明書を偽造し 不敵、巨利を博す 惡運つきて遂に捕へらる』• 大阪朝日新聞・南鮮版 1940年4月23日付『密航にまた新手 内地行労働者団体に見せかけ 出帆直前に捕はる』• 大阪朝日新聞・南鮮版 1940年5月28日付『朝鮮人鉱夫の物凄い稼高 遠賀工業所で推賞の的』• 大阪朝日新聞・中鮮版 1940年4月21日付『朝鮮人鉱夫に特別の優遇設備 まるで旅館住まひ同様』• 『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった』pp70-71• 朝日新聞: 9. 1971-11-15. 『漱石と三人の読者』著 現代新書 2004年10月刊• 『朝日新聞血風録』角川文庫、1996年• のブログ• 編『回想 笠信太郎』(朝日新聞社、1969年)、『政治記者 』(後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会、1985年)。 2015年6月18日. 産経新聞. 2016年12月2日閲覧。 新聞通信調査会• [ ]• , p. 133. , p. 150. , pp. 144-145. , pp. 145-146. , pp. 150-151. 朝日新聞. 2008年4月2日• 朝日新聞. 2010年6月14日• 朝日新聞. 2005年3月18日• 朝日新聞. 2005年7月28日• 「進まぬ土地改革 革命まだ序幕の段階」(朝日新聞1953年6月2日)• 『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』• 2008年「アサ論」• 2011年1月4日付け社説 2011年11月24日, at the. 朝日新聞 2008年9月11日朝刊国際面 「厳戒北京で自由叫ぶ チベット民主化支援の活動家」• 不定期連載『在日華人』等で複数の言及あり。 著『マスコミ日誌79』出版部• 朝倉敏夫『論説入門』中公新書ラクレ、p163以下。 朝日新聞 1998年8月16日朝刊社説「国民の物語の危うさ」• 2012年12月27日付、耕論「ふたたび安倍政権」など。 朝日新聞 2009年5月19日閲覧• 朝日新聞 2009年5月27日閲覧 2009年5月27日, at the. 中央日報 2013年9月10日• 長谷川幸雄「東条大将自決ならず!」(1969年10月21日放送)『証言 私の昭和史 6』東京12チャンネル 1969年• 1962年5月17日付朝日新聞夕刊「自主的に出荷中止/イソミンとプロバンM」• 1962年5月18日付朝日新聞朝刊「イソミン問題の背景/西独で奇形児が急増、同系薬の副作用説出る」• 柴田鉄治『科学報道』朝日新聞社、1994年10月刊、pp. 15-16• 1962年8月28日付読売新聞朝刊「日本にも睡眠薬の脅威」• のフロント組織とされ、などと共にの情報収集対象団体とされている。 の前身のひとつ。 後日、贈賄容疑で再逮捕。 1985年4月26日、懲役3年(執行猶予4年)の判決。 1-21, 早稲田大学大学院公共経営研究科• 『』(p81, p82)• 1986年4月26日に発生したについて、が(IAEA)に提出した事故報告書。 2009年9月18日, at the. 2004年11月20日, at the. 2005年1月22日, at the. 読売新聞、2006年10月16日• 2007年11月11日, at the. 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ワクワク 憧れの人が先生 オーサー・ビジット2020希望校募集 2019年の池上彰さんの授業=静岡県・伝法小学校、御堂義乗氏撮影 子どもたちに人気の本の著者(オーサー)が全国各地の学校を訪ねて特別授業をする、朝日新聞の読書推進企画「オーサー・ビジット」がいよいよ始まります。 2020年度はジャーナリストの池上彰さん、作家の今村翔吾さん、宮下奈都さん、教育評論家の尾木直樹さん、絵本作家の宮西達也さん、教育研究者の山崎聡一郎さんの6人です。 来てほしいオーサーに宛てて、色紙に質問やメッセージを寄せ書きし、みなさんの熱意を伝えて下さい。 授業に来てね 思いを色紙に 通常版とベルマーク版 オーサー・ビジットの対象は小学校から高校までです。 各オーサーが1校を選び、学校と相談の上、10月~来年1月の授業のある日に訪問します。 授業は2時限程度。 その模様は朝日新聞やウェブサイト「好書好日」などで紹介します。 来てほしいオーサーが決まったら、色紙(市販サイズ、約25センチ四方)に、オーサーに聞きたい話やメッセージ、学校の自慢など、自由にみんなで寄せ書きして送ってください(色紙は返却できません)。 文字だけでも、イラストや写真などを使っても構いません。 届いた色紙をオーサーが読み、訪問校を選びます。 通常版(朝日新聞社主催・出版文化産業振興財団〈JPIC〉協力)とベルマーク版(朝日新聞社・ベルマーク教育助成財団共催、日教販協力)の2種類の授業があります。 通常版は、学級、クラブ、委員会、有志など40人程度までのグループで申し込んでください。 同一校から複数の応募もできます。 学校負担の費用はありません。 ベルマーク版(尾木、宮西、山崎の3氏)の授業は、ベルマーク運動の参加校が対象です。 みんなで集めたベルマーク預金を使って、学校や学年単位でも応募できます。 PTAの参観もできます。 NHK記者出身。 世界各地を取材し、幅広いメディアで活躍。 名城大学教授、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特命教授など9大学に籍を置く。 『伝える力』(PHPビジネス新書)、『そうだったのか!現代史』(集英社文庫)、『世界から戦争がなくならない本当の理由』(祥伝社新書)など。 「新学期がなかなか始まらない中で不安な人もいるでしょう。 こんなときだからこそ、ちょっと立ち止まって考えてみる。 2017年、『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』(祥伝社文庫)でデビュー。 「羽州ぼろ鳶組」や「くらまし屋稼業」のシリーズ(ハルキ文庫)で大人気を博す。 直木賞候補となった『童の神』(角川春樹事務所)は漫画化も。 『八本目の槍』(新潮社)で吉川英治文学新人賞を受賞。 松永久秀を描いた『じんかん』(講談社)を近日刊行。 「人生を何度も送れる。 2004年、「静かな雨」で文学界新人賞佳作入選。 07年、『スコーレNo. 4』(光文社)で単行本デビュー。 ピアノ調律師の成長を描いた『羊と鋼の森』は16年の本屋大賞に選ばれ、映画化でも話題を呼んだ。 小説『太陽のパスタ、豆のスープ』(集英社)や『誰かが足りない』(双葉社)などのほか、エッセー集『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。 』(扶桑社)も。 中学、高校の国語教師を22年間務めた後、大学教育にも20年以上携わる。 法政大学名誉教授。 臨床教育研究所「虹」所長として、いじめや子育てなどの問題について現場に根ざした調査・研究、評論を展開。 「尾木ママ」の愛称でテレビやラジオでも活躍中。 『学習まんが小学生日記 尾木ママと考える!ぼくらの新道徳1 いじめのこと』など著書多数。 「大人の誰もが経験したことのない全世界が苦闘するコロナ時代を生き抜く力とは何か。 『きょうはなんてうんがいいんだろう』で講談社出版文化賞絵本賞、『ふしぎなキャンディーやさん』で日本絵本賞読者賞。 『おまえ うまそうだな』は劇場アニメ化も。 2015~16年には全国8カ所で作品展「宮西達也 ワンダーランド展」(朝日新聞社など主催)を開催。 『おとうさんはウルトラマン』など作品多数。 「今、世界中が大変です。 手洗い、マスクをして頑張りましょう。 法教育、いじめ問題を専門に研究活動を行う。 大学3年生時に大学から研究奨励金を受給して制作した『こども六法』を5年の歳月をかけて2019年に弘文堂より出版。 第54回新風賞受賞。 写真家、ミュージカル俳優としての顔も持ち、劇団四季「ノートルダムの鐘」などに出演。 「自由とは何か、考えたことはありますか? 大人も意外と理解していない自由の意味を一緒に考えてみましょう!」(山崎さん) 応募はこちらへ 【通常版】色紙の裏に下記の項目を明記して下さい。 応募は無料ですが、訪問決定後にベルマーク預金から3万円(消費税別、書籍代込み)を支払っていただきます。 訪問実施に向けて、授業内容のほか、会場における人と人との距離など安全対策についてもご相談します。 >必要事項を書き込む応募用紙(PDF)はからダウンロードできます。

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限定デザインのシンボルマークができました|株式会社朝日新聞社のプレスリリース

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)は、の。 概要 [ ] 2007年9月末に解散したの出版物・事業・商標・債務を引き継いだ朝日新聞社はに朝日新聞社出版本部(2002年8月31日まで朝日新聞社出版局)を分離し設立。 本社は旧出版局と同じく、五丁目の内に置かれる。 企業ロゴマークは、従来からののロゴ・社章は使わず、の「ASAHI」を前面に押し出したものである。 設立のとは無関係。 新聞社の出版部門が分離・独立してできた出版社に、、がある。 出版物 [ ] 従来朝日新聞社が発行していた、、、『』(2008年9月1日発売の10月号にて休刊)以外の刊行物の編集・販売等の出版機能を全て継承した。 縮刷版は販売機能のみ請け負い、他の機能は朝日新聞社本体に残る。 各出版物は全国の主要な書店のほか、朝日新聞傘下の出版社であることから、での購入・取り寄せも可能である。 雑誌・定期刊行物 [ ]• AERA STYLE MAGAZINE• AERA with Kids• 週刊分冊シリーズ• マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクション• 横溝正史&金田一耕助DVDコレクション• (発行元は朝日新聞社のまま)• 以下は発行・朝日新聞出版発売。 (Jリーグサッカーキング増刊)• 2010年2月号より。 なお、2010年1月号まではが発売していた• サムライサッカーキング(ワールドサッカーキング増刊)• 月刊誌時代は発売。 不定期刊化とともに移行• 廃刊・休刊誌 [ ]• (2015年1月休刊)• (もとは社発行で、休刊していたものを譲受し復刊。 2017年にに移管) 以下は(9月廃業・)より継承。 (終刊)• (発行終了) 書籍・文庫 [ ]• 朝日文芸文庫• 朝日エアロ文庫• ソノラマノベルス• ソノラマコミック文庫(旧刊新版、またはそのシリーズ)• 朝日コミック文庫(新刊)• あさひコミックス• あさひコミックスNemukiシリーズ• あさひコミックスHONKOWAシリーズ• 朝日ジュニア百科年鑑• 朝日キーワード• オフィシャルファンブック(・のみ。 それまでは出版・広告部から取り扱われていた。 よりクラブの直接発行となった)• (号より。 グループの出版社から発売元移行)• Jリーグイヤーブック(をもって発売元から撤退。 本そのものはJリーグ発行・直売の形で引き続きネット通販限定で出版)• Jリーグオフィシャルファンズガイド(をもって休刊) 脚注 [ ] []• 産経ニュースwest. 2012年10月25日. 2012年12月26日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年11月22日閲覧。 2012年10月25日. 2012年10月25日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年11月22日閲覧。 2012年10月25日. 2012年10月27日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年11月22日閲覧。 - 『ZAKZAK』2012年10月25日付• 2012年10月25日. 2015年9月24日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年11月22日閲覧。 関連項目 [ ]• - 初代社長、『AERA』元編集長、編集長。 - 社員、『週刊朝日』元編集長。 - の著作を出版していた出版社。 出版されていた作品の大半が朝日新聞出版から再版されている。 外部リンク [ ]• (朝日新聞出版)• (朝日新聞出版)• - チャンネル.

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